ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第135話「一歩目の勇気」

我ながら最低の母親だ。

幹部を前に意見書を提出したアスクレピオスは、自分自身にそう毒づいた。

「確かに早い段階から活用できるならそれに越したことはないな」と、幹部の一人が感想を述べる。

「身体能力は十分。一般人の暗殺程度なら既にこなせるだろう」

「早いうちから戦闘になれておくことは兵士として悪いことではない」

そう、次々と同意の言葉が並べ立てられる。

正直にいえば、アスクレピオスはこの意見書が通らないでほしいという気持ちを持っていた。

人道など端から捨て去っている亡国機業だが、最低限のモラルくらいはあってもいいだろうと思ったからだ。

しかし、意に反して、意見書に否定的な幹部がいる様子がない。

つまり、最低限のモラルもないということだ。

兵器売買。

そのためだけに肥え太った組織なのだから、むしろコレは当然の結果なのかもしれないと内心でため息をつく。

「いいだろう。スノーに一件、暗殺の仕事を任せよう」

「感謝致します」

「しかし、同行者は君一人というのはいただけない」

「……はい」

予想通りの答えが返ってきたので、動揺はしない。

ただ、できれば、という思いがあったのだが、それは容易く砕かれた。

「ティーガーをつける。下手な気を起こさんことだ。アスクレピオス」

「了解致しました」

さて、どうやってあの男を出し抜くか。

アスクレピオスは決して策略家というわけではないが、その優れた頭脳は凡人よりも遥かに優れた作戦を立てられる。

(これも『千冬』のため。絶対に成功させる)

スノーに平穏な生活を。人としての幸せを。

その願いを叶えるため、アスクレピオスはただ素直に頭を下げていた。

 

アスクレピオスの計画は、余計なものを排除したスノーの脱出計画だ。

つまり、最悪自分が殺されるか、連れ戻されるとしても、スノーだけは安全圏まで逃がす。

メールの相手がどこまで信用できるかわからないが、それでも亡国にいる人間よりは遥かにましだろう。

ゆえに、メールの相手にスノーを託すというのが、計画の概要だった。

アスクレピオスは手の中の小さな機械を見つめる。

脳の信号と同期することで、相手の記憶を操ることができる機械。

本来は、スノーが持つ亡国での兵士訓練の記憶だけを消すつもりで拝借したものだ。

しかし。

(スノーが私のことを忘れたとしても、あの子の幸せには替えられないものね……)

自分も一緒に逃げる算段は立てている。

だが、それが叶わない場合、スノーの記憶を操作して自分のことも忘れさせるつもりだった。

犯罪組織にいた記憶など、平穏に生きるうえでは必要ない。

自分が実の母親だとしても、否、母親だからこそ我が子の負担にはなりたくない。

それは当たり前の母としての想いだった。

 

 

亡国機業内部にて、そんな動きがあった数日後のこと。

諒一は会えばケンカばかりとなったたばねと丈太郎をなだめつつ、苦笑いしながら孤児院『百花の園』の門をくぐる。

「こんにちは」

「あらあら、こんにちは」

と、相変わらず品のいいお年寄りといった風情を崩さない園長先生に感心しつつ、丈太郎を引き渡す。

「最近は良くその子を連れてきますね」

園長先生がたばねに視線を向けて尋ねると、諒一は再び苦笑した。

「いろいろと助けてもらってるんですよ」

「そうなんですか。優しい子ですねえ」

そういって撫でる園長の手を、不思議とたばねは振り払わない。

というか、たばねはどこか呆けた様子でなすがままにされていた。

たばねが扱いが難しい少女であることを理解している諒一はそれだけで驚きを隠せない。

「すごいですね」

「別におかしなことはしてませんよ?」

「いや、なんていうか……」

やはり多くの孤児たちの面倒を見てきた実績だろうかと感心してしまう。

「お茶を入れてあげましょうね。丈太郎、他の子たちも呼んできなさいな」

「わかった」と、丈太郎も園長先生のいうことは素直に聞く。

亀の甲より年の功とはよく言ったものだと諒一は感心するばかりだった。

 

丈太郎は年下の孤児たちと一緒に遊んであげている。

たばねは園長先生の蔵書に興味を持ったらしく、現在は読書に没頭中だ。

そんな中、諒一は。

「鋭いんですね」

「年の功ですよ。いろんな子たちを見てきましたから」

悩んでいることを悟られ、仕方なく園長先生相手に相談を始めていた。

それは『織田深雪』なる人物からのメールの内容についてである。

一番新しいメールには『娘を遊びに連れて行きます』と書かれていたのだ。

その内容だけでは、相手がどういう状況にあるのかはわからない。

だが、メールの主は決死の思いで自分の元に大事な人を連れてくるだろうことは感じ取れた。

だとするならば、相当に危険な相手から逃げ出そうとしていることがわかる。

ゆえに、どうすれば助けられるだろうと悩んでいたのだ。

自分に強大な存在を相手にできる力などない。

でも、メールの主の願いを叶えられるなら叶えたい。

それは、自分にはあまりに無謀な挑戦としか思えないのだ。

「状況にもよりますが、力になる方法はあると思いますよ」

「本当ですか?」

「敵を無理に倒そうと考えるよりも、その人たちに平穏な生活を与えることを考えればいいのですよ」

決死の思いで逃げ出してくるというのであれば、逃亡生活にも耐えられるだけの覚悟はあるだろうと園長先生は語る。

その手助けをするのに、戦闘力は必要ない。

むしろ、知恵こそが必要となる。

「恥ずかしながら、俺はそこまで頭がいいわけでも……」

「力も知恵も誰かに借りればよいでしょう。日野さん、貴方がするべきは貴方の勇気をその人たちに分けてあげることなんですよ」

たった一歩かもしれない。

しかし、その一歩を諒一が踏み出したことで、運命が少しだけ変化した。

その変化を途中で止めてはならない。

未来に何があるとしても、今はそのまま歩みを止めないように引っ張ってあげることが大事なのだと園長先生は語る。

「俺の勇気……」

「それが、貴方の一番大事な、そして一番の力なのだと思いますよ」

「そういってくれると嬉しいです」

それだけでも力になれるというのであれば、誰かに力を借り、メールの相手を、そしてその人が娘と呼ぶ人を助けよう。

きっとそれは、少しだけでもいい未来につながるはずだ。

そう、諒一は決意する。

すると、園長先生はにっこりと微笑んだ。

「では、私が少しだけ力をお貸ししましょう」

「えっ?」

「お話の件に強そうな伝があります。話を通しておきますから、後は日野さんが連絡を取ってくださいな」

「わかりました。ありがとうございます」

諒一が頭を下げると、園長先生はメモ用紙にさらさらと文字と数字を書き連ねる。

そこには電話番号らしき数列と、『更識楯無』という少々変わった名前が書かれていた。

 

 

 

かつての自分の名前が出てきて刀奈は面食らってしまっていた。

簪も同様である。

出てくるということは前もって聞いていたとしても、こんな形で出てくるとは思わなかったからだ。

というより。

「何者なんですか、その園長先生?」

と、簪が尋ねる。

当然だろう。

暗部に対抗する暗部である『更識』に、孤児院の園長が伝など持っているはずがない。

偽者だとしても、『更識楯無』は本来周知されるような名前ではない。もともとは裏の存在なのだから。

ゆえに、今と違い、一般人が知っていること自体が異常なのだ。

ゆえに簪は尋ねた。

だが、刀奈はそう考えたことで思い当たることが一つあることに気づいた。

「博士、園長先生の本名を知ってますか?」

「……『高島理(たかしま さとり)』だ」

「やっぱり……」

「おねえちゃん?」

「何か知ってんのか、生徒会長?」

納得したような表情を見せた刀奈に、簪が、そして園長は自分にとっても知り合いであるがゆえか、諒兵が問いかける。

「日本やアメリカなどの国々を渡り歩きながら戦後の混乱期を生き抜いた女傑よ。独自の剣術、というか抜刀術なんだけど、剣一本で千に届くほどの荒事を収めてきたとんでもない人」

更識家が何度となく戦い、時には共闘した女性でもあると刀奈は語る。

裏社会では伝説とまでいわれる女傑である、と。

「織斑先生の前でいうのもなんだけど、全盛期なら、たぶん、今ここにいる誰も勝てなかったでしょうね。まさしく世界最強の女性といってもいいくらい。私はお父様から話を聞いただけだけど」

「お父様も知ってるの?」

「世話になったことがあるって話してくれたわ。私がもう少し早く生まれてたら、修行を見てほしかったって」

かつて諒兵が語ったとおり、今から十年ほど前に老衰で亡くなっている。

当時刀奈は七歳だ。

修行を見てもらうには、まだ幼いといえるだろうし、幼子に厳しい稽古をつけるような人ではなかったのでできなかったのだろう。

ただ、それだけに刀奈はその人物についての話はよく聞いていたらしい。

「高島(こうとう)流抜刀術と名付けた光速の抜刀術は、斬られた相手が真っ二つに斬られたことに気づかないまま、バランスを崩すまで普通に歩いたとまでいわれてるわ」

「ファンタジーやオカルトじゃないんだから……」と、鈴音は呆れた様子を隠せない。

さすがに眉唾ものの伝説だが、逆にいえば、そんな伝説ができるほどの抜刀術、すなわち居合い抜きを使えるということなのだろう。

「更識のいってることがどこまで事実かぁ知んねぇが、ばあさんぁ確かに裏に顔が利いたらしぃ」

「マジかよ。おばあちゃんがそんなだったなんて全然知らなかったぞ?」

「まぁ、俺らが知ってるばあさんぁ、ちぃと品のいい、ただのばあ様だったかんな」

と、呆れ顔の諒兵に対し、丈太郎は苦笑する。

このことについては園長先生の死後に調べて知ったことだという。

つまり、当時はまったく知らなかったということだ。

「ちなみにここで出てきた楯無ぁ更識たちの親父さんだ」

「お父様が……」

「諒一の旦那と特別に知り合いになったわけじゃぁねぇが、力ぁ貸してくれたそうだ」

「ホント、いろんなところに縁がありますね」

と、シャルロットは感心しながら呟く。

こうして、今、ここにいる者たちが、親の代からそれなりに縁があったと思うと不思議といえるのは当然かもしれない。

だが、逆にそういった積み重ねが、今という時代を作っているのだと思うと、世界がそう簡単に変わるものではないということも理解できる。

「世界は特別な誰かが作るんじゃなくて、いろんな人たちみんなで作るってコトだね」と、束がしみじみと語る。

いろんな経験を経て、世界を変えたように見えて実はそうではなかったことも、束は素直に受け入れられるようになっていた。

それが理解できた千冬はただ優しげに微笑む。

「いずれにしろ、それで一気に話が進むことになる。んじゃぁ続けんぞ」

そういって再び丈太郎は口を開いた。

 

 

 

スノーの初仕事は、日本の政治家の暗殺であった。

ただの政治家というだけならば問題はないのだが、国でも有名な穏健派。

特に軍縮に熱心なタイプで、世界平和のため軍備放棄まで謳う極端さが、亡国のみならず国内の兵器産業からも敵視されている。

結果として、それが命を狙われる原因でもあった。

幸いなことに、まだ大臣職にまで至っていないため、SPなどはついていない。

面倒な存在になる可能性がある者は、眼のうちに摘んでおこうと考えた人間がいたということである。

現在は夕刻。

その日の職務を終え、帰宅の途を狙っての暗殺である。

現在のスノーの技術でも、擦れ違いざまに首筋、特に喉笛を狙って小さな毒針を投げ、殺すくらいは可能だ。

そして、子どもが通り過ぎる程度で警戒するような危険な国ではない。

初仕事としてはシンプルケースといえるような、簡単な仕事だろう。

もっとも、アスクレピオスはこの仕事を成功させるつもりはなかった。

スノーの手には一滴も血をつけたくない。

だが、止められるかどうかはメールを返してきた相手を信頼するしかなく、臍を噛む思いで双眼鏡を覗き込んでいた。

(ティーガーは反対位置で見ているはず。失敗した場合は撤退を命じられてる。チャンスは一度きりしかないわね……)

失敗した瞬間を狙い、スノーを拉致させる。

相手が警察官らしいことが幸いしている。

いかに幼子とはいえ、暗殺未遂なら確実に補導されるだろう。

先に警察官が抑えたならば、ティーガーは見捨てるはずだ。

そうすれば、皮肉なことにこの国の司法が犯罪者としてスノーを保護する。

未遂ならイタズラで済む可能性もあるし、情状酌量の余地は十分にあるはずだ。

とはいえ、実の子に暗殺の仕事をさせようという時点で本当に最低な母親だとアスクレピオスは感じているが、それでも他に方法がない。

今は、この方法が成功することを祈るしかなかった。

そして、双眼鏡の向こうの光景に変化が現れた。

 

スノーは驚愕していた。

教官からも、同行して来たティーガーからも、簡単な仕事だといわれていた。

頑張れば、またアスクレピオスが、母が褒めてくれる。

そう思って、この簡単な仕事を確実に成功させるつもりだった。

子どもらしく、純粋な思いでこの仕事に臨んだのだ。

しかし。

「こうして傍観者の立場になると、異常なことが理解できるな」と、ため息まじりの呟きが聞こえる。

どこか諦観した様子の、切れ長の目をした青年が、自分が投げた針をたった二本の指で挟み、止めてみせた。

これだけのことができる者は、自分が暮らしている場所でもそうはいない。

それだけで十分にこの青年が異常であることが理解できた。

「なにかあったのかね?」とターゲットが青年に問いかける。

「遊んでいたのでしょう。ただ、この子の投げた小石が先生に当たりそうでしたので止めました」

「無礼な子だな。謝りたまえ」と、穏健派というわりには居丈高にターゲットが睨みつけてくる。

「子どものやることです。今回は許してあげては如何です?」

「躾は重要だ」と、いうセリフをターゲットは最後まで口に出すことができなかった。

突然現れた男が振るってきた拳を青年によって無理やり避けさせられたからだ。

「ひっ!」と、腰を抜かした様子のターゲットには目もくれず、青年は男と対峙する。

「これは想定外だったな」

どうやら、青年はこんな事態になるとは思っていなかったらしい。

黙したまま襲いかかる男相手に冷や汗をかく。

この男相手ではまずいと考えた青年は、すぐに叫び、そして驚いた。

「「早く逃げろッ!」」

同じセリフが重なったからだ。

青年はターゲットの政治家に、そして男は少女に。

ターゲットは慌てた様子で、そして少女もすぐに逃げ出す。

何故なのか。

何故、わざわざこの男は少女を助けるようなまねをするのか。

そんなことを考えるヒマがないほどに、苛烈な攻撃が襲いかかってくる。

無手であるにもかかわらず、急所を狙う攻撃は、下手をすれば死にかねない。

(後で師範に文句をいっておこう)

そんなことを考えながら、待機しているはずの依頼主がうまくやってくれることを青年は期待していた。

 

アスクレピオスは待機場所を出て、走り出した。

スノーは今、逃走中だ。

ただし、目的地はアスクレピオスが期待している場所ではない。

亡国機業に戻るための待ち合わせ場所になる。

それではダメだ。

そこからこそ、逃げなければならないのに、そこに逃げ込んでは意味がない。

ゆえに、スノーを捕まえるために走る。

ただ。

(あの人がメールの相手?)

双眼鏡で見えた青年はあのティーガーと互角に戦っている。

あれがただの警察官であるはずがない。

戦闘力は期待以上だが、メールの相手に感じた優しさは、それほど感じられない。

だとすると、メールの相手が依頼したのだろうと考えられる。

ならば、近くに本人がいるはずだ。

我が子を預けることになる以上、せめて一目だけでも顔を見たい。

できるなら、その人となりを確認しておきたい。

その一心でアスクレピオスは走り続けた。

 

 

 

 

 


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