真耶対鈴音・セシリア組の模擬戦後、授業では基本的なISの歩行訓練が行われた。
指導に回った専用機持ちの中、男性陣に生徒が集中するなどの悶着はあったが、おおむね問題なく授業は進行した。
ただ、ラウラ・ボーデヴィッヒだけは指導する気もなく、生徒を無視していたので一夏と諒兵が待ちぼうけを喰らっていた生徒を代わりに指導する羽目になったが。
そして授業後。
制服に着替えた一夏、諒兵、鈴音、セシリア、箒、シャルロット、本音が、ともに廊下を歩いていた。
「あいつ、やる気ねえのかね」と、諒兵が呟くと、一夏も難しい顔をする。
「千冬姉も困ってるみたいだったなあ」
「そういえば、ボーデヴィッヒさんは織斑先生のいうことしか聞きませんわね」
「なんていうかさ、ずいぶん極端なのよね、あの子」
何故か、ラウラは千冬のいうことだけは素直に聞く。
しかし真耶の言葉を聞かないので、一夏や諒兵たちが必死に真耶を慰めたというのは余談である。
「困ったね~、空気悪くなるし」
「そうだね。もう少し打ち解けてもいいと思うんだけど」
と、本音とシャルロットが呟く。
シャルロットは逆に馴染みすぎて違和感がないことが、実のところおかしいのだが、誰一人気にする者はいなかった。
それはともかく。
諒兵としてはラウラを見ていると気になって仕方がない。
「なんかむずがゆいんだよ。恥ずかしいっつーか」
「ああ。昔を思いだしちゃうんだ♪」
と、鈴音がにんまり笑いながらいうと、諒兵がそっぽを向いてしまう。
しかし、少し顔が赤いとみなが思った。
「昔、とは?」と、セシリアが尋ねる。
「いっていいか、諒兵?」
「黒歴史だけどな。かまわねえよ」
と、諒兵が答えたことで、一夏が説明を始めた。
はっきりいえば、諒兵もラウラと同じように他者を寄せ付けない時期があった。
「周り中、敵だと思ってたガキみてえな時期があったんだよ」
そもそも諒兵は孤児だったので、差別の対象になってしまった時期がある。
ちょうどそのころに出会ったのが一夏や鈴音、弾、数馬といった中学時代の友人たちなのだ。
そんな心を許せる友人や大切な存在に出会えて、諒兵は変わることができたのだ。
「だから、あいつを見てると、なんかな」
「それなら、いいきっかけがあれば変わるんじゃないかな。きっと諒兵みたいにいい友だちが見つかるよ」
と、シャルロットが笑顔を見せた。
心配事がないせいか、シャルロットの笑顔は明るく、周りを癒すような効果がある。
「そうだね~、きっと友だちできれば変わるよ」
さらに、ほわほわとした笑顔でいう本音に、諒兵は苦笑しながら、他の者たちは笑顔で肯いていた。
(孤児だったのか……。だから一夏のほうから日野と友人になろうとしたんだな)
箒だけがそんなことを考えながら、並んで歩く一夏と諒兵を見つめていた。
放課後。
諒兵は一人で中庭のベンチに寝そべっていた。
一夏は箒に捕まり、鈴音とセシリアはそれぞれ部活。
また、本音はどうやら生徒会の書記をしているらしい。
「あの袖でどうやって物書くのか謎だな」と、諒兵は苦笑する。
シャルロットは早めに寮に帰った。
こっそりと「シャワー浴びたくて」というので、一夏と諒兵の二人は気を使って時間を潰しているのだ。
改造工事は終わったらしいので気にしなくてもいいのだが、女子がシャワーを浴びている近くでのんびりできるほど、一夏も諒兵も鈍感ではなかった。
結果、諒兵は一人でベンチに寝そべっていた。
ぼんやりと青い空を見上げながら、手を伸ばして拳を握る。
自分に許された力に申し訳ないと思いつつも、やはり嬉しいと感じる諒兵だった。
「何を掴んだの?」
「あ?」
このパターンは、と声をかけてきた人物に気づく。
「生徒会長か」
「あら、『とっても可愛い楯無先輩』って呼んで♪」
「なげえよ」と、そういって苦笑いしながら、諒兵は起き上がって座り直した。
横にちょこんと楯無が座る。
やはり更識簪とは姉妹だなと、その外見から感じる諒兵だった。
ただ、聞きにくいことでもあった。
簪はわかりやすくいわせない雰囲気を持っていたが、楯無はいってもかわしてしまうだろう。
ここは聞かれたことに答えるのが無難かと諒兵は答えた。
「掴んだのは、空、だな」
「空?」
「気分の問題だけどな」
ずっと思ってたんだと諒兵は続ける。
男はISに乗れない。
それを軍事的、力的なものとして考える者は多い。
結果、女尊男卑の社会となった。
ただ、諒兵はISに乗れないということを力がないということではなく、空が飛べないということとイコールだと感じていた。
「男の心の根底にあるのは同じだと思うぜ」
「女が空を独り占めしてるって感じ?」
「ああ」
無論のこと、飛行機、ハンググライダーなど空を飛ぶための道具はある。
ただ、それらはどちらかというと『乗る』で、『飛ぶ』ではないと諒兵は感じていた。
「背中に羽があったら楽しいだろうなって、ガキのころに思ったんだ」
まだ、一夏と知り合うずっと前、諒兵は孤児院にいたことから、親無しといじめられたことがあったことは前述している。
そのとき、同じ孤児院出身の兄貴分がいったことがあったのだ。
「涙が出そうになったら空を見上げろ。少しゃぁマシな気分にならぁな」
そういわれて、見上げた空の広さになんだか心を吸い込まれそうになった。
それが諒兵にとって『空を飛びたい』という気持ちの根源なのかもしれない。
「それって日野くんのヒミツ?」
「ダチはみんな知ってるよ。空を見上げるのが癖になっちまってるし」
「あら残念♪」
わりと本気で残念そうに見えるあたり、人をその気にさせるのがうまいなと諒兵は思う。
まあ、どこまで本気なのかわかったものではないが。
「ま、だから今は楽しいな。他の男も飛べたらいいのにって思うけどよ」
「優しいのね♪」
「独り占めはよくねえよ。孤児院にいたからな。分けるのが当たり前だったんだ」
子どものころは分けてもらい、年長になるにつれ、分け与えるほうになった。
それが諒兵にとっては当たり前なのである。
「空はこんだけ広いんだ。みんな飛んでも余るだろ」
「そうね♪」
「飛びたくねえなら飛ばなきゃいい。何を選ぶのも自由なほうがいいじゃねえか」
「素敵ね。そういう考え方、好きよ」
さっきまでのようなどこかからかっているような雰囲気ではなく、真剣に答える楯無。
何か思うところがあるのだろうと思いつつ、無理に突っ込むべきではないとスルーする。
「それじゃ質問。日野くんにとってISは飛ぶための翼?」
「んー、そいつはどうかな?」
「違うのかしら?」
そう問いかけてきた楯無の言葉に諒兵は沈思し、そして答えた。
「飛んでるとき、俺の手を引いてくれてるやつがいる気がしてよ」
「へえ、そういう考え方って面白いわね」
「俺にいわせたら、レオは相棒とかパートナーっていうほうが近いな」
だからいつも思うと、諒兵はさらに続ける。
「ありがとよって」
どういたしまして♪
ふと、そんな声を感じ取った諒兵は優しい笑みを見せる。
その笑みを見て、楯無も柔らかく微笑んだ。
「楽しかったわ。またお話しましょうね、諒兵くん」
「ん?」と、名前を呼ばれたことに少しばかり諒兵は驚く。だが、楯無は気にすることなく、いつもの笑みを浮かべて尋ねてきた。
「親しみを込めたんだけど、イヤ?」
「気にしねえよ」と、諒兵が苦笑しながら答えると楯無は立ち上がって軽やかに身を翻し、「じゃあね♪」といって去っていった。
楯無が諒兵のいる場所を去ってから少し遅れて、簪もそこから離れた。
単なる偶然だったのだが、諒兵が姉、楯無と話している姿を見て、どんな話をしているのかと思い、こっそり近づいたのだ。
たいした話ではなかったけど、心に残る。
(私にとって、ISってなんだろう……)
空を飛ばせてくれるパートナーだといった諒兵の言葉に、簪はそんなことを考えていた。
そろそろ部活も終了時間かと思った諒兵は、中庭から剣道部の武道場へと足を向けた。
シャルロットもいい加減シャワーは浴び終えただろうし、寮に帰ろうと思ったのである。
ついでに一夏を拾って、購買部でシャルロットの分もあわせて夕食を買って帰るかとも考えていた。
一夏はけっこう美味い料理を作るのだが、諒兵は人並みであるため、当番のときは気が向いたときしか作らず、たいてい買うか外食であった。
そんなことを考えながら歩いていると、千冬に呼び止められる。
「どうしたんだよ、千冬さん?」
「いや、ラウラを見なかったか?」
「放課後になってからは見てねえな」
そう答えると千冬はため息をつく。
普段は毅然としている千冬だが、どうもラウラが絡むとどこか困っているような顔をするのが気になる諒兵だった。
「一夏がいってたけどよ、千冬さんの知り合いの編入生ってのはボーデヴィッヒのほうなんだな」
「ああ。ドイツ時代の、まあ、教え子だな。私にとって初めての生徒ということもできるか」
そういって遠い目をする千冬には、ドイツにいたころの光景でも見えているのだろうか。
ラウラのことを大事に思っていることが、よく伝わってくる。
「なんであいつ、あんなに協調性ねえんだ?」
「お前がいうと重みがあるな」
「からかうなよ」
昔の諒兵が同じであったことは千冬も知っている。
一夏がしつこく諒兵と友だちになろうとしていることを知った彼女は、実は反対していたのだ。
生まれなどで差別はしないが、当時の諒兵は狂犬という言葉がまさにぴったりと当てはまるほど周囲に対して攻撃的だったからだ。
一夏が傷つくことになると思い、千冬は反対していたが、本人はそれでも友だちになろうとして、今は親友兼ライバルという間柄になっている。
そう思うと確かに諒兵の言葉は重みがあった。
それはともかく、千冬は少し沈んだ表情で答えてきた。
「詳しいことはいえん。ドイツ軍の機密に関わるからな。ただ、お前や私たちと同じような境遇ではあった」
「親無しか」
「ああ。だから私も親代わり、姉代わりのつもりで接していたのだが……」
そのせいで、ラウラは千冬の存在を神格化していた。
第2回モンド・グロッソで起きた事件を千冬を穢す唯一の汚点と思うほどに。
さらにいえば、できれば自分の傍にずっといてほしいと思うようになったらしい。
「だから一夏を嫌っているのだろう」
「ガキのヤキモチかよ」
「そういうな。私も大事な部分を教え切れなかったのかもしれんしな」
苦笑いを見せる千冬をらしくないと諒兵は思う。
これだけ心配してもらっていて、それでも困らせるのはやはりラウラは子どもでしかないということだ。
「気にかけてやってくれ。このまま一人でいさせたくはないが、私は常に一緒にいるわけにもいかん」
「ま、いいぜ。あいつ見てると昔の俺見てるみてえだし」
恥ずかしくって敵わねえよと続けると千冬はクスッと笑い、「任せたぞ」といって離れていった。
夜。
寮に戻った諒兵は、千冬に聞いた話を一夏に伝えていた。
「それで俺を叩こうとしたのか」と、納得する一夏。
「大好きな姉ちゃん獲られてムカついてんだろ」
そう答える諒兵に、一夏も困ったような顔をする。
もともと千冬と一夏は姉弟なのだから、獲った獲らないなどない。
そういうのであれば、ラウラのほうが横恋慕に近い状態なのである。
「でも、汚点って第2回の決勝を棄権したことだと思うけど、なんで一夏が関係あるの?」
と、シャルロットが尋ねた。
思い当たることはあるが、一夏にとっても汚点なのでチラリと視線を向ける諒兵。
一夏は一つため息をつくと、説明を始めた。
「第2回の決勝戦の日、俺はドイツにいたんだ」
「えっ?」
「でも、その日、俺は誰かに誘拐された」
公式には何の発表もされていない。
開催国だったドイツの失態となるからだ。
あくまで千冬は自主的に棄権してしまったということになっているが、実際には誘拐された一夏を助けるために決勝戦を放棄してしまったのである。
「そのとき一夏の居場所を探し出したのがドイツ軍で、恩返しするために千冬さんは一年間ドイツにいたんだよ」
「何でもドイツ軍のIS部隊の指導教官をしてたらしいんだ」
そこにラウラもいたのだろうと諒兵が補足する。
とはいえ、それでも月末にはマメに帰ってきてたあたり、千冬がいかに一夏を大事にしているのかわかる。
それはともかくとして、話を聞くとラウラが一夏を嫌うのは筋違いだとシャルロットには感じられた。
「一夏が悪いわけじゃないじゃない」
「そんなの、ぼーでび、ぼーでぃべ、……ラウラでいいやもう。ラウラには関係ないんだろ」
「お前のそういう馴れ馴れしいとこすげえと思うぜ」
と、諒兵が突っ込むが一夏は華麗にスルー。
単に苗字がいいにくいだけで名前を呼び捨てするのは確かにすごいことではあるが。
「ボーデヴィッヒの素性がどんなんかは知らねえけど、千冬さんを女神みてえに思ってるらしいからな。ほんの少しの汚点でも許せねえんだろ」
「理不尽だなあ」と、諒兵の意見に呆れたような声をだすシャルロット。
「神様信仰するのなんて、みんな理不尽なんだろうよ」
そういってため息をついた諒兵に、一夏が尋ねかけた。
「気にかけてやるのか?」
「頼まれちまったし、あいつ見てるとマジでむずがゆいしな。ま、できる範囲で見といてやるよ」
なんだかんだといって、気にかけてやるあたり、諒兵は根がお人好しなんだろうと一夏もシャルロットもクスッと笑ったのだった。
落ち着いたところで、一夏が首を傾げながら口を開く。
「しかし千冬姉を女神とか、どんな人生送ってきたんだろ」
ありえないしと続ける一夏にシャルロットは顔を引きつらせる。
「いや、まあ、織斑千冬といえば世界中で大人気だし、そう見てる子もたくさんいるよ」
「けっこう理不尽だし、ものぐさだし、家じゃずぼらなとこもあったぞ」
一夏にしてみれば、むしろダメ女の代表である千冬。
世界最強なので人気なのはわかるとしても、女神といえば普通は淑やかでたおやかで優しい女性をイメージしてしまうのだ。
しかし、そこに諒兵が意見する。
「女神でいいだろ。ぴったりくるのいるぜ」
「どんなのだ?」
「入谷の鬼子母神」
「鬼じゃないかそれっ!」
と、一夏と諒兵はいきなりぶははっと腹を抱えて大笑いする。
しかしシャルロットは懸命に堪えた。何せ扉が既に開いており……。
「「ごがッ!」」
ズゴンッという轟音が響く。
「もう少しまともな例えをしろ、貴様ら」
千冬の一撃で見事に沈んだ一夏と諒兵。
シャルロットはただ静かに十字を切るのだった。
閑話「女の勘」
翌日の昼休み。
シャルロットはセシリアと鈴音に屋上まで呼び出された。
「え~っと、何かな?」
「何者ですの、あなたは?」
「シャルル・デュノアだけど……?」
と、そう答えたシャルロットの言葉をセシリアはばっさりと否定する。
「デュノア社長夫妻には子がいませんわ。それに養子をとったという話も聞きません」
デュノア社でそういう動きがあるならば、社交界で噂にならないはずがない。
念のため、セシリアは実家に確認したが、やはりそんな噂は存在しなかった。
「これでもイギリス貴族でしてよ。社交界の噂には常にアンテナを張ってますわ」
「鋭いんだね、セシリア」と、ため息をついたシャルロットは誰にもいわないでほしいと、本名を名乗って事情を説明した。
「つまり、デュノアの社長の子どもではあるわけね?」と、鈴音。
「うん。まあ、今いったとおりお父さんとは和解できたし、僕としてはトーナメントが過ぎれば普通に女生徒としてやっていくつもりだよ」
予定では3組に編入することになるとシャルロットは説明する。
ただ、フランス政府に対する建前上、今は一夏と諒兵に近い場所にいなくてはならないだけである。
「それなら問題ありませんわね」
「一夏と諒兵の部屋で寝泊りしてるってのが気に入らないけど……」
「二人ともどっちかっていうと困った兄弟って感じかな。気にしないでいいよ」
いわゆる恋心ではなく、仲のいい兄弟ができたような感覚をシャルロットは抱いていた。
「織斑先生も一日一回は見にくるっていってたし」
ならいいか、と、鈴音はシャルロットの説明に安心した。
さすがにいきなり横から掻っ攫われるのはごめんこうむりたいのである。
油断していいというわけでもないのだが。
「でも、よく気づいたね。セシリアは今の説明でわかったけど、鈴はどうして?」
「勘」
「は?」
「女の勘よ。ほっといたらマズいって感じたのよ」
「あっ、そう……」
さすが恋する乙女の勘は鋭いとシャルロットは顔を引きつらせたのだった。