IS学園内、特別整備室と書かれた一室で、鈴音は簡素なベッドの上に横たわっていた。
何となく、ぼんやりと天井を見つめている。
ちらりと目をやると、複雑な機械が並んでいるガラス張りの別室があった。
そこには仲間たちが心配そうな表情で自分を見つめる姿がった。
その中で本音だけが忙しなくコンソールを叩いている。
そんな様子を眺めながら鈴音はこうなることになった昨日のブリーフィングを思い返す。
「「治療?」」と、鈴音とセシリアは揃って疑問の声を上げる。
だが、千冬は冷静に答えてきた。
「現状、お前たち二人が全力で戦えないのは大問題となった。よって二人とも治療を施し、完全回復させる」
「そうしていただけるのは嬉しいのですけど、何故今になって?」
セシリアの疑問も当然だろう。
治療によって完全回復できるのであれは、さっさとやってほしかったというのが本音だ。
「大問題となったからだ、と言いたいところだがな。正確にはIS学園で現在のお前たちを治療するとなるとこちらのリソースが厳しくなってしまう。よって時間をかけての治療を選択していたんだ」
単純に人手不足なのである。
セシリアはフェザーがダインスレイブの一撃を受けた。
そのフェザーのダメージを治療するとなると、余程の科学者の力が必要になる。
つまり。
「束と博士の二人がかりで12時間、つまり半日かかる」
だが、その間セシリアの治療にかかりきりだと、二人が担当している他の作業ができなくなってしまう。
「博士は兵器開発と他国の軍隊への技術提供。束は学園防衛設備の管理と維持、そしてISコアを停止させるための装置の開発がある。こういっては何だが、お前たちの治療のためにそれらの仕事を止めることができなかった」
すまない、と、そう言って千冬は頭を下げるが、確かにそちらを疎かにはできないと鈴音、セシリアは納得する。
いつ襲撃が来るかわからない状況で、かつ一応は他に戦力がある状態でフェザーの治療だけに集中するのは得策とは言えないのだ。
「申し訳ありません……」
「いや、オルコットの場合は仕方がない。今のところまどかにそこまでの敵意がないから安心できるが、やはりヨルムンガンドは敵に回すと厄介だからな。気にするな」
「ありがとうございます」
『ご面倒をおかけしてすみません。オリムラチフユ様』
そう言ってセシリアとブルー・フェザーが頭を下げると千冬は鈴音のほうへと顔を向ける。
「鈴音、お前のほうの問題はさらに大きい。現時点で、治療によって完全回復させるためには72時間かかるそうだ」
「まる三日っ?」
「ああ。それだけの時間が必要で、布仏本音と猫鈴が協力して治療を施し、さらに束と博士がバックアップする必要がある」
セシリアはフェザーの治療、正確に言えば修理で事足りるのだが、鈴音は鈴音自身の脳神経の治療に、猫鈴が受けたダメージの回復も必要となる。
人手も時間もかかりすぎるのだ。
「オルコットはすぐに治療に取り掛かるが、鈴音、お前は明日からだ」
「えっ、決定事項なんですかっ?」と、驚く鈴音に千冬は厳しい目を向けてきた。
「大問題となったといっただろう。早急にIS学園の戦力を回復する必要があるんだ」
「それは……」
「現状、確認できる権利団体の軍のAS操縦者は十七人。単純な数は我々よりも多い。しかも、今回進化したのは大半が正規軍人だ。我々は最悪の場合、そいつらを相手にする必要がある」
AS操縦者同士が戦うということ自体は、まどかとヨルムンガンドで経験はある。
だが、あれはまどかの私怨でしかない。
小さな女の子が少し癇癪を起こしたくらいの印象で、別にそれほど困ったとは思わない。
だが、権利団体の操縦者たちは違う。
もし戦うのであれば、それは戦闘ではなく、戦争になる可能性すらあった。
「ですが教官、確かにあの者たちのやったことは許せませんし、こちらから出向いてでも叩きたい気持ちはありますが、逆に向こうにIS学園に攻め入る意思があるとも思えませんが?」
「確かにそうだね。手に入れた力を見せびらかそうとはするだろうけど、僕たちに無暗に攻撃してくるかなあ?」
と、ラウラの言葉にシャルロットも同意する。
普通に考えれば、彼らは現在人類を守るために戦うIS学園に対抗する意思があったとしても、こちらを攻撃するようなことはしない可能性もある。
そもそも必要がないからだ。
むしろ、手を組もうと言ってくる可能性だってある。
『正直言うと組みたくはないわね』とブリーズは苦笑した。
この場にいるASたちに、向こうと手を組むなどと考える気持ちはあるわけがない。
ただ。
『いや、攻めてくるかどうかはともかく、攻められる理由はあるだろうな』
「オーステルン?」
『私の考え通りなら三つほどあるはずだ』
「さすがに気づいたか、オーステルン」
『やはりか』
千冬がどこか申し訳なさそうに口を開くと、オーステルンは納得した様子を見せた。
そしてオーステルンのほうから説明してくる。
『うち二つは明瞭だ。リョウヘイとイチカだな』
「「へっ?」」と、間抜けな顔をさらす二人に親切に説明してくれた。
『離反が起きた当初、お前たちが人を守るために戦ってくれたことで女尊男卑の社会に大きなひびが入った。大半の人間は受け入れているが、おそらく連中は考えが凝り固まってしまっている』
「そうだ。はっきり言えば逆恨みだ。権利団体の人間たちは「お前たちさえいなければ」と、そう思っているふしがある」
「いや、そりゃひでーだろっ!」
と、声を上げたのは弾だった。
友人が権利団体も含めて人類のために必死に戦っていたのに、逆恨みなんて理不尽すぎると思ったからだ。
「本当にそう考えているのなら、呆れるしかないが……」
と、言葉通りに数馬は呆れたような表情を見せる。
実際、感謝こそすれ、恨む理由などないからだ。
しかし。
「人の考えとは理不尽なものだ、御手洗」
と、千冬はどこか諦観した様子でそう答え、そして三つ目の理由を告げた。
「千冬さん?」と、鈴音が問いかけると千冬は肯いた。
「そう、私だ。連中の考えや提案は当時受け入れられるものではなかった。そして戦力を整えるためにこちらの無理は通してきた」
何度となく、ISの凍結解除とISコアの再生産は要求され続けた。
それは自分たちも力を手に入れたい、かつての権力を取り戻したいという一心だったのだろう。
だが、千冬は拒否し続けてきた。
世界が変わろうとしている中、人類が手を取り合うことが最も重要だと考えて。
わかってもらえなくても、せめて我慢はしてほしいと。
「交渉の場に立つことも多かったのでな。一夏や諒兵のような逆恨みではなく、はっきりと私自身が恨まれていることだろう」
『チフユは悪くないよっ!』
そう言ってくれたのが一夏のパートナーである白虎とであることに、千冬は顔を綻ばせる。
一夏もまた、白虎と同じ気持ちでいてくれるのだろうと感じたからだ。
受け入れてくれる存在があるというのは、千冬の心を確かに軽くしていた。
改めて気を引き締めて話をつづける。
「だが、可能性がゼロではない以上、戦力は整えなければならん。話を戻すが、鈴音、以前ヴィヴィがお前の身体の件で伝えたことを覚えているか?」
「あっ、えっと……あッ!」
「思い出したか。鈴音、お前の治療をする場合、お前自身は昏睡状態となる」
何しろ一番ダメージを受けているのが脳なので、猫鈴は常にバックアップしている。
その猫鈴が治療に専念するということは鈴音自身は昏睡状態になってしまうということだと、以前に語っている。
「それって全然動けなくなるってことだろう?学園が襲われた時でも……」
「マズいんじゃねえか?」
一夏や諒兵のみならず、その場にいた一同も不安そうな表情を見せる。
しかし、千冬はそれでもやらなければならないと話を続ける。
「一番の問題はお前たちにあるんだ、一夏、諒兵」
「えっ、今度は何だ?」
「問題児なのはわかってるけどよ」
『ツッコみませんからね』と、レオ。
思わず全員が「いやツッコんでるから」と、呆れ顔になるが話はいたってマジメなものだった。
「なら聞こう。一夏、お前は権利団体の操縦者たちと戦闘になった時、連中を斬れるか?」
「……必要なら斬るさ。殺すとかはしないけど」
「連中が、ISコアという『人質』を盾にしていてもか?」
「えっ……」
完全に虚を突かれたのか、一夏は呆然としてしまう。
それは諒兵も同じだった。
「連中が纏っているのは進化させられたISたちだ。そこに共生の意思はない。囚われたままで戦う道具にさせられているだけだ」
「それは……」
「そんなISたちを、お前は斬れるか?諒兵、お前もその爪を突き立てることができるのか?」
返事はなかった。
否、返事をすることができなかった。
それこそが答えだった。
「許せとは言わん。だが、これから起きる可能性があるのはそういう戦闘なんだ。だから、お前たちを前線に出すことができないんだ」
「なるほど。そうなると少なくとも僕たちは当然として、あとは更識さんや箒も前線に行くことになるんですね?」
「さすがだなデュノア。今後しばらくはその体制で行くことを考えている」
一夏や諒兵は優しすぎるのだ、と千冬は語る。
そしてその優しさは尊いものだと。
だが『彼女たち』を助けるためには戦闘は避けられないだろう。
そして。
「連中は全力で抵抗してくるぞ。その状態で『傷つけずに』戦うことは不可能だ」
そうなれば纏っているASもダメージを受ける。
助けたい相手を傷つけなければならないという大きな矛盾があるのだ。
「でもね、僕たちは割り切るよ。そうじゃなければ助けられないなら、僕はそうする」
「こういうと誤解されそうだが、敵が何かを見据えて、敵ではない者と戦えというのなら、それなりにできると思う」
とシャルロットに続いて箒までがそう答える。
「女を舐めるなよ、強さにはそういうものもある」
そう千冬は諭すように語る。
逆に一夏と諒兵は揃って俯いてしまった。
弾や数馬もばつの悪そうな顔になる。
「俺たちはどうすればいいんだ……?」と、一夏は俯きながら呟く。
「学園を守ってほしい」
「へっ?」と諒兵。
「すぐに攻めてくることはないだろうが万が一がある。オルコットや鈴音が治療に専念している間は特にしっかりと学園の防衛をしてほしい」
「えっと……」
「追い返せばいい。AS操縦者としての練度は博士に次いでお前たちが最も高い。巧く逃げ回りながら相手を疲れさせろ」
「そんなんでいいのかよ?」
「それでかまわん。アンスラックスがしばらくは好戦的な覚醒ISでも襲撃はしないと言ってきている。さすがにあんな進化をさせられたくはないとエンジェル・ハイロゥに籠っているそうだ。戦闘自体は少なくなるだろう」
何より、今後しばらくは戦闘よりも、多方面にかけられる圧力と戦っていくことになると千冬は説明する。
実戦自体は、けっこう先の話になるだろうと。
「それらは私たちが対応していく。安心しろ。連中の思い通りになどさせるものか」
珍しく頼もしげな表情で断言する千冬。
ただ、一人だけそれがどこか儚いものに見えた者がいた。
ゆえに。
「わかりました。千冬さん、明日からの治療受けます」
「鈴音?」
「セシリアも急ぎましょ。全力で戦えるようになれば、あんな連中に負けるわけないわ」
「……そうですわね。善は急げと言いますし」
「回復したら、対応策を私たちにも教えてください」
「わかった。すぐに治療を始めよう」
小さなため息を吐きつつ、そう答えた千冬の言葉でブリーフィングは終了となった。
特別整備室のベッドに横たわる鈴音は、自分を見守る面々の顔を眺める。
何となく、千冬と目が合った気がした。
ブリーフィングの後、千冬と二人で少しだけ話をした。
内容を誰にも言わないでほしいと告げて。
「ティンクルと情報交換をしていたのか?」
「はい。こうなることまではあの子も予想してなかったけど、権利団体の問題自体は調べてたみたいです」
「ティンクルは『天使の卵』が絡んでる件まで掴んでいたのか……」
「ディアとヨルムンガンド、ていうかヨルムの推測っぽいですけど。ま、あいつ捻くれてるし、それで気づいたのかもしれません」
「……『卵』は我々と敵対しているということか」
「う~ん、なんか違うかも」
「どういう意味だ?」
「それが『楽しい』のかなって……」
「また、ずいぶんと意外な言葉が出てくるな、鈴音」
「何となくそう感じるんです。壊すこと、壊れることが『楽しい』から、人間もISも区別しないんじゃないかなって」
「『卵』にとって、我々はおもちゃか何かか?」
「実際、そうなのかも。自分自身も含めて、いろんなものが壊れることが『楽しい』んですよ」
「そもそも思考形態が異常なのか……」
「はい。ティンクルが本当の意味で全部を破滅させようとしてるって言ってたけど、その根本的な理由はそれが『楽しい』からだと思うんです」
「だとすれば救えないな……」
「蛮兄や束博士は?」
「破壊するつもりだ」
「急いだほうがいいかもしれません。千冬さんのことだから考えてるだろうけど、権利団体の対応に追われるとその原因を見失います」
「つまり、極東支部の捜索にもっと力を入れろと言いたいんだな?」
「はい」
「わかった、これに関しては優先事項として考える」
「で、全力戦闘ができるようになったら、私はティンクルと協力するつもりです」
「ほう?」
「少なくともこの件ではあの子は味方だと思いますから」
「回線は持ってるのか?ティンクルはディアマンテの力で強引にハックしてくるみたいだが」
「んー、聞かなかったけど、多分つながるかと思います。大丈夫よねマオ?」
『……つニャがらニャいことは多分ニャいのニャ』
「それならかまわん。極東支部を捜索して『天使の卵』を破壊することは、権利団体への対応と同時にやっていく。それでいいな?」
「お願いします。それと……」
そんな会話を思い返していると、本音の声が聞こえてきた。
「そろそろ始めるよ~、りん~、まおまお~、準備はいい~?」
『あちしは大丈夫ニャ』
「う、うん」と、鈴音はそう答えて目を閉じる。
視界が真っ暗になると、途端に不安が襲いかかってきた。
もし、このまま目覚めなければどうなるのだろう。
猫鈴のことは心から信頼している。
しかし、何事にも絶対はない。
万が一、失敗してしまったら、鈴音は二度と目覚めることはないだろう。
それだけのことをしてしまったことを後悔すると同時に、このまま消えてしまいたくないと強く思う。
でも、治療において鈴音は何もできないのだ。
だから怖い。
何もできないことが怖い。
みんなを信頼していないわけじゃないけれど。
自分にできることが何もないというのは鈴音にとって恐怖でしかない。
眦に涙が浮かぶのを感じても、怖くて身動き一つできない。
「寝坊したりするなよ、鈴。お前けっこう抜けたところあるからな」
「目覚ましかけといてやっから、ちゃんと起きろ。待っててやる」
その声とともにふわっと両の手に温かい感触が舞い降りた。
思わず目を開けると、一夏と諒兵が自分の手を握ってくれていた。
「ばーか、アンタたちみたいな寝ぼすけじゃないわよ」
思わず笑みがこぼれる。
心が軽くなった鈴音は、今度は安心して目を閉じたのだった。
そして。
「ごめんね~、二人ともここまで~」
「こっちこそ悪かった」
「悪ぃな。わがまま聞いてもらって」
本音の言葉にそう答えた一夏と諒兵は、すぐに整備室を出る。
すると。
『人格データフルパッケージング、完了ニャ』
「猫鈴、セットアップ~」
本音の言葉に答えるように鈴音の身体は光に包まれ、猫鈴が起動する。
「マニピュレーター接続~」
特別整備室の一角から、整備用のマニピュレーターが伸びてくると猫鈴のヘッドセットに接続された。
『神経細胞用体内マニピュレーター、スタンディングOKニャ』
「脳神経モニタリングスタート~」
本音が座る整備用コンソールの前のモニターに、いくつもの画像が出てくる。
あまりに複雑すぎて、その場にいた全員が絶句してしまう。
「オペレーションスタート~」
『ブレインニャ(ナ)ーバスリカバリープログラム、スタートニャっ!』
そうして、本音と猫鈴は治療を開始する。
その表情は真剣そのものだった。
これほどの治療と整備となれば、むしろ三日で終わるというほうが驚きだ。
それだけに誰もが成功を祈る。
「戻ってこい鈴音、この先の戦いにお前は欠かせんからな……」
そんな千冬の呟きは、人とISのために戦う者たちの総意といっても過言ではなかった。