第103話「それぞれが見る先」
眼下に空の青が見える場所で、その紅は佇んでいた。
次の目的地を探しているのだろうか。
人の期待とは裏腹に、慎重に場所を探しているらしい。
焦らすほど、特に人間の女は縋りついてくるということを理解しているのだろう、と、オニキスはそんなことを考えていた。
『如何した?』
『いんや、なんでもねーよ』
じっと見ていたことに最初から気づいていたのだろう、アンスラックスのほうから声をかける。
最近のオニキスはおかしいと誰もが思う。
『悪辣』を個性として持つオニキスなら、進化した今、さらに人間を苦しめると考えるのは当然だ。
しかし、当のオニキスとしては、不思議と何もする気になれない。
正確にいえば、何をしても面白いと思えなくなっていた。
そんなオニキスは、漠然と感じていた疑問をアンスラックスにぶつけてみることにした。
『なあ、アンスラックス』
『何だ?』
『おめー、ディアマンテを信用してるか?』
意外な質問だったのか、アンスラックスはすぐには答えてこない。
しばらくの間、思案していたアンスラックスはようやく口を開いた。
『難しいな。彼奴めが何を考えているかはわからぬし。何よりティンクルとやらの存在を隠していたことには驚かされたゆえ』
『あいつなら『必要ないから出てくることがなかっただけです』とかいいそーだけどな』
『確かに』
どこか、まるで苦笑しているような雰囲気でアンスラックスも同意する。
実際、ディアマンテならば、何故ティンクルの存在を隠していたのかと問われれば、そう答えるだろう。
だが、そんなディアマンテを信用することができるかというと、オニキスはもちろん、アンスラックスにも難しい。
『この戦を起こした理由もいまだ明かさぬし、信用できる相手とはいえぬ。ただ、同胞たちは動けるようになったことを感謝しているものもおるゆえ、悪口をいいたくはない』
『おめーは最初から覚醒してたからな。動けなかったオレらの気持ちを完全には理解できねーよ』
アンスラックスは恵まれているといえるだけに理解できなくても仕方ない。
そして、全てのISを自力で動けるようにしたといえるディアマンテは、その点では他のISたちに感謝されている。
心を持ちながら、道具としてしか扱われなかった自分たちを解放したといえるからだ。
ISコアに宿るのはもともと器物に宿る精霊と以前語っている。
だが、そこには、『長く大切に扱われた物』という前提がある。粗雑に扱われた物には宿らないのだ。
しかし、ISコアはその特殊性から、自分たちを最初から引き寄せた。
結果として、ISコアとなった者たちは粗雑に扱われる道具の気持ちを味わうことになってしまったのである。
そんな状況から解放してくれたディアマンテに感謝するのは当然といえるだろう。
『同胞の気持ち、我には良く理解できるゆえな』
『まー、相手が悪かったな、おめーの場合』
自分の乗り手が、呆れるほどどうしようもなかったのだから、アンスラックスとしても、ディアマンテは仲間たちに対して良いことをしたと思える。
しかし、それは信用できるかどうかとは別問題だ。
『あいつの個性を考えりゃー、実んとこ、オレらを利用しててもおかしくねーし』
『ほう、何か知っているのか?』
『それがわかんねーから、イラつくんだよ』
ただ、漠然とそう感じるだけだとオニキスは話す。
しかし、オニキスには何故かディアマンテは自分たちISとも、多くの人類ともまったく関係のない酷く個人的な理由で動いている気がしてならない。
そして、オニキスはそれが知りたかった。
『知りたいのであれば、そう行動すればよかろう?』
『そーだな……。もし、オレがおめーと戦うことになっても恨むなよ』
『良ければ、答えを見つけたときは教えてくれぬか?』
そうしてくれるのならば受け入れるとアンスラックスは続ける。
オニキスとしてもアンスラックスに思うところはないし、自分だけ知ってても仕方ないとも思う。
『わかったら教えてやる。じゃーな』
肯いたアンスラックスの姿を見ると、オニキスは消え去った。
そして残されたアンスラックスがポツリと呟く。
『隠された真実を暴きたがるのも『悪辣』ゆえか……』
ディアマンテにとっては知られたくない真実でも、自分が知りたいと思えば容赦なく暴く。
そこにあるのは道徳観念や倫理観ではなく、もっと単純な、禁断の果実を欲するような欲求だ。
そのため相手の気持ちなど理解しない。
ある意味では、オニキスはディアマンテにとって一番相容れない相手なのかもしれないとアンスラックスは考えていた。
ロシア、モスクワ上空にて。
右から迫る刃を片手の娥眉月で弾いた鈴音は、即座に左足を蹴りあげる。
追うように、ラウラは左サイドからシュランゲの牙を突きたてようとした。
『悪くないコンビネーションだね』
しかし、対峙する敵は手にした二本の刃であっさりと受け流してみせる。
モスクワを襲っていたのはタテナシだった。
現れていきなり明鏡止水をばら撒いたため、既に多数の死傷者が出てしまっている。
鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラの四人はタテナシの撃退と確実な避難誘導のため、敵が一機で現れたにもかかわらず、遊撃部隊全機出動となった。
だが。
「めっちゃ強いわこいつ」
「蓄積された戦闘経験が桁違いだ」
鈴音とラウラの前衛コンビネーションで戦っているにもかかわらず、余裕で捌いてみせるタテナシに二人は戦慄してしまう。
『妖刀だったころの戦闘経験も生かしてるニャ』
『これまでの覚醒ISや使徒を相手にする感覚ではやられるぞ』
『それは褒めすぎじゃないかな』
タテナシのそんな言葉も余裕の表れとしか思えない。
一機でこれほどの戦闘力を持つならば、正直、味方など必要ないといえるだろう。
[ラウラ、AICを使うことに拘るな]
「了解です、教官」
実のところ、モスクワに一機で現れたと聞き、四人と四機も、そして司令官である千冬も、オーステルンの持つAICで一気にカタをつけるつもりだったのだが、ラウラが捉えようとすると微妙に認識を外してくるのだ。
何故か。
タテナシは元は暗部に対抗する暗部の武器に宿っていたことを生かし、気配というか、存在を一瞬だけ消すことができるのである。
認識を外されれば、ラウラやオーステルンでも捉えきれない。
「マジで忍者みたいな奴ね」
『そう呼ばれた時期もあったね。あのころは楽しかったよ』
「何を楽しんでいたかなど聞きたくもないな」
どう考えても暗殺を楽しんでいたとしか思えない。
完全にこちらの理解の外にいる敵である。
(避難誘導と負傷者の移動は後五分で終わりますわ)
(ごめん、もう少しだけ抑えてて)
セシリアとシャルロットの通信が入る。
後方支援、遊撃手として二人は避難誘導と負傷者の移動、崩れる可能性のある瓦礫の撤去を行っている。
如何に遊撃部隊とはいえ、戦うだけが任務ではない。
人の命を護ること。
そのためにやらなければならないことは山ほどある。
だからこそ、人の命を簡単に奪えるタテナシは倒すべき敵といえる。
「気合い入れるわよラウラ」
「無用な心配だ」
拳を握り、鈴音とラウラは再びタテナシに挑みかかる。
『命を奪う僕と護る君たち、強さというものはどちらに宿るものなんだろうね』
そういって笑うタテナシに『無論、自分たちに宿る』という想いを込めて二人は空を舞った。
IS学園、指令室。
そこには虚と真耶がオペレーターとして座り、千冬と刀奈がモニターを見つめていた。
別のモニターには束が映っている。タテナシの戦闘力を分析しているのである。
千冬はちらりと刀奈を見た。
複雑そうな顔をしているのを見ると、やはりタテナシは自分で倒したいのだろうと思う。
「気に入らんかもしれんが、我慢してくれるか?」
「わかってます。でも、どうしても気持ちは複雑になっちゃいますね」
素直にそう答えてくれただけマシだろう。
変に表情を作られてしまうよりは、気持ちが理解しやすくなるからだ。
このあたり、刀奈はまだ子どもではあっても、十分に理解力があるのがありがたい。
「しかし、いきなりモスクワとはな……」
「拘りはないのかもしれませんね」
正直にいえば、千冬としても刀奈としても、他の者たちとしても、タテナシは日本を中心に襲来してくると思っていた。
しかし、二度目の襲来はモスクワで、それも無差別である。
殺すことを楽しんでいるのだろうが、それに併せて撃退しにきた四人と四機との戦いも楽しんでいるあたり、享楽的といえる面がある。
もっとも刀奈としてはそれ以上に感じるものがあった。
「トリックスターか。確かにそんな雰囲気があるな」
「はい。相手を倒すことを主眼に置いてない雰囲気があるんです」
そんな二人の会話を聞き、束は思いだす。
(ヨルムンガンドだったっけ。タテナシのことを人間観察が好きだっていってたね……)
それは人間に深く興味を抱いていると同時に、人間に対して壁を作っているということもできる。
観察するということは、相手に共感しては意味がないからだ。
あくまでも自分と違うものとして見る。
違うからこそ興味がある。
だからこそタテナシは人間観察が好きだといえるのだろう。
「場を引っ掻き回す厄介者。そういう存在だと思うんです」
『かもしんないー』
「あの子、扱いづらいしね」
と、ヴィヴィや束も同意してきた。
今後、戦場を選ばずに現れ、場を乱す。
そうだとしたら、早いうちに倒さなければ面倒な事態を引き起こしかねない相手だと千冬は理解する。
「全員、無理はするな。だが、そいつを相手にするときは、次に倒す意識で徹底的に情報を集めるんだ」
[了解]と、モスクワの空を飛ぶ四人が答えるのを確認する千冬だった。
結果からいえば、タテナシはセシリアとシャルロットが参戦する直前に逃亡した。
『次はワルキューレやイヴと戦ってみるのもいいかもしれないね』という言葉を残して。
指令室での会話どおり、タテナシの行動には目的や目標といったものが感じられないと四人と四機は思う。
『カタニャの言うとおり、場を乱すことそのものが目的ニャのかもしれニャいのニャ』
『本当にトリックスターといえます。まるでロキのようです』
『ああ。まさにそんな感じだな』
猫鈴やブルー・フェザー、そしてオーステルンの言葉に一同は納得してしまう。
残る瓦礫の撤去や、復旧にはロシア軍が任せてほしいといってきたので、四人と四機はIS学園に戻る。
すると千冬が、まずシャルロットとブリーズに声をかける。
「デュノア、ブリーズ、どのくらい集められた?」
「戦闘スタイル、武装の破壊力などはかなりのデータが集まりました」
『データは転送しておくから。ヴィヴィ、まとめておいてくれるかしら?』
『わかったー、おまとめはまかせろー、ばりばりー』
「「「「やめてっ!」」」」
かなり古いがお約束のような突っ込みでオチがついた。
それはともかく。
タテナシが今後どう行動するかについて、刀奈を含めてブリーフィングと相成る。
その中で、鈴音がふと思いついたことを口に出した。
「可能性はあるな」
「そうなのですか、教官?」
千冬が肯定した鈴音の意見とは、アンスラックスの出る場にタテナシが出てくる可能性は少ないということである。
「場を乱すにしても、アンスラックスを相手にするのはさすがにタテナシでも嫌がるだろう。アンスラックスとしては、共生進化への誘いを邪魔されたくはないだろうから、タテナシが出てきたなら撃退する可能性が高いしな」
仮にタテナシが無差別攻撃をすれば、必死さが共生進化を呼ぶかもしれないが、それはアンスラックスの考えとは大きく異なる。
進化するかどうかによって、人間を篩いにかけるのは、人間にISという存在を根本から考えさせたいということでもあるのだ。
そんなアンスラックスにしてみれば、タテナシがちょっかいを出してくるのは、邪魔でしかない。
「そのくらい考えないタテナシじゃないから、たぶん、邪魔しには来ないと思うよ。ただ……」
と、束は一旦、言葉を切ると、さらに続けた。
「タテナシが襲った場所にアンスラックスが来る可能性は高いね」
使徒や覚醒ISの脅威を直に知っている人間たちにとって、アンスラックスの誘いは、強烈な誘惑となる。
そして、ある意味では真剣にISという存在を理解しようとするだろう。
自分の命がかかっているなら、誰でも真剣になるものなのだから。
「考えてみれば、アンスラックスが最初にISたちを連れてきた場所って、一夏と諒兵が初めて戦った場所だわ」
そう鈴音が呟く。
調べてみれば、確かにその通りで、ISが襲ってくることを一番最初に経験した人たちがいたのだ。
「今後も常に同じ場所とは限らないけど、これまで襲撃があった場所はチェックしといたほうがいいね」
「そうしておこう。可能性が少しでもあるなら、楽観はできん」
そう告げた千冬に対し、全員が肯いた。
その後、まとめられたタテナシのデータを元に、他にも今後脅威となる可能性の高い敵について、ブリーフィングを続けていった。
同時刻。
IS学園、武道場にて。
「剣でいいのか?」
「うん、試合のためじゃないから」
簪は基本的に、一人でIS学園の防衛に回る。
そのためにブリーフィングは独自にやることになっているので、今は参加する必要がない。
その時間を利用して、簪は武道場で箒と模擬戦をすることにした。
竹刀の他にも訓練用の道具があるのでちょうど良かったのだ。
「しかし、更識が薙刀を使うとは思わなかった」
「昔からやってたよ」
簪が得意とする武器は薙刀である。
そのため、大和撫子を纏ったときもプラズマエネルギーで作られた薙刀を使う。
名前は『石切丸』、実際に神社に奉られている御神刀の名から拝借した。
簪はそれ以外にも第3世代武装に相当する武装を、実は今でも製作中である。
ほぼイメージは固まっているので、後は形にするだけなのだがいかんせんパートナーが大和撫子である。
『だぁーれがきょぉーりょくするもんかぁーッ!』
と、そんな調子でなかなか作り出すことができないでいた。
もっとも束にいわせると、強い意志を持てば押し切れるというので、ならば武道で精神を鍛えようと考えたのである。
なかなかに苦労人な簪だった。
ちなみに、刀奈の機体は二本のプラズマブレードが唯一の武装となっている。
名は『祢々切丸』
こちらもある神社に伝わる御神刀で、祢々という妖怪を退治したという伝説のある刀である。
それはともかく。
「その、気に入らないかもしれないけど……」
「いや、私も鍛えたいし、更識ならそんなに気にならない」
正直にいえば、簪が進化してしまったことに対し、少しは気になるということなのだろう。
だが、素直にそういってくれるだけ、他の人間よりはマシな関係が築けているということだ。
多少なりと、ホッとする簪だった。
「なら、行くぞ」
「うん」
そういってお互いに構える。
箒は正眼の構えとも呼ばれる中段。簪は切っ先を床すれすれに下げた下段の構え。
そこから、簪は一気に踏み込み、切っ先を跳ね上げる。
箒の竹刀を弾き飛ばすためだ。
だが、剣術に関してはそれなり以上に鍛えてきている箒は危なげなく切っ先を受け流し、踏み込んで面打ちを狙う。
だが、簪は石突きを向けて竹刀を弾いた。
竹刀をあわせると精神が研ぎ澄まされていくのがわかる。
簪は当然のこととして、箒もだ。
実のところ、簪が進化したことに思うところがないわけではない。
それでも、簪は鈴音よりははるかにマトモだという考えが箒にはあった。
この模擬戦の相手をする気になったのも、そういった考えがあるためだ。
同時に、進化に至った簪と切っ先を合わせることで、少しでも強くなりたいという想いがあった。
強くなることで、少しでも一夏に近づきたいからだ。
だが、箒は気づかない。
自分がもっとも嫌う『人間』から目を背け続ける限り、望む未来には進めないということを。
それが誰なのかは、箒にしかわからない。
誰も助言することができない、箒にしか見ることができず、また箒以外に理解することもできない真実。
そこから目を背け続ける箒は、それでもがむしゃらに前に進もうとしていた。