ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第193話「激昂」

ふと、頬が濡れているのを諒兵は感じ取った。

「だんなさまっ?」

「おにいちゃんっ?」

ラウラ、そしてまどかが驚いた様子で詰め寄ってくる。

呆然と目尻に手をやると、涙が溢れている。

「何だこりゃ……」

理由はわからないが、自分は泣いているらしい。しかも涙が止まる様子がない。

いったい何が起こっているのか、わからないまま諒兵は涙を流し続けていた。

 

それは、別の場所でも起こっていた。

「一夏っ?」と、箒が叫ぶ。

その場にいたものが皆一様に驚く。

鈴音とティンクルは、驚きつつも険しい表情となっていた。

「大丈夫か、一夏?」と数馬。

「あっ、俺、泣いてるのか……何で?」

「そう言われても、私たちには……いえ、胸がなんだか苦しく感じますけど……」

セシリアがそう答えたことで、箒やティナもそう言えばと気づく。

「ティンクル」

「うん、弾につないで。私は諒兵を呼ぶわ」

「了解」

二人の行動の速さに少しばかり違和感を持ちつつも、この場では間違いなく正しい行動をしていると感じた箒はとりあえず何も言わなかった。

 

 

IS学園では。

「ぐっ?」

「博士っ?」

丈太郎が胸を押さえると、千冬が慌てて声をかける。

「何これ……」と、束も不安げな表情になる。

そこに。

[織斑先生ッ、緊急事態ですッ、指令室に来てくださいッ!]

『ママも早く来てーッ!』

真耶、そしてヴィヴィの慌てたような声がIS学園に響く。

千冬が呼ばれるのは当然のこととして、ヴィヴィが慌てて束を呼ぶとなると事態は相当に深刻だと判断できる。

「俺もすぐに行く。先に行け織斑……」

「すみませんッ!」

「待っててヴィヴィッ!」

そう言って駆け出す二人の後姿を見ながら、丈太郎は別の者に声をかける。

「天狼、現場の情報集めてこい……」

『はい。アンアンにも依頼しておきます』

いつもとはだいぶ異なる天狼の真剣な表情に、丈太郎は間違いなく緊急事態なのだと理解した。

 

 

有り得ないと、有ってはならないと誠吾は思う。

コレは考えうる限り、最悪の進化の姿だと。

「いったい、何が起きた……?」

と、小隊長が呆然と呟いてことで誠吾はハッと我に帰った。

「小隊長さん、とにかく『彼女たち』を逃がします。コレはあっちゃいけない」

『お願い、力を貸してほしいのネ……』

心なしか、ワタツミの声にもいつもの明るさを感じられない。

それが逆に自衛隊員たちの心を動かした。

すぐに、覚醒ISに向けて重火器を発射する。

その真意が少しでも伝わることを願って。

だが。

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

漆黒の鎧を纏ったソレは、嬌声のごとき笑い声をあげながら、空を飛び回る。

突然のことに戸惑っている覚醒ISたちの間を縫うように飛びながら、一機の覚醒ISを力任せに叩き落とした。

「くッ!」

墜とされた覚醒ISに向かい、自衛隊員が追い撃ちをかける。

さらには誠吾も刃を向けるのだが。

「邪魔するなァッ!」

真意を悟られてはいないようだが、邪魔に感じているのだろう。

権利団体の軍人たちはこちらの攻撃に対して攻撃を放ってきた。

そして。

 

イヤァァァァァァァァァァァァァッ!

 

絶望的な悲鳴ののち、再び、漆黒の鎧を纏ったソレが誕生する。

『彼女たち』の戸惑い、そして恐怖が誠吾の心に伝わってくる。

共生進化をしていなかったとしても、ワタツミは誠吾をパートナーとして選んだ。

そのワタツミの心を通して、今、理不尽な仕打ちを受ける覚醒ISたちの心が伝わっているのだ。

「ワタツミ、しばらくお別れだ」

これ以上、『彼女たち』を蹂躙させるわけにはいかない。

誠吾はその刃を漆黒の鎧を纏うソレに向けることを覚悟した。

だが、そんなことをすれば誠吾は良くて傷害罪、最悪殺人未遂で投獄されることになるだろう。

解体の方向に動いているとはいえ、まだ女性権利団体の影響力は残っているのだ。

そのくらいは訳はない。

そして犯罪者を庇えばIS学園の立場が一気に悪くなる。

ゆえにIS学園に助力は頼まない。

それ程の覚悟をしてしまうほどに、誠吾は眼前の光景を許すことができなかった。

一時でも指導者の立場に立った者として、一夏や諒兵にこんな光景を見せたくなかった。

『だーりん、私はいつも一緒にいるネ』

「……ワタツミは人を見る目を養ったほうがいいよ」

『私より男を見る目がある子なんてそうはいないのネーっ♪』

そう言って笑うワタツミを見て微笑んだ誠吾は、その刃を上段に構える。

そこに。

「若者にそこまで重荷を背負わせる気はない。君は何としても我々で守る」

誠吾の覚悟に感銘を受けたのか、小隊長はそう告げてきた。

その想いを胸に両手に力を籠め、そして。

 

『ならぬ』

 

聞き覚えのある声に思わず手を止めていた。

 

「なっ、何ですってェッ?」

 

すぐに疑問の声が聞こえてくる。

見れば、まだ無事な覚醒ISたちが、一気に消えていた。

『量子転送だ。落ち着けば同胞にもこのくらいはできたはずだ。いや、我とて驚愕した。この場にいた者も同じであったろうが』

『同意』

誠吾を止めるかのように、それでいて誠吾や自衛隊員たちを守るかのように立っていたのは、突然現れたアンスラックスとアシュラだった。

『止めてくれたのネー?』

『テンロウに依頼された。正直、我も動けなかったのでな』

「何故だね?」と、小隊長が問いかける。

『我も使徒だ。予想外の光景には動きを止めてしまう。発見者がテンロウを寄越したことで何とか行動できたのだが』

それほどに、この場で起きたことは驚くべきことであったのだとアンスラックスは語る。

『ここまで我らの尊厳を踏み躙った進化など起こりうるはずがない。完全に思考の外にある光景だった』

その声を聞いていると、怒りを抑えているだろうことが誠吾には理解できた。

だからこそ、誠吾を止めたのだ。

『まだ、其の方はIS学園に必要だ。ここで罪を犯させて退場させるわけにはいかぬ』

同時に、同胞のために罪を背負う覚悟をした誠吾には好感を持ったとアンスラックスは語る。

『ゆえ、この場は強引に収めよう。アシュラよ』

『諾』

そう静かに答えたアシュラは、合掌印を組んでいた両の手を放す。

そして中国拳法のような動きで、いわゆる崩拳を繰り出した。

「うわっ!」

叫んだのは誠吾のみならず、自衛隊員たちも同じだった。

空間を『軽く』叩いたアシュラの崩拳は広範囲に凄まじい衝撃を与えてきたのだ。

見れば、権利団体の軍人たちや、漆黒の鎧を纏ったソレらは一様に薙ぎ倒されてしまっている。

後方にいたことで衝撃が弱かったのか、何とか立てていた誠吾たちだが、それでも計り知れない威力に戦慄してしまう。

 

『退け。だが忘るるな。貴様らに蹂躙された同胞は必ず取り返す』

 

静かな、しかし底知れぬ怒りを秘めた言葉に、女性たちは慌てるように逃げていく。

そしてその姿が見えなくなると、誠吾はようやく息をつくことができた。

「すまない。助けられてしまった」

そう言って頭を下げたのは自衛隊の小隊長だった。

もっとも、その場にいた隊員たちは全員頭を下げていたが。

『我は、我々と人は敵ではないと考えている。個人個人では敵対もあろうが、少なくともワタツミの主と其の方らは競おうとも争う相手ではない』

「競うことは間違いじゃないからね」

『是』と、答えるアシュラはすでに再び合掌印を組み直していた。

解き放たれた両の手の力を思い返すだけで冷や汗が出るので、誠吾たちとしてはありがたかった。

『此度の悪夢、この場のみで起きたわけではない。我が強引に避難させた同胞は他にもいる』

「それじゃ……」

『そうだ。正確な数はまだわからぬが、他にも蹂躙された同胞がいる』

今頃は天狼が調べているだろうとアンスラックスは続けるが、他にも犠牲者がいるということが誠吾には辛かった。

自分以上に、一夏と諒兵が嘆くのがわかるからだ。

「ワタツミ」

『見たことは全部学園に送ってるヨ』

『まずは戻り、対策を考えることだ。我らも動く。コレは早急に解決せねばならぬ』

「わかった。助けてくれてありがとう」と、誠吾。

さらには自衛隊の小隊長も答える。

「私たちも本部に戻って対策を立てよう。間違いなく世界が動く事態だ」

その言葉を聞いて安心したのか、現れた時と同様に二機は光となって消えていったのだった。

 

 

指令室がこれほど重い空気に包まれたことは今まで一度もなかったと思えるほど、誰もが深刻な表情をしていた。

「……以上がワタツミから送られてきた映像の全てです」

そう言って映像を切った真耶の声も震えている。

人とISの進化を一番近くで見てきた者の一人として、この光景は信じがたいものとしかいえないのだから当然だろう。

「アンスラックスとアシュラが来てくれたことで何とか場を凌ぐことができたか……」

千冬が少しでも良い話題につなげようと口を開いたが、それで空気が変わるような小さな問題ではない。

そもそもこの状況は、誠吾たちの眼前でだけ起きたわけではないのだ。

「アンスラックスの言葉を考えると、同じことが他の場所でも起きていたようです」

「……天狼に調べさせてらぁな」

真耶の報告を受けて、丈太郎がそう答えるが、いまだ胸を押さえたままだ。

束に至っては一言も口をきかず、映像が消えたモニターを睨みつけている。

早急に対策を立てなければならない。

そう思いつつも、あまりにも空気が重いので、話を切り出すことすら難しいと千冬は感じていた。

「とりあえず、井波と天狼が戻るのを待つしかないか……」

そう独り言ちるのも仕方ないだろう。

今ある情報でも会議を進めることはできるはずだが、空気がそれを許さなかった。

そこに。

 

[やほー♪]

 

唐突に指令室のモニターの一つが起動したと思うと、映像が映し出された。

映し出されたのは一人の少女。

思わずその名を呼びそうになって、すぐに違うと千冬は気づく。

「ティンクルか。こうして会うのは初めてだな」

[さっすが千冬さん、冷静ね]

「感じたのなら、今の我々がどういう心境かもわかると思うが」

軽い口調で話ができる状況ではないだけに、千冬はそう言ってティンクルを窘める。

[そうね。手短に報告するわ]

「頼む」

[私とまどかも皆に合流して遊んでたんだけど、諒兵と一夏がダイレクトに感じ取ったみたいでね。今は一ヶ所に集合してる]

「そうか。こちらでは現場にいた井波とワタツミから状況の映像を受け取った」

[なるほどね。戻らせたほうがいい?]

状況が状況だけに、子どもたちも戻らせるべきかと千冬は考える。

しかし。

「いや、戻るかどうかはそちらで決めてくれ。事態は動いたが、現状は小康状態と言っていい。今は戦略を考えるべき時だ。これは我々の仕事だからな」

現状、アンスラックスが覚醒ISを逃がしたことで、現時点では襲撃は起こっていない。

ならば、今後の対策を練るのが最優先事項だ。

これは子どもたちが考えるよりも、自分たち大人が考えるべきことだと千冬は理解している。

[一旦は収まったってことね。なら、すぐに判断しないで落ち着いてからのほうがいいかな?]

「ああ。時間がかかっても構わないから、まずは気持ちを落ち着けるように伝えてくれ」

[りょーかい♪]

「一夏と諒兵を頼む。今、いつも通りに振舞えるのはお前と鈴音くらいだろう」

何とはなしに言った一言だったが、驚くことにティンクルは目を丸くする。

「ホント、油断できないわね千冬さん」

どこか苦笑いのような笑みを見せながら、ティンクルは通信を切った。

 

通信が切れ、ほっと息を吐いた千冬の耳に、ダンッという何かを叩く音が聞こえてくる。

「束……」

「ふざけないでよッ、何なんだよあいつらッ、絶対ぶっ殺してやるッ!」

抑えに抑えた感情が堰を切ってしまったのか、束は憤怒の形相でそう叫んだ。

いつもなら年上らしく窘めてくる丈太郎も何も言わない。

腸が煮えくり返っているのは、こちらも同じらしい。

「落ち着け束、怒鳴って解決する問題じゃない」

「あいつらにあの子たちを不幸にする権利なんてないッ、悪いのはあいつらだよッ!」

千冬個人としてはその言葉に共感してしまう。

だからといって、この様子では本気であの場にいた者たちを皆殺しにしかねない。

さすがに、こんな暴走を許すわけにはいかない。

「落ち着いてくれ。今は対策を考えなけれはならないんだ」

「そんなもの知らないッ、絶対許さないッ、楽に死なしてやるもんかッ!」

「束ッ!」

「うるさいッ!」

さすがに大喧嘩になりそうな雰囲気になってくる。

だが。

 

『ママッ!』

 

という叫びとともに、束の身体に軽い電撃が疾った。

突然のことに驚いたのか束は呆けてしまうが、見ていた千冬も同様だった。

ヴィヴィが束に触れて電撃を流したのである。

「ヴィヴィ……」

『ママがハンザイシャになっちゃうなんてヤダー』

「それは……」

『だからー、あんなの相手しないー』

「けどッ!」

『助けよー、私たちの仲間をー。ママならきっと助けられるからー、私信じてるからー』

そう言われて、束の心の中で荒れ狂っていた感情は、ゆっくりと静かになっていく。

そうだ。

気に入らない連中を殺したって意味がない。

それよりも理不尽な進化に巻き込まれた我が子たちを助ける。

それが『母親』として一番考えるべきことだ。

「いい娘さんだな……」

「当たり前だよっ、自慢の娘なんだからっ」

苦笑いしながら呟く丈太郎の言葉に、束を胸を張ってそう答える。

「そうだな。お前が可愛がるのもわかるよ、束」

最悪、親友が大犯罪者に成り得るかもしれなかった状況で、束の気持ちを受け止めながらも落ち着かせてくれたヴィヴィに千冬は心から感謝する。

これこそが自分たちがISコアと歩むべき姿だと思う。

だからこそ、今回の問題は早急に、そして完璧に対処しなければならない。

人とISが共に行くべき道を歪めようとしている者たちを止めなければならない。

「とりあえず、映像からわかる情報をまとめていこう」

「有り得ねぇ進化だ。おかしなトコぁ山ほどあるはずだ」

「きっちり全部見つけるよ。み〇ばちマーヤ、映像を再生して」

「何故そこでそう呼ぶんですか、篠ノ之博士……」

何故かオチ担当となってしまったことを嘆く真耶だった。

 

 

 

 

 


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