その日、真耶は昇降口の前に立ち、とにかく緊張していた。
何しろ、千冬と互角の剣の腕を持つという男性を出迎えなければならなかったからだ。
いったい、どれほど屈強な男が現れるのかと、正直に言えば、久々に怯えていた。
「こっ、こういうときは手のひらに人って書いて飲むっ!」
と、必死に何度も『入』と書いては飲み、書いては飲みを繰り返す。
すると。
「あの、何してるんですか?」
「はいっ、人前で上がらないように『人』って書いてっ」
「いや、あの、『入』になってますよ」
「はぅっ?!」
『ベタなギャグネーっ、そんなんじゃウケないヨっ♪』
「ぎゃっ、ギャグじゃないですっ!」
と、テンパった真耶は必死になり、せめて言い訳しようと声のほうに顔を向けた。
そこには、優しそうな面立ちの青年がいる。
年のころは自分とそう変わらないだろう。
もっとも、真耶は年齢の割りに相当幼く見えるので、向こうからどう見られているのかはわからないが。
「山田さんですか?」
「えっ、はいっ!」
「案内してくれる人がこちらにいらっしゃるというので来ました。井波誠吾といいます」
「……えっ?」
千冬から聞いた名前が確かそんな名前だったと記憶している真耶だが、何故目の前の青年がそう名乗るのかわからない。
何しろ、どこにでもいそうな、でも優しそうな普通の青年だったからだ。
「あの、同姓同名の別人の方ですか?」
「なんでですか」
『イナミセイゴはだーりん以外にいないヨ?』
二つの声が真耶の言葉に突っ込んでくる。
しかし、そうなると、目の前の青年が、真耶が出迎えなければならない青年となる。
それはおかしいと真耶は思う。
千冬並みに強いという男性が、こんな普通の穏やかそうな青年であるはずがない。
「いや、まあ、強いなんて思いませんけど。織斑さんに呼ばれたのは僕です」
『テンロウが言うからショーがなく来たんだヨ』
「嘘ですよね。強そうに見えません」
「速攻で否定されるとヘコみますね」
と、井波誠吾を名乗った青年は苦笑いしてしまう。
と、そこにもう一つ、小さな影、ぶっちゃけ天狼が現れた。
『さっきから何してるんですか、み○ばちマーヤ』
「その呼び方はマジメにやめてください」
『というか、さっさとセイゴロンを連れてきてくださいよ。みんな待ちくたびれてますよ?』
「僕の呼び方も直す気がないんだね、天狼」
『テンロウは性格悪すぎネー♪』
と、半ば諦めたようにため息をつく誠吾に対し、どこか楽しげなもう一つの声。
「あれ?」
さっきから、声が二つ聞こえてくることにようやく疑問を感じた真耶は、青年の方にいる小さな影に気づく。
「まさかASっ?」
『ちょっと違うけど、ワタシはだーりんのパートナーでラブラブワイフなのネーっ♪』
「誤解しないでください。かなりマジで」
ド真剣な顔でそういいつつも、小さな影のパートナーであることは否定しなかった誠吾に、真耶は驚きの目を向けていた。
ブリーフィングルームにて。
鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラは千冬から誠吾を紹介されていた。
「と、いうわけで指導教官をお願いした井波だ」
「よろしくお願いします」と、誠吾が頭を下げると、全員が好印象を持った。
礼儀正しい青年であるためだ。
もっとも、四人より年上なのだが。
とはいえ、四人の視線は彼の肩に向いてしまっていた。
「で、気になっている者もいると思うが……」
『ワタシのこともよろしくネーっ♪』
と、誠吾の肩の上に座る小さな影が挨拶する。
金の長い髪。
耳は翼になっており、また、お尻から尾羽が生えている。
色合いから考えるに、隼がモチーフなのだろう。
格好はタンクトップにホットパンツというアメリカンといっていいようなスタイルで、しかも驚くことに他のASのインターフェイスと違い、胸があるのだ。
「この子の名前はワタツミ。個性は『楽天家』、一応、僕がパートナーになるみたいなんだ」
『楽天家』とは、ぶっちゃけどんな運命でも気にせず受け入れる、非常におおらかな性格である。
しかし、真耶が気になったのはそこではない。
「一応ってどういうことなんですか?」
どうやらさっきから聞いてみたかったらしい。
どうも誠吾が気になる様子である。
「まず説明すると、僕はASっていうのは持ってないんだ」
「えっ、でも、その子はISコアが進化したんですよね?」と、鈴音。
『その通りですよ。わかりやすくいえば、ワッタンは共生進化し損ねて、独立進化してしまったんです』
という天狼の説明に、全員が驚いてしまう。
『ホントネー、だーりんったらイケズなんだカラ』
「とっさに防御しただけなんだけど……」
ワタツミは説明する気がなく、誠吾は説明がうまくないということで、天狼が代わりに説明を始めた。
本来ならば、ワタツミは誠吾と共生進化するつもりだった。
ワタツミのほうが一目見て誠吾を気に入って、強引に共生進化しようとしたのである。
ただ、タイミングが悪かった。
誠吾は剣の鍛錬を欠かしたことがない。
重めの木刀による素振りや、真剣と作りの変わらない模造刀を使った演舞などを毎日繰り返していたのだ。
ワタツミはそこに特攻してしまったのである。
結果。
「ワタツミはこの刀に融合したんだよ」
と、誠吾は図面ケースから鞘に収まった刀を出してくる。
つまり誠吾はてっきり覚醒ISの攻撃かと思って、持っていた模造刀でワタツミを受け止めてしまったのだ。
そのため、ワタツミは誠吾にくっつくことができず、誠吾が持っていた模造刀と進化してしまったのである。
『元来、私たちは器物に宿る。そう考えると、ワタツミは先祖返りしてしまったわけか』
と、オーステルンが納得したような声を出すと、全員がなるほどと肯いた。
「オーステルンのいうとおりだ。ただ、ワタツミは五反田のエルや御手洗のアゼルと違い、本来のラファール・リヴァイブの機体ごと融合している」
『だとすると、戦闘のためのエネルギーは持てるのね?』
というブリーズの言葉に千冬は重々しく肯いた。
ある意味では、常人が持つことのできる、対『使徒』用の武器といえるのがワタツミである。
「その通りだ。ただ、ワタツミは井波以外の人間を拒絶しているからな。井波の専用武器になってしまっているんだ」
他の人間が手を触れようとしただけで、電撃をかましたり、持ち上げようとすると異常なまでに重くなったりするという困った武器なのである。
「それでは、井波さんは今まで覚醒ISと戦っていたんですの?」とセシリア。
「僕はまだ大学生だよ。ただ、見捨てて置けないし、人を逃がす時間稼ぎくらいはしてたかな」
ちなみにいうと、誠吾は現在二十一歳である。
それを聞いて一番驚いてしまったのが。
「ええっ、年下なんですかっ?」
真耶だった。
思わず衆目を集めてしまい、顔を真っ赤にしてしまっていたが。
ちなみに真耶は現在二十三歳なので、誠吾は確かに年下である。
そんな真耶を見て、千冬は一つため息をつくと、口を開く。
「実を言うと、ここ最近は一、二体くらいの襲撃では警察や軍隊の力を借りて収めるようにしている。井波はその協力者として戦っていたんだ」
千冬は、機体数の少ない襲撃、使徒レベルの相手ならばともかく、覚醒ISが一、二体程度で襲ってきた場合は、遊撃部隊を出さないようにしていた。
これは、一夏と諒兵だけで戦っていたころ、二人の負担が大きすぎたことに対する反省の意味もある。
現在、人類の切り札といえる鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラの負担を減らすための措置だった。
「たいてい、大きな襲撃の影で襲ってくる敵が多いのでな。お前たちには知らせないでおいたんだ」
気を悪くしたなら謝ると千冬は頭を下げるが、逆に自分たちを心配してくれていたことが四人とも嬉しいと感じてしまう。
なんだかんだといって、生徒想いな千冬である。
「いずれにしても、井波の実力は折り紙つきだ。私が保障する」
「質問です。何故教官は、この方の実力を知っていたんですか?」
単純に知るというだけならば、方法はいろいろあるが、ラウラが気になったのはそこではない。
千冬が誠吾を個人的に知っているように感じたのである。
「十年ほど前になるから、今の実力を正確に知っているわけではないが、同じ道場に通っていたんでな。何度か打ち合ったこともある」
当時は年齢差もあり、千冬のほうが勝率は高かったが、身体の成長した今では、間違いなく互角になっていると語る。
「同じ道場って、どこのことですか?」
「古流剣術の篠ノ之道場だよ」
と、誠吾はあっさり答えたのだが、逆にそのために、その場が凍りついた。
首を傾げている誠吾に対し、鈴音は恐る恐る尋ねる。
「あの、篠ノ之博士や箒のこと、知ってるんですか?」
「そうだね。お姉さんのほうは一度も話したことはないけど、箒さんとは何度か話したこともあるかな。まあ、あまり好かれてはいなかったみたいだけど」
と、苦笑する誠吾に、鈴音たち四人は再び驚いた。
まさか、こんなかたちで昔の箒を知る人間が現れるとは思わなかったからだ。
「というか、道場で一番仲が良かったのは一夏君だね」
「えっ、一夏も知ってるのっ?!」
「子供のころだけだけど、親しくしてたんだ」
「ああ、姉の私より懐いてたくらいだ」
「あの……、殺気を向けるのはやめてください」
『ヨユーのない女は嫌われるヨ♪』
と、ジト目で睨む千冬に冷や汗をたらす誠吾に対し、のん気なワタツミである。
「織斑さんから事情は聞いてる。僕はまだまだ未熟者だけど、君たちが強くなるために協力したいんだ」
今は眠ったままの一夏、そして諒兵。
二人が目覚めたとき、多くの人が傷つき倒れているような凄惨な光景など見せたくない。
そんな想いで戦っている鈴音たちの力になりたいと誠吾は再び頭を下げる。
ならば、今は箒絡みのことを尋ねるのは筋違いだろう。
そう考えた全員は、素直に「はい」と答えたのだった。
同時刻。
相も変わらず箒は簪と鍛錬を続けていた。
箒としてはありがたいが、たまには他のAS操縦者、ぶっちゃけ鈴音たちと訓練をしたほうがいいと思い、そう進言もしている。
だが、意外なことに簪のほうがそちらにはあまり積極的ではなかった。
「いずれはするつもりだけど、そっちの訓練はお姉ちゃんにお願いしてるから」
「そうか」
確かに、機体性能はわずかに劣るとはいえ、簪の姉、刀奈は操縦者として考えるなら一級品だ。
訓練する相手としても申し分ないだろう。
ならば、今は簪の厚意に甘えていようと思う。もっとも、簪は簪で気になることがある様子だが。
「あの男か……」
「お姉ちゃんから聞いたんだけど、昔、篠ノ之道場にいたって……」
箒の実家が剣術道場をしていたこと自体、知らなかった簪だが、その点は刀奈が千冬から聞いたことを又聞きしていた。
そこで剣を学んでいたとなると、箒も知っているのは当然だし、思うところがあるはずだ。
いったいどう思っているのか、興味があった。
「剣の腕ならあの頃でも一流といっていいと思う。そのまま成長したのなら、確かに織斑先生と互角だろう」
「凄い……」
「でも、好きじゃない」
そう答えた箒は一瞬だが身を震わせた。どういうことなのだろうと簪は再び尋ねる。
「普段はおとなしいが、剣を構えると変わる。あの男の剣は『鬼』の剣だ」
「鬼?」
「……今の一夏に近い。死角を狙うのと正面からの違いはあるが、あの男の剣は『倒すための剣』だ」
そういう意味でいうのであれば、覚醒ISを倒す遊撃部隊である鈴音たちの指導教官をすることは間違いではないだろうと箒は語る。
ただ、剣士として剣を交えたい相手ではないという。
「でも、一夏は懐いてた。それ『も』気に入らない」
「そう……」
それ『も』ではなく、それ『が』気に入らないのだろうと思うものの、簪は口に出すことはなかった。
白刃が閃く。
「じょーだんでしょッ!」
娥眉月では受け止められないと感じた鈴音はすぐに如意棒に変え、その刃を全力で弾き返した。
数十メートルの高さを飛びながら。
誠吾の持つ刃であり、パートナーであるワタツミは空間的距離を無視して、襲いかかってきたのだ。
わかりやすくいえば、刀身だけが瞬間移動してくるのである。
飛べないことがハンディキャップにならない。
それがいかに恐ろしいのか、もっとも感じているのは鈴音だろう。
だが、セシリア、シャルロット、ラウラも同様に戦慄していた。
実際に実力を見せるということで、千冬も同席した上で、鈴音が誠吾と模擬戦を行うことになったのだが、その実力は呆れるほどだった。
何より、戦闘サポートにおいて、ワタツミは驚くほど優れていたのだ。
千冬と同格の剣の実力と、優秀なサポートが組み合わされば、空を飛べなかろうと関係ないということをまざまざと思い知らされた。
『まだまだジョのクチヨーっ!』
と、ワタツミが叫ぶなり、三つの刀身が襲いかかってくる。
しかし、刀身が増殖したといった印象は受けない。
何故なら三つの刀身が別々に、しかしはっきりと倒すという気迫を以って襲いかかってきたからだ。
「こんッ、にゃろぉーッ!」
と、どこか可愛らしい気迫で鈴音は三つの刀身を弾き返す。
すると三つあったはずの刀身は一つに戻った。
しかしおかしい。
ただ増殖したというよりは、一瞬だけだが、剣を構えた三人の誠吾を相手にしたような感覚があったのだ。
『次元干渉ニャ』
「何それっ?!」
『ワタツミは一瞬だけ上位次元に干渉して、他の世界で戦う二人のセイゴの剣をこの世界に引っ張り込んだのニャ』
「えっ、どういうこと?」
猫鈴の言葉が鈴音には理解できなかった。
地上で、天狼と何故かその場には出てこず、音声だけで参加している束が解説する。
「パラレルワールド?」と、全員が首を傾げる。
『簡単にいえば、『ちょっとだけ違う世界がたくさんある』と思ってください』
「交差点で右に曲がるか、左に曲がるか。たったそれだけでも世界は変わるんだよ。そんな世界がたくさんあると思ってくれればいいかな」
詳しい説明は省くが、イエスノー、右左、そういった人の選択が積み重なって世界は作られる。
しかし、選ばなかった選択肢を選んだ自分がいる可能性は決してゼロではない。
そのゼロではない可能性が、別の世界を生み出す。
それが並行世界である。
「ワタツミはこの世界から少し上の次元に一瞬だけ干渉できるの。そうして上から見ることで、他の世界で戦っている自分自身のいる場所を見つけて、さらに座標をずらしてこの世界に干渉させることが出来るんだよ」
刀身の瞬間移動もその応用である。
普段は自分自身が瞬間移動するだけなのだが、上位次元への干渉を行えば、別の世界にいる自分自身を引っ張り込むことが出来るということだ。
『先ほどは別の世界で剣を振るっている別のセイゴロンと一緒にいる別の自分を引っ張り込んだんですよー』
単純な分身ではなく、世界そのものに干渉できる力を持つことに、全員が驚愕してしまう。
個性が『楽天家』とはとても思えない。
「井波の剣の実力とワタツミのサポートが組み合わさることで、呆れたレベルの戦闘力を発揮しているな」と千冬が感心する。
もっとも真耶はそれ以上に驚いている様子だった。
(な、なんだか胸がドキドキしてるような……)
普段の様子からは想像できないほど、鬼神のような強さを見せる誠吾の姿に何故だか胸の鼓動が早くなる。
真耶は自身の初めての感情に戸惑っていた。
そして。
「あー、マジで世界は広いわ。てっぺんなんてとてもじゃないけど見えそうにないわね」
と、模擬戦を終えた鈴音が地上に降りてくる。
そんな彼女の言葉を聞くと、誠吾は苦笑いを見せた。
「ワタツミが力を貸してくれなければ、戦いにならないんだけどね」
『だーりんはワイフに恵まれてるのヨー♪』
「それはやめてくれ」と、どっと疲れた顔になる。
実際、ワタツミの力がなければ、誠吾はAS操縦者とは戦いにならない。
もっとも、それは鈴音たちAS操縦者にも言えることだ。
パートナーがいるから、戦えるということである。
「しかし、これほどの戦闘力を持つならば、指導教官としても申し分ありませんわ」
「そうだね。よろしくお願いします。井波さん」
そういってセシリアとシャルロットが頭を下げると、ラウラは感心したように肯いた。
「教官が指名したのも理解できるな」
「当然だ。信頼できる相手でなければお前たちの指導などさせられん」
なんだかんだと生徒想いな千冬である。
「まずは得意分野を鍛えるが、それぞれ手に入れた変化を鍛えることも念頭に置け。戦闘のヴァリエーションを増やすことができれば、対処能力も上がる。ただ、不得意分野に関しては、今は無理に修正しようとするな」
「はいっ!」とその場にいた全員が元気良く返事をするのに対し、満足そうに肯く千冬。
敵はまだ数多い。
特に、妖刀として蓄積している戦闘経験が桁違いのタテナシを相手にした場合、それが生きてくる。
この先、まず何よりも、前線で戦う鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラ、そして簪と刀奈。
彼女たちが生き延びられるようにと、千冬は願っていた。