束が箒に自身の想いを語っている頃。
「ふ~ん、じゃあ篠ノ之博士と箒が話してるんだ?」
『うん、ママ頑張ってるー』
いまだに謹慎が解けないのと、猫鈴が回復に集中していることから、基本的に暇な鈴音。
こうして世間話をしてくれるヴィヴィが唯一の楽しみになっていた。
「博士が頑張るのはいいけど、箒も頑張らないとね」
と、そういってヴィヴィから束と箒の現状を聞いていた鈴音は苦笑した。
『ホウキもー?』
「あの子、もう少し周りに目を向けられるようになれば、いい女になるわよ?」
『応援してるのー?』
「そういうわけじゃないけど。でも、ダメダメなままよりいいじゃない」
鈴音がそう答えると、ヴィヴィは黙ってしまった。
雰囲気から察するに、何か考えているようだと鈴音は思う。
最近、こういったASたちの醸し出す雰囲気も漠然と感じられるようになってきた鈴音。
この点においては、一夏や諒兵並に感性が磨かれていた。
とはいえ、何を考えているのかまではわからないが。
「どうかしたの、ヴィヴィ?」
『リンって不思議ー』
「ふしぎ?」
『ライバルなのにホウキこと応援してるからー』
別に応援しているつもりはない。
ただ、今の箒はいろいろな意味で後ろ向き過ぎる。
どんな結果になるにしても、まず前向きになる必要があると思うのだ。
自分に限らず、一夏が箒以外の女性を選んだとき、下手をすれば自殺しそうだとすら思えてしまうのである。
最近は多少改善されてきたようにも感じるが、それでも根っこのところはいまだに一夏に依存しているように思える。
それは好きという感情とは違うものだろう。
そんな箒が心配なので、前向きになってほしいと思うのは、確かに傍目には応援しているように見えるかもしれない。
『ラウラとも仲いいしー』
「そりゃ、あの子まっすぐだもん。嫌いになる理由が無いわよ」
諒兵に対してまっすぐに向かい合っているラウラは、むしろ見習いたいくらいだと思う。
確かに、ムッとすることはあるし、嫉妬することもある。
しかし、それはあくまで自分も諒兵のことも好きだからこそ感じるものであって、ラウラ個人に対する感情とは別物だ。
鈴音はそのあたり、かなり大雑把に割り切ることができる。
それが鈴音の良さだといえた。
『でもー、もしイチカがホウキとー、んでー、リョウヘイがラウラとくっついてもいいのー?』
「それはっ、よくない、けど……」
当たり前の答えだった。
どっちも好きという揺れている鈴音だが、逆にいえばどっちも取られたくないのだ。
だから、二人が別の子と付き合っている姿など想像したくない。
したくはないけれど……。
「一途なのが羨ましいのよ……」
『羨ましいー?』
「やっぱさ、男の子だって、自分だけを好きな子の方が可愛いと思うのよね」
『そう思うー』
「でも、私どっちつかずだから……、欲張りな自分が可愛くないって思うから、箒やラウラみたいになれたらなって思うの」
だからこそ、人間としてというか、女の子としての箒とラウラを嫌う気にはなれなかった。
二人のように、一人の男性を真剣に想える女の子になれればと思う。
だから、羨ましいと思うのだ。
「私は一人しかいないから、一人の人を好きになりたい。でも、それができない自分が、ちょっとヤなの」
『よくわかんないー』
「ヴィヴィはそういう気持ちとは縁無さそうだしね」
と、鈴音は苦笑いしてしまう。
しかし、ヴィヴィはそれでちょっと怒ってしまったらしく、文句をいってきた。
『むー、バカにしてるー?』
「違うわよ。ヴィヴィはママが一番好きなんでしょ?」
『当然ー』
「一途なあんたのこと、ママもきっと大好きだろうっていってるのよ」
『そうなんだー。ありがとー♪』
嬉しそうにしている雰囲気が感じられて鈴音はホッとした。
誤解されて仲違いしたくない。
鈴音にとっては、ヴィヴィも大切な友人の一人だからだった。
そのころ。
後進の指導、戦術構築、戦力増強とやることが山ほどある千冬は、一夏や諒兵たちの指導を誠吾に任せ、別の場所に顔を出していた。
そこには。
「…………いい加減、顔を出せ。真耶」
布団に包まって唸っている真耶の姿があった。
すなわち、真耶の私室である。
「も」
「も?」
「模擬戦の依頼ですかあ?」
何とかそれだけはできているため、今の真耶は模擬戦の依頼があったときのみ顔を出しているが、それ以外では出てこない。
というか、恥ずかしさのあまり、出て来れなくなっていた。
「模擬戦は関係ない。人手が足りないんだ。手伝ってくれ」
「……井波さんは?」
「一夏たちの指導だ。とりあえず顔を合わせることはないから安心しろ」
真耶が今、一番顔を合わせられないのは誠吾である。
スマラカタの進化の際、気になっていることが知られ、さらには痴女のようなスマラカタの姿、つまり自分そっくりの姿をバッチリ見られてしまっているため、恥ずかしくて仕方ないのだろうと千冬は思う。
「スマラカタはお前とは別人だ。そんなに気にするな」
「違うんです……」
「井波のことが多少気になっていたことが知られたのは恥ずかしいとは思うが、我慢できないほどでもないだろう」
そうはいうが、千冬も恋愛方面では奥手である。
丈太郎には気づいてほしいと思うものの、告白するほどの勇気はなかったりする。
「それも違うんですっ!」
「なら、いったいどうした?」
「私っ、初めて男の人好きになっちゃったんですうっ!」
そう言われ、千冬は一瞬首を傾げるが、すぐに理解できた。
要するに、自分の中に生まれた恋愛感情に対して全然対処できていないのが今の真耶なのである。
山田真耶。
驚くことに恋したこと自体が初めてのことだった。
「中学生かお前はっ!」
「そんなこといわれてもおっ!」
「ポーカーフェイスくらい作れんのかっ!」
「わかんないんですうっ!」
千冬は思わず天を仰いだ。
まさか御年二十三歳で恋をしたことがなかったとは、どれだけ周囲の反応に鈍感だったのだろう。
男を引き寄せ捲くるような容姿や性格をしていて、まさかこの年まで初恋未経験だとは思わなかったのである。
ある意味、天然記念物級の存在だった。
この点ではひょっとしなくても鈴音のほうが経験値は上だろう。
ラウラもこんな状態にはならないだろう。
下手をすると箒のほうがまだマシかもしれない。
そう思うと軽く絶望してしまうが、そんなことをいっていられる状況ではないのである。
「いくらなんでも、そんな理由で仕事ができんというのは困るぞ。私たちは人材不足の中で戦っているのだから」
「わ、わかってますよお……」
「というか、お前いい年だろう。普段は気持ちを抑えるとかできんのか」
「先輩だって、目の前に蛮場博士が迫ってきたら絶対真っ赤になるくせに」
「なぬ?」と、真耶が拗ねた口調でいった一言を、千冬はリアルに想像してしまう。
途端、顔がぼひゅっと真っ赤になった。
「何を想像させるかっ!」
「想像で真っ赤になるとか先輩だって子どもじゃないですかあっ!」
「お前にいわれたくないわっ!」
そうして始まる子どものケンカ。
困ったことに止めるものが誰もいない。
『青春ですねー』
のん気な見物人こと天狼がいても、何の役にも立たなかった。
場所は変わり、武道場。
束と箒の語らいは続いていた。
白騎士事件について、改めて説明することはないと束はいう。
実際、事件は記録にも残っているし、束はあくまでデモンストレーションのつもりで、五百発のミサイルを落とすつもりだった。
「白騎士は何ていってたんです?」
「やっぱり怒ってたよ。『やるとしても数が多い。お前が乗っても無理がある』ってね」
そもそも人道的に見ても、犯罪行為である。
シロはその点を何度も忠告したが、そのときの束は聞く耳を持たなかった。
何しろ、兵器としてのデモンストレーションとなると、束には他に方法がなかったのだ。
名目を兵器に変えて訴えたところで、相手にされないのは変わらなかったのである。
ただ、多少の変化はあった。
ある企業からこんな一言があったのだ。
『兵器としての性能を見せてもらえれば考えよう』
だが、企業からお金は出さない。
つまり束がセッティングするしかなかったのだ。
そのために考えた方法がハッキングと撃ち落しだったのである。
それでできるならと考え、しかも実行してしまうあたりが、束が子どもでもあったということだった。
もっとも、箒が気になったのはそこではない。
「白騎士には姉さんが乗ってたんですかッ?!」
「あれ、箒ちゃん白騎士に誰が乗ってたか知らなかったっけ?」
「記録では不明になってるじゃないですか」
「あ、ちーちゃん、まだいってないのかあ……」
どうしようか、と束は一瞬考え込んだが、箒は言いふらすような人間でもないだろう。
感情的になるとポロッと話してしまう可能性があるが、そもそもそんなに友人がいないのだから広まることも少ないだろう。
千冬がいっていないのは、おそらく一夏たちに知られるのを恐れているからだ。
教師として、今は司令官としての信頼を失うことになるのではないか、と。
それで失われるような信頼関係ではないのだが、この点においては千冬はけっこう弱い面もある。
(でも、ここで説明しないわけにはいかないかあ)
千冬には後で謝っておくとして、束は説明することにしたのだった。
「織斑先生が……」
「私の計画だと五百発、難しいけどできないわけじゃないから一人でやるつもりだったんだよ」
しかし、どこから情報が漏れたのか、実際に発射されたのは二千発だ。
当時は大騒ぎになった。実際、落ちていれば日本を含めたアジアの大半が焦土になる。
そして、そのときもっとも慌てたのが。
「ちーちゃんだったんだよ」
「それで織斑先生が乗ることになったんですか?」
「というか、勝手に乗っていっちゃったの」
当時の千冬は、親を失って間もなかった。
幼い弟である一夏は自分だけで守らなければならないと視野狭窄に陥っていた。
その状況で起きた事件だったのである。
「ちーちゃんには白騎士のことは話してたからね。あのとき、すぐ手に入る兵器がそれしかなかったんだよ」
「それで……」
「兵器にするために武装はいくつか作ってたんだけど、近接ブレードしか持って行かなかったから焦ったよ」と、束は苦笑いしてしまう。
だが、それでも二千発のミサイルを落とした。
計算上は絶対不可能な数だったにもかかわらず。
「それって……、白騎士自身の力でなんですか?」
「機体の性能ではまず不可能。そう考えるとシロが力を発揮したとしか思えないね」
「どうやって?」
「最近わかったんだけど、あの子は引力と斥力を操れるの」
「重力とかじゃないんですか」
「いっとくけど、重力は引力の一つだからね。あの子はもっと大きなレベルで重力を操れると思ってくれればいいよ」
引力とは、物体同士が引き合う力であり、重力は地球が物を引っ張る力ということができる。
他には電磁力などにも働く力、原子核の核中で働く力もあるといわれている。
対して斥力とは反発する力を指す。
わかりやすいのは磁石だろう。
S極とN極では引っ張る力が生まれるが、S極同士では反発する力が生まれる。
いずれにしても、白騎士はその引っ張る力を使い、ミサイルを誘導したのだ。
「同時に斥力で自分に乗っているちーちゃんに爆圧が来ないように守ってたんだよ」
「だとすると、相当強いんじゃ……」
「今でも最強クラスだろうね」
対抗できるとすれば天狼かアンスラックス、アシュラといったトップクラスの戦闘力を持つ者くらいだろう。
その力で二千発のミサイルは直撃せずに済んだ。
しかし、その力を見せたことで、今度はにわかに世界が騒ぎ出してしまったのである。
その結果。
「ISは最強の兵器として認知された。開発環境はとんでもない勢いで整えられた」
「でも、それは姉さんが望んだ未来ではなかった、ということですか?」
「根気よく続けていけば、私が望んだ未来にいけたかもしれない。でも、さっき言った計算外は世界を捻じ曲げちゃったんだよ」
男性を乗せなくした白騎士。
ISの力を自分の力と勘違いした者たち。
この二つを修正することが、束にはできなかった。
前者はともかく、世の中に蔓延る女尊男卑思想に関しては、手の打ちようがなかった。
人の心を変える力など束は持っていなかったのだ。まして、甘い汁を吸うことに慣れた者たちの心など。
そして。
「シロはいつからか全然話さなくなってさ」
「いつごろか、覚えてないんですか?」
「正確には、ね。でも、バカ女たちが蔓延るようになってからだと思う」
束は踊らされていることに気づかない女尊男卑思想に染まった女性たちに呆れて、シロが話さなくなったと考えている。
ゆえに、今の束は男性よりも女性のほうが嫌いなのだ。
ここまで愚かだとは思わなかった。
そう思っているのである。
もっとも、そこに残された記録との矛盾があると箒は気づいた。
「白騎士はサンプルとして提供したんでしょう?」
記録上、白騎士はサンプルとして提供、分解され、今のISの開発環境の基礎を築いている。
しかし、束の言い方だと、彼女はずっとシロの居場所を知っていたことになる。
コア・ネットワークをずっとつなげていたというのかと箒は思うが、真実はあまりにも人間臭い理由だった。
「箒ちゃんは、自分の特別な人を研究材料として差し出せる?」
「えっ?」
「私にはできなかった。シロは私の大切な友だちだったんだから」
「あっ……」
束と普通に話ができるものは非常に少ない。
そしてシロはその非常に少ない中の一人だ。
しかも、束を導いてくれるような親代わりでもあった。
そんな存在を研究材料として差し出せたとしたなら、束は間違いなくマッドサイエンティストだろう。
しかし、当時の束はまだ子どもだったのだ。
「それじゃ……」
「今考えれば私は十分酷いことをしたと思うよ。シロの代わりに、二番目に作った子を差し出したんだから」
要するに、シロはずっと束の傍にいたのである。
代わりに、二番目に作ったISコアを白騎士に搭載して差し出したのだ。
何故そんなことができたのかといえば……。
「特別なのはシロだけだと思ってたから。他の子も同じだと思ってなかったから。コアには心があるって言ったけど、『シロのように』心があるとは思ってなかったんだよ」
だから差し出すことができた。
逆に、もしすべてのISコアに同じように心があると知っていたなら、決して差し出さなかっただろう。
否、作ることすらできなかったかもしれない。
自分の子が兵器になることを束は望まなかった。
シロとの出会いで、そう作ることを決意はしても、いずれは、シロは未知の世界に飛び立つためのパートナーになるはずだと思っていたのだ。
「後悔、してるんですか?」
「そうだね。シロが忠告してくれたように、もっとゆっくりやっていけばよかったと思ってる」
少しずつ、仲間を、同じように未知の世界に行こうと思ってくれる人を増やしていけば、世界はこんな風に歪には変わらなかったと束は思う。
生まれてきた『子どもたち』、すなわちISコアももっと幸せだったように思う。
束はただ孤独だった。寂しかった。
それでも傍に誰もいなかったわけではない。
自分が歩み寄る努力を怠っただけだ。
結果として、それが、自分の子どもたちが傷つけあう『今』につながってしまっている。
「だから、早くこの戦いを終わらせたいんだ。今度こそ、望んだ未来に進むために、ね」
そういって、語るべきことは語れたと思ったのか、束は口を閉じた。
そんな束を見て箒の胸に棘が刺さる。
自分の姉が大切に思う子どもを、一夏の傍にいるための道具として使おうとしたことを。
それでも、ISの存在が自分の運命を捻じ曲げたことは間違いない。
ただ、束の想いを聞いて、それでもISを恨むのは心が痛む。
どうすればいいのだろう。
そう思うも、箒にはわからない。
そんな箒の気持ちを汲み取ったのか、束が再び口を開く。
「みんな好きになってくれなんていわないよ。ただ、嫌いな子がいるからって、全部を嫌いにもなって欲しくないんだ」
「……はい」
紅椿は箒にとって敵としかいえない。
しかし、すべてのISが紅椿と同じというわけではない。
箒もまた、束と同じだ。
相手を知ることを怠ってきた。
それが人間なのか、ISなのかの違いしかない。
自分が成長するためにやることがなんなのか、目を背け続けていたら、きっといつまでも変わらない。
ISを嫌い、変わってしまった環境を嫌い、変わってしまった一夏を嫌い、そんな一夏と仲のいい者たちを嫌っている。
だけど、何よりも嫌っているのは……。
「ッ!」
「箒ちゃん?」
「いえ、なんでもないです。今日は話せてよかったです、姉さん。また話を聞いてもいいですか?」
「うん、箒ちゃんならいつでもウェルカムだよ」
そういって微笑んだ束の優しい笑顔に、箒は初めて姉に対する愛情を感じていた。