ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第142話「運命の分岐点」

諒一の話を聞いたファムは開いた口が塞がらなかった。

彼は最初から、ファムが演技をしていることに気づいていたらしい。

もっとも。

「俺が警官だからかな、いつも緊張してるみたいでしたよ」

「……そりゃそうよ」

警察官を前にして緊張しない一般人はいないだろう。

そう考えたのか、ファムの緊張も一般人のものだと思っているらしい。

実際は違う。

諒一からアスクレピオスとティーガーの情報を引き出すための演技。

言うなれば任務をこなすための緊張だ。

それを誤解しているらしい。

(私が亡国の人間だとは気づいてないのか)

思わずホッとしてしまう。

もし、亡国機業から来た諜報員だと気づかれていれば、自分が知らない間に包囲網を築いていてもおかしくないからだ。

幸い、そんな心配はないらしい。

「でも、俺もあんまり緊張されるとやっぱり困るから、どこかで本音を見せてほしいなって思ってたんですよ」

「抜けてるのはフリだったわけ?」

「いやあ、抜けてるとはよく言われますけどね」

「地なのね」

それがうまいこと噛み合って、ファムの誘惑をするりとかわしていたのだろう。

こちらの思惑に気づいていたわけではなく、単に根が鈍感で天然なのだ。

そんな人間相手に策を弄していた自分が馬鹿らしいとファムは感じてしまう。

ただ。

 

良かった……。

 

と、何故かそう思ってしまった。

それはまるでノイズのように、ファムの思考を遮る。

そのせいか、ファムは一瞬固まってしまった。

「どうしました?」

「なっ、なんでもないわよ。こんな天然相手に女らしくしてた自分がアホらしいだけ」

「アホって」と、諒一は苦笑してしまう。

だが、ファムとしては演技を見抜かれていたことだけでも屈辱だ。

十分に愚かだといえるような失態である。

しかし、まだ正体がバレたわけではない。ただ、貞淑な態度は違うと悟られていたに過ぎない。

任務が失敗したというわけではないと自分に言い聞かせる。

ならば。

「正直な話、お礼がしたいと思ったのは本当よ。好き云々はやりすぎたと思うけど」

「内原さんだとたいていの男は勘違いしちゃいますから、ああいうのはやめたほうがいいですよ」

「その『たいていの男』の範疇に入らないヤツがよく言うわね」

今日まで半年ほどの時間。

これだけ果敢にアプローチしてスルーしてみせた天然男に対し、ファムは呆れてしまう。

これは今後もなかなか苦労することになるかもしれない。

だが、銃を突きつけて脅すのはファムのやり方ではない。

あくまで、相手のほうから真実を漏らすように仕向けるのが、亡国機業一の諜報員『ファム』なのだから。

もはや任務云々というよりも、プライドの問題になりつつあった。

「悪いけど、今後も通うわよ」

「いや、お礼ならもう十分ですよ」

「けっこう気に入ってるのよ。今の生活。それに料理を作る程度なら、別に苦じゃないし」

それは、今後も通うための嘘だった。

しかし、嘘ではなかった。

少なくとも、今の生活を気に入っているのは確かだ。

そして料理を作る程度は実際に苦ではない。

ならば、この言葉に含まれた嘘はなんだろう。

そこまで考えて、軽くため息をつく。

馬鹿げた思考に辿り着いてしまいそうな気がしたからだ。

だから、あえて冗談交じりに口に出す。

「あんたが私にプロポーズしたくなるまで通ってやるわ」

「あはは。内原さんなら引く手数多でしょう?」

冴えないお巡りさんに拘るよりイイオトコが見つけられますよ、と、本気でいっている諒一に対し、なんとなく腹が立ったファムは。

「いでっ!」

何故か思いっきり腕をつねってしまったのだった。

 

 

翌日から、ファムは戦法を変えた。

簡単に篭絡できるはずの鈍感天然男だと思っていた相手は、ファムの演技を見抜けるだけの観察眼を併せ持っている。

(考えてみれば刑事をやってたくらいなんだし、私のほうが甘かったわね)

簡単にだまされるようでは刑事など勤まるはずがない。

今は降格し、駐在所勤務の巡査になっているとはいえ、まったくの無能でもなかったということだろう。

自分の勘はある意味では当たっていたということか。

(いや、それどころかとんでもないタヌキの可能性もある。舐めたままじゃいらんないわ)

諒一が天然なのは確かだが、同時に優秀な策士でもある可能性が出てきた以上、これまでと同じやり方はできない。

日野諒一という人間を知る必要が出てきたということだ。

ゆえに、ファムはつかず離れずの距離で、諒一の行動をつぶさに観察することにした。

(つっても、ホントに普通のお巡りさんなのよね……)

書類仕事と地域の巡回。

たまに朝早く出たときは、隣町のほうの子どもたちの登校も見守っていたりする。

中には声をかけてくる子どももいるようで、お巡りさんとしても人としてもそこそこは信頼されているようだ。

より正確にいうなら、驚くほどその場に溶け込んでしまっている。

たまに、小さな女の子と話しているときがあるのだが、登校時間とは通勤時間でもあるわけで、道行く人が多いにもかかわらず、特に気にする人はいない。

あまりに自然すぎるからだろう。

女の子が悩みが晴れたような様子で駆け出していくと、手を振りながら再び自転車に乗ってキコキコと街を行く。

昔のドラマに出てきそうな、ただのお巡りさん。

それ以外に言い表しようがない。

(これもある意味才能?)

特別何かに秀でていることはなく、ただただ普通なだけの人間。

それを才能と呼ぶのであれば、確かに才能があるのかもしれないとファムは思う。

しかし、ファムに理解するのは難しいが、実のところ、それは稀有な才能ということができる。

その場にいて周りをいい方向に導くというのは、一見目立たないが重要な存在なのである。

誰からも信頼され、誰にでも安心感を与えられる人間は、その言葉が、行動が、人を導く。

しかし、目立たないがゆえに周囲に埋没し、ただの一般人としか見做されない。

ゆえに、本来ならば、普通に生活し、普通に家庭を築き、普通に子どもを作って、育て、そんな普通の幸せを手にする。

それが日野諒一のあるべき人生だ。

ティーガーやアスクレピオスと関わることになったのは、本来は諒一の人生から外れた道だといえた。

ゆえに、ファムが諒一に関わることになったのも、本来は日野諒一の人生からは外れたことなのだろう。

もっとも、そんなことはファムにとっては知ったことではなかった。

 

 

それから数日が過ぎる。

通い妻を続けつつ、日中の行動を観察を続けているファムは、帰宅後、諒一の情報をパソコンに入力していた。

無理に肉体関係に持っていく必要がなくなったため、今は素直に帰宅するようにしている。

向こうから迫ってきたら受け入れてやってもいいと思っているが、当然そのときは見返りを要求するつもりだ。

しかし残念ながらまだ迫ってこない。

「枯れてんのも地だっつーの?たく……」と、毒づく。

しかし、向こうからやる気を起こさせなければ、女としての矜持にかかわる以上、無理に迫ることも出来なかった。

長期戦になるのは覚悟のうえで、何としてもあの男のほうから自分にプロポーズさせたい。

とはいえ、あまり時間もかけられないだろう。

ゆえに。

「勘が当たった?」

「あの野郎、とんだタヌキだわ。私の演技を見抜いてたのよ」

「あなたの演技を見抜いたっ?!」

画面の向こうのスコールが驚愕の表情を見せる。

諜報員であるファムの演技を見抜けるというのは、並みの観察眼ではないからだ。

「さすがに諜報員であることは気づかれてないわ。ただ、地の性格を見抜いてきたのよ」

「脅かさないで。さすがに警察官にそこまで見抜かれてたら『後始末』が面倒よ」

「わかってる。そこまでのヘマはしないわ」

ファムはスコールへの連絡で、自分の性格を見抜かれていたことを素直に報告した。

隠すこともできるが、ここは報告しておいたほうが、後々動きやすいと考えてのことだ。

「しかし、そうなると……」と、思案する様子を見せてきたスコールに対し、ファムは自分の意見を口にする。

「脳筋と頭でっかちの脱走を手引きした可能性は高いわ。黒百合や更識とも独自につながってる可能性がある」

「……イージーモードどころか、ルナティックレベル?」

「まあね。だからこそ、重要な情報を掴んでるはずよ」

実際に掴んでいる可能性があるかどうかはわからない。

正直に言えば、口からでまかせなのだ。

ただ、ここで任務を放棄することはできない。

何か知ってるはずなのは間違いないし、口からでまかせもひょうたんから駒のように真実を言い当ててる可能性もあるからだ。

ゆえに、ファムはスコールに任務の続行を告げた。

「確かに、ここで放置するべき相手ではないかもしれないわね」

「そうよ。だから、しばらくこっちに集中したいんだけど」

「まあ、今のところ、他の任務は別の諜報員でもがんばれば何とかできるものしかないみたいだけど」

緊急で自分が出張らなければならない任務がないというのであれば、諒一を相手にする今の任務に集中するほうがファムとしてはありがたい。

ゆえに、ファムは自信たっぷりの笑みを見せた。

「少しは手柄を分けてあげないとね」

「あなた、そういうところが嫌われてるのよ?」

「自分に自信を持つのはいいことよ?」

「自分でいうのがあなたらしいわね」

悪友に見せるような砕けた笑みを見せるスコール。

実際、スコールはファムのこういうところを気に入っているらしい。

いい意味で、友人といえる関係を築ける相手と感じているらしかった。

「まあいいわ。そこまでの相手なら集中したほうがいいでしょうしね」

「そう、助かるわ」

「ただ、悪いけどスカウトも考えておいて」

「スカウト?」

「使えるのなら、引き込んでおいて損はないでしょう?」

確かに、使える人間であるというのであれば、亡国機業の一員として迎え入れるのは悪くない。

というか、そういう人間を拉致したり、勧誘したりして亡国機業は人員を増やしてきたのだ。

スコールがそう考えるのは、決しておかしな話ではない。

ただ。

「そ、うね……」

と、ファムはその言葉に奇妙な引っ掛かりを覚えた。

ファム自身は、あまり人員のスカウトで動いたことはない。

あくまで情報を得る。

その情報を吟味し、スカウトするかどうかを判断するのは上層部の役割だ。

だから、勧誘することなど考えたことがないせいだろうと自分を納得させる。

「頼むわね」

「任せておいて」

そう答えるものの、心に刺さった何かが奇妙な痛みを齎す。

通信が切れ、スコールの顔が見えなくなってからファムはため息をついた。

いずれにしても、任務が続行できること、長期戦になることは許可されたようなものだから問題ない。

しかし。

 

あの人は、きっと……。

 

思考に混ざる奇妙なノイズに、不快で心地いいという矛盾した感想を抱いていた。

 

 

 

いったん小休止と称して、温くなったコーヒーに口をつける丈太郎。

そこに、鈴音が声をかけてくる。

「正体だぁ?」

「結局、諒兵のお父さんは知ってたのか知らなかったのか気になっちゃって……」

「そこらへんは曖昧だ。知ってたんかしんねぇし、知らなかったままなんかしんねぇし」

ただ、と前置きして丈太郎は語る。

日野諒一という男性は、相手をしっかりと見るという。

ただ、それはどういう職業とか、どういう立場だとかではない。

目の前にいる人間の本質を見抜いてくるというのだ。

「本質……ですか?」と、興味深げに声をかけたのは誠吾だった。

しかし、他の者たちも興味津々である様子だ。

「俺が語るんもおこがましぃがよ、男と女の恋愛話だかんな。お互いを探り合うのは当然かしんねぇ。ただ、旦那はそういったことを細けぇこったと感じる人だったように思う」

「細かいことなの?」と、鈴音は少し呆れ顔である。

相手が犯罪者であったなら、簡単に許せる立場ではないし、環境の違い、立場の違いは人間関係の構築において決して無関係ではない。

それを細かいことと断じるのは早計が過ぎるだろう。

しかし。

「目の前にいて、てめぇと話してる。そうして手に入れた印象を一番でぇじにしてたんだ」

つまりは、先入観に惑わされないということである。

余計な情報を一切排除して、相手に感じた印象と言葉を信じる。

それは一見すればだまされやすい人間ということができるだろう。

しかし、しっかりと人を見抜く目を持っていた日野諒一という男性は、それではなかなかだまされない。

逆に、相手の本質を見抜き、心に踏み込んでくるのだ。

「そうじゃなきゃ、簡単に友だちにはなれなかったよ?」

と、束も助け舟を出してきた。

「束博士?」

「目の前にいる人をちゃんと見てるから、安心できるんだよ。嘘すらも受け入れてね。その度量の広さこそが、りょうくんのお父さん、おじさんの魅力だったと思う」

「嘘もかよ」と、諒兵。

「嘘の中にある心の真実まで見抜いてこられたら、降参するしかないよね」と束は苦笑した。

単純に嘘を否定するのは簡単だ。

相手を決め付けて押さえつけるのはもっと簡単だ。

自分に都合のいい人間にさせようとしているのだから。

相手をそうすることが出来るなら、人間関係の構築は実に楽だろう。

ただ、日野諒一という人間はそうしなかった。

「相手を見て、相手の言葉を聞いて、そこから心の奥底に踏み込んでくる。嘘をつくことすらも、本当の意味で相手を信頼するための材料にできるってことですか?」

そう尋ねてきたのは真耶だった。

人間としても尊敬できる相手であると感じているらしい。

「嘘をつく相手を信頼するなんてぇな、ほとんど離れ業だがよ。嘘にはてめぇの心を守る鎧の効果もある」

「でも、その嘘自体をしっかりと聞いているなら、そこから相手の心が見えるということなんですね」と千冬。

「だろな。嘘も言葉だ。その人間の本質が現れる。演じることを当たり前にしてきたファムの嘘も、その嘘自体が、キャラクターを演じる人間だという証になっちまう」

「そこを突いてきたから、りょうくんのお母さんの心に変化があったんだろうね」

嘘で作られた心の壁。

その壁を見る人間などほとんどいないだろう。

普通に考えれば邪魔な存在だからだ。

しかし、その作られた壁自体も、その人の本質を現しているというのは決して間違いではない。

人を見るというのは、そこまでを見て初めてできることなのかもしれない。

「壁を取り払うんじゃなく、壁ごと相手を包み込む。それができる人だったってこった」

そこまで出来る人間だったというのなら、特別な能力がなかったとしても、相当な人物であったようにも思える。

ファムが諒兵を産むに至る気持ちになったのは、そういった日野諒一に近づきすぎてしまったからなのかもしれない。

しかし、彼女は。

「途中からは、自分のほうから近づいてったんでしょ?」

「地の性格が知られたあたりで、もう引き返せなかったんじゃないかな」と答えたのは束だった。

本当は、諜報員であろうとするならファムはこの時点で日野諒一と切れるべきだっただろう。

しかし、ファムは諒兵の母親になる道を、このとき既に選んでいたともいえる。

「人の心ぁ、人の自由にゃならんさ」

そういって苦笑した丈太郎に、全員が納得したような表情を見せた。

 

 

 

 


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