若かりしころ、兵器開発会社として上り調子であったデュノア社の社長を務めていたセドリックに一つの結婚話が持ちあがった。
若いなりに野心があったセドリックは素直に受け入れた。
「それが今の妻、カサンドラだ。つまり政略結婚だったのだよ」
政略結婚も何も悪いことばかりではない。
デュノア社としても、セドリックの正妻の実家にしても、両方に利があったし、セドリックとしては夫婦としての関係は結婚してから築き上げればいいと思っていた。
ただ、カサンドラの身体には一つの問題があることを、そのとき誰も気づかなかった。
「問題?」と一夏。
「デュノア社長夫人は、いわゆる不妊症だ。つまり子ができなかった」
千冬の言葉に肯いたセドリックは続ける。
カサンドラが不妊症であることにセドリックが気づいたのは結婚してから五年が経ったころだった。
そのころから、彼女はヒステリックになり、ことあるごとにセドリックに当り散らすようになった。
養子をもらうことも考えたが、それも反対された。
「カサンドラとしては自分の存在を否定されるような気分だったのだろう」
妻になれずとも、母になって養子を育てられれば周囲には認められただろうが、カサンドラ本人がどうしても受け入れられなかったのだ。
そしてそのころに出会ったのが。
「クリスティーヌ・アルファン。お前の母だよシャルロット」
「お母さんに……」
クリスティーヌ・アルファンは大学を卒業したばかりであったが、量子理論で優れた論文を発表できるほど将来有望な科学者でもあった。
デュノア社としては兵器開発において有望な人材ということで採用したのだ。
こう見えてセドリックも研究開発においては一家言ある科学者である。
自然とセドリックとクリスティーヌの二人は一緒にいる時間が増えていった。
そのうちに、セドリックは今の苦しみをクリスティーヌに打ち明けるようになり、彼女は彼を支えるように傍にいるようになった。
その結果。
「私はカサンドラと夫婦としての関係を維持することに疲れていた。だから、不義の罪を犯してしまったんだよ」
一線を越えてしまった二人は、仕事と称して逢瀬を重ねてしまう。
何より同じことで話し合える時間はとても楽しかった。
それはセドリックにとっても、クリスティーヌにとっても同じで、罪だと知りつつその関係は深まる一方だった。
そして。
「お前ができたんだよ、シャルロット」
クリスティーヌの妊娠で激怒したのは当然カサンドラである。彼女も腹の中の子どもも、自分の存在を完全に否定するからだ。
ましてクリスティーヌは優秀な科学者。
何一つ敵うところがないのでは、嫉妬が殺意に変わってもおかしくはない。
セドリックにはクリスティーヌを会社から放逐することしかできなかった。
無論のこと、クリスティーヌはセドリックの苦悩を理解したうえで自ら身を引いたのだが。
だが、セドリックはクリスティーヌとシャルロットを見捨てることなどできず、何年も援助を続けていた。
それは決して大金ではなかったが、自分の家族を忘れた日など一日もなかったのだ。
「離婚できなかったのかよ?」と、諒兵。
「何度も考えた。いや、実際にそうするつもりだった。会社は部下に任せ、身一つでクリスとシャルロットを守ろうとね。だが発表寸前までいって……」
出てきてしまったのがISである。
さらに間の悪いことに第2世代ではトップシェアを握ってしまった。
それだけのことができた社長を、会社も、カサンドラの実家であるドゥラメトリー家も手放すはずがない。
そうこうしている間に、クリスティーヌは亡くなった。
本当に愛している真の妻の死に悲しめないはずがない。
せめてこれからは何があってもシャルロットを守らなければ、と引き取ったのである。
「お父さん……」
「だが、カサンドラはどうしてもお前を憎んでしまう。気づいていないだろうが、お前は何度も殺されかけていたんだよ」
「えっ?」
食事に毒を盛られるなど日常茶飯事で、狙撃や刺殺されそうになったこともある。
セドリックは私的に護衛を雇い、シャルロットを守っていたのだ。
同時にシャルロットに対して壁を作ることで、何とかカサンドラの意識を逸らそうともしていた。
そこで驚くべき発表があった。
「君たちだよ、イチカ・オリムラ。リョウヘイ・ヒノ」
「へっ?」と、二人は思わず間抜けな顔をしてしまう。
そこで自分たちが出てくる理由がわからないからである。
セドリックとしては、シャルロットのIS操縦者としての実力から、IS学園に進学させることを最初から考えていた。
しかし、シャルロットを憎むカサンドラは反対した。
自分の手で殺したいとまで思うようになっていたのだ。
IS学園に逃げ込まれては手が出せなくなるので、進学させまいと実家、すなわちドゥラメトリー家の力を借りてまで反対してきたのだ。
そこに現れたのが史上初の男性のIS操縦者である。
しかも、そのデータはフランスまで届かない。
第3世代機の開発で後れを取っているフランス政府としてはなんとしてもデータがほしかった。
「そこでシャルロットに男装させ、IS学園に潜り込ませるという策を考えたんだ」
女として近づくよりも、データを盗める可能性は高い。
その意見にまずフランス政府が食いついた。
さらにデュノア社の現状から、ドゥラメトリー家もその策の有用性を認めた。
結果、カサンドラを押さえ込み、シャルロットはIS学園に編入することとなったのである。
「事情はすべて社長からIS学園に通達があった。シャルロット・デュノアはデュノア社のテストパイロットをしていた経験から代表候補生になれるほどの実力がある。よって編入を認めたということだ」と、千冬。
さらに、IS学園で優秀な成績を収めれば代表候補生に特例として選ばれることもある。
そうすれば今度はフランス政府がシャルロットを守る。
国に戻って代表選抜を受け、国家代表に選抜されれば、もはやカサンドラには手の出しようがなくなるのだ。
「それじゃ、お父さんはずっと僕を守るために……」
「許されぬ罪を犯し、自分の本当の家族すら一人では守れなかった情けない男だ。軽蔑してくれて構わない。ただ……」
「ただ?」
「クリスとお前を愛していることだけは知っていてほしい」
そして今度こそ、シャルロットは紛れもなく自分の娘だと世間にも公表するとセドリックはいう。
クリスティーヌにはできなかった。
だからこそ、残された愛娘であるシャルロットを愛し、守り抜くことで彼女への愛もきっと証明すると。
その言葉に、その瞳に嘘偽りがないことは、見ていて伝わってきた。
そうしてくれたことが嬉しかった。
でも、うまい言葉が出てこない。
だから。
「ありがとう、お父さん」
シャルロットにいえたのはそれだけだった。
話を終え、セドリックが安心したように息をつくと、諒兵が尋ねた。
「前に聞いたけどよ、デュノアじゃ第3世代機の開発遅れてんだろ?」
「そうだった。俺たちのデータはいいのか?」
そう尋ねた二人にセドリックは気にしないでくれと首を振る。
「問題ないよ。実のところ、作ろうと思えばすぐに作れるんだ」
「えっ?」と、シャルロットが驚きの声を上げる。
「シャルロット、お前のISの拡張領域には、クリスティーヌが設計したイメージ・インターフェイス武装の設計図があるんだよ」
「ええっ?」とシャルロットがまず驚き、さらに「マジかっ?」と一夏と諒兵が声を揃えた。
実のところ、クリスティーヌは科学者として研究は続けていたらしく、孤独に社長を続けるセドリックのために設計しておいたらしい。
いわばクリスティーヌの形見なのだ。
時期を考えると第2世代機が量産され始めたころなので、彼女がいかに先見の明がある優れた科学者だったのか理解できる。
「確認したが、すぐにでも開発が行えるレベルで設計してあった。ただ、設計図をカサンドラに奪われるとデュノア社の実権も奪われてしまう」
自分を傀儡として離さないというのなら、会社ごと取り返し、シャルロットを守るとセドリックは決意していた。
そこで設計図は自分の頭の中に記憶し、ISの拡張領域に隠して、シャルロットに持たせたままIS学園に行かせたという。
「だから安心していい。それより学園で、気兼ねせずに付き合えるたくさんの友だちを作りなさい。それが私の願いだよ、シャルロット」
「うん、ありがとうっ!」
そう答えたシャルロットの笑顔に、暗いものなどどこにもない。
だが。
「ああ、それと、シャルロットに不埒な真似をしたら許さないよ、キミタチ」
と、優しい顔から一転、一夏と諒兵を脅してくるセドリック。
「大丈夫です。もう友だちだし」
「変な真似なんかしねえって」
一夏と諒兵は笑顔を見せ、安心してくれと声を揃える。
「……うちの娘に女としての魅力がないとでも?」
「「どっちだよ」」
セドリックの親バカさ加減に思わず突っ込む二人。
「お父さん……」と、恥ずかしさに俯くシャルロットであった。
セドリックとの通信を切り、千冬は息をつく。
そういえば、と一夏が疑問を口にした。
「千冬姉、なんで俺たちに事情を話すんだ?」
「デュノアはしばらく、正確にいえば学年別トーナメントまでは男として過ごさなければならん」
つまり、他の生徒に女と知られるわけにはいかないということだ。
そのため、生活は一夏と諒兵の部屋で、着替えもしばらくは男子更衣室で行うことになる。
「なんでトーナメントなんだよ」と、諒兵。
「トーナメントはこれまでと違い、各国のIS関係者が見にくるのでな。まさかそこで女であることを知られたとフランス政府に知られるわけにもいかんだろう」
そこを越えれば、二学期の学園祭まで対外的には大きなイベントはない。
その間にセドリックが根回しをすることになっている。
「貴様らはどうしても接する機会が多くなるから、協力しろということだ」
「わかった」「うす」
返事を聞いた千冬は、肯くとシャルロットに向き直り、更衣室の奥を指差す。
「と、いうわけだ。デュノア、着替えはそちらに専用の部屋を作っておいた。中から鍵をかけられるのでそこで安心して行うといい」
「ありがとうございます」
「寮の部屋のシャワー室も同様に改造している。放課後には終わるだろう」
そういって、最後に小さな機械をシャルロットに手渡す千冬。
「これは?」
「即死級の電撃を放つスタンガンだ。こいつらが不埒な真似をしてきたら容赦なく撃て」
「「俺たちを殺す気か」」
「あは、あはは……」
突っ込む二人に引きつった笑いを返すシャルロットだった。
と、そこで諒兵が気づいたように声を上げる。
「呼び名どうするよ?」
「シャルロットはマズいけど、シャルルって呼ぶのもなあ」
シャルロットが本名である以上、シャルルと呼ぶのはどうも気に入らない。
偽名だし何より女の子を男性名で呼ぶのは抵抗があった。
「それならシャルでいいよ」
どちらにも取れるし、とシャルロットが続けるので、一夏と諒兵は親しみを込めてという意味合いでそう呼ぶことにしたと周りには説明することにした。
「それではそろそろ着替えろ。事情があったとはいえ、授業時間が押してしまっている」
「わかった」「うす」「はい」と、千冬の言葉に三者三様に答えたのだった。