やる気が出ない日というのは誰にだってあるだろう。日本出張に来ている今、円居はまさにその気分を味わっていた。
「はあ……」
そもそも時期が悪い。何せ今は五月だ。財団は社会から隔絶された組織とはいえ、新人は普通に社会からやってくるのだからその影響は受ける。ちらほらと入ってきた新人の対応やら何やらで職員の生活は少なからず左右されており、その煽りは各地へ出向く円居とて受けているのだ。
今日だってそう。出張の時は普段ならホテルに泊まることが多いのだが、手続きの不備で部屋を用意できなかったのだ。そこまではいいのだが、現地で収容室に入るか職員寮に泊まるかでまた少し揉めた。円居としてはどちらでもいいが、どちらに泊まるかによって支部側は手続きがまた変わる。もたもたと話し合った末に、円居はようやく職員寮の空き部屋に荷物を運び入れることができた。
「報告書、作らないと……」
それと気候も悪い。まだ六月なのになんだこの気温は。もう夏なのか。そうなのか。古い記憶にある六月はもっと爽やかな時期だったように思うのだが、今の日本はすでに殺人的な環境と化していた。茹だるような気温に、じっとりと纏わりつくような湿度。まだ梅雨も控えているのでさすがにこのまま暑くなり続けることはないだろうが、想像以上の不快度指数にストレスはじわじわと増していた。
加えて、間の悪いことに台風が迫っている。本部に戻るのが早いか、台風が上陸するのが早いか。こちらで足止めを食らうとまた余計な手続きが増えるため、台風には是非ともゆっくりとした足取りで来てほしいものである──いや、欲を言えばそもそも来てほしくない。
「ほーこくしょ……」
書かなければ。分かっている。ベッドに転がってぐだぐだしていても、勝手に報告書が出来上がることはない。任務の頻度が高い円居には書かなければいけない報告書がたくさんある。
しかし、やる気が湧かない──その時、端末が震えた。
「はい……こちら円居」
『おっと、寝てたかい? 随分ぼんやりした声だけど』
「いや……寝てないです、大丈夫……」
ブライト博士からの連絡だった。声だけでこの人の状態を推し量るのは難しいが、ぐったりしている円居と違って平常運転に思える声だ。
『ならいいけど。それより、SCP-5045の報告書にはもう目を通した? インタビュアーの確認がないと、最終チェックを通せないよ』
その瞬間、円居は何とも言えない微妙な気持ちになった。例えるなら、家でだらだらしていたら親から「宿題はもうやったの?」と聞かれて「今からやるつもりだったのに」という釈然としない時のような。
「……まだです」
『早くやらないと駄目だよ。緊急性は高くないから急かすほどではないけど、君は仕事が多いから溜め込むと追いつかなくなるだろうし』
「はい……あとでやります……」
渋々頷き、そういえば5045のインタビューをやってからすぐ出張に出たからこんな連絡が来たのだと思い至った。通話を終え、溜息を吐きながら怠い体を引っ張り起こす。釈然としない気持ちにはなったが、ようやく動き出す切っ掛けになったのは良いことだ。
円居は鞄の中からパソコンを取り出し、電源をつけた。メモリを挿し、確認途中だった報告書の文字を辿っていく。
ぷつり、と急に画面が暗くなった。その瞬間、円居の心臓が嫌な音を立てた。
報告書やレポートを書いている時、一番嫌なのはサーバーダウンや充電切れで内容が飛ぶことだ。そして、今まさに目の前でそういうことが起きた──充電切れだ。
真っ暗になった画面を眺めながら、最後に保存したのはいつだったか考えた。元々抱えていた憂鬱さも相まって、思考が鈍く空回り始める。同時に、今ここでやめたら余計に億劫になるであろうことは予想できた。仕方なく、鞄の中を漁って充電器を探す。
しかし、悪いことというのは重なるものらしい。どれだけ探しても充電器が見当たらない。こういう時に限って忘れたらしい。少し考え、今回の出張に同行していたエージェント・ウィルソンに連絡した。
「ウィルソン、パソコンの充電器持ってませんか?」
『いや、今回は使う予定なかったし持ってない。急ぎなのか?』
「できれば」
『うーん、そうだな……あっ、そうだ! 今日は職員寮に泊まってるんだよな? 確か、ここの職員寮には空き部屋があって、そこに端末が置いてあるはずだ』
「勝手に使っていいんですか?」
『いいと思うぞ。行ってみて、施錠されてなければ使っていいはずだ。場所は──』
ウィルソンに言われるまま部屋を出て、教えられた部屋に向かった。試しにドアノブを捻ってみると、抵抗なく開く。なら使ってよいのだろうと判断し、空き部屋に入った。
室内はがらんとしていた。壁際の棚とデスク、調度品はごくわずかだ。床には大小様々な傷が残っており、おそらく一度は模様替えが行われたらしいということが窺えた。棚には本やら文具やらが置かれているが、それらに統一感がない。昔から決まった住人はおらず、いろんな人がたまに使う部屋なのかもしれない。
ざっと室内を見渡した後、当初の目的である端末を立ち上げた。充電ケーブルはデスク背面の電源に繋がれたままで、すぐに画面が点く。どうやら完全に切ってあったのではなく、スリープモードになっていたらしい。そのため、光の戻ったモニターに最初に映し出されたのはホーム画面ではなく、何かの報告書だった。
「SCP-2992-JP……?」
そんなオブジェクトあったかなと疑問に思い、何とはなしに読み進めてみた。そして、次第に顔が強張っていく。
スタンドアロンの端末。ここにしか存在しない報告書。ある時、職員が何も知らず模様替えをしたことで、条件を満たしてしまった空き部屋──端末の黒い余白に目を凝らすと、先程まで何もなかったはずの壁に木製のドアが出現していることに気付いた。
元々この部屋にあったドアだと思い込むこともできない。何故なら、端末に対して本来のドアは左側にある。画面の反射で自身の背後を見た時、ドアが見えるはずがない。
円居は弾かれたように立ち上がり、本来のドアへ向かって走った。視界の端に一瞬木製のドアが映ったが、何も起きない──おそらく、円居の異常性のお陰だろう。
廊下に飛び出し、勢いよくドアを閉める。反射的に携行している拳銃に手を添えたが、ドアを破って何かが飛び出してくることはなかった。しかし、さすがにもう一度開けて中を確かめる気にはならない。円居はすぐさまウィルソンに再び連絡した。
「ウィルソン、空き部屋のことなんですけど──」
例の空き部屋はすぐさま封鎖され、正式にSCP-2992-JPとして認定を受けたそうだ。その報せを朝一番に受け取り、円居は欠伸混じりに向かいの席に座るウィルソンに目を向けた。
「都市伝説からの派生って感じなんですかね?」
「さあ? その辺は今後調査すると思うが……まあ、ここの職員は多少注意されるだろうな」
元々このサイトにはちょっとした噂があった。都市伝説のようなものだ。
曰く、とある部屋で一人で作業している時、背後に木製のドアが現れる。そのドアを振り向くと、存在が消されてしまうんだとか。
その辺どこにでも転がってそうな、ありふれた怪談だ。しかし、そういうものが時に実現してしまうのを財団は誰よりもよく知っている。にも関わらず、組織内で迂闊にもこんな噂を囁いていたのだから上層部がいい顔をしないのは当たり前だった。さすがに財団内で集団的現実改変が起こるとは考えにくいが、それでも万が一に備えて気をつけるべきなのが財団である。
「そもそもいつから発生しているのかもわからないからね」
「室内の報告書を読んだ限りだと、少なくとも五人は犠牲者が出ているみたいですけど……」
「それ以前にも存在していたが条件を満たしていなかったから出現していなかっただけなのか、それとも……」
部屋に一人でいる時にのみ出現するというが、出現確認後にもう一人が部屋に入ったらどうなるのか。一度出現してしまえば問答無用で室内にいる人間を消すのか、それとも条件が崩れたら出現状態も解除されるのか。
一人というのは具体的にどういう状態を指すのか。部屋に一人でいるだけでいいなら、無線で室外の人間と会話しながらでいるのは一人と見做されるのか。
SCP-2992-JPは本当にあの部屋でしか起こらないのか。それとも、条件次第で同様の現象が発生する部屋は他にもあるのか。
今後、色々なことを調べなければいけないだろう。財団のいつもの職務通りに──ふと、ウィルソンは思い出したように円居に目を向けた。
「そういえば、報告書を書かないといけないな」
「え?」
「SCP-2992-JPの発見について、お前が」
「……!!!」
タイトル: SCP-5045 - すぐに慣れるよ
原語版タイトル: SCP-5045 - You Get Used to It
訳者: Yukth
原語版作者: ratking666, ValidClay, Westrin
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-5045
原語版ソース: http://scp-wiki.wikidot.com/scp-5045
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: SCP-2992-JP - バックドア
作者: VideoGameMonkeyMONO
ソース: http://scp-jp.wikidot.com/scp-2992-jp
ライセンス: CC BY-SA 3.0