「箒ちゃんッ!」と、慌ててラボを出ようとする束を千冬が止める。
今、出ていっても意味がないと。
「何いってんのさッ!」
「あの二機とティンクルが不用意に人を襲うことはないはずだ。今は篠ノ之の好きにさせてやれ」
「ですが、織斑先生ッ!」
虚も、さすがにこの状況を見過ごすことはできないらしく、声を上げる。
だが、千冬は首を振るだけだった。
「篠ノ之自身の成長のためにはいい機会なんだ。結果がどうあれ、一歩踏み出した。ここから先『どうなるか』は、篠ノ之が決めることだ」
「どうなるか?」
そう疑問の声を上げたのは誠吾だった。
確かに、千冬の言葉はおかしい。
箒が行動する以上は『どうなるか』ではなく『どうするか』というべきだからだ。
「どうなるかでいいんだ。篠ノ之に足りないのは強さでも覚悟でもない」
「では、何なんです?」
「希望だ」
「えっ?」
「夢といってもいい。篠ノ之は夢や希望を持てないままでいる。だから前に進めないんだ」
「ちーちゃん?」
首を傾げる束に対し、千冬は教え諭すように語る。
箒が夢を希望を持てないのは、ある意味では束の存在が大きい。
身体能力にしても頭脳にしても桁違いで、ISという数世代先の科学の産物を生みだした。
そんな姉の存在を、疎ましいと思わない妹がいるだろうか?
実はこの点でも箒と簪は良く似ているのだ。
出来過ぎている姉の存在に対し、コンプレックスを抱いてしまっている。
兄弟姉妹とは一番最初に比べられる相手なのだ。
仮に仲がよかったとしても、心のどこかに相手を否定したい自分がいる。
相手を疎ましいと思う自分がいる。
一番身近なのだから、欠点もよく理解している。
だからこそ、欠点以上に自分より優れた点もよく見えてしまう。
それが兄弟姉妹というものだろう。
だから、疎ましさを感じるのは当たり前なのだ。
だから実は兄弟姉妹に認められたところで、簡単に受け入れられるわけがない。
その点で言えば、親もたいして変わらない。
成長するほどに、親や兄弟に認められるというのは自分を確立するための条件から外れていく。
だから、人は他人を求めるようになっていくのだろう。
それはときに友人になるだろう。
ときに恋人になるだろう。
いずれにしても、何の血のつながりもない関係だからこそ、ただ純粋に自分自身を受け入れてくれるかどうかの問題になるからだ。
無から始まる関係だからこそ、自分を確立する上でもっとも重要なのだ。
「篠ノ之はもともと友人作りが得意なほうではない。その上、ISの存在が友人を作らなくてもいいという言い訳を作ってしまった」
結果として、箒は自分自身を確立できていないのだ。
「そのためには、何が必要なの?」
「矛盾したように聞こえるかもしれないが、自分のための人間関係作りは、本当は無から始まるものだと思う。だが、無は何も生み出さない。はじまりとなるものが必要なんだ」
「はじまり?」
「篠ノ之にない、というか、正確にいえば薄いのはそれだ。はじまりがないのだから、どこにも進めない。何も生み出せない」
「それは、何です?」
「その答えを見つけられるかどうかで、篠ノ之が『どうなるか』が決まる」
そう言って、千冬は答えることを避けた。
それがもっとも重要なことであることは、聞いていた者たちには理解できる。
だが、何なのかということに関しては、千冬は頑なに言おうとしなかった。
中庭から怒鳴りつける箒に対し、どこか呆れた様子でティンクルが声をかける。
「降りてこいってつってもさ、私ら中に入れないんだけど?」
当たり前の話である。
そもそも使徒に簡単に中に入られては困るのでヴィヴィがシールドが張っている。
そのシールドの外で戦っている簪とティンクルたちに対し、中庭から呼びかけたところで意味がなかった。
「だったら外に出るッ!」
そう怒鳴ると、箒はズカズカと校門まで歩いて行く。
だが、今の、特に戦闘態勢にある状態のIS学園から出るには許可が要るのだ。
箒が歩いていったところで簡単に出られるわけがない。
だが、箒はまったく気にしていない様子で虚空に向かって怒鳴る。
「開けろヴィヴィッ!」
『えー?』
「私が出られる大きさでいいッ!」
『できなくないけどー』
箒だけを出せる大きさで、一瞬だけ穴を開けるようにすることはヴィヴィなら十分できる。
できるのだが、さすがに『無邪気』のヴィヴィでも、今の状況で箒を外に出すことが危険なことくらいわかる。
だが。
[すまんヴィヴィ、出してやってくれ]
指令室から千冬がそう声をかけてきた。
さすがに箒も驚いているらしい。
まさか千冬が自分の味方をしてくれるとは思っていなかったからだ。
『いいのー?』
[大丈夫だ。今、上空にいる者たちは生身の人間を嬲るタイプではないだろうからな]
『……わかったー』
千冬がそこまで言うのならと、ヴィヴィはシールドの一部に穴を開ける。
出られるのを確認した箒は再び歩き出して外に出た。
「ありがとう」
『ママのこと心配させないでー』
「わかってる」
ヴィヴィの言葉にそう答える箒。
確かにわかっている。理解はしている。
自分がやっていることがどれほど馬鹿げた行為なのかくらい、ちゃんと理解できている。
それでももう我慢ならなかったのだ。
ティンクルが数少ない友人である簪を倒そうとすることが、ティンクルの見惚れてしまうほど鮮やかな戦いぶりが、かつて自分を落とした鈴音の姿に重なってしまうのだ。
だから、どうしても我慢できなかったのだ。
そう思いながら、学園の外に出た箒の目の前に、ティンクルが降りてくる。
「やほー♪」
「軽いな」
本当に、顔つきから喋り方、何から何まで鈴音そっくりなのが腹が立つ。
違いがあるとすれば、鈴音は赤と黒の鎧である猫鈴を纏っているに対し、ティンクルは白銀に輝く鎧を纏っていることだけだ。
「降りてきたわよ?」
「勝負しろ」
「……刀一本で?」と、ティンクルは呆れ顔だ。
箒の手にあるのは、実家に伝わる名刀『緋宵』のみ。
何故か、最近になって実家から持っておくようにと送られたものだ。
もっとも、こんなものが使徒相手に通用するはずがない。
ティンクルが呆れるのももっともである。
それでも、箒は毅然とした態度で告げた。
「同じ土俵に立てとはいわない。ただ、私は飛べない以上、降りてもらわなければ勝負できないから降りてこいといっただけだ」
実際、空を飛ばれては飛べない箒にはどうしようもない。
だから降りてきてもらうしかないのだが、実はティンクルにそんな義務はない。
でも、降りてきてくれたということは。
「せっかくだから、できるだけ同レベルで全力がいいわね。ディア、腕だけでお願い」
『良いのですか?』
「箒とガチってのも悪くないわ。まともに剣を使えば実力は一夏より上よ?」
「えっ?」
「あんた気づいてないの?一夏は総合的な戦闘力はあんたより高いけど、剣だけの勝負ならあんたのほうが強いのよ」
場数の違いねと、ティンクルは続けた。
実際、一夏はケンカ屋をしていたために場数を踏んでいる。
そのために戦場に対する適応力が箒より高いので、強いということができる。
だが、剣を取っての戦闘に特化するなら箒のほうが実力は上なのだ。
「才能だけで比べれば、千冬さんよりも上なんじゃない?」
「そう、なのか?」
「特化型は欠点が目立つせいでわかりにくいけど、状況によっては最強にもなれるのよ」
そして、優秀な戦闘者とは、自分の能力にあった戦況を作り出せる者の事を指す。
実は箒が一番苦手なことだ。
だから、強いと思われにくいのが、篠ノ之箒という少女なのである。
ただ、箒としてはティンクルがここまで自分を評価しているとは思わなかったために驚いていた。
だが、ティンクルはたいしたことでもなさそうにしれっと答える。
「相手をきっちり分析しないと、私みたいなのは勝てないからね」
「お前が?」
「うん。私はね、弱いのよ。がむしゃらに努力しないと誰にも勝てない」
その言葉に、箒は違和感を抱く。
正確にいうなら、ティンクルがその言葉をいうことがあまりにもしっくりとハマりすぎていた。
使徒から生まれたはずの存在が、まるで普通の人間のような言葉をいうことがハマっていることに違和感があった。
そうして、目の前ティンクルは姿を変える。
ちょうど篭手のように肘から先だけ銀の鎧をつけ、その手に冷艶鋸を握る。
「だから、努力だけならあんたの百倍はやってる自信があるわよ?」
「くッ!」
振り下ろされてきた冷艶鋸の刃を、箒は鞘に納めたままの緋宵で受け止める。
鉄拵えの鞘なので、十分受け止められるとはいえ、このままでは戦いにならないとすぐに弾き、刃を抜いて鞘を腰に差した。
わざわざこのためになのか、箒は制服の上に帯を巻いていた。
「鞘は捨てないんだ?」
「刀を使うのに鞘を捨てるのは馬鹿者だ。鞘は刀の一部。抜刀納刀を含めて、刀を手にしたときから戦いは始まっている」
「いいじゃない。そういう拘りって好きよ♪」
剣士らしい答えだとティンクルは楽しそうに笑う。
それだけに、手を抜くつもりはないらしく、今度は下段から冷艶鋸を振り上げてきた。
箒は緋宵を両手で握ると、冷艶鋸の刃を受け流す。
簪が感じたとおり、ティンクルの戦闘技術は決して神がかり的なものではない。
ただ、百倍努力したという言葉の意味がよくわかる。
実戦、訓練を含めて、自分よりもはるかに場数を踏んでいるのが、ティンクルの流れるような動作で箒にはすぐに理解できた。
(口だけじゃないッ!)
でも、ティンクルが努力しているということを負けるいいわけにはしたくない。
ティンクルがほぼ同じ条件で自分より勝るということは、自分の怠慢を示しているようなものだからだ。
(力押しで勝てる相手じゃないッ!)
ティンクルの戦いを見る限り、剣を振り回して勝てる相手ではないことがよくわかる。
ならば、簪から一本取れたときのように、本来の篠ノ之流を使いこなさなければ互角に戦うこともできないだろうと箒は感じ取る。
本来の篠ノ之流、すなわち神楽舞を源流とする舞の剣術を。
「へえ♪」
ティンクルが驚いたような、感心したような声を漏らす。
箒の剣が力押しから大きく変わったからだ。
剣を振るのではなく、剣と共に舞う。
ゆえに、箒の舞に合わせるようにティンクルも舞う。
そうでなければ対抗できないからだ。
舞の剣術は舞いに合わせて剣を振ることになるが、単にタイミングを合わせて敵を攻撃するというものではない。
己の舞に、相手を巻き込むことが重要になる。
攻撃が来ることがわかっていても、逃げられない流れを作り出すことこそが舞の剣術の本質といえるだろう。
ゆえにどちらが攻撃するかよりも、どちらが自分の舞に巻き込むのかが重要となる。
箒自身、そのことを一番理解している。
ゆえに、焦りが一番危険を呼ぶということを。
だが、それがわかっていてもティンクルに対して焦りを感じずにはいられなかった。
(慣れている……)
ティンクルの舞は、対人戦に慣れていることをはっきり表していたからだ。
人間を相手に戦ってきたような経験の差を感じてしまう。
それもディアマンテを纏った状態でではない。
生身で人間と戦ってきた。
正確にいえば、様々な誰かと訓練してきたかのような経験の差がある。
だが、それはおかしい。
そもそもティンクルならば戦闘に関する情報はエンジェル・ハイロゥから読み込めばいい。
実のところ、がむしゃらに努力する必要もない。
なのに、何故、ここまで努力を感じられるような経験の差があるのか。
そんな疑問を感じてしまったことが、箒にとって最大の隙となった。
「隙ありっ♪」
「しまッ……!」
気をとられた一瞬、ティンクルの舞に巻き込まれ、箒は冷艶鋸の刃を弾き損ねる。
結果として、緋宵を弾き飛ばされてしまう。
「何を考えてたのか知らないけど、あんたの剣は集中力が一番大事なヤツでしょ?」
「くッ……」
「自分の舞に集中できないんじゃ、どんなに実力があっても勝てないわよ」
「何を……」
「だって、あんた嫌ってんじゃない」
さすがに、今の状況でティンクルを好きになるということはありえない。
さすがに箒でも呆れてしまう。
「好かれるとでも思ってたのか?」
「あんた自身のことよ」
だからか、そう断言されたことで、箒の思考が止まった。
「周り中を羨ましがって自分のことを嫌ってるから、あんた変わんないのよ」
かつて鈴音に言われたことを、ティンクルが告げてくる。
そのくらい、箒という少女はわかりやすくもある。
「だから自信がないし、集中できない。自分のことを見たくないから」
「貴様ッ!」
「あんたっていいトコと悪いトコがハッキリしすぎてんのよ。だから他の子たちより自分の欠点、出来が悪いところも人よりよく見えちゃう」
「うるさいッ!」
「それがわかってるから、人と接するのが怖いんでしょ?違う?」
だから、友人を作りたがらなかったのだろうとティンクルは告げる。
指摘されるのが怖かったからだ。
嫌われるのが怖いからだ。
自分の不出来を、不出来な部分を誰よりも理解しているからこそ、そこを誰かに知られるのが怖い。
知られないようにするには隠せばいい。
自分ごと。
だから、友人を作らなくてもいい状況は、箒にとって渡りに船だったのである。
自分が不出来で、不出来なところが嫌いで、変われない自分が疎ましくて、だから逃げた。
それが篠ノ之箒という少女なのだ。
「紅椿があんたを捨てた理由もそこよ」
「何、だと……?」
「ISを不出来な自分を隠すための鎧として、紅椿の価値を自分の価値にするための道具にしようとしてた。そんなんじゃ、パートナーになんかなれないわ。紅椿の価値は紅椿のもので、あんたの価値じゃない」
最初から道具としてすらまともに扱う気がまったくなかった箒とでは、パートナーになれるはずがない。
アンスラックス、かつて紅椿だった使徒が箒を『端女』と呼んだのはそのためだ。
本来は召使いを意味する言葉を侮蔑として言い放ったのは、物を使うということすら理解していないと断じたからだ。
「問題は出来が悪いこと、頑固で融通が利かないってことじゃないんだけど、あんた今のままじゃわかんないでしょうね」
俯き、肩を震わせて黙りこむ箒に対し、ティンクルは冷艶鋸を逆に構える。
「出てきた勇気に免じて気絶で勘弁してあげるわ」
「……それで……」
「ん?」
力を込めようとしたティンクルに対し、箒は呟いた。
その声に、ティンクルは手を止めてしまう。
「それで何が悪いッ!」
「開き直り?」と、呆れた様子のティンクルに対し、箒はまくし立てるように叫び続ける。
「ああそうだッ!出来が悪かろうがッ、頑固で融通が利かなかろうがッ、それが『私』だッ!」
「そんな自分じゃなかったらッ、もう『私』じゃないッ!変われって言われたってッ、お前みたいな人間になんかなれないッ!」
「『私』は『篠ノ之箒』だッ、『凰鈴音』じゃないッ!『私』であることを護って何が悪いッ!」
「そんな『自分でもいい』と自分で思って何が悪いッ!」
「それは別に悪くないわよ?」
顔を真っ赤にして叫ぶ箒に対して、ティンクルはあっさりと答える。
「くッ!」
そういいながら、ティンクルが冷艶鋸の柄を横薙ぎに振るおうとするのを、素手で必死にガードしようとした箒だが、いつまで経っても衝撃は来なかった。
「えっ?」
「出てきたわね」
ティンクルが声をかけたのは箒ではなかった。
箒の眼前に現れた純白のISだった。
「びゃく、しき……?」
長かったのう……
「えっ?」
それも一つの考えじゃ、ホウキ
「どういうことだ?」
自分を嫌っている者は何者にもなれんのじゃ
箒は箒以外の何者にもなれない。
それは簪も、鈴音も、他のみんなも同じだ。
別人になれる人間などいるはずがない。
だからこそ、一番最初に大切にしなければいけないのは自分自身だ。
しかし、自分を嫌っている人間が、自分を大切に出来るだろうか。
出来るはずがない。
自分自身をただ否定しているだけなのだから。
だから大切に出来ないし、変わることもできない、そして何者にもなれない。
人と人の関わりの中で一番目に来るのは自分自身。
その一番目を、『はじまり』である自分自身を、自分自身の不出来を、自分自身の性格を箒は嫌い、でも自分であるために捨てたくても捨てられないと拗ね続けていた。
それでは友人を作ろうにも、恋人を作ろうにも、前に進めないのだ。
護ってよいのじゃ。嫌わずともよいのじゃ
「びゃくしき……」
おぬしの不出来も、頑固で融通が利かんところも……
「はっきりいってくれるな……」
それはしょうがなかろう。欠点じゃし
思わずジト目になってしまう箒だが、白式はしれっとそう答える。
本当に、わりと性格が悪い気がする箒だった。
でも。
だからこそ、己の欠点を『愛して変われ』
「えっ?」
おぬしであることを変えることはないのじゃ
ただ、周りに合わせて少しだけ変わればいい。
『篠ノ之箒』であることを捨てることも変えることもない。
ほんの少しでいいのだ。
大事なのは一番目、すなわち箒が『篠ノ之箒』であることなのだから。
それが『一を徹す』ことなのじゃ
『一』とははじまり、一番目、箒にとっては『篠ノ之箒』という人間として生まれてきたことに過ぎない。
でも、その『一』がなければ何も始まらない。
前に進めるはずがない。
そして、何処までいこうと箒が自分自身だと思うところを変えることはない。
むしろ貫き通せばいいのだ。
わかってくれない人もいるだろうが、わかってくれる人も必ずいるのだから。
妾のようにな
「白式……」
欠点もおなごにとっては魅力じゃし♪
「ふふっ……、剣術バカで頑固で融通が利かない私でも付き合ってくれるか、白式?」
かまわん。ホウキ、どうなりたいのじゃ?
その問いに対し、箒は青く広がる空を見上げて思う。
戦うために飛びたいとは思わない。
ただきれいに飛びたい。
「私は、燕のようにきれいに飛びたい」
ならば、おぬしが思う名をつけよ
「ああ、行こう『飛燕』、この空を飛ぶために」
驚くほどきれいな笑顔でその名を告げた箒は、白式と共に光に包まれていった。