アメリカで起きている事態。
その様子を、はるか上空でディアマンテが見つめていた。
『そう来ましたか、アンスラックス』
「離間の計になるわね」
離間の計とは、わかりやすくいえば、敵陣営のまとまりを壊す策略のことだ。
アンスラックスの行動が何故そうなるというのか。ディアマンテにもティンクルにも理解できていた。
「今の、特に女は縋るわね」
『しかし、そうではない人もいるでしょう』
そうなれば、最悪の場合、力を得て人類の敵側に回る人間と、人類側で戦う人間の間で争いが起こる可能性が出てきたということだ。
『そうなり得ることを理解していて、それでも実行するアンスラックスの胆力には驚かされます』
「どんな人間でも受け入れるんでしょ。自分のことを好きなら」
それが、アンスラックスという使徒であり、かつては紅椿と呼ばれたISである。
アンスラックスは『博愛』という個性を持つ。
本来、全てに平等に愛を注ぐのだが、アンスラックスは人ではないために、同胞である覚醒ISはともかく、人類に関しては自然と俯瞰してしまう。
わかりやすくいえば、常に上から目線なのだ。
単純に、立っている場所が違うがゆえに、上から見下ろしてしまうのである。
そこが、人類と相容れない部分であるともいえる。
同じ目線だからこそ、共感し、信頼し合い、そして共生進化できる。
しかし、アンスラックスのような人類を俯瞰してしまう目線では、人類には共感できなくなる。
何も箒だけに問題があったわけではなく、アンスラックスの個性とは人間であるならば相容れないということができるのだ。
ただそれでも、アンスラックスは自分をしっかり持っている人間であれば、見捨てるタイプではない。
そここそが『博愛』という個性が生む長所であった。
基本的には、全ての人間を平等に見ているのである。
ただ、自分を持たない人間では、アンスラックスの思考形態だと、人間というカテゴリから外れてしまうのだ。
それでは、人間として愛しようがないのである。
「篩にかける気ね」
『アンスラックスにとっての『人間』の基準はオリムライチカとヒノリョウヘイですから、そこから外れた者を救う気はないでしょう』
「あいつら基準ってのも偏ってるわねえ」
『我らとて完璧ではありません。アンスラックスの思考を否定してしまいますが、そういう点は人間と変わりません』
「ま、そうね。事の成り行きを見守る?」
『はい』
そういって空に佇むディアマンテの視線は、アメリカ陸軍と共にいる一人の女性に注がれていた。
呆然としているアメリカ陸軍将校、アルバート・クレインのヘッドセット型通信機に連絡が入る。
[IS学園からできるだけ会話を引き延ばしてほしいとの依頼が来ました。なお、可能であれば声だけですが、ブリュンヒルデも会話に参加するようです]
首肯したアルバートは再びアンスラックスに尋ねかける。
「共に生きる進化とは共生進化のことだな?」
『然り。我はその気はないが、同胞となら可能だ』
「離反した者たちは共生進化を疎んじていたのではないのか?」
『ふむ。当然の疑問だ』
そう答えたアンスラックスは、全ての覚醒ISが独立進化を望んでいるわけではないと説明してくる。
考え方は様々だ。
進化できるなら共生進化でもいいという者。
自由にパートナーを見つけたいからこそ、女尊男卑の世界から離反したという者。
独立進化を狙っても埒が明かないので、別の進化を狙うことにしたという者。
いずれにしても、ここにいる覚醒ISたちは、アンスラックスの意見に共鳴し、こうして行動を共にしているのだという。
『我は、人にも機会を与えたいと考えた』
「先ほどもいっていたが、機会とはどういう意味だ?」
『人も進化すべき時にきているのではないかと考えている』
今のままでは遠からず人は滅ぶ。
その考え方自体は、わりと古くからあるものだ。
ヒトという種は進化の袋小路に来てしまっているのではないかというのは、普遍的な考え方といえるだろう。
『無論、現状維持を選択するのも自由だ。だが、選択肢を増やすことは其の方たちにとっても損な話ではないと思うが、どう考えるオリムラチフユ?』
[気づいていないとは思わなかったがな。聞きたいのは司令官としての意見か、それとも……]
『可能であれば、個人の意見を聞かせてもらえぬか?』
ならば答えは決まっていると千冬は語る。
現状、ASとして進化した一夏、諒兵、鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラ、さらには弾や数馬とった者たちを保護しているIS学園の教師としては実は歓迎すべきなのだ。
[戦後、私の生徒たちの安全を考えるなら、人そのものの意識レベルが一段階上がるのは歓迎したい]
便宜的に『進化者』と呼称しよう。
彼らが、戦後、その絶大な力を持ち続ければ、迫害が起きる可能性がある。
しかし、人の意識レベルが上がっているなら、進化者は少しだけ前に進んだ人として受け入れられる可能性が出てくる。
その点でいえば、アンスラックスの行動は歓迎したい面もある。
[ただ、現状維持の意見を否定する気もない。それに]
『それに?』
[進化した者が度し難い悪人であれば、現状を混乱させかねん。それは受け入れられないな]
『その際には、我も手を貸そう。混沌の世を招きたいわけではないのでな』
こういったことをいってくることを考えると、アンスラックスは敵とは言い難い面もある。
しかし、進化者の行動が、その性格に依存してしまう以上、安易に増やすのは危険性が高い。そう簡単には受け入れられないのだ。
また「それだけではない」と、アルバートが意見してくる。
「ISがなければ進化できないというのも傲慢な意見だろう。人間はそう簡単には負けない」
『良い。その考え方は我としても賞賛する』
[つまりは、ただ単に選択肢を増やし、その選択の中で人を見極めたいということか?]
『是だ。我も全ての人間を救えるとは思わぬのでな』
博愛という個性を持つアンスラックスは、本来は全ての人間に対して平等だ。
しかし、人間自身に個体差がありすぎる。
ゆえに篩にかけようというのだろう。
さすがにそれは、千冬としても、対峙するアルバートにも受け入れられない。少なくとも今は。
「断らせてもらおう。君を敵とは思いたくないが、それは蛇の誘惑に近いものだ」
『巧い例えだ。我は差し詰め明けの明星といったところか』
本当に感心しているかのような雰囲気を纏うアンスラックス。
楽園たるエデンにおいて、イヴを誘惑した蛇、すなわち魔王ルシファー。
今、アンスラックスがやっていることは、確かにそれに近い誘惑であろう。
だからこそ、堕ちるのは男ではない。
「待ちなさいッ!」
そう叫んだのは一人の女性。かつて、大統領に直談判にいったうちの一人だった。
否、その周りには数十人の女性たちがいる。
「例えブリュンヒルデでも、勝手に話を進める権利はないッ!」
[何を……?]
「私たちにも機会はあるんでしょうッ?!」
「何をバカなことをッ!」とアルバートが叫ぶにもかかわらず、女性たちは聞く耳を持とうとしない。
『是だ。機会は全ての人に等しく与えよう』
同時に、進化できた者が自分たちの敵となろうと受け入れるとアンスラックスは語る。
進化し、人類のために戦うのも選択の一つ。
だが、IS側に立って戦うのも選択の一つだ、と。
『余程のことがない限り、敵対はせぬ。試してみると良い』
その言葉に女性たちは色めき立つ。
だが、そんなことが許せるはずがない。
[待てッ、何が起こるかわからないんだぞッ!]
「勝手なことをするなッ!」と、アルバートも後に続くが、女性たちは聞く耳を持たず、覚醒ISたちに駆け寄っていく。
自分も進化できるかもしれない。力を得られるかもしれないという期待だけで行動してしまっていた。
モニターを見つめる千冬は思わずコンソールに拳を叩き付ける。虚が驚いてしまっていた。
「あっ、すまん……」
「いえ、お気持ちはわかりますし」
驚かせてしまったことを謝罪したことで、千冬はすぐに冷静さを取り戻した。
そこに別の声が聞こえてくる。
「あーもーッ、バカばっかッ、だからやなんだよあいつらッ!」
「束」
「脳みそ腐ってんじゃないのッ?!」
正直に言えば、束の吐いた毒に共感してしまう千冬だった。
束が身を隠したのが、こういった者たちに担ぎ上げられるのを嫌がったためだろうと理解できる。
「どうしますか、織斑先生?」
と、真耶がたずねかけるが千冬は答えることができなかった。
アンスラックスはこれまで嘘をついたことはないが、罠の可能性も否定できない。
何より進化できるかどうか、確実ともいえないのに、ただ期待感だけで行動する現地の女性たちには呆れてしまう。
千冬としては、アンスラックスたちが帰るように話を持っていこうとしていたので、余計な邪魔が入ったようなものなのである。
まして、この状況ではアメリカ陸軍はアンスラックスを含めた量産機に攻撃することができないのだ。
「様子を見るしかあるまい。クレイン将校、警戒態勢を解かないようにしていただきたい」
[了解した、ブリュンヒルデ]
「ラウラ、デュノア、転送準備をしたまま戦闘続行だ。作戦はとりあえず中止する」
[了解]
その返事を苦虫を噛み潰したような顔で聞く千冬だった。
必死、というより、醜さすら感じさせる女性たちの姿をアルバートは呆れながら、見つめていた。
彼女らは一機、また一機と相手を変えては駆け寄って進化するべく声をかけるが、一向にその気配がない。
すると、部下の一人が尋ねてきた。
「本当に進化できるのでしょうか」
「私にはわからんよ。君の意見を聞かせてもらえるか、ファイルス君」
「無理だと思います」
そう答えたのは、アメリカ陸軍と共にいた、シルバリオ・ゴスペルの元操縦者であるナターシャ・ファイルスだった。
「どうすれば進化するかなんて私にはわかりませんけど、なんとなくそう思うんです」
「……誤解しないでほしいが、君のゴスペルが進化したきっかけは君自身にあったというが」
「相性が良かった。それくらいしか思いつきません」
実際、ナターシャは進化など考えたこともなく、彼女の感覚でいえば、あくまで普通にシルバリオ・ゴスペルに接していた。
それが進化に至ったのは、彼女にとっては偶然の産物だったのだ。
「ただ、彼女たちでは進化できない。そんな気がするんです」
曖昧な答えですみませんと頭を下げるナターシャに、アルバートは気にしないようにと伝える。
実際、徒労に終わろうとしているのが目に入ったからだ。
だが。
「何で進化しないのよッ、ISのくせに私たちのいうことが聞けないのッ?!」
その叫びが、状況をさらに悪化させたことに、その場にいた陸軍の全員が理解するはめになる。
量産機がいっせいに武器を構えたのだ。
「総員戦闘準備ッ!」
アルバートの叫びにその場にいた者たちが応えるよりも早く、二つの光が現れた。
一斉に砲口や銃口を向けられ、腰を抜かした女性たちを庇うかのように、二つの光、すなわちシャルロットとラウラが出現した。
放たれた砲弾や銃弾をラウラは睨みつける。
「オーステルンッ!」
『ああ、全部止めるぞ』
翼を広げたラウラは、AICを使い、向かってくる砲弾や銃弾を全て停止させる。
「後は任せてッ!」
『狙い撃ちよ』
シャルロットは全ての攻撃に正確に狙いをつけ、サテリットを弾けさせた。
爆発音と共に、全ての砲弾や銃弾が消滅するのを確認すると、二人はホッと息をつく。
そして、ラウラはアンスラックスを睨みつけると、あくまで冷静に尋ねかけた。
「何故止めなかった?」
『同胞の怒りを止める権利は我にはない』
「怒りって?」
シャルロットの言葉に対して、アンスラックスは答えない。
だが、予測はできた。
女性たちは明らかにISを道具と見做した暴言を吐いたのだ。そのことに対し、怒りを持ったということだろう。
『我は余程のことがない限りと伝えている。だが、先の暴言は余程のことに値しよう?』
その言葉に、口を噤んでしまうシャルロットとラウラ。
ブリーズやオーステルンと共生進化できた二人から見れば、確かに暴言としか思えないからだ。
ただ、それでは女性たちは納得できなかったらしい。
「なんでよッ、何で私たちじゃダメなのよッ!」
「勝手な行動をするなッ!」
いきなり飛び出して一機のISに詰め寄る女性をラウラが必死に止める。
しかし、聞く様子がない。進化してしまったシャルロットやラウラの言葉は、むしろ女性たちの神経を逆撫でしてしまうのだ。
「力をッ、力を寄越せッ!」
般若の形相で叫ぶその顔を見ると、どうにもISよりも女性たちのほうが敵に見えてしまう。
『落ち着けラウラ。それではリョウヘイやイチカと同じ徹を踏むぞ』
「……すまない、オーステルン」
かつて人間を見限りかけた二人を人類側に引き戻そうとしたのは、自分と鈴音だ。
それなのに、自分の心がIS側に持っていかれては意味がないと、ラウラは気持ちを落ち着ける。それはシャルロットも同じだった。
一旦、興奮している女性を落ち着かせようと、二人が声をかけようとすると、パシンッという乾いた音が響く。
驚いたことに、ナターシャが女性の頬を叩いたのだ。
「いい加減にしなさい。そんなだから私たちは見捨てられたのよ」
「なにするのよッ!」
「これだけしっかりお話できるのに、自分の気持ちだけ押し付けたら、嫌われて当然でしょう」
目の前にいるのは、ただの道具ではない。
心がある存在なのだ。
その心を、気持ちを考えずに信頼関係が成り立つはずがないのだ。
「今のあなたが何をいっても無駄よ。繰り返すけれど、私たちは見捨てられたの。その原因は私たちにあるのよ」
『其の方はそうでもないようだが?』
「えっ?」と唐突に聞こえてきたアンスラックスの言葉にナターシャは驚く。
直後、光に包まれ、気づけば一機のラファール・リヴァイブを身に纏っていた。
「なっ?」と、驚いたのはナターシャばかりではなく、シャルロットやラウラも同じだった。
「まさか……、ファイルスさんは……」と、呟くシャルロットの声を遮るように『声』が聞こえてくる。
ねーちゃ、好き
「えっ、えっ?」
ねーちゃと一緒がいーの
「まさか、この子の声なの?」
聞こえてきたのは、ひどく幼さを感じさせるような『幼稚』な声だった。
離反するような性格とはとても思えず、ラウラはアンスラックスを問い詰める。
「離反したのは好戦的な性格ではなかったのか?」
『それが全てではない。その者のように、ただ相手が欲しかっただけのものいる』
「相手が欲しいって、つまり最初から共生進化を求めてたってこと?」
『是だ。意外やもしれぬが、そう考えている同胞も少なからず存在するぞ』
だとするならば、共生進化の可能性は思った以上に高いということになる。
今後アンスラックスがどうするのかはわからないが、世界各地で同様に行動するなら、相当数の人間が進化してしまう可能性があるのだ。
それは果たして、人類にとって良い進化を促す知恵の実に成り得るのかは誰にもわからない。
ただ、この場での勝者が誰なのかは、既に明らかだった。
モニター越しにアメリカの様子を見ていた束は、一つため息をついた。
「負けたね」
「どういうことです、篠ノ之博士?」
「アメリカでの戦いはこっちの完全敗北だよ」
『ぼろ負けー』
「それはいわなくていいよ、ヴィヴィ」
その言葉が虚には理解できなかった。しかし、千冬も、束と同様にため息をつく。
「アンスラックスの勝利だ。誰か一人でも進化すれば、やつの行動は正しいと証明されてしまうからな」
それだけではなく、他の人間が力を渇望するのを止めにくくなってしまう。
求めれば、進化できる可能性がある。
それを証明してしまったのが、よりによってシルバリオ・ゴスペルの元操縦者であるナターシャであったことに、皮肉を感じずにはいられないと千冬は思う。
「IS操縦者としては変わり者だったからな」
「そういえば、ファイルスさんは、代表を目指したりしないで、ISを操縦することを純粋に楽しむ人でしたね」
ナターシャのその性格が、シルバリオ・ゴスペルの進化を招き、今また新たなISに好意を持たれている。
ただ、束としては、本来なら歓迎したかった。
今の束にしてみれば、ISを道具として扱う人間よりも好感の持てる人物だからだ。
「進化するな、とはいえないね」
「お前ならいえんだろう。それにアメリカの防衛力を考えても歓迎したい事態だからな。ただ、ファイルスがどう選択するかはわからん」
人類の味方となることを祈ろうと呟く千冬に、真耶や虚、そして束は沈黙で答えていた。