「日記?」
「そうだ、日記だ」
トレーナーが私に一冊のノートを渡す。
「前に質問したこと覚えてる?」
「質問……?」
トレーナーと普段雑談する機会はそれほど多いわけではないが、前にした「質問」というものに覚えがない。
「ほら、休みの日は何をしているのってやつ」
「ああ……確か私は『何もしていない』と言ったはずだ」
「そう、俺はそれが少し心配になってね」
「?」
「休むというのもある種のトレーニングの一環ではあるんだ。どこかに遊びに行ったり、なにか美味しいものを食べたりすることで、モチベーションが保たれるという効果が期待できる。だから君にも多少は休日を満喫してみて欲しい」
「……それがその日記とどういうつながりになるんだ?」
「君に、この日記に『今日あったこと』とかを書いて欲しい。日記にすれば今まで見えてこなかったことがわかるかもしれないし、なにより君がどうしたいのかがわかるのかもしれない。もしかしたら、休日を過ごすヒントが出てくるかもしれないからね」
「……分かった。毎日書いてみる」
「あ、一応だけど俺も見るってことは念頭に置いておいてね」
──1日目──
・今日はトレーニングをした
・同室のクラウンから中国のお菓子をもらった。美味しかった
[トレーナーのコメント]
良かったね。どんなお菓子か気になるな。
──2日目──
・今日はトレーニングをした。
・寮までの帰り道に猫をみかけた。逃げられてしまった。
[トレーナーのコメント]
それは悔しいね。あと箇条書きじゃないほうが日記らしくなるかもしれないね。
──3日目──
今日はトレーニングをした。トレーナーが段差もない場所で突然転んだのを見かけた。少し心配になった。トレーナーにはもっと自分の体を大事にしてほしいと思った。
[トレーナーのコメント]
あれ見られちゃってたか……ちなみに偶然転んだだけだからそこまで心配しなくても大丈夫だよ。ありがとう
──4日目──
今日はトレーニングをした。トレーニング終わりの帰り道、再びあの猫に出会った。今度は逃げられないようにすぐさま追いかけた。それでもやっぱり猫にはにげられてしまった。
[トレーナーのコメント]
そっか、惜しいね。(これはドゥラメンテのトレーニングの参考になるかもしれない!)あと猫を思いっきり追いかけるのはもしかしたら猫が怖がっちゃうかもしれないから程々にね……
──5日目──
今日はトレーニングをした。そういえばクラウンがおすすめの香水をくれた。試しにつけてみたのだがトレーナーは気づいてくれただろうか?……ここに書くべきことではなかったかもしれない。
[トレーナーのコメント]
……えっと、確かにほのかにするなとは思ったよ。……気付いてたことを言えなくてごめんね
──6日目──
今日はトレーニングがなかった。今日はトレーナーとキタサンにオススメされた映画を見に行った。思っていたのと少し違って、ちょっとだけ……怖い映画だった。思わずトレーナーの腕にしがみついてしまったが、バレていないだろうか……
[トレーナーのコメント]
キタサンがまさか任侠映画を勧めてくるとは思わなかったね。……あとやっぱり自覚はしていたんだね。まあ学園の人とかいなかったみたいし大丈夫じゃないかな?
──7日目──
今日もトレーニングはなかった。特に用事もなく散歩をしていたら、トレーナーと桐生院トレーナーが一緒にいるところを目撃した。一緒に居酒屋に入っていくところまで見た。もしかしてトレーナーは桐生院トレーナーとそういう関係なのか……?
[トレーナーのコメント]
べべべ、別にそういう関係じゃないよ。ただの仕事上の関係。たしかに同期だし、唯一無二のライバルだし、親しい間柄ではあるけれど、別にそういう関係じゃないよ
──8日目──
今日はトレーニングをした。冬の寒さは完全に消えて、とても暑く感じた。そういえば昨日のトレーナーを見かけてから、胸の奥が少し熱く感じる。これはなにかの不調だろうか?
[トレーナーのコメント]
もしかしたら、何かしら不調が出ているのかもしれない、明日少し様子を見せて欲しい。何もないと良いんだけど……
──9日目──
今日はトレーニングをした。昨日に続き今日はより一層胸の奥が熱く感じる。特にトレーナーを見かけるときはきまってその胸の熱さが一層強くなる。トレーナー、これは一体?
[トレーナーのコメント]
少し様子が変だな。よし明日はトレーニングを休もう。個々最近トレーニングを詰め気味だったからその影響もあるかもしれない。トレーナー室でゆっくりしていてくれ。
──10日目──
今日はトレーナーといっしょにいた。いつもよりトレーナーの近くにいると、焦りというか、昂った感情が抑えられなくなりそうになる。トレーナー、私は一体どうなってしまうんだ?トレーナー?私は……君がどこか遠くへ行ってしまわないのかと、とても不安になってしまう。トレーナー。コレは私のわがままかもしれないが、ずっと私のそばにいてくれ。せめて、この気持ちが収まるまでは……
[トレーナーのコメント]
……
──
だめだ、明らかにここ数日のドゥラの様子がおかしい。医者にも一応見てもらったが、身体に異常はなかった。つまり、体ではなく、心の問題となってしまうが、一体どうすれば……取り敢えずたづなさんに連絡するかな……
「トレーナー」
突如、背後から声をかけられた。
「日記を見てくれたか?」
「あ、ああ。取り敢えず今の君はつかれている。他のアプローチで解決するからそれまで──」
ゆっくりと近づいてきたドゥラに口を塞がれる。目はレースの時以上に真剣な、ひどく集中しているような目だ。
彼女の口元が、俺の耳のちかくに来る。
「後は……分かっているな?」
少しづつ遠のく意識の中、視界の端に日記ノートが写った。