ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第139話「篠ノ之束のゆううつ」

お巡りさんと小学生が並んで座る姿は端から見ると実にシュールだった。

とはいえ、今の束をこのまま放っておくことはできないので仕方がないと諒一は苦笑する。

とりあえず、何故学校にいきたくないのかを知るために諒一は口を開いた。

「学校ってさ、なんで行かなきゃならないのかわからないよね」

「えっ?」と、いきなりの言葉に束は驚いていた。

たいてい、周りの大人は学校に行きなさいとしかいわないからだ。

どうして?と聞いても束の年ならいかなくてはいけないという。

そんなの、理由になってないと束は思っていた。

「おじさん、わからないの?」

「わからなかったなあ。特に束ちゃんくらいのときから中学に入るくらいまではね」

「じゃあ、おじさんはいかなかったの?」

「俺が束ちゃんくらいのころはいわれるままに行ってたよ。でも理由は知らなかったし、わからなかった」

それが当たり前だろう。

小学校に入る年齢で学校に行く意味を理解している子供が何人いるというのか。

年齢を考えれば、誰一人として理解していないというほうが正しいかもしれない。

しかし、束は考えてしまうのだ。それだけの頭脳を持ってしまっているから。

学校に行く意味。

それを考えられてしまうことが束の不幸だったかもしれなかった。

「中学に入るくらいまでって言ってたよね?なら、今は知ってるの?」

「どうだろう。ただ、中学のころに見つけたんだ」

「なにを?」

「お巡りさんになろうって夢、かな」

諒一は語る。

もともと中学時代、流されるままに行動するような、どちらかというと主体性のない子どもだった諒一。

そのころに知り合ったのが、今の諒一と同じ、交番勤務のお巡りさんだった。

偶然、居合わせてしまった小さな事件。

引ったくりでかばんを奪った犯人を身を挺して止めた人だった。

犯人を捕まえ、かばんの持ち主に返す姿。

心から感謝されている姿が、なんだかカッコいいと思ってしまったのだ。

「小さなことだったけどね」

「それで?」

「お巡りさんになるにはどうすればいいのかを聞いたんだ」

警察学校に入って勉強する必要があるということである。

当時の諒一の年齢ならキャリアも目指せただろう。

だが、諒一自身はあくまでお巡りさんになりたかったので、高校を卒業してすぐに警察学校に入ったのである。

「少しがんばってたら刑事になれたけど、今はまたお巡りさんになった。でも、俺自身はこれが一番なりたかったものかもしれないな」

要は、なりたいものになるためには、そのための学校に行かなくてはならないということを理解したことで、学校に行く気になったということだ。

「なりたいものになるためだったの?」

「俺の場合はね。でも、束ちゃんくらいのころはわかってなかったから、随分時間かかっちゃったけど」

今の年齢で何のために学校に行く必要があるのかを、本気で考えられてしまう束は不幸だろう。

とりあえず、友だちが行くから、親が行けというから程度で考えている子どものほうが多いはずだ。

しかし、考えることができてしまうというのであれば、真摯に答えなくては束の心が歪んでしまう。

諒一はそう思い、話すことにしたのだった。

「束ちゃんはなりたいものとかある?」

「……わかんない」

このあたりは普通の子どもと変わらない。しかし違う面もある。

まだ小学校でも低学年、ならばプロスポーツ選手やマンガなどのキャラクターとてなりたいものの範疇に入るだろう。

しかし、頭が良すぎるために、そういった夢の範囲が現実的な側面からも理解できてしまう。

子どもらしい純粋さを持ちながら、現実を見据えてしまい、冷めた思考を持ってしまっているのが束という子どもだった。

今度は束のほうから口を開く。

「なりたいものってすぐに見つけなきゃダメなの?」

「俺は見つけるまでに何年もかかったよ。すぐに見つけられるなら、それもいいんだろうけどね」

「時間かかっちゃう?」

「時間というより、運がいいかどうかかな」

現実的に考えた上で、なりたい職業などを考え、そして見つけられるなら、確かに幸運ではあるだろう。

そう考えると、やはり運がいいかどうかは重要なのかもしれない。

何より、諒一自身、中学生のときに見つけたようなものなので、今の束の年齢からすると何年も後の話になる。

「じゃあ、見つかるまで、ずっとつまんないまま?」

その間、我慢して学校に行くのは束にとって苦痛だろう。

頭の出来に差がありすぎるからだ。

下手をすれば、束は現段階でも教師より頭がいい。

そうなると担任教師は束に手を焼いているだろう。

まして、性格に難のある教師であれば、露骨に避ける可能性とてある。

教師という人間は人格者と決まっているわけではないからだ。

加えて、同い年の子どもでは束と同レベルで語るなどほぼ不可能といっていい。

「先生も周りの子もバカばっかりなんだもん。私、別におかしなこといってないのに、向こうが全然わかんないんだもん。だから、がっこう行きたくない。つまんない」

「そか。それは、つまんないね……」

束が周囲とうまく付き合っていくためには、会話の内容、そのレベルを束のほうが下げる必要がある。

しかし、この年齢の子どもにそれを求めるのは至難の技だ。

こういうところは、まさに子どもなのが束なのだ。

純粋に自分が興味あること、面白いと思うことを話したいという子どもらしさ。

ただ、その内容があまりにも高度すぎるという頭脳。

その乖離が、束を周囲に馴染ませないようにしてしまっているのだ。

さてどうしたものか、と考えながら諒一は空を見上げた。

空を流れる雲を見ながら考えるのが諒一の癖だった。

なんとなく、空に浮かぶ雲は自分によく似ている気がするからだ。

すると。

「お空?」

「えっ?」

いきなり話しかけられると思わなかった諒一は驚いてしまう。

少し考えようと思っていただけなのだが、諒一が雲を眺めている姿を不思議に思ったのか、束が尋ねてきた。

「お空見てるの、なんで?」

「んー、雲の向こうには何があるのかなあって」

「雲の向こう?」

「空の向こうでもあるかな。人は自分の力じゃ飛べないから、何があるんだろうって思うときがあるんだ」

取り留めのないことを考えるときの癖でしかないのだが、理由をつけるとしたらこれだろうと考えて諒一は答える。

「空の向こうにあるのは宇宙でしょ?」

「そうだね。じゃあ、その向こうには?」

「宇宙にあるのは月とか太陽とか」

「じゃあ、その向こうには?」

「他の恒星とか惑星」

「その向こう」

「太陽系とか銀河系とか、ぶらっくほーるとか」

「その向こうには何もないのかな?」

「えっと……」と、束は言葉を詰まらせてしまう。

諒一がいいたいことがわからないからだ。

「ごめんね、意地悪だったかもしれない」

「えっ?」

「束ちゃんはすごく頭がいいけど、じゃあ、実際に空の向こうを見たことがあるのかい?」

「ないよ」

「じゃあ、なんで知ってるのかな?」

「だって、ご本に書いてあったし、いんたーねっとでも見たもん」

「それは本当に見てきた人が書いたのかな?」

そういわれ、また束は言葉に詰まってしまう。

宇宙には太陽があり、月があり、太陽系があり、銀河系があると言われている。

しかし、本当にそれを見たことがある人間が何人いるのだろうか。

宇宙にいったことがある人間はいる。

しかし、太陽系の全てを、銀河系の全てを実際に見た人間はいないだろう。

ただ『ある』という概念があるだけだ。

実はないのかもしれない。

想像とはまったく違った姿かもしれない。

今の人類がようやく到達できるのが月だ。

しかし、その向こうまでいった人間はいないのだ。

「あっ……」

「束ちゃん?」

「私、知らないんだ……。ご本で読んだだけ……」

それで知っている気になってしまっていた。

どこからか、情報を受け取って、知っているような気がしているだけ。

それが束の知識だ。

しかし、それは目で見て、鼻で嗅いで、耳で聞いて、手で触って、そういった形で束という少女が実際に感じたものではないのだ。

それがわかると、束の表情がぱあっと明るくなる。

「私っ、空の向こうに行ってみたいっ!」

「それは、すごく大きな夢だね。でも、束ちゃんがもっともっと勉強すればいけるかもしれないよ」

実際、今の段階でも他の追随を許さない頭脳である。

この少女が、大人になるまでにさらに猛勉強したなら、宇宙を開拓できる船を作り上げられても本当に不思議ではないと諒一は思う。

「うんっ、いつか必ず空の向こうにいけるようにっ、私がんばるっ!」

「そのときは、俺も連れてってくれるかい?」

「もちろんっ♪」

むしろ、今の束にとって、一緒に行きたいと思える人が諒一だということに、諒一自身はあんまり気づいてなかったりする。

気づけば気づいたで非常に問題があるが。

「私がっこう行くねっ、もっと勉強しなきゃっ!」

「わかった。お家の人にはちょっと調子悪かったって話しておくよ」

そう答えると、束はすっくと立ち上がり、学校に向かって駆け出そうとする。

だが、何かを思い出したように立ち止まった。

「あっ、そうだっ!」

「どうしたの?」

「一人だけ、面白い友だちができたの」

「へえ、じゃあ、束ちゃんが来なくて心配してると思うよ。安心させてあげなきゃ」

「うんっ♪」

「なんていう子なんだい?」

束が面白いというとなると、けっこうすごい子なのかもしれないという興味からか諒一は尋ねかける。

ただ、束の答えに驚いてしまったが。

「おりむらちふゆっ、ちーちゃんっていうのっ♪」

「そ、そうなんだ。仲良くしなきゃね」

「うんっ、じゃっ、行ってきますっ♪」

「はい、いってらっしゃい」

一瞬動揺したことは気づかれなかったらしい。

諒一は安心しながら、走っていく束の背中を見守る。

そして束の姿が見えなくなったころに、ポツリと呟いた。

「そか、あの子ももう小学生なのか。時が経つのは早いなあ……」

二年前。

自分が少しだけ手助けした家族。

今はどこでどう暮らしているのかもわからない。

だが、あのときの少女が今は束の友だちとして平穏な日常を生きているというのなら、あのときの決断は間違いではなかったと思える。

自分にたいした力はない。

ただ、勇気を出す手伝いをしただけだ。

たったそれだけでも、一つの家族をいい方向に導くことができたことは素直に嬉しい。

「なんだか、置いてかれたような気もするけど」と、諒一は苦笑いしてしまう。

それでも、一人の刑事として、お巡りさんとして、困っている人を助けられた事実は、確かな喜びとなって胸に残る。

それが自分にとって最高の報酬なのだと思いたい。

「家族、かあ……」

自分もいつか家庭を持つのだろうか。

守りたい人に出会えるのだろうか。

そんな未来を少しだけ期待しながら、諒一は束の家に電話連絡をした後、再び自転車に跨るのだった。

 

 

 

ちょっとしたプロローグを語り終えたあたりで、丈太郎が一息つく。

もっとも、途中から束が交代していたのだが。

「束」

「思えば、ここが始まりだったのかな。『空の向こうに行ってみたい』が、そのうち自分の知らない場所に行ってみたいになって、それがIS開発につながったと思う」

と、束は千冬の短い言葉に答える。

空の向こう。

そこに行くためにはそれなりの道具が必要で、その道具としてISを作ったということだ。

あくまで束にとっては道具だった。

しかし、自分が夢を叶えるために作った道具を雑に扱う作り手はいないだろう。

当初、束自身は自分が作ったISを、正確には白騎士やそのISコアを大事にしていた。

だからこそ、白騎士に始まるISコアたちは束の作ったコアに宿ったということができる。

エンジェル・ハイロゥの電気エネルギー体を引き寄せる性質を持っていたとはいえ、束自身に問題があったなら、来ることはなかったはずだからだ。

束の想いに光の天使たちが応えた。

そういう言い方をしても、決して間違いではないだろう。

同時に、同じようなモノを作った丈太郎に諒兵が尋ねかける。

「兄貴もか?」

「いや、俺ぁばあさんの言葉で空を見る癖がついちまったかんな。そっちが始まりだ」

丈太郎の場合、もともと純粋に空を飛びたいと思ったことが制作の理由だ。

実はエンジェル・ハイロゥの電気エネルギー体にとって心地いいのはこちらの意識となる。

天狼がASコアに宿ったのは、ISコアよりも宿りやすかったからということができる。

「どっちがいいってわけじゃぁねぇ。こういったことは結局は偶然の産物だかんな」

「だからこそ、その偶然を大事にしないといけないんだろうね」

と、博士二人が語ると一同が納得したような表情を見せた。

「でも、空の向こう、か。確かに誰も見たことねーんだよな」

「計算して予測することはできても、実感したとはいえないからな」

弾、そして数馬が口を開く。

「見たことのない世界かあ。確かに行ってみたいって思うよ、束さん」

「いっくんにそういってもらえると嬉しいね」

当初、白騎士のコアと会話するために巻き込むつもりだった束としては、罪悪感もある。

しかし、自分同様に見たことのない世界に行ってみたいと思ってくれるのなら、この先みんなで一緒に飛び立つことも可能だろう。

未来が少しだけいい方向に変わっているような、そんな気持ちが生まれてくる。

だからこそ、自分に素敵な夢を教えてくれた人のことを、これからを生きる子どもたちに伝えなければならないと束にしても、丈太郎にしても強く感じている。

「さて、続きだ。ここまで聞いたんだ。年寄りの昔話に付き合え」

「じじくせえな」と笑う諒兵に丈太郎は苦笑を返しつつ、口を開いた。

 

 

 

丈太郎や束と話した後、諒一はキコキコと自転車をこぎながら、今の自分の職場まで戻った。

今は、かつて刑事であったころ暮らしていた知り合いの多い町の隣町の交番、というか駐在所に住みながら、お巡りさんとして働いている。

二年前に住んでいた町よりも少しばかり田舎なので、実は周りに民家は少ない。

といってもそんなに離れているわけではないが。

また、近くに役場があるが、コンビニエンスストアといったものは自転車で十分かかる。

わりと不便で、夜になれば人気のなくなるような場所だった。

するとそこに野菜の入った買い物袋を持ったお年寄りが訪れる。

「駐在さん、おすそわけ」

「ああ、ありがとうございます。トミさんの野菜は美味しくてありがたいですよ」

「そうかねえ」と、顔をくしゃっとさせながら笑うお年寄りに諒一は笑顔を返した。

普通に考えれば田舎に飛ばされたということができる今の諒一だが、住民は穏やかで人懐こい人が多く、諒一が自転車で見回りをしていると気さくに声をかけてくる。

そのせいか、二年も住んでいるとすっかり馴染んでしまっていた。

「若いのはみんな隣町行っちまうかんねえ。駐在さんが来てくれて嬉しいねえ」

「俺はこっちのほうが合ってるみたいですよ。せかせかしてるのはどうも」

「のん気だねえ。まあ、そういう人のほうがわしらとしてもいいねえ」

「そういってくれると嬉しいです」

諒一も結構のんびりした性格だ。

無論のこと、動くべきときには動ける。

そうでなければ、かつて一つの家族をいい方向に導くことなどできなかっただろう。

ただ、普段はこうしてのんびりしているほうが性に合っていた。

 

お年寄りが手を振りながら帰っていくのを見送りつつ、書類仕事を済ませる。

そこに。

「あの、すみません……」

「はい?」

今日は来客が多いなと思いながら、外に出るとこの少し田舎といえる町には似つかわしくないほどの美女が立っていた。

転びでもしたのだろうか、ストッキングの膝には穴が開き、けっこういい値段のするだろうスーツも汚れている。

「どうしました?」

「その……近くのお役所に用事があったのですけど、引ったくりにあってしまって……」

「ああ、そりゃ大変だ。110番はしましたか?」

「いえ、電話も一緒に……」

「そうですか。とりあえず中に入ってください。と、あなたのお名前は?」

 

「私、『内原美佐枝』といいます……」

 

そう名乗った女性が、ある犯罪組織の人間に酷似していることなど、知りもしない諒一だった。

 

 

 

 


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