ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第143話「ファントム・タスク」

遥か空の上。

アンスラックスは微動だにせず、眼下を見下ろしていた。

そこに現れたのは一見するとAS操縦者にしか見えない黄金の妖女。

『其の方が我の元に来るとは珍しい』

『あらん、私、よっぽどのことがない限り、付き合う相手に差別はしない主義よん♪』

『誰のことをいっているのかは聞かずにおこう』

実のところ、かつての操縦者と一番気が合わないISであったスマラカタ。

アンスラックスも知っているだけに、あえて突っ込まないことを選んだのだ。

『でもお、今動かないのは空気読んだのお?』

『……ティンクルとディアマンテが聞いている話のことか?』

『そ。水をささないようにってことかしらん?』

スマラカタの言葉に、ため息をつくような仕草をすると、アンスラックスは素直に答えた。

『テンロウとは事を構えたいと思わぬのでな』

『あー、今、手を出すと本気で向かってくるわねん』

なんだかんだといって、天狼はかなり傍迷惑な存在ではあるが、その実力は一目置かれているらしい。

『それに、彼奴めが監視しているモノも気にかかるゆえな』

『なあにそれ?』

『アクセスできないモノがいるのは気づいておろう?』

そういえば、と、スマラカタは真耶そっくりの顔で思案し始める。

あまり興味を持っていないが、一応知ってはいるらしい。

『なんだかよくわかんないのがあるけど、それのことお?』

『それのことだ。シロキシが動いたのを感じた。あ奴も気にしているらしい』

『シロキシが気にしているなら、よっぽどねえん……』

『急がねばならぬやもしれぬ。近く動くつもりだ』

ふうん、と、スマラカタは興味を失くしたらしく、すぐに飛び去っていく。

その姿を見て、アンスラックスはため息をつく。

『人を救うというのは、なかなかに難しいものよな……』

その呟きは、誰にも聞こえなかった。

 

 

一方。ドイツ。

ドイツ軍、シュヴァルツェ・ハーゼ隊舎。

こんな美味しい話を……。

もとい、ラウラにとっても重大な話を彼女たちが放っておくことなどできるはずがない。

当然のこととして。

「これは、かなり厳しい話ですね、おねえさまがた……」

「そうね。今はまだいいけど、この先のことを考えると辛くなるわ」

『少なくとも、父親のほうはもう絶望的ね……』

沈んだ表情で感想を述べる隊員に、クラリッサやワルキューレも同意する。

「それは、おそらく死んでいるだろうということでしょうか?」と、アンネリーゼが意見すると、クラリッサは肯いた。

「これほどの『いい人』が、息子を捨てるなんてあり得ないわ。仮にファムという亡国の諜報員が最終的には任務を優先したのだとしても、この父親なら絶対に息子は守ろうとしたはずよ」

『でも、リョウヘイ・ヒノは孤児院で育った。そうなると考えられるのは、息子を守れない状況にさせられてしまった。……つまり『殺された』ということね』

クラリッサやワルキューレが普段の調子はどこへやったのか、かなり真剣な表情でそう答える。

「ワルキューレおねえさま、亡国機業についてネットワーク上に資料は残っているのでしょうか?」

『待っていて。今、調べるから』

別の隊員の言葉にそう答えるなり、ワルキューレはホログラムを消した。

ワルキューレのモチーフはハウンド、すなわち猟犬だ。

人間の狩りの補佐をする役割を持つ犬のことだが、正確には個体名ではなく分類群なので様々な種類がある。

視覚に優れた猟犬、嗅覚に優れた猟犬と能力は様々だが、共通している点は『獲物を見つける』事において、他の追随を許さない。

それがハウンド、猟犬である。

それをモチーフとするワルキューレが、探索において他に劣ることなどありえるはずがなかった。

『集めてきたわ』

「簡単にまとめてくれる?」

クラリッサの言葉に肯いたワルキューレは、簡単にまとめ、報告を始める。

まず驚かされるのは、かかわりを持っている企業の多さだ。

『世界各国のIS開発企業がかかわっているわ。デュノア社まであるわよ』

「それは、たいていの軍事企業なら、かかわりがあったということでしょうか?」と、アンネリーゼ。

『そうね。かかわりの大小はあるけど、有無はほとんどないわ。とんでもなく巨大な軍需複合体って考えるべきね』

他にもアメリカ、イギリス、イタリア、中国、日本の企業もかかわりがあるとワルキューレは報告してくる。

となると。

「ドイツは?」と、クラリッサが尋ねるのも当然だろう。

『一時期かかわってたわね。ラウラが苦しめられたVTシステムの一件。あれを実行したスタッフは亡国とつながっていたようよ』

既に粛清され、放逐となったが、むしろ温情を与えすぎたとその場にいる一同は思ってしまった。

だが、あの一件について考えてみれば、当然のことと納得はいく。

当時は謎に包まれていたAS。

その兵器としての有用性を知ろうとするために仕組まれたことだったのだ。

「異常なまでに研究熱心ね」と、クラリッサがため息をつく。

『兵器に関する情報と開発能力。それが亡国機業の存在理由でもあった。だからこそ、でしょうね』

完全な個人所有物と化していた一夏の白虎、諒兵のレオは、普通の方法ではデータを手に入れられない。

IS学園のみならず、丈太郎も隠匿に協力していたのだから。

そして、丈太郎は性格的に亡国機業に手を貸すことはまずない。

そうなると、こういった手段しかなかったのだろうと理解できた。

「亡国機業は今はどうなっているんですか」と別の隊員が尋ねると、ワルキューレは苦笑いしてしまう。

『本部があった場所は壊滅してるわ』

「えぇっ?!」

『二機は今は人類の敵。もう一機は紆余曲折を経て協力者になった三機の力でね』

かつてのアラクネ、サイレント・ゼフィルス、ゴールデン・ドーンのことである。

今は敵対している機体が多いとはいえ、その働きはむしろ感謝したいものだった。

「でも、ひょっとしたら……」と、アンネリーゼが不安そうな顔を見せると、ワルキューレは肯いた。

「その三機、リョウヘイ・ヒノの母親を巻き込んでいる可能性があるわね」

クラリッサは努めて冷静に語るが、その可能性は大きいだろう。

つまり、諒兵の母親であるファムは、亡国機業壊滅までは生きていた可能性もあるのだ。

『マドカ・ヒノの言葉を考えると、その可能性はゼロではないわ。あまり、気にしたいことでもないけど』

そう答えてすぐにワルキューレは続けた。

『そろそろ続きが聞けそうよ』

その言葉に、シュヴァルツェ・ハーゼ全員が真剣な表情に戻る。

テーブルの上にあるスケッチブックや原稿用紙を見なければ、大変マジメな光景である。

「あんたたち、人の過去話をネタにしないでよ……」

アンネリーゼがそっと呟いていた。

 

 

 

ファムの駐在所通いは、スコールへの報告を済ませてからだいぶ大胆になってきた。

早く起きることができた日には、朝から押しかけて朝食から振舞う。

やはり一日の活力源は朝食にあるのは間違いなく、諒一としても朝から美味しい手料理が食べられるのは嬉しいらしい。

「ここまでされると本当に申し訳ないです」

「申し訳ないと思うなら、もう少し色気出しなさいよ。あんたホントに枯れてるわねえ」

「人並みには興味あるんですけど」

「私にケンカ売ってんの?」

色香で男性を惑わせ、情報収集をしてきた一流の諜報員であるファムとしては本当にケンカを売られている気分である。

人並みに興味があるというのなら、人並みの反応を見せろというのだ。

それがまったくの無反応。

それどころか華麗にスルーしている。

諒一には性欲がないのではないかとわりと本気でそう思うファムである。

実際。

「それが何よりの証拠じゃないの」

「それ?」と、首を傾げる諒一の手元にある湯飲みをファムは指差す。

「まだ二十代だってのに、食後に飲むのが日本茶とかジジ臭すぎるってーの」

実際、ジジ臭い。

というか、縁側で日向ぼっこをする年寄りの雰囲気である。

枯れ過ぎだろうとファムが思うのも、決して間違いではない。

「いやあ、こっちに赴任してきてからというもの、見回りのたびにお茶を出してくれるんですよ。だから慣れてしまって」

刑事だったころは、珈琲党であった諒一だが、お巡りさんとしてこの駐在所勤務になってからはお茶をよく飲むようになった。

理由は彼自身が語ったとおりである。

郷に入っては郷に従えということだろうか。

そんな順応力の高すぎる諒一だが、ファムとしては巻き込まれるのは御免である。

「あんたに付き合ってると、私までババ臭くなりそうだわ」

「いいじゃないですか」

「なによ?」と、剣呑な表情を見せるファムに、諒一は相変わらずの笑みを見せる。

「毎日をのんびりと過ごしながら一緒に年をとるのって、とても幸せなことだと思うんですよ」

「はあ……」と、ファムはため息をつく。

だが、諒一の考えを否定する気にもなれなかった。

この男の性格には合っているのだろう。

刺激的な毎日。

裏に関わる危険な日常。

それとはまったくの正反対に位置する、退屈すぎる平穏な日常は、日野諒一という人間には合っている気がする。

彼の傍にいるような女性は、きっと同じように毎日を平凡に、でも、それを楽しみながら生きていくのだろう。

ただ。

 

「確かに、それが一番幸せなのかもしれませんね」

 

そんな言葉がファムの口を衝いてでる。

少し間を置いて、その言葉に違和感を持ったファム。

それは諒一も同じらしい。

「無理に敬語使わなくてもいいっていったじゃないですか」

「ちっ、違うわよ。勝手に口から出ただけ」

いつもの、どちらかといえば少し乱暴な言葉遣いとは違う『内原美佐枝』として演技していたころの口調だった。

何でそんな口調になったのかはわからないが、今のは決して演技ではなく、勝手に口から出た。

(何なのよ……)

その違和感が何であるのか、ファムには理解できなかった。

 

帰宅途中。

ファムはもはや通うことそのものが目的になっていることを自覚していた。

そのせいだろうか、潜伏場所に戻るのが辛い。

(泊まってくほうが朝は楽だし。それにここから距離を詰められないと先に進めないし)

諒一は簡単に人を信じるが、同時にここまでという線引きが上手い。

必要以上に人を信じること、そして人に信じさせてしまうことが危険だということを理解しているのだ。

ゆえに、ファム、すなわち『内原美佐枝』のことも、過剰なまでには信じてはいない。

その壁を突き崩していかない限り、諒一の懐には永遠に入り込めないだろう。

そして諒一に対して壁を崩すなら、一気に迫るよりも長い時間一緒にいることで、安心感を与えるほうが正しいはずだとファムは理解している。

ならば、一番いいのは同居だ。

同棲ではない。

色気のある関係よりも、一緒にいられる家族のような存在になるのが正しい。

ただ、今『泊まる』という言葉は使いにくい。

一度それで誘っているからだ。

スルーされたが覚えていないはずがない。そういうところは油断できない相手だからだ。

そうなると、使ってしまうとさらに距離を置かれてしまう可能性のほうが高い。

面倒くさい相手だといえるだろう。だが……。

 

「いいじゃないですか。一緒に住むくらい……」

 

そんな言葉が口を衝いてでてしまったことに、ファムは気づかないでいた。

 

 

マンションの自分の部屋の前まで来たファムは、中から人の気配を感じ、険しい表情になる。

そしてすぐに細工してあった玄関近くの壁を叩いて隠し扉を開き、拳銃と催涙弾を取り出した。

壁に身体を隠しつつ、扉だけ開くとすぐに催涙弾を投げ込む。

だが、破裂音を待つものの、いつまで経っても聞こえてこない。

さらには。

 

「安心したわ。鈍ってるんじゃないかと心配してたのよ?」

 

と、そんな声が聞こえてきた。

ふうと息をついたファムは拳銃を懐にしまうと、玄関から中に入る。

中にはリビングのソファに座ってクスクスと笑う女性の姿があった。

そんな女性に、ファムは少しジトっとした目になりつつも、気さくに声をかける。

「私を試したわけスコール?」

「任務が任務だもの。気が抜けてるんじゃないかと思ったのよ」

「この程度で鈍るような鍛え方してないっての」

そう答えたファムは、冷蔵庫からワインを取り出すと二つのグラスをテーブルの上に置き、スコールの相向かいに腰掛ける。

きゅぽっとコルク栓を抜き、グラスにワインを注いだ。

「ありがとう」

「別に。最近飲む機会も少ないし、私も飲みたかっただけよ」

そう答えたファムは、すぐにスコールに尋ねる。

「催涙弾は?」

「これ」と、スコールが出してきたのはゼリー状の塊だった。中に催涙弾が包まれている。

「最近開発された爆発物処理剤よ。試すのにちょうど良かったわ」

「もったいないことしたわ。あんただってわかってれば、顔面に拳銃投げつけて終わりにしたのに」

「ひどいこというのね」と、スコールは言葉とは裏腹に楽しそうに笑う。

そんな彼女を見つつ、ファムは苦笑しながら別のことを尋ねた。

「それで、ここに来た理由は?」

「こっちでも独自に調査しててね。ティーガーとアスクレピオスの居場所の特定に来たのよ」

「見つかりそうなの?」

そう聞いたファムに対し、スコールは苦笑を返す。

あまり芳しい状態ではないらしい。

そう思ったファムは。

 

良かった……。

 

と、思考にノイズが走るのを感じ、頭を振る。幸いなことに、スコールは気づかなかったらしい。

「ミスリードされてるわ」

「ミスリード?」

「居場所の情報が多すぎるのよ。たぶん更識ね」

「なるほどね」と、ファムは納得する。

木を隠すには森の中という。

まったく見つけられないように情報を隠匿するのではなく、近い情報を無数にばら撒くことで目眩ましにしているということだろう。

「困ったことに確認しないわけにはいかないようなものばかり。仕方ないから私も出張ってきたのよ」

「更識のお膝元で更識と情報戦か。厳しいわねこりゃ」

日本という国において、裏組織のトップともいえる更識家と情報戦をするとなると、亡国機業の人間でも難しい。

相手は日本という国を熟知しているからだ。

そうなると、どうしても時間がかかってしまう。

ゆえにスコールは困った顔を向けてきた。

「だからあなたには頑張ってほしいのよ、ファム」

今、ティーガーとアスクレピオスの居場所の情報に一番近いところにいるのはファムだ。

日野諒一から情報を引き出せれば、一気に辿り着くことができる。

期待されるのも当然だろう。

「一筋縄じゃいかないわ。もう少し時間がほしいわね」

「あまりかかるようなら、アスクレピオスの子ども自体、諦めることになるわ」

なるほど。上層部は行方知れずの脱走者に無理に時間をかけるより、別のことに時間を割きたいのだろう。

確かに、そろそろ潮時かもしれない。

でも、ここで諦めたくない。

 

(今の生活を捨てたくないもの……)

 

ふと、そう思ったファムだが、スコールの前でおかしな表情は見せられないと気を取り直す。

「面倒だけど、少しスパートをかけるわ」

「そんなに面倒なのかしら?」

「あれが国家機密を持ってるVIPだったとしたら、私は仕事したくないわね」

「とんでもない男性なのね……」

驚いた顔を見せるスコールに、ファムは苦笑を返す。

実際、今までであった中で一番平凡なわりに、一番面倒で、一番とんでもない。

そのうえ。

 

(一番一緒にいたいと思えるし……)

 

そんな気持ちを振り払うように、ファムは口を開く。

「いずれにしてもスパートはかける。後、ここは引き払うわ」

「別に部屋は壊してないわよ?」

「本腰いれたいの。しばらくは連絡もつかなくなると思うわ」

「そう、わかったわ。気をつけなさいファム」

「いわれなくても」

そう答えたファムを見て、スコールは心配そうな顔を向ける。

そんな彼女に対し、ファムはただ『昔のように』笑みを向けるだけだった。

 

 

 

 


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