ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第133話「手のひらに届いた想い」

検死結果を見せてもらった諒一は、驚きを隠すことができなかった。

「間違いないんですか?」

「はっきりいって推測ですらありません。想像、いえ、妄想といってもいいでしょう」

そう答えた法医学者に、諒一は複雑な表情を見せる。

要するに、まったくわけがわからないから、適当にでっち上げたということだ。

「死体から得られる情報そのものは間違いありません。ただ、こんな殺し方ができる道具が思いつかないのです」

「なるほど」と、そういって再び検死結果に目を通す。

単純にいうと、火傷なのだ。

内臓のほとんどが焼かれているのだという。

しかし、外傷はほとんどなかった。

銃創のような痕から、小さな雷が侵入し、それが体内を焼き尽くしたことによって死亡したということになっている。

「自然現象なら稀にあるのです。雷が体内を通り、体内を焼くという現象自体は」

「へえ、初めて聞きました」

「滅多にあることではないので。ただ、それを人為的に起こす。しかも雷が抜けた様子がないので、体内を焼き尽くした後、霧散したということになります。そうなると……」

「雷か電気の銃弾を撃ち込んだという話になってしまうんですね」

と、そういいつつ、苦笑いしてしまう諒一に、法医学者も苦笑いしてしまう。

「こんな道具、いや兵器があるとしたら恐ろしいですよ。少なくとも知っている範囲でこんな兵器を開発したという話は聞きません」

「ですよね。俺も聞いたことがありません」

「あの死体、身元も不確かですし、まともな事件ではない気がしますね」

そういって苦笑する法医学者を見て、犯人を見つける云々では、この事件は収まらないと諒一は感じていた。

 

 

その日の午後、諒一は一人で事件現場に赴いた。

平刑事にできるのは、少しでも情報をかき集めることだ。

そうなると、時間があるなら、まず現場に赴くべきということができる。

現場百回。

見つけるつもりで通えば、何かが見えてくる。徳さんを含め、先輩の刑事たちはそういっていた。

「死体にも、この倉庫にも引きずった跡はなかった。つまり、ここが殺人の現場でもある……」

余程丁寧に置かない限り、宙を浮かせたとしても、必ず死体を置いた跡は残る。

その痕跡がないということは、死体は遺棄されたわけではない。この場所で殺人が行われたということになる。

しかし、周囲の聞き込みを行っても、銃声はまったく聞こえなかったという。

普通に考えれば、サイレンサーを使ったということができるのだが、そもそも検死結果を見るとまったく別の死因だ。

何か、異常な音が聞こえなかっただろうかと別の角度から聞き込みをしているが、それもなかった。

「雷が落ちたような音でも聞こえたかと思ったけど、それもなしか……」

また、不審人物を見かけたかどうかの聞き込みも行っている。

しかし、被害者を含め、不審人物がこの近くを訪れたところを見たという話は聞かない。

「何一つ証拠がないってのもすごいな……」

被害者は身元を特定するようなものは持っていなかった。

それどころか、手荷物の類はすべて持ち去られていた。

そうなると、想像したくはないが、殺人のプロの犯行といってもいいだろう。

そんな人間がこの町を闊歩しているなどとは考えたくないのだが、そう考えてしまう。

そんな不安を取り除きたい。

諒一はそう思い、現場を荒らさないように気をつけつつ、死体のあった廃倉庫の中を歩き回り、何かないかと探し続けた。

そして数時間後。

「何だこれ?」

廃倉庫の入り口。向き出しの軽量鉄骨の裏に隠されるようにして貼り付けられていたものを見つけ出す。

何か意味があるのだろうか。

もともとが倉庫なのだし、使っていた企業の人間が残していただけの可能性もあるが、だからといって捨て置くことはできない。

そう考えた諒一は丁寧に剥がし取った。

貼り付けられていたのは一枚のメモ用紙。

書かれていたのはURLらしき文字列と、意味を感じない文字の羅列。

「どこかのアドレスとパスワードなのか?」

何か、意味があるかもしれない。

そう考えた諒一は、そのメモ用紙を証拠として取り扱い、署まで戻るのだった。

 

 

鑑識に調査を依頼して、いったん課に戻る。

すると、声がかけられた。

「何か見っけたか?」

「どうでしょうね。意味があるものならいいんですが」

「なんでい?」

「たぶんパソコン関連のものだと思うんで。鑑識さんにはそう伝えてあります」

声をかけてきた徳さんにそう答えた諒一は、廃倉庫で拾ってきたものについて説明する。

死体から証拠になりそうなものが出てこない以上、現場で見つけたものに対しては、どうしても期待してしまう。

それでも、正直にいえば、あまり期待できるものでもないと感じていた。

「せめて身元が割れればいいんですけどね」

「このままじゃ無縁仏いきだからなあ、あのホトケさん」

遺族の元に返してあげられればと思うが、それもわからないのだ。

あまりいい気分ではない。

といって、遺族が泣き伏す様を想像すると、返すのもどうかと思うのだが。

いずれにしても、このまま何もわからなければ最悪迷宮入りとなる。

事件が解決できないのは自分たちの力の無さゆえだと恥じればいい。

恥じて、自分たちを鍛え直せばいい。

しかし、死体の身元がわからず、無縁仏として葬るというのは、人の子として申し訳ない気がしてしまう。

せめて、両親に遺体を届けてあげられるよう、身元がわかればと諒一は願っていた。

しかし、その期待は思いもよらぬかたちで裏切られることになる。

 

 

数日後。

鑑識に呼び出された諒一と徳さんは、パソコンの画面にずらりと並んだ顔写真に驚愕してしまう。

「えらくまた大勢いやがんなあ」

「これはいったいなんですか?」

「何なんでしょうなあ」

随分と頼りない返答が返ってきてしまい、諒一も徳さんも微妙な表情になる。

とはいえ、この顔写真自体にさほど意味はないらしい。

見知った顔がある可能性もあるが、それよりもまず、ここに行き着くまでがおかしかったという。

「日野さんの予想通り、ありゃURLとパスワードでした」

「なるほど。それでこのページが?」

「いや、最初の」

「は?」と思わずマヌケな顔を晒してしまう。

話を聞いてみると、あの文字列と文字の羅列で確かにあるサイトには入れたというのだが、そのサイトはさらに別のサイトへの入り口のヒントがあるだけだったという。

「それを九十九回繰り返したんですわ……」

「はあっ?!」

「恐ろしく手が込んでてねえ。最初から途中まではふざけてるのかと思いましたよ」

何しろ、延々同じことを繰り返すのだから、撃退する上でこれほど効果的な障害はない。

だが、それを根気で乗り越えると重要な謎があったということだ。

「ここまでして隠す情報ですからねえ。必ず見知った顔があるはずですわなあ」

「力を貸せってことですね?」

「犯罪者、被害者、市民。どんな人でもいいので、何か変わった人がいるかどうか、探してみてくださいよ。私もやりますんで」

諒一は苦笑いしつつ、どことなく疲れた顔をした徳さんと共に肯いた。

何しろざっと見ても軽く千人を超えている。

これは根気のいる作業になりそうだということが、いやでも理解できるからだった。

そして。

「織田深雪?」

「一部では有名でしたねえ。若き天才薬学者。同時に期待されていた人材でもありますよ」

「あんま聞き覚えがねえなあ」

そう呟く徳さんだったが、実のところ諒一も同じだった。

あまり有名人だとは思えない。

そう感想を述べると、鑑識課員は苦笑いを見せる。

「男にゃ縁遠い話なんですが、女性には捨てて置けない話だったんですよ」

「そうなんですか?」

「障碍児を生まないようにするための研究をしてた女性研究者なんですわ」

ほうと、思わず感心したような声を漏らす。

もっとも男にとっても別に縁遠い話でもないだろう。

ただ、この女性の研究内容だと、母親側を重視し、逆に男性に重きを置いていなかったようだ。

不妊症や障害に関しては、女性だけの問題ではなく、男性の問題も多い。

特に不妊症は、男性の無精子症が原因であることも多いのだ。

そういった点から考えると、織田深雪なる女性の研究は片手落ちな気がしないでもない。

「まあ、女性ですからねえ。女性側から研究するのは悪いことではありませんよ」

「確かにそうですけどね」と、諒一は苦笑してしまう。

すると。

「つうか、問題はそこなのか?」

どうも話が逸れているように感じたのか、徳さんが口を挟んできた。

「ああ。忘れるとこでした。この女性、八年前に行方不明になって、今では死亡扱いされてるんですわ」

当時十八歳だと鑑識課員は説明してくる。

その年で情報が残っているとなると、おそらくは早くから将来を嘱望された研究者だったのだろう。

鑑識課員が見せてきたパソコンの画面には、当時の新聞の切り抜きが映しだされた。

ある夜を境に、忽然と姿を消したと書いてある。

様々な憶測が流れたそうだが、結局真実は闇の中だと鑑識課員は締めくくった。

「そんな人の顔写真ですか……」

「最初に見つかったのがこの人だけで、他の人も行方不明者の可能性が高いと思いますねえ」

「おい、まさか……」

「これ、様々な研究者や博士で、行方不明になった人たちのリストの可能性がありますな」

そう答えた鑑識課員の言葉に、二人は言葉を失った。

 

数十分後。

課に報告を行った諒一と徳さんはため息をつく。

「お前さんの冗談が当たっちまったなあ」

「ああ。小説じゃないんですからって言いましたっけ、俺」

「ミステリじゃなくて、SFだったけどなあ」

そういって笑う徳さんを見て、うまいことをいうと感心してしまう。

実際、ミステリ小説ではなく、SFの世界だ。

今の世界にはありえない兵器が、どこかに実在しており、様々な研究者たちが行方不明になっている。

これが妄想ではなく事実であるとするならば……。

「マンガに出てくるような犯罪組織でもあるんですかね?」

「よせやい。そんなのと関わる羽目になったら命がいくつあっても足りねえや」

はは、と、諒一はごまかすように笑う。

一介の平刑事でしかない自分が関わるのは、痴情のもつれによる殺人くらいが関の山だ。

国家を巻き込むような犯罪など、自分たちとはまさに世界が違う。

世界を救おうなんて諒一は思っていない。

目に映る範囲だけであっても、困っている人を放っておけないから刑事になっただけだ。

だが、不思議なことに、この事件が妙に心に引っかかる。

「俺の周りで何が起こってるんだろう……」

ゆえに、そんなことを誰にも聞こえないように呟いていた。

 

 

 

亡国機業。

どのくらい前から存在するかはわかっていないが、その目的ははっきりしている。

兵器の流通である。

ただし、裏側という注釈がつくが。

軍隊からテロリストまで商売相手を選ばずに兵器を流しているだけではなく、開発まで行っている。

いうなれば死の商人の組織ということができる。

扱う金の大きさが半端ではないため、当然組織も巨大だ。

母体となったのは、あくまで噂に過ぎないが、各国の軍需企業ではないかとも考えられている。

兵器を売る相手を失くさないための組織。

そんな馬鹿げた考えも、ここにいれば納得してしまう。

「逆に、そのくらいじゃないと納得できないわね……」

アスクレピオスは一人でパソコンに向かっていた。

彼女の研究。

すなわち女性の母胎を利用して、優秀な兵士を生むという計画は、最初の被験者である彼女自身や生まれてきたスノーを見る限り成功といえる。

実験が成功したならば、今度は量産することを考える必要がある。

そのための研究を行っていた。

しないわけには行かないからだ。

ある程度の成果を出していかないと、不用品として廃棄される。

ここでいう廃棄とは元の場所に戻れるということではないことは、誰にでもわかるだろう。

要は用済みとして殺されるか、人体実験が必要な研究の素材になるかということだ。

(私はもうどうしようもない。言い訳できる立場でもない。でも、『千冬』だけは……)

本音をいえば、自分も平穏な暮らしをしたいという願望はある。

しかし、研究の結果としてスノーという子を産んだ以上、もう亡国機業の研究員であることを否定はできない。

ゆえに、せめてスノーだけでも逃がせられないか。

アスクレピオスはそう考える。

しかし、手立てがまったく思い浮かばない。

そもそも拉致された研究者である自分は、この場所から外に出ることができないのだ。

どうすればいいのだろう。

そんな堂々巡りの思考に陥っていたアスクレピオスだが、メーラーに反応が出ていることに気づいた。

考え込んでいて見逃してしまったらしい。

本来、このメーラーは外にはつながっていない。

だが、組織の中で自分に必要な情報が来たときは、知らせが来るように設定してあった。

そう、彼女にとって、この情報は必要なものだった。

(この内容……、確か研究者リスト……)

ソフトウェアエンジニアが、おふざけで作ったという研究者リスト。

くだらない問答を九十九回続けることで、ようやくたどり着ける場所。

そこに、外からアクセスがあった場合のみ、アクセス解析の知らせが来るようにしてあった。

もっとも期待などしていない。

九十九回もくだらない問答を繰り返して、ここまで辿り着くような暇な人間がいるなどとは思っていなかったからだ。

だが。

(警察っ!)

アクセスしてきたのは、日本の警察。

まさかそんなところからアクセスしてくる可能性があるとは夢にも思わなかった彼女は、すぐに仕掛けを起動する。

メールなどの真っ当な方法では連絡できない。

ゆえに、サーバーに直接情報を送り込むための仕掛けを、同じように拉致されてきた『仲間』に作ってもらっていた。

その仲間は既にこの世にいないが。

(行ってっ!)

キーボードを叩いたアスクレピオスはすぐにパソコンの電源コードを引っこ抜く。

わざと荒っぽい方法で、壊れること覚悟した上での仕掛けだ。

少しでも証拠が残ってしまうとご破算である。

ゆえに、このくらいのことをするのに躊躇は無かった。

(お願い届いて。私のメッセージ……)

それは蟻の一穴に過ぎないかもしれない。

ただ、せめてこんな場所で望まない研究を続けさせられてきた自分たちの想いを伝えたい。

そしてできるなら、スノーを自由な世界で遊ばせてあげたい。

そんな想いを乗せた仕掛けは、確かにそこに届いていた。

しかし、届いたからといって、望むような結末に至れるとは限らなかった。

 

 

数日後。

諒一は鑑識課員から、あるメモを受け取っていた。

「情報はこれだけです。手書きですから、失くせば復旧はできませんよ」

「すいません。わがままいってしまって」

「いいんですよ。どうもね、このまま終わらせるのは申し訳なくて」

「まあ、一気に事態が動くかと思いましたからね」

「動いたことは間違いないでしょう。こんな所轄に圧力がかかってくるとは思いませんでしたがね……」

数日前、署内のサーバーに出所不明のデータが書き込まれた。

その内容は、世界を股にかけるような驚くほど巨大な組織があること。

そこに数百人以上の拉致された研究者などがいること。

データの送り主はそのうちの一人で『織田深雪』と名乗ったこと。

そして、その送り主と安全にやり取りできる唯一のアドレス。

それらが書き込まれ、署内は大騒ぎになった。

すぐに警察庁上層部まで伝達がいったが、その結果、返ってきたのはイタズラ紛いのハッキングであっただろうという答えだった。

さらに、捜査中の殺人事件も、これ以上は進展の見込みがないということで捜査本部解散となった。

「相手がどんな連中か、正直想像がつきませんよ。深追いはすべきじゃないでしょうな」

「それが、正しい答えなんでしょうね……」

一介の平刑事でしかない自分に、何ができるわけでもない。

だから、諒一も諦めようと思った。

思ったのだが、データに書かれていたメッセージを読んだとき、心に残った一文があった。

 

『この子に青空を見せてあげたい』

 

データの送り主は自分のために動いているのではなく、とても大切なナニカのために行動したのだ。

その想いを踏みにじることなど、諒一にはできなかった。

ゆえに、未練がましいとはわかっていても、書き込まれたデータを個人的に受け取ったのである。

 

そんな諒一の手のひらこそが、送り主が想いを届けたいと願った場所だったのかもしれなかった。

 

 

 

 


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