ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第140話「ファム・ファタール」

「あっ!」と、突然声を上げたのはシャルロットだった。

全員が一斉に視線を向けると、顔を真っ赤にしてしまったが。

代表として、数馬が声をかける。

「どうかしたのか、シャル?」

「あ、ごめん。ファムって、そういうコードネームなんだって気づいたんだ」

「そういう?」と、数馬が首を傾げると丈太郎が助け舟を出してくる。

「まぁ、デュノアが一番最初に気づくんは当然だな」

「諜報員っていってましたし、間違いないんですね?」

「あぁ。お前さんの考えてる通り、『ファム』ってコードネームはフランス語の『ファム・ファタール』がもとだろうよ」

「なんだそりゃ?」と、今度は諒兵が首を傾げる。

『ファム・ファタール』とは、男にとっての『運命の女』という意味のフランス語である。

赤い糸で結ばれた運命の相手。

それがコードネーム『ファム』の名前の由来である。

しかし。

「同時に、男を惑わす魔性の女って意味もあるんだ。どっちかっていうと悪い意味の言葉なんだよ」

「なるほど、諜報活動をする上でおそらく多数の男性を惑わせていたでしょうから……」

「うん、そういう意味でのコードネームだと思うよ」

そこまでいって、シャルロットもセシリアもハッと口元を隠す。

その様子を見て諒兵はため息をついた。

「だから気にすんな。腹括ってんだからよ」

ファムは諒兵の実の母親だ。

今の言は明らかに母親に対する悪口になってしまうと二人とも気づいたのである。

「ティーガーやアスクレピオスもそうだが、連中のコードネームぁ割りと適当だ。深い意味ゃぁねぇよ」

ただ、だからこそまどかに対して『内原美佐枝』と名乗ったことが非常に大きな意味を持つと丈太郎は解説する。

「どう考えたって偽名だかんな」

「ですが、そうなりたくなってしまった、ということでしょうか、博士」

そういって、千冬が尋ねてくると丈太郎は肯く。

「まあ、心情的なもなぁ完全にゃぁわからねぇけどな」

まして女心だと丈太郎はため息まじりに呟く。

だから、ここで話すことは推測も交えているという。

「そのあたりゃぁ理解して聞いてくんな」

はい、と、肯いた全員に対し、丈太郎は再び説明を始めるのだった。

 

 

 

内原美佐枝。

そう名乗った女性は内心では非常に気楽に構えていた。

コードネームで『ファム』と名乗っているのは伊達ではない。

男心をくすぐり、手玉にとるのはお手の物だからだ。

そうやって何人の哀れな子羊を破滅に追い込んだだろう。

同僚ですら悪女や魔女と呼ぶが、むしろそれは優秀な諜報員であることの証左でもある。

妬み嫉みすら心地いい。

そういう意味で考えれば、今の職場、今の仕事は自分にとって天職なのだろう。

それだけに、今回の仕事は自分には簡単すぎて欠伸が出るようなものだ。

ゆえに。

「あの……」

「はい?」

「何で熱心に書類書いてるんですか?」

目の前の赤い髪の警察官、というかお巡りさんが熱心に事情聴取の書類を書いていることが理解できなかった。

「いやあ、きちんと書いておかないと忘れてしまいますんで」

「はあ……」

「書類もバカにできないんですよ。記録残しておかないと上に怒られますから。ひったくりもれっきとした強盗事件なんで、いい加減には出来ません」

などと話す今回の仕事のターゲットである日野諒一をファムは少しばかり不思議そうに見つめてしまう。

当初、諒一は汚れてしまっていたファムに常備してあるらしき着替えを渡すと、シャワーを浴びるように勧めてきた。

ファムは下心丸出しだと思ったのだが、単純に汚れたままで放置するのは悪いと思っただけらしい。

しかも、渡されたのは微妙にイモっぽいジャージだった。

汚れていたスーツやストッキングの穴は近づくための演出でしかなかったのだが、この格好よりはまだ魅力的だったろう。

ゆえに、バスタオルだけを巻いて挑発してやろうとも考えた。

ルックス、スタイルには他の追随を許さない自信があるからだ。

だが。

 

「ちゃんと着替えてくださいね。そろそろ夕方になるし、この辺りはけっこう冷えてきますんで。女の人が身体を冷やすのは良くないっていいますからね」

 

そう言われ、このイモジャージに袖を通す羽目になった。

しかも、その後に始めたのが事情聴取だ。

無神経といえばいいのか、バカといえばいいのかとファムは呆れてしまう。

(というか、コイツ天然?)

ヘラヘラと笑っているだけの諒一に、実は何も考えていなさそうな印象を感じて仕方ないファムだった。

 

本当にマジメに事情聴取を請けるはめになったファムだが、伊達に諜報員などやっていない。

住所、指名、年齢、職業などなど設定された『内原美佐枝』のキャラクターを演じ、流暢に答えていく。

この程度でボロを出すようなレベルでは諜報員などやっていけないからだ。

「ふむ。そうしますとこちらに来たのはお仕事ですか?」

「はい。正確には隣町ですけど」

市場調査のための人口調査ということで、この町の役所で簡単な調べものをする予定だったと嘘をつく。

実際、ターゲットに近づく理由でしかないので、内容は何でもよかった。

重要なのはここから。

いかにして取り入るか。

今、ファムが考えているのはその点である。

「たまたま足を延ばした先で引ったくりにあってしまうとは、この町の警官としてお恥ずかしい限りです」

「いえ、あなたのせいではありませんから」

「今、情報を他の町にも伝えてますから、見つかり次第報告しますね」

「はい」

そう返事はしたものの、引ったくりも口実でしかない。

荷物を奪われたわけではないので、見つかるはずなどないのだ。

自分にとって重要な連絡手段の類は、すべて隠してある。

とはいえ、持ち歩いていると怪しまれてしまうため、今は本当に身一つなのだが。

もっとも、ファムの武器とは女としての魅力だ。

最大の武器は決して失っていない。

この程度の男を篭絡するのに、一日もかからないだろうと高を括る。

ゆえに。

「えっと、これだけあればご自宅に帰れますかね?」

「は?」

すっと差し出されてきた数枚のお札に、唖然としてしまっていた。

「電車賃とタクシー代。それとお夕飯時ですから夕食代も含めてこのくらいあれば何とかなるでしょう」

「いや、えっ?」

「お荷物は見つかり次第ご自宅にお送りしますので。服も一緒に送りますね」

「あ、あの……」

「本当はご自宅まで付き添えればいいんですが、けっこう遠いですし、自分はこの町から離れるわけに行きませんので」

「ちょッ、ちょっと待って!」

まさか、いきなり帰れといわれるとは思わず、ファムは声を上げてしまう。

たいていの場合、初対面であってもファムが近づいた男は、少しでも長く、露骨な人間はホテルに誘ってくるような者までいた。

外見や仕草で男心をくすぐることが出来るので、そこから相手の弱みを握り、情報を引き出してきたのである。

しかし、目の前の赤い髪の警察官、日野諒一はそういった男とは正反対の反応を見せてきた。

いや、警察官としてはまともなのかもしれない。

しかし、男として、自分を目の前にした人間としては普通とはいえない反応だった。

というか、このイモジャージを着ただけという格好で帰れというのだろうか。

それは正直、普通の女としても勘弁してほしいのだが。

「すみません、その、せめてスーツが乾くまでいさせてもらえませんか。この格好で出歩くのは……」

「へっ?」

(へっ?)じゃねえよっ!と、思わず声を上げそうになるファムだがじっと堪える。

さすがに地が出てしまっては怪しまれてしまうからだ。

「その、わがままなのはわかっていますけど、私にも多少は女としてのプライドがあるので……」

さすがに女を捨ててるような格好で外を出歩きたくはない。

かなり本音まじりではあるが、ちゃんと演技しつつ、何とかこの場に留まれるように懇願してみせる。

「ああ。すみません、どうもそういうのは疎くて。この当たりだとそういった格好で歩く人もけっこういますんで」

(じじくさいわねえ……、馴染みすぎだっつの)

思わず考えてしまったことは決して口に出さず、ファムは少し困ったような顔で笑う。

とはいえ、この田舎町には合っているのだろう。

年の割りに枯れているような気がして仕方がないが。

だが、一応通じたらしい。

「それでしたら、服が乾くまで奥で休んでてください。自分はまだ書類仕事が残っているので」

「あ、はい。ありがとうございます」

まだ、夕方くらいなので確かに仕事が残っているのだろうが、生真面目というより、クソ真面目といいたくなるような諒一の態度にファムは呆れた。

これまで篭絡してきたターゲットの中には警察関係の人間もいたのだが、正直に言って異質だと感じてしまう。

もっとも、ファムとて百戦錬磨の諜報員だ。

この程度の異質さであれば、十分に篭絡できる。

(色気を感じさせすぎるのはダメね。ここは貞淑な女らしさを押し出したほうがいいかも)

お年寄りの多い町らしいので、そこに馴染むような枯れた男相手ならば、と、ファムは次の手を考える。

理由は先ほどのセリフが使えるだろう。

そう考え、ファムはさりげなく部屋の中を物色し始めた。

 

 

 

そこまでを語ると、何故かその場にいた大半の人間が非常に微妙な表情を見せていることに丈太郎は気づいた。

「どした?」

そう問いかけても答えが返ってこない。

ただ、シャルロットだけが何かに気づいたようにラウラに問いかける。

「ラウラ、しっかり聞いておくんだよ」

「どうしたシャルロット?」

「これ、たぶん『使える』話だから」

「む?」と、ラウラは不思議そうな顔をする。

だが、その後のシャルロットの言葉に、諒兵を除いた全員が納得したような表情を見せた。

「諒兵を攻略するのに使えると思うんだ」

「なるほど!」

「待てコラ」と、思わず突っ込んでしまう諒兵である。

『まったくです。この情報は私が使います』

「そうじゃねえよっ!」

明後日の方向に飛んだような突っ込みを入れるレオに、諒兵はさらに突っ込んでしまう。

「そうはいってもさ。話聞いてると、諒兵のお母さんが、朴念仁の諒兵のお父さんを攻略してる話としか思えないんだけど」

「恋バナになってしまってますわね」

鈴音とセシリアのセリフは、その場にいる大半の人間の心情を代弁していた。

とはいえ、諒兵としては反論したい。

朴念仁というのなら、諒兵よりもぴったりの人間がいるからだ。

「朴念仁は一夏のほうだろうが」

「待てコラ」と、今度は一夏が突っ込んだ。

「いや、意外と諒兵も朴念仁だろーよ」

「そうなのか?」

弾の言葉に数馬が首を捻る。

この四人の中では、弾以外、わりと鈍い連中の集まりである。

もっとも、弾もかなり鈍いのだが。

「はあ……」

「どうしました山田先生?」

そう問いかける誠吾に、真耶はさらにため息をついてしまう。

どうして主人公属性の人間は、たいてい鈍いのだろうかと深く考えてしまうのだ。

かすかに聞こえたため息の方向に視線を向けると、千冬だった。

(苦労しますか?)

(苦労するぞ、たぶん)

何故か、目と目で理解できてしまう教師二人である。

「あー、なんだか妙な方向にいってんが、真面目な話だかんな?」

妙な空気になりつつあるのを、丈太郎は必死に引き戻す。

「諒一の旦那が朴念仁なのぁ確かだがよ。ファムはあくまで任務でやってんだ」

「だよな。むしろそうじゃねえとこっちが困る」

諜報員であったという実の母親に対してはかなり複雑な感情を抱いているが、この場においてはむしろ任務でやっててほしいと思ってしまう思春期真っ只中な諒兵である。

両親の恋バナを聞きたいわけではないのだ。

「てか、今の話で他に感じるもんはねぇか?」

「他に?」と、首を捻る鈴音。

逆に、ある程度の距離を置いているのが功を奏したのか、簪が答えてきた。

「日野くん、性格はお母さん似?」

「確かにな。おふくろさんのほうが突っ込み属性なんじゃねーかな?」

簪の言葉につなげるように解説してきた弾の言葉に、全員がポンッと手を打った。

確かに、諒兵はどちらかというと突っ込み属性の性格である。

その点で考えると、父親よりも母親に性格が似ているかもしれないのだ。

「そういわれてもよ……」

「それがどうだってわけじゃぁねぇが、俺が知る限りだと諒兵の性格はおふくろさんの性格にちけぇみてぇだな」

喜べとは言わないが、と、丈太郎は続ける。

「どっちがどっちってわけじゃないけど、りょうくんはちゃんとおじさんと母親の血を引いてるってことだよ」

だからこそ、生まれた直後に捨てることになった理由は、諒兵が納得できないものではないと束は語る。

「順番に話していかないとわからないから時間かかるけど、もう少し付き合ってあげて」

「わかったよ」

きれいにまとめて、話を再開させてくれたあたり、束も成長したものである。

 

 

 

警察官の勤務は基本的には二十四時間体制だ。

事件は、いつ起こるかわからないものなのだから。

その上、今の諒一がいるのは小さな駐在所なので、実質ここで年中無休で働いていることになる。

それでも、困っている人を見かけると声をかけずにはいられない諒一としては、駐在所勤務は合っているのだろう。

地域の人たちと交流することも苦ではないので、比較的気楽に仕事をしていた。

とはいえ、そんな諒一にも問題点があった。

そして諒一にとっての問題点は、ファムにとっては非常に幸運なポイントでもあった。

「なんだかすみません。却ってご迷惑をかけてしまいましたね」

「いいえ。このくらい、お礼のうちにも入りませんから」

そう答えたファムは、諒一が困ったような、それでいて嬉しそうな表情を見せたことに好感触を得たと実感した。

単純に、色気でダメなら食い気である。

要するに手料理を作ることにしたのである。

「でも、けっこう傷んでましたよ。あまり料理なさらないんですか?」

「いやあ、正直料理は得意ではないので。いただいたものは出来るだけ食べるようにしてるんですが……」

(イケそうね♪)と、内心でファムはほくそ笑んだ。

実のところ、ファムはターゲットを篭絡するための手段はほとんど心得ている。

その中に料理があるのは当然と言えるだろう。

男やもめの人間には効果覿面のはずである。

「さあ、召し上がってくださいな。その、私の分もありますけど」

「いえいえ。こういう手料理は一人で食べても寂しいだけですから。せっかくですし一緒に食べましょう」

そんな好意的なセリフが出てきたことに、ファムは唇をわずかに釣り上げる。

食事を共にするというのは、わずかながら親近感を高める。

少なくともただの他人ではなくなる。

あのまま帰されてしまっては、今後近づくために苦労することになったはずだ。

しかし、これなら二度、三度と会うことを諒一が忌避することはないだろう。

まして諒一はあまり料理をしない。

貰った食材が傷んでしまうことを気にしているのなら、自分が料理を作るというかたちで活用することに異を唱えることもないだろう。

(手間かかるけど、そこらへんは仕方ないわね。ま、時間の問題だけど♪)

最初こそ調子を狂わされてしまったが、やはりイージーモードだとファムは感じていた。

 

 

 

 


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