市立スパイ学園の生徒会長〜『天使殺し』の英雄が、国家転覆を図るまで〜   作:さと かんひこ

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第四話 セラフィムの意志

 温かな春の日差しが頬をかすめていく。

 アラタはサトウカエデの林立する、学校の片隅の小さな広場のベンチに腰掛けて、一人読書に勤しんで……否、任務の内容を確認していた。

 工作・諜報活動は原則非合法な行為だ。それ故に任務の内容を工作員本人に伝達するにも、第三者にバレないように行う必要がある。

 その一つが、一見なんてことのない文庫本の中に当人達にしか分からない暗号を忍ばせておくこと。

 アラタは読書の振りをして栞状のメモにそれらを一つ一つ記していきながら、『学園』から下された指令を読み解いていく。その最中、

 

「だーれだ?」

 

 不意に、背後からそんな耳慣れた声とともに両目を手で覆われた。

 ひんやりとした指先に反して、その手のひらはほのかに温かい。アラタはとっさに本を栞ごと懐に隠し入れ、降参のしるしに両手を上げた。

 

「先輩、いい加減俺にちょっかいかけるために気配消すのやめて下さいよ」

「油断するキミが悪いんだぜ? 現場じゃ一瞬の隙も命取りだからねぇ」

 

 そういたずらっぽく笑いながら手を離し、フェイはアラタの隣に腰掛ける。

 ベンチ後ろの茂みの中にでも隠れていたのだろう、制服や髪の毛の至る所に枯れ葉がくっついていた。

 

「先輩みたいなスペックの奴がいたらそのときは諦めますよ」

 

 フェイの服やら頭についた葉っぱを一つ一つ外しながら、アラタはボソリと呟いた。

 彼女と出会って、もう半年ほどが経過する。

 この間何度も共同で任務についたり、あるいは訓練に付き合って貰ったりしたが、一向にフェイに勝てる気がしない。

 そもそも、彼女が何を考えているかが全く分からないのだ。

 今のようにふわふわと綿毛のような雰囲気で朗らかに笑っていることもあれば、任務でもないふとした瞬間に、腹の底が冷え入るようなすんとした顔付きになることもある。

 底知れぬ何かを、彼女は腹の中に秘めている。だが、その何かが分からない。

 そう言ったミステリアスさも、さしたる美人でも無い平凡な顔立ちの彼女に、何故か心を惹かれる由縁(ゆえん)なのだろう。

 彼女を理解できる日は、果たして訪れるのだろうか。

 

「アラタ君」

「なんです?」

「キミは、絶対に長生きするんだぞ?」

 

 木漏れ日が、広場の池の水面をじっと見つめるフェイの横顔を淡く照らす。

 何処か儚さを感じさせるその声色と表情は、その後もアラタの胸の中に深々と刻み込まれることになる。

 

(この人には一体、どんな景色が見えているのだろう)

 

 赤い縁の眼鏡の奥。遠くを見つめる様な瞳が捉えた景色。それをいつか自分も見られる日が来るのだろうか……。

 

 春風が、若草色をしたサトウカエデの葉を揺らす。

 アラタがこのときの一言に込められた想いを知るのは、それから随分経った後のことになる。

 

 

 *

 

 

「……あの人は、最期までよく分からない人だった」

 

 フェイのひととなりを問うたジェームズに、アラタは静かにそう答えた。

 ジェームズが怪訝そうな顔をする。まぁそうだろうな、と、アラタも思わず苦笑した。

 

「つかみどころが無い人だったよ。結局俺は、あの人が何を思い、何を目指して生きて死んだのか、なにも分からなかった。

 ただ、腹の奥底に得体のしれない何かを抱え込んでいた。唯一それだけが俺に分かるあの人の全てだった。

 俺や、他の『学生』達が何年かかったって理解出来ない、肩代わり出来ないようなどデカい代物を、あの人はあの一六〇センチにも満たない体で一人孤独に抱えていた。

 あなたもそれに気付いてましたよね、先生?」

 

 アラタは素早く椅子を蹴飛ばし振り返ると、懐中から拳銃を取り出し背後に立つ人物に突き付けた。

 その教師は、苦虫を噛み潰したような顔でアラタの鼻先に真っ直ぐ拳銃を向けている。

 

「流石、あの子を始末して会長職に座っただけのことはありますね、“天使殺し”のケストレルさん?」

「その呼び名はよしてくださいよ。今は任務の途中じゃない。それにどの道、あなたに逃げ場なんてどこにもない。大人しく投降して、洗いざらい話して下さいよ」

 

 アラタの呼び掛けを、教師は嘲笑と共に切り捨てる。

 

「あなたはこの国の醜さを知らないんです。だからあっさりとそんなことだって言えるし、あの子のことだって撃ち殺せる。

 ……あの子はね、本当に優しい子だったんです。どれだけ自分が過酷な状況に置かれていても、私や他の工作員の身を常に案じてくれていた。

 知っていますか? この顔の傷を手当してくれたのは、あの子なんです。ブリザード吹きすさぶ五大湖の縁で、まだ十六歳だったあの子が、寒さでかじかむ手で応急手当を施してくれた。

 私達現場の工作員にとっては、文字通り天使みたいな存在だったんです。それを、あなたは……!」

「先輩の仇を討つ。それが、あなたの目的だったんですね」

 

 思えば初めから違和感のある状況だった。

 歴戦の工作員の彼女がまんまと罠にはまって気を失うことも、それを防止する為の窓を開けすらしていなかったことも、ジェームズがやけに丁寧な扱いを受けていることも。

 ジェームズの情報源は、恐らく彼女だろう。

 そう考えれば、ジェームズがアラタの存在や、アラタがフェイの死に関わっていることを知っていたのにも納得がいく。

 

 アラタの言葉を、彼女は首を横に振って否定した。

 

「違う。私は……私達は、あの子の意志を果たす。この腐り切った国家を、あの子に死をもたらしたシステムを、学園を、政権を、浄化する。

 工作員達が見向きもされず使い捨てられるこの国を、変える」

 

 背後で物音が鳴る。

 アラタはとっさに左手に転がり込むと、勢いのままに教師の腕に発砲し、壁に背を預けてジェームズの方へ目をやった。

 教師が拳銃を取り落とし、その場に膝をつく音が聞こえる。

 ジェームズは鎖の千切れた手錠を両腕にぶら下げたまま、ギラギラ光る目でじっとアラタの方を見つめていた。

 

「拘束具まで細工してあったとは……」

「『キャンパス』に今居る職員の内、四割は既におれ達と志を共にする同志です。逃げ場が無いのは、あなたの方ですよ」

 

 教師の腕からほとばしった赤黒い血痕を踏み歩き、ジェームズは拳銃を拾い上げ、彼女を背にかばうようにアラタの目の前に立ち塞がった。

 上層階から、怒声と銃声が鳴り響く。この男の発言に、嘘は無いらしい。

 

「アラタさん、取引をしましょう。おれ達と一緒に来てください。あなたは我々『セラフィム(熾天使)の意志』に必要な方だ。

 腐敗した軍部独裁を排し、工作員達が使い捨てられることの無い世界を……姉さんの残した意志を共に実現しましょう。姉さんも、それを望んでいるはずです! さぁ!!」

 

 ジェームズは熱に浮かされたかのような表情でまくし立て、そう言って左手をアラタに差し出した。

 

 アラタの正面左。締め切られた出入り口の扉の向こうから、こちらへ向かう微かな足音が一つ聞こえてくる。

 アラタは小さくため息をこぼすと、口元に微苦笑を浮かべて見せた。

 

「……断る。死人に口はない」

 

 ジェームズの表情が、更に凶暴な笑みに変わった。

 左手をすっと下ろすと、ジェームズは代わりに拳銃を握る右手を前へと突き出した。

 

「良かった。これであなたを殺せる」

 

 乾いた無数の発砲音が部屋全体に響き渡ったのは、その僅か数秒後の出来事だった。

 白煙が部屋中に立ち込める。アラタは鼻と口を袖で覆うと、床に這いつくばるようにして出口に向かった。

 やがて音が鳴り止み、辺りが水を打ったように静まり返った頃、出入り口を蹴破り何者かが部屋の中に足を踏み入れた。

 

(……あの野郎)

 

 未だ立ち上る粉塵煙の向こうに映った黒いシルエットをその目にして、アラタはようやく胸をホッと撫で下ろした。

 

「お、かいちょー! ご無事っスか?」

 

 粉塵が徐々に薄くなる。

 機関銃を片手に武装した、全身返り血まみれのリタはあっけらかんとした顔でそう言うと、とことことアラタのそばまでやってきた。

 

「なんとか無傷だ。そっちは?」

「同じく無傷ッス。外の連中も、中の造反組も全部制圧済みっス」

「……二人は?」

「先生は入口のとこに転がってましたっス。多分まだ生きてるはずっスよ。でも男の方は……」

 

 リタの顔が曇るのを見て、アラタはフッと苦笑した。

 

「逃げられた、か」

「申し訳ないっス」

「いいや、お前のお陰で助かったよ。サンキュ」

 

 アラタは壁に手をついて立ち上がると、ぐちゃぐちゃになった部屋の中を見渡した。

 奥の壁に、人一人が余裕を持って入れるような穴がぽっかりと空いている。

 

「追いますか?」

「いや、深追いはリスキーだ。先生の確保を優先しよう」

 

 アラタは拳銃を機関銃、両方の命中弾を受けて負傷し気を失っている教師を抱えて、リタと共にその部屋を後にした。

 

(セラフィムの意志……)

 

 ジェームズが残したその言葉を、脳裏で何度も反芻(はんすう)しながら。

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