ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第131話「運命を変えた男」

諒兵はぼんやりと天井を見上げていた。

まどかは自分の母親を知っている。

あの態度から見る限り、娘のように育てられたのだろう。

そう思うと、如何な諒兵でも黒い感情が湧き起こってしまう。

何故、自分を捨ててまどかを育てたのか、と。

亡国機業にいたらしき母親。

少なくとも、まともな人間ではなかったのだろうと思える。

諒兵の知る限り、亡国機業は犯罪組織だ。

捨てられたというだけでも十分に恨みの対象なのに、その母親は犯罪組織にいた人間であるという。

どうしようもないほどに、恨みつらみが噴き出してくる。

まどかに非があるわけではない。

非があるとすれば母親のほうだ。

でも、どうしても、まどかのことを孤児院の兄弟たちのように見ることができなかった。

そんな諒兵の腹の上で。

すよすよとラウラが寝息を立てていた。

ラウラとしては諒兵が心配で傍にいたのだが、諒兵が無視しているうちに業を煮やしたのか、腹の上に横になり、そのまま眠ってしまった。

払い落とすこともできず、こうして横になっているのである。

「文句いわねえのかよ?」

『今のリョウヘイは一人にしておけませんから。我慢します』

半ば呆れた様子でレオに声をかけると、そんな答えが返ってくる。

諒兵のことが心配なのはレオも同じらしい。

ラウラが密着してても我慢できるほどに、諒兵の精神が危険であるということが理解できるのだろう。

『私にはあなたを引き止める力はありませんから』

「そこまで卑下すんな。お前にいわれりゃ十分考えるさ」

『いえ、物理的に』

「少しは信用しろよ」

暴走しそうになったらぶん殴ってでも止めるつもりらしい。

最近、妙にレオが過激になってきた気がする諒兵である。

そこに。

「諒兵ー、ラウラいるかな?」

「ああ。引き取ってくれ、マジで」

扉を開けて入ってきたシャルロットにそう声をかけたリョウヘイだが、シャルロットはすぐに回れ右をした。

「お邪魔しました。ごゆっくり。二時間くらい待てばいい?」

「笑えねえ冗談いうなっての」

ナニをすると思っているのだろうかと小一時間は問い詰めたい諒兵である。

「僕は別にかまわないと思うけど?」

「弾や鈴に殺されろってか?」

「弾は十分にリアルが充実してるよね?鈴は怒りそうだけど」

そういえば最近は本音や簪といるところを良く見かけるなと諒兵も納得する。

というか、こんな冗談をいってくるシャルロットに驚いてしまう。

耳年増なのは理解しているつもりだったが、あけっぴろげにこんな冗談をいうタイプではなかったはずだ。

そう思い、聞いてみると、こんな答えが返ってきた。

「僕はラウラを応援してるから」

「何だそりゃ?」

「鈴のことは嫌いじゃないし、結果としてそうなるなら納得もするけど、個人的にはラウラの味方をしたいなって思ってる」

転校してきてから程なく同室になったこともあり、シャルロットにとってラウラは親友であると同時に妹みたいな存在なのだという。

そんなラウラの恋を応援したいと思うのは当然のことだろう。

シャルロット自身は諒兵も、そして一夏も男友だちでしかないからだ。

だから、鈴音やラウラのことを邪魔する理由はない。

ただ、あえて応援するならラウラであるというだけのことだ。

ちなみに。

『私は当然ラウラの味方だ』

『私は中立よ。安心してリョウヘイ』

『リョウヘイの一番のパートナーは私です』

順番に、オーステルン、ブリーズ、レオである。

「何で俺の味方はいねえんだよ」

と、誰一人として自分の味方だといわないあたりに苦笑してしまう諒兵だった。

「それよか、ラウラを呼びに来たんじゃねえのか?」

「んー、急いでないからいいよ。それに、やっぱり心配だからね」

「お節介だな」

「今の諒兵には必要でしょ?」

一人にしてしまうと、どこにいってしまうかわからない状態なのが今の諒兵である。

シャルロットにしてみれば、諒兵も大事な仲間だ。

今回の件で、フラッとどこかにいってしまうようなことにはなってほしくない。

心配しているというのは間違いのない事実だった。

「心配しねえでも、どこにも行きゃしねえよ」

「それも確かに心配だけど、僕としては別のところが心配かな」

「じゃあ、なんだ?」

「諒兵、あの子に出会ってから無口になったよね」

確かに、シャルロットの言うとおり、まどかに出会って以降、諒兵はあまり喋らなくなった。

考え事をしているといえばいいのだろうが、実は一番心配なのは、考え事をしていること自体なのだとシャルロットはいう。

「考え無しよりゃいいだろうよ?」

「僕は時には考え無しのほうがいいと思うよ。だって、今の諒兵、愚痴もこぼさないんだもん」

それこそが一番心配なのである。

自分の心のうちに、ただ在るだけの感情をどこかに吐露していかないと、人は闇に落ちる。

愚痴をこぼすことは決して悪いことではない。

感情の整理をする上でも、愚痴というかたちで余計な澱を自分の中から吐き出すことは大切なことだ。

それをさせない人間関係ほど歪なものはない。

互いに愚痴を吐きあえるような、そんな人間関係も、人には必要なものなのである。

「ラウラはマジメすぎて受け止められないし、鈴はそういうところも受け止められるけど、今度は自分のうちに溜めちゃうからね」

「お前はどうなんだよ?」

「伊達に悪辣なんて呼ばれてないよ?」

シャルロットはこういった感情との折り合いの付け方が一番うまい。

溜め込むような環境で生きてきたからだ。

かつては嫌な面だと思っていたが、こういう役立ち方をするのなら、決して無駄ではなかったと思えるくらいだ。

「だから吐き出してよ。鈴やラウラ、一夏にはいえないこともあるでしょ?」

「……わりいな」

そういって、諒兵はため息をつく。

なんだかんだといって、今、自分の心を占める感情を吐き出す場所を求めていたことは確かだったからだ。

 

数十分後。

「なるほどね」と、シャルロットはため息をついた。

諒兵の愚痴を聞かされたことに別に嫌悪感はない。

むしろ、納得がいった。

「確かに、自分の苗字と母親の苗字が違うなら、そう考えられるね」

「日本人だから余計にな」

「でも、まどかって子の告白で、それだけじゃない可能性が出てきた」

「ああ」と、諒兵は今日何度目かもわからないため息をつく。

諒兵はもともとシャルロットに近い感情を持っていた。

何故か。

答えは簡単だ。

「自分とお母さんの苗字が違う。そうなると、お母さんは愛人か何かだったって思えるよね」

「だから、ろくでもねえ親父だったんだろうなって思ってたんだよ」

父は自分と母を捨て、母は育てられる自信がなく、自分を捨てた。

もともと諒兵はそう考えていた。

それが一番、思いつきやすい考えだっただけのことである。

「だからだろうな。シャル、お前と親父さんの話し合いを見たときはけっこう嬉しかったぜ」

「えっ?」

「両親に愛されてただろ。俺もそうだといいなって思えてよ」

そこで、羨ましいといった感情よりも、相手の喜びに共感できるのが諒兵のいいところだろう。

この点は一夏も似た面がある。

それが、一番最初にISを進化させた二人ならではの心なのかもしれないとシャルロットは少し嬉しくなってしまった。

しかし。

「だからよ、俺を捨ててまどかを育ててたことや、犯罪組織の人間だったってことが気に入らねえ」

「諒兵……」

「まどか自身は悪くねえってわかってる。ただよ、そういう組織の人間がまともだったと思うか?」

「……ごめん」と、シャルロットは「思えない」と口にすることを憚った。

そのくらい、心のまっすぐな諒兵にとっては衝撃的な出来事だったのだろうと理解できたからだ。

「役に立たねえから捨てたってのも、そう間違いじゃねえと思えるんだよ」

確かに、生まれたばかりの赤ん坊は犯罪工作をする上では邪魔にしかならないだろう。

自分の母親はそう考えるような人間だったのではないか。

諒兵には、そう思えて仕方ないのである。

そして、そう思うと、自身の父親に対する考え方も変わってくる。

「騙されて利用された男か。行きずりの相手か。同じ組織の人間か……」

「諒兵、自分を卑下しないでよ」

「卑下したくもなんだろ?まともな相手だったはずがねえんだ」

その言葉にシャルロットは反論できない。

犯罪組織にいた母親の相手が、まともな人間だったと考えるほうが無理がある。

そして諒兵は、そんな両親の血を引いた自分がまともな人間だとは思えないのだ。

「むしろ捨てられて良かったのかもな。まともな人たちに育ててもらったしよ」

「諒兵っ!」

「顔も知らねえ親に、今さら出てこられても迷惑なだけだ」

「諒兵はお母さんのこと、もっと知りたいと思わないの?」

本当に、興味がないのなら、こんなことはいわないだろう。

シャルロットはそのことを理解している。

理解しているだけに、諒兵の言葉が本音というよりは、自分に言い聞かせているように聞こえて仕方がない。

これ以上、自分の親に興味を持つ必要はない。

親のことを知ろうとするより、完全に忘れてしまったほうがいい、と。

しかし、それは真実から逃げているだけだとシャルロットは思う。

どんなかたちであれ、自分の親である以上は受け止めた上で乗り越える必要があるはずだ。

理想論かもしれないが、自分の本当の親のことを何も知らないままでいいとは思えないのだ。

犯罪組織にいたことは間違いないのだとしても、それだけで人間性まで勝手に決め付けていいとは思えないのだ。

「さっき僕とお父さんの話を見て嬉しかったっていってくれたじゃない」

「ああ。あんときはな」

「でも、僕はお父さんとちゃんと話すまで、本当のことを知らなかった。僕はお父さんだけになるけど、本当のことを知るまでは恨んでたよ」

でも、恨んでいたとしてもちゃんと話を聞いたことでその気持ちはなくなっている。

それは心のどこかで、父に対して自分への愛情を持っていることを願っていたからなのかもしれない。

シャルロットは父セドリックを完全に拒絶してはいなかったということだ。

だからこそ、話を聞くことができたのだ。

ゆえに、諒兵に対しても恨んでそのまま両親を拒絶するようにはなってほしくない。

「今日、博士が来るって聞いてるでしょ?」

「ああ。クソ兄貴、俺にもメール寄越しやがったし」

「聞かないままでいいはずがないよ。結果がどうなるとしても、まずは話を聞こうよ。辛いときは僕は友人として支えるし、ラウラなら『妻として』支えてくれるだろうし」

「そこはちょっと待て」

思わず突っ込んでしまう諒兵に、シャルロットは笑顔を見せていた。

 

 

そして。

ブリーフィングルームに、いつものメンバーが集合していた。

まだ、千冬と束、そして丈太郎が来ていない。

だが、数馬はすでに顔を見せていた。

「久しぶりだな」

「ああ」

「会ったのがもう随分前に感じるな」

「俺と諒兵はともかく、お前は会ってたんだろ、弾?」

IS学園は全寮制。

しかも、半分隔離しているような状態なので、ほとんど会うことはできないが、普通の高校に進学した弾と数馬は会えてもおかしくない。

もっとも。

「普通に会えるとしても、進学先が違えばなかなか時間が合わないものだ」

とのことである。

また。

「私もこうして会うのは久しぶりね」

「そうだな、鈴。こんなかたちで再会することになるとは思わなかったが」

中学時代は鈴音も友人だったので、そういった感想が出てくるのは仕方がない。

旧交を温めあうのは悪いことではないのだが、その場だけで話を進めるのは周りにとってはいいことではないだろう。

そう考えたらしく。

「……この中だと、一番最近に会えたのは僕になるのかな?」

と、シャルロットが割って入ってきた。

「そうなるな、シャル。フランスでは世話になった。感謝している」

「僕のほうこそ」

何故だか微妙に嬉しそうなのは余談である。

そんな話をしていると、唐突にブリーフィングルームのドアが開いた。

「揃ってんな」

「きやがったなクソ兄貴」

「すまねぇな。いうタイミングを計ってたんだよ」

顔を見せたのは丈太郎だけだった。

当然、諒兵が噛み付くが、さらりとかわしてのける。

「井波もいんのか」

「さすがに一夏君や織斑さんのことを他人事とは思いたくありませんからね」

「まあ、そういってくれんのぁ、ありがてぇやな」

そういってブリーフィングルームを見渡した丈太郎は、あるだろうと思っていた顔がないことに気づく。

「あーっとよ、更識の妹さんよ」

「はい?」

「おめぇさんの友人はどうした?」

「後で私が伝えます。ダメでしょうか?」

「ダメじゃねぇよ」

箒がいないのだった。

どうにもこうにも、一夏と鈴音がいる場所に顔を出すのをためらっているらしい。

これは千冬が苦労しているだろうなと丈太郎はため息をつく。

だが、いないからといって話をしないわけにはいかない。

この場にいる者たちにとって、重要な話をするためにきたのだから。

「そろそろ織斑と、篠ノ之の姉が来るはずだ」

「千冬姉、目を覚ましたのか、蛮兄?」

「あぁ」

「それで……」と、そこで言葉を濁す。

さすがに千冬に何らかの変化があると考えると、一夏としても気にならないはずがない。

ただ、どう聞けばいいのかわからない。

「そんなにゃぁ変わってねぇ。ただ、まどかのことぁ、思い出してる。直接聞いてみな」

「わかった。そうするよ」

「織斑にゃぁ、簡単に説明してきたんでな。先に始めんぞ」

痺れを切らしてるやつもいるしなと、丈太郎はため息をつくと話し始める。

諒兵の両親と一夏と千冬の両親の話を。

「まず気になってんのぁ、諒兵のおふくろさんか」

「亡国にいたらしいのはマジなのかよ?」

「あぁ、そいつぁマジだ。本名っつーか、コードネームもちゃんとある」

「コードネーム?」

「連中、本名で遣り取りするわきゃぁねぇかんな。組織内の名前だ」

と、鈴音の言葉に返事する丈太郎。

あっさりと諒兵の母親が亡国機業にいたことを認めるあたり、これはどうしようもない事実ということなのだろう。

場の空気が微妙になってしまうが、気にしていられないと話を続けていく。

「コードネームは『ファム』、組織内じゃ諜報員だったらしい」

「スパイってことか?」と、数馬。

「ああ。だからか、実働部隊より外に出ることが多かったみてぇだな」

実働部隊はいわゆる戦闘部隊だ。

戦闘がなければ外に出る理由はない。

逆にスパイ活動をするとなると、組織内にいるより、別の場所に潜入することのほうが多かっただろう。

そう考えると。

「だんなさまの父君とは、外で出会ったのですか?」

「あぁ」

「協力者か、それとも潜入するために利用されたか?」

そういって、どこか投げやりに聞いてくる諒兵の態度に丈太郎はため息をつく。

「その前に、一夏」

「えっ、俺?」

「お前の両親の話もしとく」

「なんでだよ。諒兵の気持ちを考えたら、先になんて聞けないよ」

そう答えた一夏に対し、丈太郎は首を振った。

しかし、一夏の言葉はこの状況では当然のものになるだろう。

まず諒兵の話から終わらせるべきだと思ったからだ。

しかし。

「無関係じゃねぇんだよ。一夏、おめぇと織斑の両親の出身は亡国になるかんな」

「なッ!」

『うそッ?』と、白虎までが驚きの声を上げた。

しかし、かまわずに丈太郎は話を続ける。

「父親のコードネームはティーガー、母親はアスクレピオス。亡国機業の実働部隊と研究員だったらしい」

「ちょっ、ちょっと待ってくれッ、何でそんな話が出てくるんだッ?!」

一夏にしてみれば、まさに寝耳に水といった話でしかない。

せいぜい、まどかがいつどうやって生まれたのかという話と、両親が消えた理由を聞くくらいだと思っていたのだ。

それが、両親が諒兵の母親と同じ亡国機業の関係者となると、一夏にとってはまったくの想定外となる。

「無関係じゃねぇっつったろ。おめぇたちが『生まれてこれた』理由に関わる話だ」

「うそだろ……」と、一夏は呆然としてしまう。

同様に、諒兵も呆然としていた。

まさか、一夏が自分と同じような両親の子どもだとは思っていなかったからだ。

ただ、ある意味救われてもいた。

自分だけがまともじゃない親からうまれたと思っていただけに、少なくとも同じ悩みを持つ仲間が、一夏という親友であったことは救いだった。

そして、ため息まじりに丈太郎は口を開く。

「そんなおめぇと織斑、そして諒兵が生まれたことに、一人の男が関わる」

「誰だ?」と、諒兵。

「日野諒一。生きてりゃぁ今四十六歳か。おめぇの親父さんだ、諒兵」

少し遠い目をした丈太郎に違和感を持ったのか、鈴音が口を開く。

「蛮兄、その人のこと知ってんの?」

「まぁな。俺も世話になったことがあらぁ」

「なにッ?!」と、さすがに諒兵も目を剥いた。

「知ってる限り、いいあんちゃんだった。だからこそ、平穏にゃぁ生きられなかった」

少なくとも、悪人を思う表情ではない。

そう感じた全員が、どんな人間だったのかと知りたくなる。

「お話いただけませんこと?その日野諒一様という方のことを」と、セシリアが促した。

「あぁ、正義感の強ぇ、叩き上げの刑事だったんだよ。だからこそ、織斑の両親や諒兵のおふくろさんのことをほっとけなかったんだろうなぁ」

どこにでもいそうな一人の刑事が、後の運命を少しだけいい方向に変えた。

そんな話だと丈太郎は呟いた。

 

 

 

 


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