弾が本音にぽかぽかされるより少し前。
アリーナで訓練を続けていた楯無の目の前に、一機のISが現れた。
「どうして……?」
ステルスを改良するくらいわけはないさ
少年のような『声』で語りかける機体。その姿を忘れるはずがない。
だが、覚悟していたとはいえ、本心ではこうして対峙することなど考えたくなかった。ゆえに、楯無は動きを止めてしまう。
その程度なのかい?タテナシを名乗るのに
「きゃあぁあぁぁぁあぁあッ!」
直後、突進してきたその機体は、PSを纏ったままの楯無ごとアリーナの壁を突き破り、IS学園の上空へと舞い上がった。
「くぅッ!」
強引に吹き飛ばされた格好だが、相手は敵意を持つことをそれで理解できた楯無は、すぐに距離をとり体勢を整える。
敵としてきたのなら、迎え撃つまで。
倒さなければならないということはずっと理解していたのだ。
その日が来なければいいと、心のどこかで思っていただけで。
相変わらず、君は甘いね。カタナ
「何で私の名前を……?」
カタナ、刀奈と書いてカタナ。それが今、更識楯無を名乗る彼女の本当の名前だ。
その名を、ミステリアス・レイディが知っていることに驚く。覚醒ISは自分の個人情報まで読み取ってしまうというのだろうか。
知ってるさ。君もカンザシも。ミツルギのこともね
「なっ?!」
ミツルギとは、御剣と書く。それは楯無と簪の実の父親の名前だ。
何故、ミステリアス・レイディがそこまで知っているのか。ロシアの国家代表となる前に組み上げたミステリアス・レイディとは、確かに長い付き合いといえるだろうが、それでもこんな情報まで知っているのはおかしいと思う。
「あなた、何を知ってるの?」
そう問いかけたものの、ミステリアス・レイディは飄々とした様子で、いきなり話を変えてきた。
でも、僕の身体に、この名前はあり得ないよ
「は?」
どこの世界に淑女を名乗る『男』がいるんだい?
「え?」と、思わず間抜けな声を出してしまう。
僕、女装の趣味はないんだけど
どこか面白そうに、いっていることとは裏腹に楽しんでいるような様子で語るミステリアス・レイディの姿を呆然と見る楯無だった。
IS学園指令室。
楯無とミステリアス・レイディの話を聞いていた一同も呆然としていた。
「ヴィヴィ?」
『あれー、ママも知らなかったー?』
「ごめん」
『ミステリアス・レイディは男の娘ー』
何故か、微妙にイントネーションが間違っている気がする束だった。
それはともかく、さすがに束でもコアの性別は簡単にはわからない。それに、ミステリアス・レイディにはわからない理由もあった。
「あの子、最初っからやけに私のアクセスを拒んでたんだよね」
「そうなのですか?」と、虚。
「絶対数はわからないけど、あの子を含めて何人か、最初からアクセスを拒んでるのがいるんだよ」
そんな話を聞き、すぐに千冬が解説者を呼び出す。
「天狼、出て来い」
『最近便利に使われてる気がしますねー』
「説明しろ」
冗談を聞いている場合ではないので、簡潔にいいたいことを伝える。
『私たちには明確な性別はありませんが、思考のベースには男性格と女性格の違いがあるんですよ』
「違い?」
『人間でいう闘争本能です。男性格の方々は理由を必要とせず『戦うために戦える』思考をお持ちですねー』
逆に天狼を初めとする女性格のASや使徒、正確にはエンジェル・ハイロゥの電気エネルギー体は、守るため、支えるためといった理由を必要とするという。
それが思考のベースの差となっているのだ。
「どういうことになる?」
『イチカやリョウヘイが手に入れた能力を、男性格の方々は最初から機能として持ってます』
「何ッ?!」
『正確にいえば、他の方々と違い、自分の能力を私たちを殺すために『いつでも』使えるんですよ』
IS殺し。
そういえる存在だと天狼は語る。
それは同時にASとして進化した人類側の戦士たちと、使徒として進化した者たちを簡単に殺せる存在でもあるのだ。
『ゆえに、敵として出れば最悪、味方であれば最強といえますねー』
「奴の個性は『非情』だったな」
『はい』
「味方になる可能性は?」
『あの方が何を考えているのかは、私にもわかりませんねー』
ただ、離反したことを考えても、味方になる可能性はほとんどゼロに近いだろうという。
サフィルスやアンスラックスとは違う脅威の出現。
それは千冬を苦悩させるに十分なものだった。
しかし、苦悩しているばかりでも仕方ないと、千冬をフォローする意味も込めて束が尋ねかける。
「男性格の子ってけっこういるの?」
『そんなにいないー』
『ISコアに憑依したのはほとんど女性格ですねー』
「何故だ?」
それは本来、ISが空を飛ぶためのものだからだという。
戦いを目的に作られたわけではないということが、女性格を惹き付けた理由だというのである。
『男性格が降りてくるようになったのは、兵器としての側面が強くなってからですね』
「本来の使い方をしていれば、いるはずのなかった存在ということか」
『そうですねー』
『ケンカ良くないー』
それでも、先に女性格が降りていたので、そんなに数はいないはずだという言葉に、千冬は少しだけ安堵の息をつく。
『もっとも、その点を考えても、あの方は他の方とは変わってるんですけどねー……』
そんな言葉を天狼は誰にも聞こえないように呟いていた。
衝撃の告白を聞いた楯無は、とりあえずぺこりと頭を下げた。
「あの、知らなかったとはいえごめんなさい」
そこで謝ることができるのはいいことだね
そんな答えに、ひょっとしてミステリアス・レイディとは仲直りできるのではないかと思う。
確かに、まるっきり男性の人格なのに、女扱いされれば怒りもするだろう。
真実はかくも単純なものなのかもしれない。
これで仲直りし、進化とまでは行かなくても共闘できるなら、学園の防衛くらいなら自分でもやっていけると楯無は思う。
ここには守るべき大切な人たちがいるのだから。
ゆえに、次の言葉で楯無は驚くことになる。
僕が気に入らないのはそんなことじゃないからね
「えっ?」
でも、今の謝罪のお礼に一回だけチャンスをあげるよ
「チャンス?」と、聞き返してしまった楯無は、その前の言葉にあった、ミステリアス・レイディが気に入らないことを聞くのを忘れてしまった。
しかし、そんな楯無を気にすることもなく、ミステリアス・レイディは自分が教えたことを実行できるなら、今後も力を貸すという。
それも、進化というかたちで。
「私と進化してくれるっていうの?」
いいよ。その後も君の思い通りにすればいい
自分の言葉を実行できたなら、逆らう理由はない。
むしろ真のパートナーになれるとまでミステリアス・レイディは語る。
やってみるかい?
「……まずは内容を教えてくれるかしら?」
注意深いね。自分の本分を忘れないのはいいことだね
そう答えてくるミステリアス・レイディを楯無はじっと見つめる。
話をするうちに、これが罠である可能性も捨てきれないと考えられる余裕ができた。
『非情』であるミステリアス・レイディが友好的なことをいってくるなら、必ず裏がある。
言質を取られないようにすることは、情報戦において重要なことだ。下手なことをいって、学園の人たちや、簪を危険に晒すことはできない。
簪はともかく自分の父親である御剣のことを知り、何か気に入らないことがあるというミステリアス・レイディ。
もしかしたら、自分はこの機体のことを、この機体に宿ったモノのことを何も理解していないのかもしれない。
そう考えると、慎重にならざるを得ない。
ゆえに、ミステリアス・レイディの言葉を待つが、返ってきたのは予想外の一言だった。
簡単さ。サラシキタテナシになればいい
「は?」
いったい何をいっているのかと楯無は呆れてしまう。
自分は父から楯無を継ぎ、新たな更識の当主、更識楯無となった。
もうなっているものに、『なればいい』とはいったいどういう意味なのか。
わからないかい?
「私は父から正当に当主を受け継いだわ。とっくの昔に更識楯無になってるつもりなんだけど」
やれやれ。ミツルギも甘くなったものだね
おかしい。ミステリアス・レイディの言い方だと、まるで自分の父を個人的に知っているかのようだ。
ISであるミステリアス・レイディが自分の父を知っているはずがない。話どころか、触れ合ったことすらないからだ。
いったろう。僕はミツルギも知っているって。
「いったい何のことなのかしら?」
ずっと見てきたからね。君たちの事を
「見てきた?」
だからいえるのさ。君はまだサラシキタテナシじゃないんだよ
『まだ』とはいったいどういう意味か。
父から正当に力を認められ、更識楯無を受け継いだ自分が、何故ミステリアス・レイディに更識楯無ではないといわれなければらないのか。
サラシキタテナシになるには、ある儀式を経る必要があるんだ
「えっ……?」
その儀式を経て、ようやくサラシキタテナシになれる
「デタラメいわないで。そもそも何であなたがそんなことを知ってるの?」
知りたいなら後で説明してあげるよ
面白そうに、おかしそうに、ミステリアス・レイディは語る。しかし、楯無にはついていけない。
あからさまに、自分が無知だとバカにされているような雰囲気に、さすがに怒りも感じ始める。
「あなたって性格悪いわね」
イイ性格だといわれるよ
どう考えても、悪い意味で使われるほうの言葉である。
仮に共に進化することになったとしても、うまくやっていく自信がなくなっていく楯無だった。
「儀式とやらの内容を教えてくれない?」
せっかちだねえ
仕方がないと、まるで幼子に教え諭すような態度でミステリアス・レイディはため息をつくような仕草を見せる。
それが、楯無の癇に障る。
しかし、気にすることもなくミステリアス・レイディは言葉を続けた。
わかりやすくいえばつながりとの決別さ
「何それ?」
とりあえず、この学園にいる人間全てを皆殺しにしてほしいんだ
「なんですってッ?!」
もちろん、君の妹カンザシも含めてね。一人残らず、さ
変わらぬ雰囲気のまま、楽しそうに告げるミステリアス・レイディの『声』は学園中に響き渡った。
一気に学園中がパニックになりそうになってしまい、千冬はすぐに出撃準備をしていた真耶に指示を出す。
「先に生徒全員を重層シェルターに避難させろッ、ミステリアス・レイディは最悪の敵だッ!」
[はいッ!]
「天狼ッ、奴はいったい何者だッ?!」
『それを一番知ってるのは、タテナッシーですねー』
「ふッ」と、いいかけた千冬の声を天狼は厳しい声で遮る。
『彼は我々と同じモノですが、在り方が違います。そもそもISが生まれてから降りてきたのではなく、随分前に降りたまま長い間地上にいて、ISコアに憑依し直したんです』
これは他の男性格とも違うと天狼は説明する。
ミステリアス・レイディはある人間たちとずっと共にあった存在だ、と。
『ここ数年は常にタテナッシーが使う機体に憑依してました。彼は私たちと違って、同胞、つまりISコアを殺すことにためらいがありませんから、いくつかのコアが犠牲になってますよ』
「なんだとッ?!」
「ホントにっ?!」
『バネっち、行方不明のまま、まったく見つからない方がいませんか?』
そう言われ、束はすぐにキーボードを叩く。束の使うPCにはこれまでのISコア全ての情報があるのだ。
「そんなに多くないけど、確かに消えたまま見つからない子がいる……」
『あいつヤなやつー』
『必要なくなったコア、つまり自分の器はすぐに放棄してますから、だいたいは別の方が憑依してますけどね』
それでも、ミステリアス・レイディはまったく気にしない。
恨まれようが、憎まれようが、かまうことなく、楯無が使う機体に棲み続けたのだという。
「何故そこまで更識に付き纏う?」
『その答えは彼自身が語ってくれそうですよ』
そういって天狼が指し示すモニターには、激昂した楯無と変わらぬままのミステリアス・レイディが映っていた。
あり得ない。守るべき学園のみんなを殺すなど、誰より守りたい大切な妹の簪を殺すなど。
そんなことが更識楯無になるための儀式であるはずがないと楯無は叫ぶ。
君は知らないだけさ。サラシキの家はそうやって続いてきたんだ
「冗談いわないでッ!」
タテナシになるものはつながりを全て断ち切る
そうすることで、どこで死んでもかまわず、決して誰にも脅されない強さを手に入れることができる。
家族や友人、恋人、そういったつながりは更識楯無には必要ない。
つながりを断ち切り、あらゆる敵を屠る。
それこそが暗部に対抗する暗部。
更識の当主、更識楯無だとミステリアス・レイディは話してくる。
更識ニ楯ハ無シ。君も聞いたことがあるはずだ、カタナ
「なっ、何でうちの家訓まで……」
かつて父から聞いた言葉だった。
更識楯無が『楯ハ無シ』と書くのは、後の先を取って相手を倒す太刀であるからだと。
迫り来る敵の懐にいの一番に飛び込み、殲滅するのが楯無だと。
しかし、ミステリアス・レイディは楽しそうに、冷たく言い放つ。
命要らずの太刀なのさ。だから何のつながりも持たない
未練も、家族も、友人も、楯無がこの世にあるときには、そんなつながりはこの世に一つも残さない。
残してはならない。それは弱さにつながるからだ、と。
常に死と隣り合わせだ。命冥加ではできないんだよ
いつ死んでも何も残さない。それが更識楯無。
無様に朽ち果てようが、誰も気にも留めない路傍の石。
あまりにも悲しい生き様であろう。
しかし、そうでなければ、つながりから守るべき任務が敵に知られてしまう恐れがあるからだ。
わずかでもつながりがあれば、それは更識楯無にとって弱点となり、更識楯無を使う者たちにとっても危険となる。
だから、タテナシになる者は、親兄弟を皆殺しにするんだ
「うそよッ!」
君には親と妹以外、親類が一人もいない
ドキリとしてしまう。確かに自分には親戚の類が一人もいない。自分と簪、そして両親。たったそれだけの家族だった。
だが、あまりにも少なすぎる。何しろ、祖父母にすら会ったことがないのだから。
ミツルギが懐に忍ばせていたロケットを盗み見たことがあっただろう?
「何で、そんなことまで……」
幼いころの無邪気な興味から、父が大事にしていたロケットを見たことがあったことを思いだす。
そこには若いころの父と、父によく似た面立ちの男性が写っている写真があった。
酷く怒られたことから、覚えてしまっていたのだ。
名前はトウヤ。ミツルギにとっては、憧れの兄で、でも越えられない存在だった
しかし、更識楯無を継ぐ儀式で、楯無の父、御剣はその兄を殺し、先々代、つまり楯無の祖父までをも殺した。
殺すことで唯一無二の更識楯無となったのだ。
それが連綿と続いてきた、更識の家の儀式。
楯無や簪に親類がいないのは当然なのだ。常に一人、一振りの太刀に成るのが更識楯無。
つながりを断ち切れる強者だけが継いできた忌み名、それが更識楯無だとミステリアス・レイディは語る。
「全部デタラメよっ、作り話で惑わそうとしたってムダよッ!」
全部真実さ。僕は一番近くで見てきたからね
「証拠でもあるのッ?!」
証拠なら、君が受け継いだ『小太刀』がそれになるかな
ハッとして楯無はPSの拡張領域にしまってあった小太刀を取りだす。
それは楯無を継ぐ際に父が渡してきたものだ。ゆえに楯無として常に気持ちを保つため、彼女は肌身離さず持ち続けていた。
これを持つ者だけが更識楯無を名乗れる、更識の家に伝わる妖刀。
その名を『楯無』
更識に伝わる小太刀、妖刀『楯無』、それが証拠さ
「どういう意味よッ?!」
だって、僕はずっと『其処』にいたからね
そんな、あまりにも驚くべき答えが、何故か真実だと理解できてしまうことに、戦慄する楯無だった。