さすがに指令室にいた千冬にも、シドニーの状況がさらに悪化したことは丈太郎の口から伝えられていた。
[すまねぇ織斑]
「いえ、博士のせいでは……」
もともと、鈴音にそういった危険性があることは理解していた。
だからこそ、一人では決して無茶をしないように伝えていた。
だが、それでも足りなかったのだ。
こちらから状況が見えないとしても、あらゆる手を用いて常に言葉を伝えるべきだったと千冬は後悔する。
ゆえに。
「ラウラッ、デュノアッ、転送準備だッ!クラリッサッ、更識刀奈ッ、少しでいいッ、耐えてくれッ!」
「「「「了解ッ!」」」」
今できる最善。
本心ではとてもそうは思っていないが、鈴音を死なせないために、そう指令を出す。
「覚悟しておけ鈴音。罰は重いぞ」
鈴音が『傷つけてしまったもの』の大きさを、鈴音自身に理解させるためにも、生かして戻さなければならないことを千冬は理解していた。
四本の腕から繰り出される攻撃を、鈴音は華麗に棍を回して捌く。
アシュラの腕は重かった。
物理的にも重いのだが、アンロックユニットである四本の腕は、プラズマエネルギーを薄く纏っているのだ。
その破壊力が異常なほど重い。
自在に動く本来の腕以外の腕は、あくまでも第3世代『兵器』だった。
それ自体が、防御能力を兼ね備えた強力な兵器なのである。
その攻撃を捌き、弾き、掻い潜って鈴音は棍を振るう。
『愚昧』
そういってアシュラは身をかわす。機体を掠める攻撃は決して無駄ではない。
直撃すれば十分なダメージを与えられるからだ。
しかし、この攻撃自体、鈴音の身体にかかる負荷のほうがはるかに大きい。
ゆえに愚昧。
愚かだとしか言い表しようがないのだろう。
でも、そんなことは鈴音自身が一番理解していた。
『リンッ、いい加減にするニャッ!』
「もうちょっとだからッ!」
猫鈴が心から心配しているのがわかる。
それでも、他にアシュラと戦う方法が鈴音にはない。
一人で立ち向かうためには、この方法しかないと鈴音は思い込んでしまう。
そして、それは実際のところ間違いではないのだ。
「そりゃあッ!」
人間のスピードの限界を超えた連続刺突。
まるで槍衾のように百を越える刺突を繰りだす。
普通の敵なら、喰らえばそれだけで戦闘不能になりかねない。
しかし。
『鈍重』
百を超える刺突を、アシュラは四本の腕ですべて捌く。
合掌印を組んでいる手はそのままだ。
つまり、これでもまだ余裕があるのだ。
『負荷が大きすぎるニャッ、もう身体が限界ニャッ!』
猫鈴が説明するとおり、神の技術を人が再現すれば負荷がかかる。
そのダメージは、すぐに身体能力に現れてくる。
これが本物の斉天大聖なら、刺突は百ではなく千に届くだろう。
アシュラもすべての腕を使って防戦しただろう。
鈴音の身体には既に神仏の戦闘技術を再現するだけの力が残っていないのだ。
たった数分しか戦っていないにもかかわらず。
気づけばアシュラは悲しみの顔を模した面をつけていた。
まるで哀れまれているように感じてしまう。
だが。
「まだよッ!」
『リンッ!』
それでも、まだやめるわけにはいかない。
この程度で負けるわけにはいかない。
周りに頼られるだけの力を持っていなければ、自分には価値がない。
鈴音はそう考えてしまう。
ただ。
イタイイタイイタイイタイイタイ、イタイヨオ……
心の奥底ではとっくに泣き叫んでいた。
本当は、何の取り得もない普通の女の子でしかない自分。
がむしゃらに前に進んで『無冠のヴァルキリー』という自信をつけたが、それはいわば心を守る殻に過ぎない。
その中身は、普通の女の子でしかない。
クルシイヨ、イタイヨ、ムリダヨ、ワタシナンカジャ……
心細いときに泣くしかできず、怖いときには身動きもできなかった。
だから、助けてくれた人を好きになった。
守ってくれた人を好きになった。
どこにいても、どんなときでも
そうしてくれた『二人』を好きになってしまった。
だから。
タスケテッ、イチカッ、リョウヘイッ!
それこそが、鈴音の本当の心だった。
セシリアに守られながら休んでいたまどかとヨルムンガンドだが、唐突にヨルムンガンドがセシリアに話しかける。
『すまない、聖剣の君。我々は離脱する』
「ヨルムッ、何をいってるッ?!」
セシリアはブルー・フェザーと共にまどかとヨルムンガンドを守りながら、冷静に問いかける。
「理由は?」
『このままではあの娘が自壊する。我々というお荷物がいなければ君も参戦できるだろう?』
『理に適った答えですね。薄情と思いますが』
冷静どころか、はっきり冷たさを含んだ声でブルー・フェザーは皮肉をいってきた。
元は聖剣と魔剣。
おそらくは一番反りが合わない相手なのだろうとセシリアは理解する。
ただ、ヨルムンガンドはおかしなことをいってきた。
『それに、もうすぐ増援が来る。君たち、いやあの娘にとっては最大の希望となるだろう』
「何ですの、それは?」
そんなセシリアの声を遮るように、まどかが叫ぶ。
ヨルムンガンドが勝手に決めていることに憤っているのだろう。
「ヨルムッ、私は逃げないぞッ!」
『マドカ、『目的』は果たした。問題ない』
そういうなり、ヨルムンガンドはまどかを連れ、光となって飛び去った。
「フェザー、追っても仕方ありませんわ。羽を鈴さんのサポートに回します」
『承知致しま……』
「どうしたんですの?」
『この反応は……』
まるで呆然としているかのようなブルー・フェザーの声にセシリアは訝しげな顔をする。
「えっ?」
だが、直後、セシリアもまた呆然としてしまった。
自分の目の前に、鈴音を守るように立つ白い翼と黒い翼の獣たちの姿があったからだった。
日本、IS学園、数分前。
凄まじい衝撃と共に学園が大きく揺れた。まるで何かが爆発したような衝撃だった。
「布仏ッ、場所はッ?!」
「せっ、整備室ですッ、本音ッ!」
そこには妹の本音がいる。さすがに虚も声を荒げてしまう。
しかし、答えてきたのは本音ではなかった。
[問題ないっすよ千冬さん]
「五反田ッ?!」
[たぶん、鈴を助けに行ったんだ]
その答えの意味が、虚には理解できない。束も首を傾げている。
だが、千冬にはそれで理解できた。
「そうか。やっと目を覚ましたか……」
顔を綻ばせながらそう呟く千冬だったが、他の者たちには理解できない。
ゆえに虚が改めて本音に問いかける。
[いきなりガバッて起き上がったら~、壁を壊して飛んでったの~]
「どういうこと?」
[おりむーとひーたんが起きたんだよ~]
本音がそういった途端、指令室も一気に空気が明るくなる。
「良かったあ、束さんすっごく心配したんだよーっ!」
「織斑先生。織斑くんと日野くんは……」
「おそらく五反田のいうとおり、シドニーにいっているはずだ。博士」
[あぁ、わかってらぁな。あとシドニーの電波妨害がなくなった。もうすぐモニターも映るはずだ]
丈太郎がそう答えるなり、シドニーの様子がモニターに映る。
そこにいるのは、血まみれでぼろぼろの鈴音と鈴音を抱きかかえているセシリア。
まさに阿修羅像のような使徒アシュラ。
そして、白虎とレオを纏った一夏と諒兵だった。
「ん?」
「どしたのちーちゃん?」
「いや、あいつらが少し大きくなったように見えてな」
体躯ではなく、画面越しでも伝わってくる雰囲気に、何故か大きくなったような印象を受ける千冬だった。
唐突に割って入ってきた二つの光は、襲いかかるアシュラを凄まじい一撃で弾き飛ばした。
「あっ……」と声を漏らした鈴音は一気に力を失い、落ちそうになってしまう。
そんな鈴音を、セシリアが自身の腕でしっかりと抱きとめる。
『マオリンッ!』
『接続は解いたのニャッ!』
「……とりあえず、鈴さんは無事ですわ」
そう声をかけるセシリアを無視したわけではないのだろうが、声をかけられた二つの光は、背中を向けたまま悔しげな声で話しかけてくる。
「このオオバカヤロウが」
「二度とこんな真似しないでくれ」
その声に、鈴音は俯いてしまう。
まるで胸が締め付けられるように感じたからだ。
「ごめん……」
だから、そういって謝ることしかできなかった。
そして、背を向けたまま、二つの光、一夏と諒兵はセシリアに声をかけてくる。
「セシリア、鈴を頼む」
「安心しろ。お前らにゃ指一本触れさせねえよ」
その言葉に、かつてIS学園に無人機が襲いかかってきたときのことを思いだすセシリア。
だが不思議と、あのとき以上に心が安心しているのがわかる。
ならば、答えは決まっている。
「わかりましたわ」
今は二人の戦いを見届けることこそ、自分がやるべきことなのだろう。
見れば、覚醒ISはまるでたじろぐかのように下がってしまっている。
戦意を高揚させているのはアシュラだけだ。
そこに、千冬の声が響いてきた。
[相手の名称はアシュラ。阿修羅像として長く信仰されてきた神に近い相手だ。いけるか?]
「上等、神っぽいヤツならぶっ飛ばしてきたぜ」
「俺が倒してきたのは邪神かなあ。まあ任せてくれ千冬姉」
あまりにも軽い返答にセシリアは唖然としてしまう。
それなのに安心感があるのだから不思議でしょうがない。
さらには。
『大丈夫だよチフユっ!』
『とりあえず、再会を喜ぶためにも、あのお邪魔な方には退いてもらいましょう』
白虎とレオも随分気楽にそう答えてきた。
何かが違うと誰もが思う。
それが、頼もしく感じるのが不思議だった。
「アシュラ。お前に恨みはないけど、ここは退いてもらう」
「容赦はできねえ。悪く思うなよ」
『承諾』
それが、開戦の号砲となった。
一撃目は一夏。諒兵と背中合わせになるように構えると、直後に一気に突進し、白虎徹を振るう。
そのスピードに驚いたのか、アシュラは距離を取りつつ左腕二本で捌いた。
そこに今度は諒兵が殴りかかる。
両手の獅子吼を使ってのラッシュにアシュラは右腕二本を使って捌こうとするが、その隙をついて両足の獅子吼がビットとなって襲いかかってきた。
すぐに避けるが、今度は一夏の刺突が迫る。
『見事』
思わずそう呟くアシュラ。
それを見ていた鈴音とセシリアは驚いてしまう。
「すごい。前より強くなってる……」
「本当に今まで眠っていたんですの……?」
どう見ても、どこかで鍛錬してきたとしか思えないほど、ぴったりと息が合っている。
それでいて、各々の実力も上がっている。
闘いの神を前にしても怯むどころか、逆に超えようとばかりに挑みかかるその姿に、脅威すら感じてしまう。
「まだまだ追いつけないかあ……」
「鈴さん」
「逆に怒られちゃうし……、落ち込むなあ」
「怒っているのはお二人だけではありませんわよ?」
正直言えば、いわれなくてもわかっていることだった。
相当な無茶をしてしまったのだから、ちょっとのことでは許されないだろう。
「私には止められません。織斑先生からきついお仕置きがあるのは覚悟しておきべきですわ」
「ん、わかってる。しょうがないもんね」
それでも、鈴音の表情はこれまでと変わって、可愛らしいといえるような笑みを浮かべている。
一夏と諒兵が眠ったままの状態で、一番不安だったのは鈴音だったのだろう。
だから無理をしてしまった。
だから、戻ってきてくれたことに一番安心している。
そんな鈴音の顔を見て、セシリアはふと気づいた。
(そういえば、ヨルムンガンドさんはお二人が来ることに気づいていたのでしょうか?)
先ほど勝手に離脱してしまったのは、一夏と諒兵が飛んでくることに気づいたからだとするならば、二人に出会わないためだと考えられる。
(まどかさんがどう反応するかわかりませんし、一応は助けていただいたということ?)
『可能性はあります。彼は相当な皮肉屋ですから、何をするのも素直ではありません』
(面倒な性格してますわね……)
この場にまどかがいれば、あの戦いに乱入しかねないし、一夏に襲いかかる可能性もある。
そう考えると、助けてもらったともいえる。
一応は感謝しておくかとセシリアはため息をついた。
アシュラは既に四本の腕をフルに使っている。
一夏と諒兵は、そうしなければならない相手だと認識しているのだ。
ここまでの戦闘力を持つ相手がいることに、アシュラは喜びを感じていた。
これならば、『二つの感情』を起動することになるかもしれない。
しかし、いまだきっかけが得られずにいた。
剣を、そして爪を捌き続けるが、その攻撃力が上がっているわけではないからだ。
しかし。
「そろそろいくぞ」
「覚悟しとけ」
ほぼ同時にそう呟いた一夏と諒兵。それぞれの武装が、異なる色に輝く。
初手は一夏。
「白虎ッ!」
『うんっ、任せてッ!』
青白く輝く白虎徹が振り下ろされるや否や、左腕二本が斬られ、一瞬のみだが凍りつく。
次いで諒兵。
「レオ」
『問題ないです』
赤みを帯びて輝く獅子吼は、アシュラの右腕二本を溶かして消し飛ばす。
その力が何なのかをアシュラは識っている。
『機獣……』
人とASの心が一つになったときに放たれる力。
それをまともに受けた阿修羅は、すぐに距離を取り、二つの面を解放した。
その姿を見た鈴音とセシリアは驚く。
本体であるアシュラを守るかのように、二人の護衛が現れたように見えたからだ。
悲しみの表情を模した面と両腕。
怒りの表情を模した面と両腕。
それだけが、阿修羅の前に浮かんでいる。
『『驚嘆した。そこまでの力を持つか人の子』』
悲しみの面と怒りの面が同時に声を発する。
「誰だ?」
「お前ら、ただの仮面じゃねえな?」
そう問いかけた一夏と諒兵に対し、二つの仮面は正直に答えてくる。
『『我らは、汝らがアシュラと呼ぶ者の二つの感情』』
『我は悲哀』と悲しみの面が名乗る。
『我は憤怒』と怒りの面が名乗る。
『『戦いに臨む二つの心』』
『悲哀』は争いの絶えない世界に悲しみを持って向かい合い、『憤怒』は争う数多の人々に怒りを持って向かい合うという。
『『そして、戦いし果てに慈悲を以って人を受け入れるがアシュラ』』
アシュラ本体と違って饒舌なのは、『寡黙』という個性は心がないということではなく、むしろ心内は雄弁に語れるほどの思いがあるからだという。
ティンクルのように独立した一人格というわけではなく、二つの仮面はアシュラの心を代弁するだけの存在らしい。
そう語る二つの仮面を見て、一夏と諒兵は少しばかり複雑そうな表情を見せる。
「本当に神様みたいだなあ」
「嫌いなタイプじゃねえな」
『イヤな使徒じゃないね』
『アレよりは好感が持てます』
何故か、レオの言葉にはやけに実感が篭もっていた。
それはともかく。
『『此度の戦いは汝らの勝利。ゆえ、ここは我らが退く』』
「ありがとう」
「助かったぜ」
無用な戦いをせず、また相手を倒すまで戦い続けることを選択しなかった。
ゆえに、一夏と諒兵の口から感謝の言葉が漏れる。
『『人の子よ、強くあれ。だが、生き急ぐな』』
そういって、アシュラは量産機を引き連れ、光となって飛び去った。
(私じゃ、ダメなんだ……)
最後の言葉はなぜか鈴音の心にもっとも強く響いた。
自分はアシュラの敵にはなれない。
そう告げられたような気がしたからだった。