IS学園の一室で。
興味を失くしたかのように横になる少女に、ヴィヴィが嗜めるような声を出した。
『まだ終わってないー』
「もういい。姉さんのパートナーだというから我慢したが、私はもともとISが嫌いだ。出て行ってくれ」
と、少女、すなわち箒はにべもない。
『イチカの話だけ興味持つの良くないー』
「……更識と同じことを言うんだな」
以前、簪にいわれたことを思い出し、箒は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
一夏の出生にも関わると聞き、話を聞こうかと考えた箒だが、鈴音も顔を出すというので止めた。
どうしても、鈴音に対しては対抗意識が勝ってしまうからだ。
後で簪が説明してくれるというので、自室で待つことにした箒だが、そこにヴィヴィが現れ、中継して直接話を聞かせるといってきた。
ISコアであるヴィヴィが勝手に入ってきたことには憤りを感じた箒だが、一夏の出生に対する興味と、ヴィヴィは束のパートナーであるということから、とりあえず話を聞くことにしたのである。
もっとも、それが終われば興味はないとさっさと横になろうとしたところで、ヴィヴィに窘められたのだ。
『ホウキはちゃんとイチカのことを知るべきー』
「出生の話なら全部聞いたぞ」
『全部じゃないー。全然イチカのことわかってないー』
確かに一夏の出生の話までは終わった。
だが、一夏を知るというのなら、その親友兼ライバルである諒兵のことを知らないままでいいはずがない。
一夏は両親から生まれたことで完成したわけではない。
今日に至るまでの人との関わり、つながりの中で成長している最中にある。
そして、一夏なら諒兵の出生に興味を持つのは当然だろう。
一夏が知ったことと同じことを知り、そのうえで一夏と自分の感じ方、考え方が違うということを受け入れて初めて一夏を知ったということができる。
『ホウキー、いい加減自分と向き合えー』
「何ッ?!」
『いつまで経っても逃げてるからー、全然成長しないー』
ヴィヴィがそこまで踏み込んできたことに箒は少なからず驚く。
「姉さんの指図か?」と、剣呑な視線を向ける箒。
しかし、ヴィヴィは否定してきた。
『違うー、ママ忙しいのにー、ずっと心配してるのかわいそうだからー』
束が今一番幸せを願っているのは箒なのだとヴィヴィは言う。
ずっと見当違いの方向に進んでいたが、ようやく人として、姉としてマトモに心配できるようになった束は、誰よりも先に妹である箒に幸せになって欲しいと願っていた。
その願いを知っているから、ヴィヴィは箒に嫌われることになろうとも、あえてそこまで踏み込んだのだ。
『他のみんなは自分のパートナーのことで手一杯ー』
ならば、束のためにも、自分が箒の心の踏み込まなければならない。ヴィヴィはそう考えて発言したのだ。
『ホウキはみんなに甘えてるー』
そう告げるヴィヴィに対し、箒は何も答えない。
『でもー、そんなんじゃいつか呆れられるー』
答えない箒に対し、それでもヴィヴィは続ける。
『自分に勝てるの自分だけー。それに負け犬に優しくする人いないからー』
哀れまれるだけだと。
本質的には見下されるのだと。
はっきりそう告げるヴィヴィに対し、箒は横になったまま、ただ一言、怒鳴るように答えた。
「勝手にしろッ!」
『なら俺の歌を聞けー』
「歌うなッ!」
最後にオチをつけるあたり、微妙におかしな影響を受けているヴィヴィだった。
遥か空の上。
ティンクルはその姿を現したまま、ディアマンテと共にのんびりと宙に浮いていた。
端から見ると眠っているように見える。
もっとも、眠っているわけではないらしい。
「一夏の出生には、こんな秘密があったのね」
『オリムライチカ、オリムラチフユ、そしてオリムラマドカはアスクレピオスという方が作った薬剤の効果により、普通の人間よりも優性遺伝子が強いのでしょう』
結果として並の人間よりも優秀な頭脳と戦闘能力を生まれながらにして持っているということができるとディアマンテは自分の推測を語る。
ティンクルとディアマンテはコア・ネットワークを使い、丈太郎が語る一夏と千冬の両親の話を聞いていたのである。
「千冬さんのチートにはちゃんと理由があったのね。そういえば篠ノ之博士にもあるんだっけ?」
『彼女こそチートでしょう。先天的にエンジェル・ハイロゥと接続してしまっているのです』
共生進化した者ほどではないが、束はエンジェル・ハイロゥにある情報を電気エネルギーと共に受け取っているのだという。
結果として一般人を遥かに超える頭脳と身体能力を持ったということだ。
『自由に検索できるほどではないでしょうが、それでも並外れた効果があるはずです』
「何事にも理由があるってことなのね」
突発的に超人的な能力を手に入れる可能性は非常に少ない。
人間が持つ能力には必ず理由があるのだろう。
そこまでを考える人間はなかなかいないだろうが。
「次は諒兵のお父さんとお母さんの話か。お父さんはすごくいい人っぽいけど、お母さんはどんな感じかな?」
これまでの話を聞く限り、諒兵の父親は根っからのお人好しで、困っている人を見ると見捨てておけない人間だ。
そういう人間には好意が持てると感じるティンクルだが、同時に、こういう人間の妻になる女性とはどんな感じだろうと思う。
『知りたいのなら自身で検索すればいいのではありませんか?』
「人から聞くほうが面白いこともあるわよ?」
『何故でしょう?』
「その人の想いも一緒に語るからね。私はニュースを聞きたいんじゃなくて、ドラマを聴きたいの」
『そういうものなのですか』
「そ」
そう語るティンクルは、目を閉じたまま再び聞こえてくる声に耳を澄ますのだった。
モニターが並ぶ一室で、スコールがコンソールを操っている。
表示されているのは様々な情報である。
それらを集積、統合し、そして得られた結論を見て、ため息を一つついた。
「まったく、二年もかかるとは思わなかったわ……」
「何が?」と、問いかける声に振り向かずにスコールは答えた。
「アスクレピオスとティーガーよ」
「ああ、あの脱走者?」
さらに問いかけてきた声に、ようやくスコールは顔を向ける。
そこにいたのはスタイルの良い美女。
ダークブラウンで、ウェーブのかかった長い髪を揺らしている。
どこか妖艶な雰囲気を持っていた。
そんな女性を見ながら、スコールは話を続ける。
「あの二人は始末してもいいんだけど、スノーはできれば取り戻したいわね」
「ご執心ね」
「そういうわけじゃないわ。正確にはアスクレピオスとティーガーの子どもをなんとかして手に入れておきたいのよ」
「何で?」
「アスクレピオスの作った薬は確か妊娠五回まで効果があるのよ。仮にスノー一人ならスノーを。他にも産んでいるなら、できれば全員欲しいわね」
かつてアスクレピオスと呼ばれた女性研究者が作った優性遺伝子を完璧に受け継げる薬。
その被検体第一号がアスクレピオス自身。そして生まれた子どもがスノーだ。
そして五回まで効果があるなら、アスクレピオスとティーガーにスノー以外の子どもがいれば、その子どもも優秀な兵士になれる力を持っている可能性は高い。
ただ、厄介なことにアスクレピオスは脱走時に薬とそのデータを破棄した。
事実上、薬の効果を保持しているのはアスクレピオスのみとなってしまっている。
「また拉致したいところだけど、今度は協力はしないでしょうね。だから、その子どもを手に入れておきたい。それが上層部の命令よ」
「あっそ。でも、アスクレピオスが今もティーガーと一緒にいる可能性は?」
「わからないわね。彼女は相当な堅物だったし、どうやってティーガーを篭絡したのかも想像がつかないわ」
「身体でも使ったんじゃない?うぶな子を苛めるのが好きな男もいるわよ?」
「相変わらずストレートね」
と、スコールは歯に衣着せぬ女性に苦笑いを見せる。
性格的に自分とは合っているのだろう。
気楽に話せる相手なので、素直に自分の意見を述べる。
「その可能性もゼロじゃないけど、私たちが二年かかって断片の情報を得られる程度。ここまで追跡をかわすとなると、ティーガーは今も協力している可能性が高いわ」
「他にも協力者がいる可能性は?」
「脱走時に関わった人間でとんでもない名前を二つ見つけたわ。片方は更識、もう片方は黒百合」
「マジ?」
「大マジよ。どうやってつなぎをとったのかわからないけどね」
裏世界では有名な暗部に対抗する暗部と伝説的な女傑。
この二人が動いたというのであれば、確かに見つけるのは難しいだろうとスコールは感想を述べる。
「さすがに更識は難しいわね。黒百合は私の領分じゃないし」
「だから、あなたにはあなたの領分で働いてもらうわ」
「へっ?」
「脱走時に関わったのはもう一人いたの。この彼よ」
そういってスコールがコンソールを操り、画面に出したのは赤い髪の二十代後半くらいの男性だった。
「名前は『日野諒一』、ただの平刑事」
「ずいぶん、パッとしないわねえ」
「実際、経歴を見てもパッとしないわね。この年ならもう少し昇進してもいいでしょうに」
画面に出た経歴を見る限り、高卒から警察官となり、刑事となった後、たいした活躍はしていないように見える。
確かに、他の二人に比べるとパッとしない。
「イージーモードにもほどがあるわよ?」
「早い仕事を期待してるってことよ。おそらくアスクレピオスもだましやすい相手を使ったってことでしょうし」
「まあ、脳筋と頭でっかちじゃあ、この程度の男を利用するくらいが関の山ね」
そういって、女性は嘲るような笑みを見せた。
本当にバカにしているということがよく伝わってくる。
「だから、ここから切り崩していくのよ。あなたならできるでしょう?」
「いったでしょ。イージーモードだって」
「頼んだわよ『ファム』、あなたがちょっと接触すれば、簡単にいくと思うわ」
「任せなさい。すぐに美味しい情報を持って帰ってくるから」
そういって、ファムと呼ばれた妖艶な外見の女性は、スコールに背中を向け、部屋を出て行くのだった。
ちりりん、と、ベルの音を鳴らしながら自転車が登校中の小学生の集団の近くを進んでいく。
乗っているのは制服を着た警察官。
というか、お巡りさんといった雰囲気のそろそろ三十代になるくらいかという青年だった。
ベルの音に振り向いた少年は、そのお巡りさんを見て少し怒った様子で声をかける。
「あっ、りょーいちっ!」
「おはよう丈太郎くん、また園長先生に怒られちゃうよ」
目上の人にはちゃんと敬称を付けること。
孤児院『百花の園』の園長はそう躾けているので、確かに丈太郎が三十代近いお巡りさんを「りょーいち」と呼び捨てにしたのは問題があるだろう。
とはいえ、丈太郎はまったく気にしないらしい。
「最近、こっち来ねぇじゃんか」
「隣町からこっちまで来るのはけっこう大変なんだ」
「暇なのにか?」
「そんなに暇でもないよ」
と、りょーいちと呼ばれたお巡りさん、すなわち日野諒一は苦笑いしながら答える。
「いつも公園で寝てたろー?」
「ときどきだよ。今は、隣町の人たちに頼まれたこともやってるからね」
今の諒一はただの巡査。つまり交番勤務のお巡りさんになっていた。
ストレートに言えば降格である。
その理由に関して誰にも話していない。
無論のこと、勘づいている者はいるが、諒一自身が納得している様子なので、何もいわなかった。
丈太郎は諒一が隣町の交番に行ったという事実しか知らない。ゆえに尋ねかける。
「なー、なんで隣町行っちゃったんだ?」
「上司に頼まれたんだ。困ってる人の身近で助けてあげてってね」
「こっちにだっているだろ?」
「こっちは俺の仲間が見てくれてるよ」
だから、安心して隣町の人たちの力になっていると諒一は答える。
実際、小さな問題まで数えるとけっこうな数があるので、意外と今のほうが忙しい諒一だった。
「たまにゃぁ遊びに来いよな」
「わかったよ。園長先生にもよろしくね」
そういって笑いながら手を振る諒一に、丈太郎も手を振りつつ、学校に向かって走っていった。
再び諒一が自転車をこいでいると、今度は一人でつまらなそうに登校している少女の姿が目に入った。
そういえば、ここのところこの子にもあってなかったな、と、そんなことを考えながら諒一は声をかける。
「おはよう、束ちゃん」
「あっ、おじさんっ!」
意外なほど嬉しそうな表情を見せて、束が駆け寄ってくる。
自転車を降りた諒一は、膝立ちになって束を迎えた。
「久しぶりだね」
「どこいってたの?」
「今はね、隣町の交番でお仕事をしてるんだ」
だから、なかなかこちらの町に来ることができないというと、束は可愛らしく頬を膨らませる。
多少は慕われているらしいと諒一は苦笑した。
「それより、もう学校始まるよ。急がないと」
「……行きたくない」
「へっ?」
「がっこう、行きたくない」
表情を見る限り、束は本気だ。
深刻な問題があるのだろうか。
そう考えた諒一は、このまま無理やり学校へ連れて行くよりも、少し話をしたほうがいいと考える。
お巡りさんらしからぬ考えだが、そのあたりはまったく変わらない諒一だった。
「じゃあ、ちょっと待ってて」
「えっ?」
「みんなが心配するからね。連絡だけはしておかないと」
そういって携帯を取り出した諒一は、まず束が通う小学校に電話をかけた。
「はい、道端で具合悪そうにしていましたので。容態によっては今日は休ませたほうがいいかもしれません」
電話の相手は納得したようだった。
もともとこの町で刑事をしていたことと、百花の園の孤児たちと懇意にしているので、諒一の名前は学校側にも知られている。
そのせいだろうか、信じてくれたらしい。
相手に感謝の言葉を述べてから電話を切ると、諒一は束に問いかける。
「お家の方にも電話したほうがいいかい?」
「へーき。あんまり話しないし」
それはとても寂しいことだけれど、束は気にしていないらしい。
否、気にしないようにしているのだろう。
孤児院で暮らす丈太郎よりも、家族と共にいる束のほうが寂しそうに見えるというのはどんな皮肉だろうと諒一は少しばかり悲しくなった。
しかし、そんなそぶりを見せれば、この少女は却って心に壁を作ってしまうだろう。
ゆえに。
「そか。じゃあ、そこの公園で少し休もう。ジュースを買ってくるからね」
「うんっ♪」
とりあえず、学校まで行かなくてもよくなったことに気を良くしたのか、束は元気よく返事をする。
そんな束を見て、少しでも力になれればいいと諒一は思うのだった。