ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第146話「別れ」

真面目に聞いていた箒に対し、ヴィヴィが問いかける。

「何だ?」

『リョウヘイのママー、どう思うー?』

直接、丈太郎から話を聞いている鈴音、シャルロット、セシリア、ラウラが何を思ったか。

気を利かせたのか、その場にいたISコアたちがヴィヴィにも教えてくれた。

ゆえに、箒がどう思うのか気になったらしい。

少しの間、思案したのち、箒は口を開く。

「虫が良すぎる」

『んー?』

「裏組織の諜報員だったんだろう?話を聞く限り、人を殺してきたこともあるはずだ。なのに、罪を償わずに幸せになろうなど虫が良すぎる」

それは正しい答えといえるだろう。

ファムであったころに犯した罪が、美佐枝になったことで消えたわけではない。

だが、諒兵の母親は罪を償うことなく、正確にいえば罪を犯していた自分自身のことを忘れ、自分を受け入れてくれる人に身を任せた。

それは、箒の言うとおり、確かに虫が良すぎる話である。

『ホウキってけっこうロウフルー』

「何だそれは?」

『クソ真面目ー』

「お前一発殴っていいか?」

真面目ならともかく、クソ真面目だと罵倒されてるとしか思えない箒である。

だが、ヴィヴィとしては一応は褒めたつもりらしい。

『法を犯さないってことー』

「さすがに全部とはいえないが、法を守るのは当たり前だろう?」

本来、法とは人が人と生きていくために作った決まり事だ。

互いに守った上で、共存していくのがあるべき人の生き方だろう。

ただ、そんな簡単にいくものでもない。

『みんなー、一番大事にしたいのは自分の気持ちだからー』

「それは否定しないが……」

それがわからないほど頑固でもない箒だが、諒兵とは距離を置いているためにそういった意見が出る。

しかし、それも一つの正しさだ。

『そこは自信持っていいぞー』

「何でお前の言葉は妙に引っかかるんだろうな?」

褒められているはずなのに、褒められている気がしない箒だった。

 

 

 

雨の中を走り続け、民家の塀に身を寄せた美佐枝は、そのままずるずると腰を下ろした。

はあはあと荒くなった息を必死に整える。

赤子の入ったゆりかごを抱えたまま走り続けるのは美佐枝にはけっこうな重労働だった。

(身体が鈍ってる……)

かつての自分の残滓が、嘲るように今の自分を責め立てる。

昔はもっと身軽に動けた。それだけでなく、お荷物はすぐに捨てただろう。

今、完全なお荷物になっているのは……。

「捨てられるわけないじゃないのっ!」

自分が産んだ愛する人との結晶。

美佐枝に、それを捨てることなどできるはずがない。

諒一は言ったのだ。「りょうへいをたのむ」と。

あのとき、他の誰でもなく、自分に大切なものを託したのだ。

その想いを裏切ることなどできるはずがない。

大事な我が子を手放すことなどできるはずがない。

でも。

「私のせい、よね……」

自分の過去が、今の幸せを壊そうと追い縋ってきた。

忘却の彼方へと追いやっていた『ファム』としての過去が、退屈でも平穏な幸福に満たされていた『美佐枝』という今を壊そうとしている。

自分が『ファム』でなければ、本当に最初から『内原美佐枝』という、どこにでもいる一般人だったなら、きっとこんなことにはならなかったはずだ。

『日野美佐枝』に変わることも、まったく無理な話ではなかったはずだ。

自分が『ファム』から『日野美佐枝』に変わろうとしたことで、その歪みが自分に襲いかかってきているのだ。

その結果、諒一は命を落とした。

「うっ、うぅ……」

そう思った途端に涙が溢れてくる。

誰かに殺されるような人ではないのに。たくさんの人と、ただ平穏に生きていけるはずだった人なのに。

自分のせいで命を落としてしまった。

そのうえ自分も命を狙われている。

だが、自分は自業自得だ。過去を都合よく忘れ去ろうとした報いだ。何もなかったことになど出来ないのに。

そして。

「……諒兵も殺される。生かされたとしても拉致される」

このままでは、平穏な生活など望むべくもない。

せめて死んだのが自分であれば、諒一がきっと立派に育ててくれただろうと思う。

だが、今、赤子を抱えているのは自分だ。

自分が何とかするしかない。しかし、追跡をかわしながら育てていくには、かつて自分がやってきたことが邪魔をしてしまう。

諜報員を放置したまま見逃してくれるはずなどないのだから。

そうなれば。

「園長先生にお願いするしか……」

『百花の園』の園長なら、何とか守っていってくれる可能性がある。

もともとが孤児院だ。預かってくれる可能性も高い。

ただ、それはすなわち我が子と別れることになるということだ。

きっと、もう二度と会えない。

切り離せない過去のせいで、愛する人の命を奪われ、愛する我が子と引き離されるのが自分の運命だというのなら。

「……『ファム』になんか、なりたくなかった……」

嗚咽を漏らしながら、美佐枝はそう呟いていた。

 

しばらく休むことで体力を回復させた美佐枝は、今度ははっきりと孤児院『百花の園』を目的地として歩きだした。

自分の手で育てるのは、あまりにも難しい。

なら、信頼できる相手に委ねるしかない。

それが、かつては組織と敵対していた人間であるということはいったいどんな皮肉だろうと思う。

それでも、今はそこ以外に選択肢がない。

ゆえに、ゆりかごを濡らさないように、自分の身体を傘代わりにして抱える。

「諒兵、もうちょっと我慢して」

自分のいっていることが理解できるはずがないが「だあ」と、赤子はその小さな手を伸ばし、美佐枝の頬に触れて笑ってくれた。

それだけで、何としても守り抜こうという強い意志が芽生えてくる。

赤子には何の力もない。

誰かの手を借りることしか出来ない。

だからこそ、傍にいる者の庇護欲を掻き立てる。

それはある意味では自然の摂理といえるだろうが、きっと、それだけではないはずだと思う。

自分と諒一の想いをカタチにしたのが、この子だ。

ゆえに、自分を励ましてくれたのだと美佐枝は感じる。

それこそが親子の愛情なのだ、と。

そんなことを考えながらどれだけ歩いただろう。

ようやく『百花の園』の建物が見えてきて、美佐枝は安堵の息をつくと共に、胸が締め付けられるような痛みを感じる。

あそこまでいけば赤子は守られる。

でも、自分は二度と会えない。

あそこまで辿り着いたが最後、そこで自分の母としての役目は終わる。

終わってしまうのだ。

ほんの数時間前は、これから長く妻として母として大変な日々が続くと思っていたのに、こんなに早く終わってしまう。

そう思うと自然と足が重くなる。

まだ少し。

もう少し。

この子の母親でいたい。

その思いが自分の足に錘となって絡みつく。

気づけば、後数百メートルというところで足は止まってしまっていた。

また、涙が零れてくる。

前に進めば別れ。このままならば地獄への道連れ。

自分にとっても、我が子にとっても、それは決していい未来とはいえない。

ならば、少しだけでもいい方向にいけるように前に進むべきなのに、足が動いてくれない。

この手に何一つ残らない運命なんて、望んだ覚えはないのに。

「諒一さん、私、どうしたらいいの……?」

もはや、答えてはくれない人に縋るしかできない自分を情けないと思う。

彼が永遠に答えてくれなくなってしまったのも、原因は自分なのだから。

「きゃっ?!」

そのまま立ち止まっていると、突然腕を掴まれ、脇道に引っ張り込まれた。

程なく、通りを自動車が通り過ぎていく。

その窓からは、先ほど自分たちに襲いかかった女性の姿が見えた。

「日野に関わると、皆、普通の人間らしさを取り戻すのだな」

聞き覚えのない声に振り向くと、切れ長の目をした男性が立っていた。

「誰……?」

「更識の楯無。そういえばわかるはずだ。かつての貴様ならば」

「あ……」と、声を漏らしたのは美佐枝自身だったのか、それともかつての自分だったのか。

確かに知っていると何かが伝えてくる。自分たちとは敵対する、この国の暗部。

「私、を……?」

「それは貴様次第。ただ、ここまで来たということは、その赤子、師範の孤児院に預けるつもりなのではないか?」

孤児院で思い出す。

おぼろげな記憶の中で、かつて黒百合と更識が共闘したことがあるという情報を。

そもそも、ティーガーとアスクレピオスの脱走に、この二人が関わっていたということを。

「……日野に請われ、その二人の脱走に手を貸したのは確かだ」

「諒一さんに?」

「あの男は本当にお人好しだった。困っていると感じたから助けたい。その思いに打算も何もなかった。ゆえに興が乗った。師範も同じだろう」

そもそも諒一には何の利益もなかった。

降格されたことを考えれば損したくらいだ。

それをまったく気にしない。

そんな諒一のあまりのお人好しぶりに、何故だか手を貸したくなったのだと楯無は説明してくる。

「そうね。そういう人だから、一緒にいたいと思ったんだもの……」

しかし、自分の過去が諒一の命を奪った。

そして、この身を通して、彼との間に授かった命も奪われようとしている。

わかっている。

このまま自分と一緒にいれば、この子の未来から光を奪ってしまう。

でも、動けないのだ。

託された命を母として守り通したいのだ。

それがただのわがままだとわかっていても。

自分には過ぎた願いだと理解していても。

ゆえに。

「お願い。この子を『百花の園』に届けて」

絞り出すような声でそう告げた美佐枝は、ゆりかごを楯無へと差し出す。

「……いいのだな?」

「私が傍にいたら、この子は不幸になるから……」

我が子のために、自分にできることをする。

ただそれだけのことだ。

しかし、ただそれだけのことが、死んだほうがマシだと思えるほど辛かった。

「何か残しておきたい言葉はあるか?」

さすがに同情したのか、楯無がそう尋ねてくる。

美佐枝は彼からメモ用紙を貰うと、そこに短い文章をしたためた。

 

 

この子の名前は『日野諒兵』といいます。どうか、強い子に育ててください。

                              内原美佐枝

 

 

そして、メモ用紙をゆりかごに挟みこむ。

何故、『日野美佐枝』と名乗らないのかと楯無は訝るが、わざわざ聞こうという気にはなれなかった。

何故なら。

 

「ごめんね、ごめんねりょうへい。わたしがファムなんかじゃなければ、ホントにみさえだったら、きっとみんなでしあわせになれたのに。ごめんね……」

 

溢れる涙を拭おうともせず、我が子に縋る姿を見て理解できたからだ。

ただの内原美佐枝として人生をやり直したいのだ、と。

その想いをしたためたのだ、と。

 

「さよならっ、しあわせになるのよっ!」

 

そういって未練を断ち切るかのごとく走り出した美佐枝の背中を見つめていた楯無はポツリと呟いた。

「不器用だな。人のことは言えぬが……」

せめて託された赤子は望みどおり届けようと楯無は孤児院『百花の園』に向かって歩きだした。

 

 

雨の中。

孤児院『百花の園』とは正反対の方向に走り続けた美佐枝。

「あぐっ!」

右腕に受けた唐突な痛みに、思わず転びそうになってしまう。

叩き付けるように壁に身を預け、人の気配を感じる方向に顔を向ける。

「スコール……」

「子どもはどうしたの?」

そう尋ねてきたスコールだが、答えを聞く気はないらしい。

構えた銃を下ろそうとしていない。

「捨ててきたわ」

「かつての貴女ならそうしたでしょうね。でも、今の貴女は絶対にやらない」

あっさりとスコールは否定してきた。

理解できる、というより、感じているのだろう。

自分が、もうかつてファムと呼ばれていた人間ではなくなってしまっていることを。

そして、スコールの言うとおり、我が子を捨てることなど美佐枝にできるはずがない。

安全な場所に預けたことが、身を引き裂かれるように辛いのだから。

「ファム」

「ちがうッ!」

美佐枝が叫ぶとスコールは目を剥いた。

「ファムになんか、なりたくなかった。普通の女でよかった。普通の女として、あの人と出会いたかった。普通の女として、諒兵を産みたかった……」

 

人が羨む美貌。

誰もが振り返るような容姿。

相手を完璧に騙す演技力。

嘘すらも信じ込ませる話術。

 

普通の女の何倍もの才能をファムは持っていた。

しかし、美佐枝にとってはどれも不要なものでしかなかった。

諒一が受け入れてくれたのは、ちょっと料理が上手いくらいで、性格は決していいとはいえない自分自身だったからだ。

そんな自分の望みは、あの小さな駐在所で諒一を助けながら、我が子を一緒に育てていくという、平凡なものでしかなかった。

「返してよ……諒一さんを、諒兵を。私がホントにほしかったのはそれだけなのよ……」

普通に生きていれば、それは決して過ぎた願いではない。

むしろ無欲とすらいえるような、小さな願いだっただろう。

だが、それはすべて自分の手の中から零れていった。

ならば、もう生きてる意味すら自分にはない。

「ファム……」

「返せないんなら、もう殺して……」

そう呟いて、濡れた地面に座り込んでしまった美佐枝に、スコールは銃口を向ける。

しかし、銃弾が放たれることはなかった。

「貴女も私も、そんな平凡な幸せなんて望める人間ではないわ。わかっていたはずよ、ファム……」

ただ、寂しそうに告げるスコールの前で、美佐枝は涙を流し続けていた。

 

そうして、数十分が経った後、二人の女がいたはずの場所には、もう誰もいなかった。

 

 

 

しばらくの間、誰一人として何も言わなかった。

いえる言葉などない。

自業自得とはいえ、それでも、本当に諒兵の母親が幸せを望んではいけなかったのかと思えてしまうからだ。

「俺らが調べてわかったんはここまでだ。ただ、諒一の旦那と違って死体が見つかってねぇかんな。亡国に連れてかれたのぁ間違いねぇ」

「それでね、まーちゃんの言葉を考えると、つい最近まで生きてたんだと思う。でも、連絡が取れる状況じゃなかったんだろうね」

ゆえに、諒兵は母のことを何も知らなかった。

しかし、そこに疑問もある。

「兄貴。なんで親父のことも話さなかったんだよ?」

「理解するにゃぁ、キツ過ぎる話だ。おめぇが成長するのを待ってたんだ」

確かに、父親が殺されていたという話を理解するのは、大変なことだろう。

大人ですら難しいのだ。まだ高校生の諒兵には、実際のところ早すぎる可能性すらあった。

それでも、まどかが諒兵の前に現れてしまったことで話さずにはいられなくなったのだと丈太郎は説明する。

そして。

「この先の、諒兵のおふくろさんのことを知ってんのぁ、まどかだけだ」

「それだけじゃないんだ」

「束?」と、千冬が問いかけると束は悲しそうな顔を見せてくる。

「まーちゃんは、ちーちゃんといっくんを置いていったおとーさんとおかーさんのこともたぶん覚えてるはずなんだよ」

「あ」と、声を漏らしたのは誰だったろう。

一夏と千冬は両親に置いていかれたが、まどかは途中まで一緒に行動していた。

そうなると、二人が一夏と千冬を置いて失踪した後、どうなったのかを知っている可能性は非常に高い。

「千冬姉……」と、一夏が声をかけると、千冬は沈んだ表情で肯き、口を開く。

「一夏。母様や父様は望んで私たちを置いていったんじゃない」

今ならはっきりと思い出せると千冬は語る。

苦渋の決断を下した父と、自分たちのことを嫌わせるために涙ながらに千冬に記憶封鎖を施した母の表情を。

「母様や父様も、諒兵の父親との連絡を断ち切っていた。ただ、お前が六歳になる前、ひょんなことからその死を知ることになったんだ」

「そーなると、自分たちもヤバいって思ったのか?」と、弾。

「そうだ。だが、逃避行に私たちを巻き込めば、私や一夏は戦士としての才能をどんどん開花させてしまう可能性がある。母様はそれを望まなかった」

そのため、一夏と千冬は置いていくことにしたのだ。

当時、一夏はまだ幼かったが千冬は中学生。

もともとの身体能力を考えれば十分に戦える。

そして、そんな状況であれば、戦うことをためらいはしないだろう。

「だから、わざわざ自分たちを嫌わせたのか」と数馬。

「そういうことだ」と、千冬はため息をつく。

あくまで守るのは一夏だけだと。

自分たちのために戦いの場へと向かうことはないのだと。

そんな思いから、千冬の記憶を操作したのである。

「まどかが亡国にさらわれていたことを考えれば、たぶん、もうずっと前に……」

そこまでいって、千冬は思わず口元を押さえる。

零れ落ちる涙が、言葉以上に雄弁に一夏と千冬の両親について語っているようだった。

決して、非道な親ではなかったのだ、と。

むしろ、たくさんの愛情で包んでくれていたのだ、と。

だからこそ、諒兵の母のその後についても、一夏と千冬の両親の、おそらくは最期についても知りたいと皆が思う。

そのためには。

「諒兵、難しぃかしんねぇが、まどかを受け止めてやってくれ。あの娘ぁ、おめぇのおふくろさんの想いをきっと伝えてくれるはずだ」

丈太郎の言葉に、諒兵は答えない。

ただ、ポツリと呟く。

「もう一度、まどかに会ってからだ。決めんのはそれからだ」

「そんでいい」

安堵の息をつく丈太郎。

そして、その場にいる全員が安心したように微笑んでいた。

 

 

 

 

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