声をかけづらい。
諒兵の雰囲気がさっきから剣呑なモノのままであるため、周りの仲間たちは皆そう思っていた。
ラウラやレオですら声を出そうとしないのだから、諒兵が如何に危険な状態なのか、よく理解できる。
ゆえに、刀奈はとりあえず提案した。
「三十分後にブリーフィングルームに集まりましょう。それと織斑くんはいったん医務室に行って」
「えっ、何でですか?」
「……まどかという子を見たとたん、織斑先生が気を失って倒れたそうよ」
「なっ、千冬姉がッ?!」
「まだ眠ったままだそうだから、お見舞いに行ってあげて」
「はいッ!」
『ありがとカタナッ!』
そう答えるが速いか、一夏はピットに戻る。そのまま医務室へと向かうのだろう。
それを見ていると、諒兵が声をかけてきた。
「何で、千冬さんが倒れるんだ?」
「あの子はけっこう重大な秘密を抱えてるみたいね。織斑先生と織斑くん、そして諒兵くん、あなたにとっても」
「だから集まろうっていったんですか?」とシャルロット。
「ええ。今わかる推測と、もし、できるなら博士や篠ノ之博士にも、知っていることを洗いざらい話してもらうわ」
丈太郎に関しては、もうすぐ日本に来るので、そのときに彼の口から話してもらうようにしたいと刀奈は続ける。
今は、とりあえず落ち着くためにも情報を整理したいのだ、と。
「それでいい?」
「ああ」
そう答えた諒兵の複雑そうな表情が心に残る刀奈だった。
一夏が医務室に到着すると、校医の先生と真耶がそこにいた。
「山田先生?」
「せん、織斑先生が倒れたと聞いて駆けつけたんです。まさかこんな事態になるなんて、自分が情けない……」
自分が初恋の症状に苦しんでいる(笑)ときに、千冬は倒れてしまった。
せめて、助けにならなければと必死に自分を奮い立たせ、とりあえず誠吾が来る予定がないということで千冬を見にきたのだという。
微妙にダメなままだった。
そこにもう一人、珍客がやってくる。
「いっくんも来たんだね」
「束さん。千冬姉が倒れた理由はわかるんですか?」
そう問いかけた一夏に対し、束が見せたのは深い哀しみを湛えた表情だった。
「そうだね。もう説明してもいいか」
「もう?」
「事情があって私もあいつも隠してたんだけどね。全部を説明するとなるとあいつも要るから、今ちーちゃんに起こってることだけ話すね」
原因等を説明すると相当長くなるからという束の言葉に納得した一夏はとりあえず千冬に起きたことだけ、改めて説明してくれるように頼む。
すると、束は重々しく口を開いた。
「記憶封鎖がかけられてるの、ちーちゃんには」
「記憶封鎖?」
「ちーちゃんは過去の記憶の一部を思い出せないように強力な暗示がかけられてるんだよ」
話を聞いて一夏は呆然としてしまう。
だとすると、千冬の記憶の一部には、何か秘密が隠されているいうことになるからだ。
また、千冬にかけられているのであれば、自分にもかけられている可能性がある。
少なくとも、ほぼ同じ時を共に生きてきたのだから。
「安心して。いっくんにはかけられてないと思う。正確にいうと、かける必要がなかったんだよ」
「何でッ?!」
「そのときのいっくんは幼すぎて、自然に忘れちゃったみたいだから」
「だとすると、織斑くんが小さいころのことなんですか?」
と、真耶も口を挟んでくる。
さすがにけっこう重要な秘密だと感じたのか、興味を持ったらしい。
「まだ五、六歳くらいのことだよ。簡単な暗示はかけられた可能性はあるけど、ちーちゃんのようなことにはならないと思う」
「何故です?」
「その暗示を取り込んで普通の記憶にしてしまってるんだよ。さっきもいったけどいっくんが幼いころの話だから、無理もないことなんだけどね」
そんな束と真耶の話を聞き、一夏も考える。
自分が五、六歳くらいとすると、ほぼ十年前になる。
千冬は今の年齢から逆算すると中学生ごろのことだ。
確かに、そのころに起きたことで、印象的なことであれば忘れることはないだろう。
そこでようやく、一夏の脳裏に閃いたことがあった。
「俺たちの両親が消えたことに関係するのか、束さん」
「……うん。さっき、大和撫子のオプションの子が言ってたけど、アレは事実を言い当ててるからね」
刀奈のことである。
相変わらず興味を持たない相手には酷い呼び方をする束であった。
「それじゃ、あの子、本当に俺の妹なのか?」
「……詳しい理由はあいつがこっちにきてから話すけど、それが正解。あの子、まーちゃんはちーちゃんといっくんの妹になるの。いっくんたちは三人姉弟だったんだよ」
衝撃の事実だといっていい。
姉と弟二人で必死に生きてきたつもりだったのに、そこから別れさせられた妹がいたというのだから。
しかし、ならば何故、まどかは一夏ではなく諒兵を兄と呼び慕っているのか。
「……あの子は、日野くんのお母さんを知ってるみたいでしたね」
「うん。けっこう長い間面倒を見てもらってたみたい。そのせいなんだろうね」
「じゃあ、俺たちの両親は……」
「それは、ちーちゃんが目を覚ましたら説明するよ。ちーちゃんにかかってる暗示は強力だから、普通ならまーちゃんの情報は覚えていられない。でも、もうそれじゃダメだから、私のほうで暗示を解除するから」
どうやら束はそのために来たらしい。
作業には少し時間がかかるとのことなので、できれば二人きりにしてほしいという。
いずれにしても、ここでできることはないことを理解した一夏は医務室を後にする。
真耶もさすがに覚悟を決めたのか、一緒にブリーフィングルームに向かうことになった。
とりあえず、今、動ける者たちは全員がブリーフィングルームに集まっていた。
そこにようやく一夏と真耶が到着すると、空気が緊張してくる。
諒兵が剣呑な雰囲気を放っているため、どうしてもその場にいる全員が緊張してしまっているのだ。
「織斑くん、山田先生、座ってください」
と、刀奈が声をかけると、それぞれ空いた席に座る。
それを確認した刀奈が再び口を開いた。
「とりあえず、今わかっていることをまとめたいの。織斑くん、何か知っていることはある?」
「さっき、束さんに聞いたことがあります」
「そう。なら、ここで説明してくれるかしら?」
「わかりました」と、一夏が答えるなり、ブリーフィングルームの扉が開いた。
「鈴音」と、声をかけたのは驚いた様子のラウラだった。
「さすがに私も知らないわけにはいかないみたいね。少しだけならってことで、出してもらったの」
ヴィヴィが束に確認してくれたらしい。
この話は鈴音も部外者でいるわけにはいかない。
ゆえにわざわざ一時的に謹慎を解いてもらったという。
「けっこう話進んじゃいました?」
「いいえ、これからよ。空いてるところに座ってちょうだい」
そういってくれた刀奈の言葉に従い、鈴音も空いている席に座る。
それがちょうど、一夏と諒兵の間であったことは苦笑する他ないが。
ラウラはともかく、他の者たちは今の諒兵に近づけなかったのである。
とりあえず鈴音が座ったのを確認した刀奈が口を開く。
「とりあえず、まだここに来れない人もいるから、情報のまとめだけをやるわ」
そのため、まず一夏が束から聞いたことをその場にいる者たちに説明した。
まどかは千冬と一夏の血のつながった妹であること。
千冬には記憶封鎖がかけられていること。
話の流れからおそらく束と丈太郎が、いろいろと知っているらしいこと。
その話を聞き、刀奈は一つため息をつく。
「記憶封鎖って、随分とんでもない単語が出てきたわね……」
「しかも、千冬姉はあのまどかって子のことを覚えてられないらしいんだ」
「覚えてられない?」と鈴音。
「記憶封鎖がかけられてるってことは、昔の記憶を思い出せないようにさせられてるだけじゃなく、あの、まどかって子のことに関しては新たに覚えることもできないようにさせられてるのよ」
そう刀奈が説明すると、全員の顔が驚愕に染まった。
忘れさせられていても、まどかのことを見たり、聞いたりしたときに昔の記憶を思い出す可能性がある。
そうさせないため、まどかのことを聞いた前後の記憶を脳から弾き出してしまっているのだ。
「何でそこまでするの?」
「あの娘、単に教官や一夏の妹というだけではないのか?」
シャルロットやラウラが首を傾げる。
ここまでするとなると、まどかはとても危険か、もしくは重大な問題を抱えていると思うのは当然だろう。
「織斑くんがいったけど、この件には織斑くんと織斑先生のご両親が関わってる可能性が高いわ。そうなると、織斑先生の記憶封鎖はご両親の手で行われてる可能性がある」
「何で、そこまで……」
と、一夏が悔しげな顔を見せる。
さすがに、自分と千冬を捨てた両親に対して、一夏も思うところがないわけではない。
むしろ、この点では諒兵に近い想いを抱いているのだ。
「織斑くんも気持ちは複雑だろうけど、今は我慢して。それに、逆にここまで徹底していると気になることもあるの」
「気になること?」と、簪。
「どちらかというと、不運だったのはあのまどかって子なんじゃないかってね」
問題があるのはまどかではない。そう刀奈は言い切った。
まどか自身は、本来は問題も危険もなく、ただの少女であった可能性のほうが高いという。
ただ、何らかの理由で一夏と千冬の両親が二人を捨てることになった際、まどかは捨てるわけにはいかなかったのではないかというのだ。
「何でだ?」
「単純に年齢よ。これ、諒兵くんを怒らせちゃうけど……」
「ここまできたら説明しろよ」
それだけを告げてきた諒兵の顔を見てため息をついた刀奈は話を続ける。
「あの子、見た目から考えるとまだ中学生になるかならないかよね」
「そうですね」とシャルロットが相槌を打つ。
「そうなると、織斑くんたちからご両親が離れることになったときはまだ二、三歳よ。まだ親の手が離れるには早過ぎるわ」
そうだと言い切れるかどうかは微妙なところだが、五、六歳くらいだった一夏と違い、親がいなくなるとその面倒を見ることになる千冬には重過ぎる。
それでなくても幼い弟妹を二人も抱えてしまっては、まだ中学生だっただろう千冬の心が破綻してしまいかねない。
ゆえに。
「ご両親はまどかって子だけは手放せずに消えた。そう考えることもできるの」
「それじゃ……」
「そう、その後、まどかって子からご両親は離れてしまった。その後にあの子が出会ったのが……」
「日野くんのお母さん?」
「そう考えられるわね」
時期から考えると、諒兵も五、六歳くらいであったころになる。
ただ、ここにさらに疑問が湧いてくる。
「あの子は『ずっと』っていっていたわ。それに、けっこう長い間あの子の面倒を見てたらしいのよね、織斑くん?」
「あっ、はい。束さんはそういってました」
「うん。でも、以前、博士はあの子は幼いころに亡国機業に連れ攫われて、実働部隊、つまり兵士に仕立て上げられてるといっていたわね」
以前というか、まどかが始めて顔を見せたときの話になる。
最低限の情報として、まどかについて丈太郎に説明を求めたときの答えがそうであったのだ。
そのことを思い出してみても、丈太郎は確かに何かを知っていることがわかる。
だが、今、情報を整理していくと見えてくるものがある。
「あの年齢であれだけ戦えるとなると、才能以上に、訓練も幼いころからやっていたと考えられるわ」
「そうだろうな」と、ラウラ。
「じゃあ、あの子は幼いころから亡国機業にいたことになる」
「そうですね」と、シャルロット。
「……そうなると、面倒を見ていたってことが本当なら、そこに諒兵くんのお母さんもいたことになるのよ」
「あっ!」と、そう声を上げたのは誰だっただろう。
しかし、考える限り、そういう答えになる。
諒兵の母親は亡国機業の人間だったと考えるのが一番自然なのだ。
まどかの面倒を見ていたことが間違いないのであれば。
それを聞いていた諒兵が、怒りも顕わに口を開いた。
「ハッ、親父もお袋もどんなろくでなしかと思ってたけどよ。お袋が犯罪者の仲間なら、親父も相当ろくなもんじゃねえな」
「ちょっと、落ち着きなさいよ諒兵」と、鈴音。
さすがに窘めなければと思っての一言だったのだが、却って煽ってしまったらしい。
嘲るような、誰よりも自身を嘲るような表情で続ける。
「生まれたばかりの赤ん坊じゃ、役に立たねえから捨てたってか」
「諒兵っ!」
「捨てるくれえなら、役立たずなんざ最初っから生まなきゃ良かったんだよ」
そう吐き捨てるなり、パンッと乾いた音が響く。
鈴音が、諒兵の頬を叩いていた。
「何しやがるっ!」
「ふざけないでよッ!」
声を上げる諒兵に負けないどころか、たじろがせるほどの声で鈴音は叫び返す。
「あんたのお母さんがどういう理由で置いてったのかはわからない。でもね、あんたが生まれないほうが良かったなんて私は思ってない」
出会ってから、今日までの日々は鈴音にとって大切な思い出になっている。
一夏がいて、諒兵がいて、他のたくさんの仲間や友だちがいる日々。
その中に、いなければ良かったなんて人間はいない。
それが、どんな人間であったとしても。
それだけではない。どんなASや使徒であったとしても。
「きっとみんなだって同じよ」
と、そういって鈴音が周囲を見渡すと、全員が肯いていた。
「私もだ。だんなさまがいなければ良かったなんて思ったことは一度もない」
「そうよ。だから、あんた自身がそんなふうに自分を卑下するのはイヤなの」
ラウラ、鈴音がそういうと諒兵は俯いてしまう。
今回の件、どうしても諒兵が捨てられていたということから目を逸らすわけにはいかない。
一夏や千冬も、親から見離されたということから目を逸らすわけにはいかない。
でも、だからといって自分たちが不要な人間だったなんていうのは、鈴音には耐えられない。
信じたいからだ。
生まれてきた環境よりも、一緒にいた時間のほうが自分たちにとって大切なものであると。
それが『絆』なのだと。
「どうすりゃいいってんだ?」
「諒兵?」
「俺は、俺たちはどうすりゃいいんだ?まどかのことや、親父やお袋のことをどう受け止めりゃいいんだ?」
束のいうとおりなら、まどかは一夏や千冬の妹になる。
でも、諒兵を兄と呼んでいる。
そして、親に捨てられたという意味では、諒兵だけではなく、一夏と千冬も同じだ。
しかも、亡国機業が関わっていたとなると、今回の問題は、諒兵に生き別れの妹がいたという話ですまない。
諒兵と、そして一夏と千冬がこれまで生きてきた世界を揺るがしてしまいかねないのだ。
だからこそ。
「さっきの話だと蛮兄や篠ノ之博士が何か知ってるっぽいし、まずは聞くしかないわ。ただ、これだけは覚えててよ」
「何だよ」
「さっきも言ったけど、私はあんたがいなけりゃ良かったなんて思ってない。あんたも一夏も千冬さんも私の世界に必要な人たちだもん」
それはきっと、これから先の人生を生きていく上で、決して失くしてはならないものだ。
だからこそ、決して壊されたくない。
そのために、諒兵にも一夏にも、心を強くもって今回の件を受け止めてもらうしかない。
「そう、だな。俺には千冬姉って家族がいたから、そこまでショックじゃなかったけど……」
しかし、一夏も衝撃を受けていないわけではない。
まずは真実がどうであれ受け止める覚悟をする必要があるのは一夏も同じなのだ。
でも、だからこそ。
「いなくなるなんて許さないからね。傷心旅行に行くっていうなら無理やりついてくから」
「「さすがにそれはしねえよ」」
思わず突っ込んでしまった諒兵と一夏に対し、鈴音はくすっと微笑んでいた。
そんな様子を見て、刀奈は思う。
(なるほど。ヴィヴィが凰さんを部屋から出したのはこういう理由だったのね)
下手をすれば大荒れになる可能性もあった。
それを何とかできるのは、鈴音しかいないということをヴィヴィは理解していたのだろうと刀奈は感心していた。