水面に映る自分の姿を見て、一夏は唖然としていた。
光に包まれた直後、青い空と広い海の上に放り出された一夏だが、まったく意識することなく、普通に飛んでいた。
なぜかと思いながら自分の姿を見て、唖然としてしまったのだ。
(真っ白な、竜だ……)
体長はざっと三メートルほどだろうか。
ゲームや御伽噺に出てくるような雪のように真っ白なドラゴン。その目は青く輝いている。
それが自分の姿であることは、手足や、背中に生えている翼を動かすことで理解できた。
しかし、まさか本当に竜の姿になるとは思っていなかった。
そのうえ、驚くことに生物のような印象がない。全身が金属でできていることが理解できるからだ。
竜がまさか金属製の身体をしているとは思わず、一夏は驚きを抑えられない。
だが、驚いてばかりもいられない。
この姿でなければ、この世界には存在できないといわれていたのだから、受け入れるしかないのだ。
(とりあえず、できることを理解しないと)
そう思った一夏は、「あー」と声を出そうとする。
だが。
グァアァアアァアァッ!
口から飛び出したのは猛獣のような鳴き声のみ。
試しに自分の名前や、白虎の名を叫ぶが、全て同じような鳴き声になってしまう。
(ほっ、ホントに喋れないのか……)
どうやって自分のことを伝えればいいのかと一夏は途方に暮れる。
だが、とにかくまずは白虎を見つけなければと陸地を目指して飛ぶのだった。
(何だよ、コレ)と、一夏はその光景に愕然としてしまう。
天狼に見せてもらった映像で、竜が人を襲うということは知っていた、知っていたはずだった。
それでも、人の身体が引き裂かれ、食いちぎられる光景は凄惨を通り越して、地獄絵図そのものだ。
これが、この世界の日常だというのだろうか。
当たり前のように、安全圏を目指して必死に逃げる人々の姿を見ると、一夏の心に怒りが込み上げてくる。
(ふざけるなァァァァァァァァァァァァァァッ!)
その思いは、雄叫びとなって空に響き渡る。
仮にここが真実の弱肉強食の世界だとしても、一夏には許せない。
こんな真実は許せない。
ならばどうする。
竜の身となったこの身体で何をする。
答えなど、既に決まっていた。
「グァアァアァッ!」
メキィッと、鉄がひしゃげる音が響く。
気づけば一夏は、金属でできた右腕の爪で、人を襲う竜の身体を引き裂いていた。
戦えるかどうかなど考えもしない行動であったが、結果から見れば十分だ。
この、人を襲うバケモノを倒せる力があるのなら、行使するまでだと次々に鉄の身体を引き裂き、その身に牙を突き立てる。
尻尾を振って薙ぎ払う。
翼を羽ばたかせて、薙ぎ倒す。
さらには担ぎ上げて虚空へと投げ飛ばす。
まるで本能が理解しているかのように、当たり前に、自由自在に身体を使えていた。
(くそッ!)
視界の端に逃げ遅れた親子の姿が映り、一夏はすぐに駆け寄って襲い掛かる竜の身体を引き裂く。
そして振り向き、叫んだ。
(早く逃げるんだッ!)
しかし、それはただの唸り声でしかなく、何より、振り向いた先にいたのは、恐怖に満ちた目で自分を見る親子の姿だった。
(あ……)
何を思いあがっていたのか。
今の自分はヒーローではない。
襲いくるモノと同じ姿形をしたバケモノだ。
でも、それでも。
(助けるんだッ、それでいいッ!)
一夏の心の奥底にある正義感、英雄に近い気質を持つ心が戦いをやめさせない。
我ながら不器用な性格をしていると思う。
もし、仮に自分に何の力がなくても、一夏は戦おうとするだろう。
周りに助けられるだけの人間であっても、自分が助けようとしてしまうだろう。
諒兵と出会い、ケンカを経験しながら剣を磨いたことで、一夏は変わっていた。
それは自分にとってよかったことなのだと今は思いたい。
戦える力があることを、仮にそれで守りたい人が怯えてしまうことがあったとしても、一夏はその力を誇りたかった。
助けた親子が立ち上がり、逃げ出したのを見た一夏は安堵しつつ、襲いくる竜たちを睨みつける。
かなりの数を薙ぎ倒したと思ったが、それでもまだ多数が襲ってくる。
天狼に教えてもらった情報によれば、この世界には竜の力で竜と戦う人間たちがいるはずだ。
それがまだ来ないということは……。
(前線はここじゃないってことか?)
より厳しい最前線に出ていて、ここまで手が回っていない可能性がある。
最悪、自分一人で大群を相手にする必要がある。
それでも、まだ人々の避難が終わっていない以上、せめて全員が逃げおおせるまでは戦い続けるしかない。
(覚悟を決めろ。守り通すんだ)
心の声が『誰を?』と尋ねてくる。
『人間を』と、答えようとして、先ほどの自分を化け物として見た親子の目が頭をよぎる。
せっかく守ってやったのに、と、思わず考えてしまった。
人の価値を勝手に決めようとしている自分に一夏は少なからず戦慄してしまう。
(怖い世界だ……)
守らなければならないはずの人間に対し、無意識に線引きをしてしまおうとしていることが怖い。
これが『自由な世界』なのかと思うと、果たして自由が人間にとっていいものなのかとすら考えてしまう。
(考えてちゃダメだ)
せめてここにいる人たちが逃げ延びるまで。
今は考えることをやめようと思った一夏だが、今の姿のドコにあるのかもわからない耳で、「きゃあッ!」という悲鳴を聞いた。
目を向けると、一人の女の子が転んでいるのが目に入る。
逃げようとして躓いてしまったのだろう。
必死に起き上がろうとする様子を見て、一夏の全身に衝撃が走った。
(白虎ッ?!)
そこにいたのは、虎の耳と尻尾がない以外、白虎そのままの姿の少女だったのだ。
その少女に、一匹の竜が襲いかかる。
(させるかァァァァァァァァァァァァァァァァッ!)
とっさに一夏は翼を広げて少女を庇うように立った。
白虎に良く似た少女を傷つけようとした目の前の竜に怒りが込み上げる。
(何だッ、口の中が熱いッ!)
そう思うや否や、雄叫びと共に一夏は顎を開く。
『グアァァァアァァァアァァアァアァアァァッ!』
そこから、凄まじい光が一直線に撃ち放たれる。
目の前にいた竜どころか、射線上にいた竜全てが爆散していた。
竜たちの攻撃が途切れるのを確認した一夏は、思わず少女のほうへと顔を向けてしまう。
「あ、あり、がと……」
少女は呆然とした様子であったが、何故か一夏に対してお礼をいってきた。
不思議なことに、怯えている様子がない。
それでも、今の一夏にとって、それは確かな救いであり、また目的にもなった。
(守るんだ)
『誰を?』
(この子を)
漠然と人間と考えるよりも、確かな希望の光だった。
ゆえに、竜たちが再び襲いくる様子を見せてきても、気後れなどしなかった。
この子には指一本触れさせないと一夏は決意する。
(負けるもんかッ!)
力が尽きようが全て倒してやると意気込む一夏。
しかし、目の前の竜の群れは、一瞬、何かに怯えるように動きを止めた。
なんだと思っていると、声が、聞きなれた声が聞こえてくる。
『兵団を避けるとか、せこい真似してんじゃねえよ。くたばりやがれ』
直後、地獄の劫火とでもいえるような、凄まじい炎が竜の群れを焼き払う。
アレだけの群れが、ほぼ一瞬で壊滅してしまっている。
一夏が炎が放たれてきた方向へと顔を向けると、そこに『赤』がいた。
自分と同じくらいの大きさの、金属でできた赤い竜。
だが、その色に一夏は禍々しさすら感じる。
(まるで、血の色だ……)
鮮血を撒き散らしたようなその色に、一夏は戦慄してしまう。
アレは今の自分と同じで、まったく対極にいる存在だ、と。
しかし、聞きなれた声は間違いなくその赤い竜が発していた。
『ケッ、弱すぎて話にならねえな』
本当につまらなそうに不満をこぼすその赤い竜は、呆然と見つめる一夏と、既に立ち上がっていながら、一夏から離れる様子を見せない少女の前に降りてくる。
そして、その赤なる異形が、まるで魔法のように解けた。
「お前、誰だ?」
(……諒、兵……)
尋ねてきたのは、首元に血の色の宝玉が埋め込まれているものの、それ以外は自分の親友に酷似した少年だった。
少女は一人、必死になって空を飛んでいた。
それは、当たり前で、異常な光景だった。
少女の背中には、紅色の、金属でできた竜の翼が生えていたのだから。
「あーもーっ、諒兵のヤツっ、またカッ飛んじゃってッ!」
「追いかける身にもなりなさいよねっ」と、少女は可愛らしく頬を膨らませながら不満を漏らす。
どうやら、諒兵という人物の知り合いらしい。
ツインテールが実に可愛らしい、胸の自己主張が少々足りない少女だった。
「つっても、兵団とは別の場所に小さい群れで来るなんて、古竜も頭使うようになってきたのかしら?」
少女は先ほど、兄貴分でもある知り合いからいわれた言葉を思いだす。
「井波たちがいった場所にいる群れと差がありすぎんだ。単に群れの大きさが違うってぇ話じゃぁねぇ。鈴、すまねぇが細かい情報収集たのまぁ。諒兵にゃぁできねぇし」
鈴というのが、少女の名前だった。
鈴としては、別に情報収集といった作業自体は別に苦ではない。
「でも、諒兵が暴れた後ってホント何も残んないんだもん」
情報になりそうなものが残っていることを、鈴は割りとマジメに心から願う。
そして、ポツリと呟いた。
「……『赤の竜』は最凶で最悪だもんね」
鈴の表情は呆れているというよりも、どこか誇らしげな、例えるならば自分の恋人を褒めているような印象があった。
一夏は、目の前にいる親友に酷似した少年を凝視してしまっていた。
この世界の諒兵は竜の力を使って戦っているのだから、情報どおりなら、目の前にいるのは、元の世界の親友でもある日野諒兵であるはずだ。
しかし、持っている雰囲気は明らかに別人だった。
狂犬であったころの親友のほうがまだどこか愛嬌があった気がするほど、目の前の少年は獰猛とすらいえるような殺気に満ちていた。
「聞こえてねえのかよ。『龍機兵』じゃねえのか?」
ああ、確か竜の力を以って竜と戦う人間はそんな呼ばれ方をしていたとどうでもいいことを考える。
とにかく答えようとして、一夏は声を発した。
途端、目の前の少年の目つきが変わる。
「……お前、古竜か。自分の餌を守ってただけか」
(えっ?)
グァッ、グアァアッ、と、一夏は再び唸り声を発した。
そしてようやく自分が人の言葉を発することができない状態だと気づく。
目の前の少年に言わせれば、それが『古竜』というモノなのだろう。
「ちっとは頭が回るやつがいたってことか。気にいらねえな」
(違うッ、俺は白虎を守ろうとしただけなんだ諒兵ッ!)
そう思いながら必死に声を発するが、唸り声か鳴き声にしかならない。
言葉が伝わらないということが、これほど大変なものだとは思わなかったと一夏は焦る。
「離れろチビ」
一瞬、少女に視線を向けてそういった途端、少年の右腕が金属でできた真っ赤な竜の腕に変わる。
増大する殺気でわかる。
本気で自分を殺そうとしているということが。
(そんなっ、戦わなきゃならないのかっ?!)
少年が諒兵であるとしても、そうでないとしても、人間と戦う理由はない。戦いたくない。
しかし、目の前の少年の殺気は増大するばかりだ。
一旦この場を離れるべきだろうか。
白虎に良く似た少女も、今なら安全だろう。
戦ったとしても、今の自分には何のメリットもない。
そう考える一夏だが、もし、目の前の少女が本当に自分のパートナーの白虎であるならば、離れ離れになるのは得策ではない。
そんな迷いが、一夏の動きを止めてしまう。
戦場では致命的なミスだ。
しかし。
「……何のマネだ、チビ」
少年が低い声で問いかけたのは、一夏ではなく、少女だった。
「こっ、この竜、きっと悪い竜じゃないよっ、だから傷つけないでっ!」
少女は、両手を広げ、一夏を庇うように少年に立ちはだかっていた。
「そいつは古竜だぜ。お前は餌なんだろうよ」
「違うもんっ、この竜っ、みんなも守ってくれたよっ!」
(白虎……)
その想いが、一夏は嬉しかった。
見た目を気にすることなく、自分がやっていたことをしっかり見ていてくれたということが。
「どけよ」
「どかないっ!」
「チッ」と、舌打ちした少年は、イラついた様子で竜の腕と化した右腕の指を鳴らす。
「どかねえなら、お前ごと引き裂くだけだ。人一人の命なんぞ、羽より軽いことくれえ知ってんだろ?」
そういって再び殺気を向けてくる。
一夏には、少年がいっていることが信じられなかった。
自分の知る諒兵なら、力のない者を巻き込んだりしないし、守ろうとする点では自分と同じだ。
何より、そういった弱い人たちにまで殺気を向けたりはしない。
しかし、目の前の少年はどこか達観した様子で、言葉を続けてくる。
「お前一人いなくなっても世の中は何も変わらねえんだよ。けどな、竜をここに残すわけにゃいかねえ。お前のわがままを聞いてやる気はねえぜ」
このまま少女が自分を守ろうとするならば、本当に少年は少女ごと自分を引き裂きかねないと一夏は理解する。
でも。
(白虎を傷つけたら、お前でも絶対許さないぞ諒兵)
一夏は意外と沸点が低い。
守りたいものを傷つけようとするものに対しては、わりと簡単に怒ることができる。
その怒りを、そのまま少年に叩きつけた。
ビリビリと大気が震える。
しかし、少年はそれを感じて、なお、笑った。
「おもしれえ。気持ちいい殺気を叩きつけてくんじゃねえか」
血に飢えた獣のような顔で笑う少年に、一夏もさすがに戦闘態勢を取る。
なんとしても目の前の少女だけは守り抜く。それだけは決して変えたくない。
ゆえに、少年が本当に諒兵であったとしても、戦うことをためらわないと決意する。
直後。
「落ち着けおバカっ!」
ゴインッと、少年は頭を強かに叩かれて、思わず蹲ってしまった。
あっけに取られた一夏の目に、金属でできた竜の翼を生やし、右手が竜の腕と化している少女の姿が目に入る。
(なっ、鈴ッ?!)
現れたのは、自分がよく知る幼馴染みの一人に酷似した少女だった。
「何しやがる鈴ッ?!」
「石頭なんだから、私が殴ったくらいで壊れないでしょ」
さっきまで、少年が放っていた殺気が一気に雲散霧消してしまっている。
鈴と呼ばれた少女の乱入によって、空気が一気に弛緩していた。
一夏はホッと息をつくものの、どうしてこの世界に自分の幼馴染がいるのかと疑問に思う。
もっとも、その疑問も口に出すことはできないが。
すると、目の前の二人が勝手に会話を始めた。
「古竜だぞ。ほっとく気かよ」
少年にしてみれば、竜を守る時点で、少女は障害であるといえるらしい。ゆえに排除しようとしたのだろう。
もっとも鈴という少女に言わせると。
「殺せもしないくせにイキがるんじゃないわよ。脅せば逃げるとでも思ったんでしょうけど、おあいにく様。ハラを決めた女は強いのよ」
と、いうことらしい。
なるほど、少年は少女が逃げ出すだろうと考えて殺気を向けてきたのかと一夏は少しばかり安心した。
「あの……?」と、白虎に良く似た少女が声をかける。
「ああ、ゴメンね。私は鈴川鈴(すずかわ りん)、こっちのバカは日野諒兵」
少年が間違いなく諒兵であったことを確認すると同時に、自分の幼馴染に酷似した少女の名が、まったくの別名であることに一夏は驚く。
(他人の空似なのか……)
まあ、似たような人間がいたとしてもおかしいことではないのだろうと思うも、正直に言えば、ここまで似ることがあるのだろうかと疑問に思う一夏である。
そんな一夏の思いを見事にスルーして、鈴は少女に話しかけた。
「私のことは鈴でいいわ。んで、あんたの名前聞いてもいい?」
鈴が向けてきた人懐っこい笑みで安心したらしく、少女も名乗り返す。
「……私は、虎丸白虎(とらまる びゃっこ)」
「うわお、強そうな名前ねえ」
(……たぶん、いや間違いなく白虎だ)
そう思う一夏だが、いくらなんでもな名前に少しばかり呆れてしまっていた。
「さっきね、この竜に助けてもらったの」
そういって微笑んだ白虎という少女の表情を見て、鈴は納得したように肯く。
「……そっか、あんたも竜に魅入られちゃったのね」
それはまるで、同じ想いを抱く仲間を見つけたような表情だった。
「どうすんだよ」と、諒兵がぶっきらぼうに鈴に問いかける。
「蛮兄呼びましょ。この竜、話してても全然襲ってくるような様子見せないし。私らじゃ判断できないわ」
そういった鈴に対し、諒兵はため息をつく。
(良かった。蛮兄も近くにいるんなら、何とか話を進められそうだ)
できれば、自分の知る兄貴分とあまり変わっていてほしくないと一夏は願う。
すると、鈴は再び白虎に顔を向けて声をかけてきた。
「白虎、悪いけどちょっと待っててくれる?」
「あっ、うん、わかった」
「それと、聞きにくいんだけど、さ……」
「わかってる。家族は、……いないから」
少し悲しげに答える白虎の姿に一夏は胸を痛める。
悲しいことに、この世界では、それが当たり前なのだろう。だから白虎はわかってると答えたのだ。
そんな当たり前を壊すことができればいいのにと一夏が思っていると、鈴は一夏にも声をかけてきた。
「とりあえず、あんたも待っててくれる?」
どう答えるべきかと考え、肯定の意を示すために首を縦に振る一夏の姿に、諒兵が目を見張る。
人の言葉がわかるとは思わなかったのだろう。
それが伝えられただけでも収穫だと、一夏は安堵の息をつく。
「でも、あんたとか、竜とかじゃ、なんか呼びにくいわね」
「鈴、ペット飼うんじゃねえんだぞ」
「さすがにペットとか思わないわよ。ただ、名前は必要なんじゃない?」
「それなら……」と、白虎は数秒考え、わりとあっさりと名前をつけてきた。
「白竜、雪みたいに白いし、それに私とお揃い」
(そっか。白虎と白竜、悪くないな)
感謝の思いを込めて首を縦に振る一夏に、白虎は照れくさそうに笑うのだった。