昼にしよう。
丈太郎がそういったことで、一夏や諒兵たちは連れ立って食堂へと向かっていった。
まだ話すことはあるからだ。
特に、亡国機業について。
その前に、気持ちを整理する意味を込めての言葉だった。
ただ、それだけではない。
「聞きづらいことですけど、蛮場博士は日野君のお父さんの死をいつ知ったんです?」
そう尋ねてきたのは、残っていた誠吾だった。
あくまで傍観者の立場であるからこそ、気になったということができるだろう。
「理解できたのぁ、十七、八のころか。いなくなったんを知ったのぁすぐだ」
その言葉を引き継ぐように、束がポツリと呟く。
「あのおっさん、上手いこといってたっけ……」
「おっさん、ですか?」と真耶。
「おじさんに会えなくなって、どうしたのかなって思って、行った場所があるんだ」
「……束、無理に話す必要はないぞ」
「ありがとちーちゃん。でも、思い出せるときには思い出したほうが心の整理もつくみたいだよ」
そういって、寂しそうに微笑みながら束は話しだした。
空の向こうへいく。
その目的を得た束は比較的真面目に学校に通うようになった。学校は資料集めにはちょうど良い環境が整っているからだ。
教師や生徒などは、相手にしなければ煩わされることもない。
束のコミュニケーション障害はこのころに形成されたといってもいいだろう。
とはいえ。
「最近、おじさん来ないな……」
自分がやってみたいことに気づかせてくれた諒一が、最近この町に来なくなった。
それが、少し寂しいと束は思う。
友人が決して多いとはいえない束は、逆に一人一人をとても、というより異常なまでに大事にしてしまう。
その一人に会えないことは、当然気がかりとなるのだ。
その日も、そんなことを考えながら帰宅の途についていた。
俯いて考え事をしていたせいか、ドンッと何かにぶつかってしまう。
「あっ、ごっ、ごめっ……」
どうにも上手く言葉が出てこない。
少なくとも、嫌われない程度に話そうとはしているのだが、自分の会話についてこれるのが友人しかいないため、知らない相手だとどもってしまうのだ。
ただ、ぶつかった相手は。
「なんでぇ、ちびすけ」
「あっ!」
見覚えのない格好をした、見覚えのある相手だった。
中学校の制服、ぶっちゃけ学ランを着ていた丈太郎だったのだ。
「お前っ、なんでそんな格好してるっ?!」
「中学生になったかんな」
「ちゅーがくせー?」
「小学校卒業したんだよ。もうガキっぽいことぁできねぇな」
そういって笑う丈太郎が、何故だかひどく遠くにいったように見える。
出会ったころは自分と張り合うような子どもだったはずなのに。
そんな想いからか、拗ねたような言葉が出てしまった。
「少し大人になったくらいでえらいわけじゃないじゃん」
「あぁ。別にえらくなりたかねぇ。叶えてぇ夢ができただけだ」
「ゆめ?」
「空の果てまでいく。そのための翼を作るって決めた」
聞けばずっと空を飛ぶことに憧れを持っていたらしい。
でも、飛行機乗りになるのは自分のイメージとは違うという。
「俺の翼を作る。だから中学卒業したらアメリカで航空工学勉強すんだよ」
お前と会うのももうすぐ終わりだという丈太郎に、何故だか突き放されたような感覚を持った束はムキになって反論する。
「私はっ、空の向こうまでいってやるんだからっ!」
そう叫んで走り出した束をぽかんと見つめる丈太郎を尻目に、束は走った。
今はただ、おじさんに会いたい。
そう思って走り続けた。
そうして走り続けて、束は気づけば諒一と出会った公園に辿り着いていた。
そこにスーツ姿を見つけて嬉しくなる束だったが、よく見ると諒一よりもだいぶ年老いた男性だった。
自分の神聖な場所に邪魔者がいるような気がして、ムッとした束は近寄って男性を問いただす。
「おっさん、ここで何してんの?」
「ん?何だ嬢ちゃん?」
「聞いてんのはこっちだよ。ここは大事な場所なんだ。どっかいけ」
「最近のガキはおっかねえなあ。日野のヤツもよく付き合えてたもんだ」
「ひの?」
「昔の同僚だよ。日野諒一。底抜けのお人好しさ」
「おじさんのこと知ってんのっ?!」
見知らぬ初老の男性から、諒一の名前が出てきて束は驚いてしまう。
でも、今、諒一がどうしているのか知っているというのであれば、なんでもいいから聞きたかった。
「日野と親しかったガキってのはお前さんか。俺は徳田信介。徳さんって呼ばれてた」
「おじさん、隣町にいってからこっち来なくなっちゃったんだ。隣町ってそんなに忙しいの?」
「いや……、あいつはもっと遠いところにいっちまったよ」
「遠く?」
そういって束が首を傾げると、徳さんは青空を見上げる。
「空の向こうさ」
「何で?空の向こうには、私が連れてくって約束したのに」
「とんでもねえガキだなあ」
呆れた顔を見せる徳さんに対し、束は真剣な眼差しを向ける。
それで、束が本気であることが理解できたらしい。
徳さんはフッと微笑む。
「置いてくつもりはなかったんじゃねえかな。ただ、あいつは困ってる人がいるとすっ飛んでっちまうからなあ」
「そんなとこで誰が困ってるっていうのさ?」
空の向こうで困っている人などいるはずがない。
そのくらい束は十分理解できる。
だから納得いくはずがない。
しかし、徳さんは寂しそうな顔をして、その名を告げる。
「神さまだよ」
「は?」
「どんな奴でも困ってるっていうなら助けにいっちまうからな。それが神さまでも変わらねえんだろうよ。日野にとっちゃあな」
その言葉が、何故なのかはわからないが、束の胸にすとんと落ちる。
ありえないことであるはずなのに、本当に諒一は神さまを助けに空の向こうへいってしまったように思う。
諒一は、そういう人間だと感じていたからだ。
できれば、自分だけを見ていてほしかったけれど、他の人をないがしろにできる人間ではないと感じていたからだ。
そこに困っている人がいるのならば、きっとどんなところへでも飛んでいってしまう人だ、と。
「今頃は、必死に自転車こいでるんじゃねえかな……」
そう呟いた徳さんと同じように青空を見上げた束の目に、遠く離れていく赤毛のお巡りさんの背中が映る。
自然と、涙が零れていた。
わけがわからない。
何故、涙が出てしまうのか。
意味がわからない。
どうしてこんなに胸が締め付けられるのか。
「わたしはぜったい、『空の向こう』にいく」
「嬢ちゃん?」
「おじさんにあったら、かってにいっちゃったこと、おもいっきりおこってやる」
青空を見上げながら、涙声でそう呟く束に徳さんは笑いかける。
「ああ、そうしてやってくれ。まったく周りに心配ばっかりかけやがるからな、あいつは」
「うん。ぜったいそーする」
そう答えた束には、一瞬、困ったような顔で振り向いた諒一の顔が見えた気がした。
その場をしんみりとした空気が包む。
『天災』であり、稀代の偏屈であり、世界を変えた問題児である篠ノ之束の、あまりにも少女らしい悲しい思い出話に、全員がただ聞き入っていた。
「その想いがあって、私はISを作ったんだ。だから、私にとっては昔からずっと変わらずに、私のための空の向こうへいくための翼なんだよ」
思い出せたのは、ISが反乱してくれたおかげなんだけど、と、束は苦笑する。
「そんな翼が、今は諒一の旦那の息子の諒兵を空へと連れてってるのぁ運命を感じんな」
丈太郎の言葉に全員が肯いた。
単純に定められたものだというよりも、親と子が、同じように空を見上げ、そしてそこにいこうとすること。
血ではない。
心が二人が親子であることを示しているようで、何故だか嬉しくなる。
「戦いを終わらせましょう。ただ純粋に空の向こうにいけるように」
「そうですよ。私たちも頑張ります」
誠吾に続いて、真耶もそう答える。
何気ない思い出話かもしれない。
でも、束が見た夢は、決して人に理解できないものではないということだ。
「束、今度こそまっすぐに日野さんのところに、『空の向こう』に向かおう」
「ありがとう、ちーちゃん」
そういって笑う束の表情は、ただただ純粋な子どものようだった。