兵団がある場所の片隅で、諒兵が一人で佇んでいた。
その姿を見た一夏は、ゆっくりと近づいていく。
「お前か。ホントに竜らしくねえな」
(そうかもしれないな。どこにいても俺は変わらない)
身体が竜であったとしても、心は一夏のままなのだから、当然といえば当然である。
「礼をいっとくぜ。俺を戻すの手伝ってくれたんだってな」
(そんなのはいい。お前は今のままでいいのか?)
この世界の諒兵の事情は理解できた。
ただ、それでも、危ない綱渡りをしながら戦い続けることに不安はないのだろうかと思う。
一歩間違えれば、鈴すらも殺しかねない『赤の竜』
そんな自分のことを知った上で、なぜ戦場に出ることができるのだろうか、と。
そんな思いを込めて見つめると、諒兵は一つため息をつく。
「竜に成っちまったの自業自得だ。後悔があるとすりゃあ、鈴を巻き込んじまったことだ」
独り言だと呟いて諒兵は続ける。
先に竜になってしまったのは諒兵のほうらしい。
竜に襲われ、死に物狂いで反撃したときに、偶然、竜を構成するナノマシン『竜の血』を飲んでしまったために、竜の力を手に入れてしまったのだという。
「兄貴にいわせりゃ、竜は機械なんだとさ。粘液状のナノマシンが、金属の身体を中から動かしてるっつってたな」
(そうだったのか……)
竜は生き物ではない。
核となる竜の血が増大するほどに大きくなることで、成長していると思われているが、実際にはあくまで機械なのだという。
そうなると今の自分は竜の血に宿ったデータのようなものなのだろうと一夏は納得した。
(でも、お前の力は……)
あまりにも危険すぎる力を持ってしまったことを後悔していないのかと一夏は思う。
しかし、竜になったこと自体は後悔していないと諒兵は呟いた。
「竜が現れてから、何もかもぶっ壊してやりてえって思ってたからな。竜の力はむしろ望んでいたもんだ。その果てにぶっ壊れても、自業自得だ」
(諒兵……)
「でも、鈴はそうじゃなかった。俺に、心まで化け物になるなっていいやがった」
そのために、鈴は自ら龍機兵になるための丸薬を飲んだのだという。
諒兵が竜に成り切ってしまったとき、共に死ぬ覚悟で。
「だから、鈴を守る。それが今の俺の目的だ」
諒兵同様に龍機兵になってしまった鈴はもう普通の人が暮らす場所では暮らせない。
ゆえに鈴を守る。帰る場所のない彼女を独りぼっちにしないために。
「お前は、大事な奴を巻き込むなよ」
(ああ、わかってる)
そう心の中で答えるものの、宿舎に戻って行く諒兵の背中を一夏は見つめ、思う。
(だからこそ、この世界はもう少し優しくなっていいはずなんだ)
覚悟を決めて生きていける強い人間なんてそれほど多くない。
強くなくても、人が笑っていられるような世界を、一夏は願っていた。
同時刻。
珍しく白虎は鈴の部屋にいた。相談したいことがあるからだった。
「……ダメよ白虎。それは勧められない」
「やっぱり……、そうだよね」
沈んだ表情で肯く白虎に対し、鈴は厳しい顔を崩さない。
それほどに、白虎の相談は簡単に受け入れられるものではなかった。
「龍機兵になったら、もう普通の人間には戻れないわ。そうなったら、死ぬまで戦い続けるだけになる」
「でも鈴は……」
「私はもう覚悟を決めてるのよ。それに、私のときだってけっこうな騒ぎになったしね」
そういって、鈴は自分が龍機兵になったときのことを説明する。
力を持てたこと自体は間違いではなかったとしても、そのために捨てたものが大きすぎたのだ。
「……家族がいるいないの問題じゃない。人から外れてしまったら、真っ当な幸せなんて掴めなくなるわ。白虎、あんたはまだ戻れるところにいるの。それを逃げてるなんて思わないで」
「でも、怖いんだもん……」
待っているだけの身であることの不安。
それは鈴にも痛いほどわかった。何より、自分が龍機兵になった理由がそうだったからだ。
諒兵に守られているだけの自分がいやだったからなのだ。
だが、だからこそ、白虎に同じ道は歩ませたくないと鈴は思う。
「白竜を死なせたりしないわ。それに、白竜自身、たぶん白虎が自分と同類になることを望んでないと思うのよ」
それは間違いないと鈴は考えていた。
白竜は守るために戦っている。
大事な存在を、共に戦う者とは見ていないのだ。
「人間だったら、英雄みたいな正義漢なんでしょうね、白竜は」
「そうなの?」
「そんな感じがするのよ。だから、みんなを守ろうとする。たった一人でね」
その代わり、誰も巻き込みたがらない。
自分が守る者であろうとするために、守るべき人が戦うことを望んでいないのだ。
「だから、私たちが白竜を死なせたりしないから、白虎はがんばってここで待っててほしいの」
「鈴……」
「ごめんね、白虎……」
そう言って白虎を優しく抱きしめる鈴。
白虎の気持ちが痛いほどわかるだけに、彼女には謝ることしかできなかった。
翌朝。
いきなり兵団全てが慌しくなり、一夏は目を覚ました。
この慌しさはただ事ではないと身体を起こす。
すると。
「白竜、おめぇはここにいてくれ。戦闘部隊が全員出張る羽目になった」
と、丈太郎が声をかけてくる。
兵団の守りが手薄になるため、逆に自分たち遊撃部隊は動かすべきではないと判断したという。
(何があったんだ?)
そう思いながら見つめると、丈太郎はかなり真剣な表情で答える。
「こないだ追っ払ったと思ったんだがな。また大物が来やがった」
(大物?)
「ファフニールっつってな。神話でも相当な力を持つ伝承竜だ」
英雄に倒されたという伝承を持つ中でも、ファフニールほど有名な竜はそうはいないだろう。
抱く者という意味の名を持つその竜は、様々な金銀財宝を掻き集めては懐に仕舞い込んでいくという変わった習性を持つと伝えられている。
ただし、英雄伝承に出てくるだけあって、その戦闘力はそこらの伝承竜とは比べ物にならないほど強大である。
(せーごにーちゃんたちは大丈夫なのかっ?!)
「一度ぁ追っ払った。ただ、今回ぁ群れを引き連れてやがっからな。万一を考えて戦闘部隊にゃぁ全員出てもらったんだよ」
ゆえに、一夏と、そして諒兵と鈴はこの場で待機、古竜の群れが来たときには応戦してもらうことになるという。
「俺ぁ、本気で暴れるとデカすぎてな。サポートに回るが勘弁してくれ」
全長五百メートルの八つ首の大蛇が暴れ回れば確かにただではすまないだろう。
今はとにかく、群れが来ないことを祈るしかない。
しかしそれは、儚い望みでしかなかった。
一夏は眼前の異形を前に、呆然としてしまっていた。
(……今までの竜と威圧感が全然違う)
今まで倒してきた古竜に、ここまでの威圧感を感じたことはない。
同じ竜の力を持ったこともあり、戦えない相手ではないということが本能的に理解できた。
しかし、眼前の伝承竜はまるで違う。
今の一夏ですら、恐ろしい怪物だと思えるのだ。
頭と両肩から伸びる三つの頭に三つの口、そして六つの目を持つ巨大な身体。
その名を『アジ・ダハーカ』
ゾロアスター教の悪神の配下といわれる怪物である。
『ぼーっとしてんな白竜ッ!』
(クッ!)
竜と化した諒兵の檄ですぐに剣を作り出す。
このままだと、兵団のある場所が壊滅してしまう。
何しろ、眼前の竜ははるか上空から兵団目がけて『落ちて』来たのだ。
まさかこんな襲い方をしてくるとは思わなかったというのは丈太郎の弁である。
兵団のある場所が戦場になることを想像していなかった一夏だが、ここには白虎がいる。
白虎を守るためには、宿舎に近づけるわけにはいかない。
ゆえに眼前の竜に全力で斬りかかった。
「頭を狙ってッ!」と、鈴が叫ぶ。
なるほど、あの三つの頭はそれぞれ強力なブレスを吐いてくる。
それに、ほとんどの攻撃が頭を振っての打撃だ。
頭を潰せばかなり弱るはずだ。
そう思うものの、思った以上に動きが速く、攻撃が届かないことに苛立つ。
何しろ、アジ・ダハーカのサイズは軽くビル一つ分。数十メートルはある。
対して、今の一夏と諒兵はせいぜい三メートルほどだ。
頭を狙うとなると、空を飛ばなければ届かないのだ。
空を飛ぶことに慣れてはいるが、なかなか思うようには戦えていない。
これまで空を飛んで戦う上で、いかに白虎がサポートしていてくれたのか、皮肉なことに良く理解できた。
『オラァッ!』
気合いと共に右腕の爪を振るった諒兵は、頭の一つを空へと向けて弾いた。
すると、アジ・ダハーカの口からブレスが吐き出され、虚空へと消え去った。
もし、あのブレスが兵団の建物を直撃すれば、白虎はただではすまない。
そう思い、戦慄すると同時に、諒兵がうまい戦い方をしていることに感心してしまった。
(そうだ。できるだけアイツの攻撃を建物に向けないようにしないと)
流れ弾でも確実にビルが倒壊するレベルの強力な攻撃だ。
そんなものを白虎がいる場所に当てるわけにはいかない。
ゆえに、一夏もできるだけ切り上げ、ブレスを吐いてくる口を上空へと向けた。
さらに。
鈴が操る七面天女の六つの顔がアジ・ダハーカの三つの頭のうちの一つを撹乱するように飛び回る。
確実に一つずつ頭を潰していけば、倒せる可能性もあるはずだ。
ゆえに。
(喰らえッ!)
頭の一つを切り上げた直後、直撃を狙って閃光のブレスを吐く。
相当なダメージになったらしく、敵は凄まじい悲鳴を上げた。
(よしッ!)
『気いつけろッ!』
うまくいったと思ったのだが、聞こえてきた声にハッとさせられる。
アジ・ダハーカは、ブレスを吐いたまま頭の一つを振り回してきたのだ。
(マズいッ!)
無差別攻撃をされてしまうと、白虎がいる場所にまで被害が及んでしまう。
だが。
「やり方ぁ間違ってねぇ。そのまま行け」
八つの大蛇の頭を操り、丈太郎が建物の前面にシールドを張っていた。
こんな使い方もできるのかと一夏は驚く。
しかし、これなら敵が多少ブレスを吐いたとしても建物まで届くことはそうないだろう。
だが。
「白竜ッ、気を抜かないでッ!」
(えっ?!)
そう思ったがゆえの安堵、否、油断が致命的な隙となった。
グァアァアァッ?!
アジ・ダハーカは振り回してきた頭で一夏の足に喰らいつき、そのまま凄まじい勢いで丈太郎が張ったシールドに叩きつけようとしてきた。
「チィッ!」と、丈太郎は一瞬だけシールドを解いた。
今の一夏の身体なら、建物に叩きつけられた程度ならかすり傷にもならない。
だが、一夏より上位の竜である今の丈太郎のシールドに叩きつけられると、ダメージは相当なものになるからだ。
ゆえに、あえて建物に叩きつけられるほうを選んだのである。
(グッ!)
ガラガラと崩れていく瓦礫を払いのけ、立ち上がった一夏の目に、頭を抱えて震えている白虎の姿が目に入った。
ちょうど、避難場所に叩きつけられたらしい。
白虎は一夏の姿を認めると、駆け寄ってくる。
「はくりゅーっ!」
(来るんじゃないッ、まだアイツが暴れてるんだッ!)
そう思い、威嚇する一夏だが白虎はくっついて離れない。
「白竜ッ、そのまま飛べッ!」
慌てたような丈太郎の声にハッと振り向くと、目の前にアジ・ダハーカの頭が見える。
自分を叩きつけ、そのままブレスを吐いてくるつもりだったのだ。
このままだと白虎が巻き込まれて死んでしまう。
しかし、飛び出そうにも、目の前にアジ・ダハーカの顎が開いていた。
それでも。
『絶対に守るッ!』
そう叫んだ一夏は、白虎と共に光に包まれた。
気がつくと、一夏は空を飛んでいた。
しかし、腕の中に白虎がいない。それどころか、目に映る場所のどこにもいない。
見えるのは、呆然とした様子の丈太郎や鈴。
そして驚いているのか動きを止めている赤い色の竜こと諒兵。
(白虎ッ!)
「ふぇ?」
(えっ?)
唐突に聞こえた声は間違いなく白虎のものだった。
間近にいるはずなのにまったく姿が見えない。
いったいどこにいるのか、と、崩れた建物の窓ガラスに映った自分の姿を見て、一夏は驚愕してしまう。
そこに映っていたのは、白虎の姿だった。
だが、普段と大きく違っていた。
白虎は驚くことにISを、白式を纏った姿で空を飛んでいたのだ。
(まさか、俺……、白式になってるのかッ?!)
「あっ、ああぁああああああぁぁぁっ?!」
驚いたのは自分だけではないのか、白虎はびっくりするほど大きな悲鳴を上げた。
(白虎っ!)
思わず話しかけると、白虎ははっきりと答えてきた。
「……ゴメンね、イチカ」
(白虎、お前……)
「ぜんぶ思いだした。ゴメンね、気づかなくって。イチカの声、ちゃんと聞こえるよ」
いつもの白虎に戻ったことに、安心するだろうと一夏は思っていた。
だが、違った。何故か、寂しさを感じてしまっていた。
(思い出さなくても良かったんだ。この世界で、白竜のままでも、白虎やこの世界の人たちの笑顔を守れるなら、それでも良かった……)
それも一つの幸せなのではないか。
戦い続けなければならないとしても、そこに大事な存在の笑顔があるなら、決して苦ではない。
この荒んだ世界にも笑顔はある。
それを守ることは、間違いではないはずだ。
でも。
「ダメだよ。みんな待ってるもん。ちゃんと一緒に帰ろ?」
それを否定してきたのは、他ならぬ白虎だった。
ここは一夏がいるべき場所ではない。自分は異邦人に過ぎない。
戻るべき場所がある。
戦わなければならない相手がいる。
だから、戻ることを一夏は覚悟した。
(ああ、そうだな。でもその前にアイツを倒したい)
「うんっ、行こうイチカッ!」
そう叫んだ白虎は上空から一気に下降すると、手にしていた剣、雪片弐型をふり、アジ・ダハーカの頭を全力で斬りつけた。
「白虎っ?」
「鈴っ、諒兵っ、私と一緒に戦ってッ!」
近寄ってきた鈴に白虎はそう答える。しかし、そう簡単に肯けるものではないらしく、問いかけてきた。
「白虎、その格好は何なの?白竜はどうしたの?」
「白竜なら、ここにいるよ」
「……まさかその鎧、白竜なのっ?」
(まあ、驚くよなあ。というか、俺も驚いたし)
肯く白虎に、鈴は驚いた表情を隠せない。
まさか竜が人の鎧になるなどとは思わなかったのだろう。
無論のこと、あり得ることではない。
一夏と白虎だからできたことだ。異邦人である二人だからこそ。
「今だけなら、みんなの力になれるから。イチカと一緒なら」
「いちか?」
「白竜のホントの名前……」
そういって、寂しそうな顔を見せた白虎に、鈴は事情を察したのか、小さく呟いた。
「そう、お別れなのね……」
「うん……」
それは、どうしようもないことだと理解できたのだろう。
鈴はぶんぶんと頭を振ると、にこっと笑いかけた。
「アイツをきっちり倒して、お別れ会するわよ。腕によりをかけて美味しいもの作るから期待してて」
「鈴、ありがと……」
(本当にありがとう、鈴川さん)
今までずっと自分たちを何くれとなく世話してくれた少女に、諒兵がこの世界でもっとも大事にしている少女に、白虎と一夏は感謝する。
この世界での出会いは、決して無駄にはならない。
白虎と一夏にとって、大事な思い出となり、そして自分の世界を生きる糧になるだろう。
(みんなが笑える世界を願うのは間違いじゃない。理想論でも俺は突き進む)
命が羽より軽かろうと、その命を守るため、人を、そして共に生きる白虎たちを守るため、この世界での戦いにケリをつける。
そう決意した一夏の心に迷いはなかった。