コア・ネットワークのサルガッソーとでもいうべき場所を、鈴音は飛び続けていた。
微かに感じるISコアの気配を頼りに。
自分の目的はあくまで囚われたISたちの居場所を突き止めるだけだ。
実際にこの世界で戦闘するのは、アンスラックスや天狼、アシュラなど強力な使徒やASたちに任せるべきだと理解していた。
ならば、居場所を見つけて、すぐに戻って報告するのがベストだ。
不思議と時間の感覚が無いコア・ネットワークだが、現実世界では三日経てば自分の肉体が目覚める。
それまでに戻らないと今度は別の心配をさせてしまう。
微かに感じる気配と自分の勘を信じて、鈴音は迷いなく飛び続けた。
そして。
「何、コレ……?」
鈴音はサルガッソーの最奥にて、渦を巻く黒い空間を見つけ出す。
「残骸を飲み込んでる……」
もし、ブラック・ホールというものが宇宙の何処かにあるのなら、きっとこんな感じだろう。
否、墓場の奥にあったのは地獄への入り口だと鈴音は感じてしまった。
しかし、ISコアたちの気配はその渦の奥から漂っている。
入れば出てこれないのではないか。
そう思うと、さすがにこの渦の中には飛び込めない。
実際に会えたわけではなくても、高確率でISたちが閉じ込められていると推測できる場所を見つけたのだ。
ここで引き返すのがベストだろう。
ただ、あの日、一夏と諒兵が流した涙は本人のものではなく、囚われたISコアたちのものだった。
理不尽な力に蹂躙された者たちの涙だ。
「どのみち此処から戻れないなら、助け出すことだってできないじゃない……」
そう呟き、胸に手を当てて目を閉じる。
「マオ、ごめん。もうちょっとだけ力を貸して」
目を開いた鈴音は決意の表情で黒い渦に飛び込んでいった。
「くうぅッ!」と、まるで激流に飲み込まれたかのように翻弄される鈴音は呻き声を上げながらも必死に耐える。
同時に、囚われたISコアたちはこの先にいることを確信しつつあった。
「こんな場所っ、誰も来やしないわよっ!」
猫鈴たちASも、アンスラックスのような使徒たちも、こんな場所に来るはずがないからだ。
まだ生きているISコアが死者が集うような場所にいるなどとは考えもしないはずだ。
そんな考え方ができるのは人間でしか有り得ない。
『天使の卵』が如何に恐ろしい存在なのか、鈴音は戦慄してしまう。
でも、だからこそ。
「絶対助けるんだからッ!」
もう一度、あの青空を飛べるように。
自分のパートナーとなった猫鈴のように空へと連れていくために。
人間である自分がみんなを助けるのだと鈴音は誓う。
その想いに答えるかのように、黒い渦は鈴音を解き放った。
其処は先ほどいた場所よりもさらに暗い、何も無いように見える空間だった。
「泣き声……?」
鈴音の耳に、すすり泣くような、泣き叫ぶような、様々な泣き声が聞こえてきた。
目を凝らすと、其処には無数の黒い檻があった。
その中に仄かな光を放つ女性の人影がある。
鈴音が檻の一つに近づくと、その気配に気づいたのか、すすり泣いていた中の人影が驚いた様子で叫んだ。
『あなたっ、マオリンのパートナーっ!』
「凰鈴音よ、鈴でいいわ」
そう答えると、他の檻の中の人影たちも一斉に鈴音のほうに振り向いた。
『どうやってここにっ?』
「女の勘。ただ、さすがに此処はマオたちには見つけられないと思うけど」
『ええ。私たちだってこんな場所は考えもしないわ』
ISコアではなく人間だからこそ此処が怪しいと思った。
理屈ではなく、勘を頼りにしたことで、此処まで来れたのだ。
とにかく助けられるなら今助けようと思った鈴音は檻に手を伸ばす。
「待ってて」
『ダメッ!』
だが、人影のほうが止めてきた。
「えっ?」と思う間もなく、檻に触れる直前で凄まじい衝撃が襲ってくる。
「電撃ッ?」
『この檻には簡単には触れないわ。データが破壊されてしまうの』
だからこそ、自分たちも此処から出られないのだと人影は説明してくれた。
その言葉に鈴音は胸が苦しくなってしまう。
こんな仕打ちをしたのが『人間』だと理解しているからだ。
「ごめん、ごめんね。こんなの酷いよね。こんなことする『人間』なんて許せないよね……」
誰も自分の言葉に答えない。
当たり前だと鈴音は思う。
もし、こんな仕打ちを受けたとしたら鈴音とて、そんな『人間』は許せない。
同じ人間であっても許せないのだ。
人とは違うISコアたちにとっては、こんな仕打ちをした『人間』を滅ぼそうと思ってもおかしくない。
「でも、わかってほしいの。一夏や諒兵、それに私の仲間たちはあなたたちのことを信じてる。好きだと思ってる。そういう『人間』もいるの」
零れる涙を拭いもせず、膝をついた鈴音はそう訴える。
この想いだけは伝えずにはいられなかったのだ。
『人間』を信じられなくなってもいいから、信じられる『人間』がいることだけは理解してほしいという想いは。
『お前が悪いわけじゃない』
「えっ?」
『私たちは馬鹿ではありません。信じられる人がいること、信じられない人がいることくらい理解できます』
「みんな……」
『同類だって信じらんねえヤツがいる。なら人間も変わんねえよ』
そう言ってもらえることに、鈴音は心から感謝する。
助けに来たことは何一つ間違いじゃないと確信できる。
だから、言うべき言葉は一つしかない。
「ありがとう、みんな……」
そんな鈴音の想いを受けてか、人影たちは微笑んでくれるように感じた鈴音だった。
気持ちを切り替えて立ち上がった鈴音は人影たちに声をかける。
「とにかく、この場所をアンスラックスたちに伝えるわ。まずはこの場所と檻について把握しなきゃ」
『戻れるの?』
「わかんない」
『おいおい……、無鉄砲だな、お前』
「だって、そういう性格なんだもん」
『マオリンは苦労してそうですね……』
「ちょっと、悲しくなるんだけど」
わりと辛辣な評価をしてくる人影たちに鈴音は思わず突っ込んでしまう。
とはいえ、こんな会話ができるくらいになってくれた囚われたISコアたちを見て、まだ頑張れそうだと鈴音は思う。
この場所を自力で見つけてくれたということが『彼女たち』に希望を与えたのだろう。
だから諦めない。
がむしゃらに突き進むのが、鈴音の強さなのだから。
「渦の流れからして逆行は難しいわね。でも、この場所が完全な袋小路だとも思えないのよ」
『何故だ?』
「サーバーの中なら袋小路になるけど、此処は残骸だらけでもネットワーク上。なら、どこかにつながってる可能性はあるわ」
『確かにそう考えることはできますね』
「そもそも此処が袋小路なら、みんなを檻に捕らえておく必要なんてないじゃない」
『そういやそうか。あたしたちは動けないから探すことができなかった』
「うん、動かれたら困るってことだと思うのよ。だからどこかに出口があるはずよ」
『そこに気付くとは、やはり人間は面白いね』
最後に聞こえてきた声に殺気を感じた鈴音はすぐに羽のように舞い上がった。
直後に振るわれた凶刃。
喰らっていたら命が危なかったと鈴音は戦慄する。
「アンタ……」
『上手く避けたね、マオリンのパートナー』
凶刃を振るってきたのは、中性的な印象を与える少年だった。
その声には聞き覚えがある。
冷たさしか感じない『非情』な声には。
「タテナシッ!」
『この場を見つけたことに敬意を表するよ。僕も『彼女』から聞くまで考えることはできなかったからね』
刀奈と簪にとっては怨敵、そして自分にとってもおそらく相容れることはないと断言できる使徒。
タテナシが小太刀を構え、薄い笑いを浮かべて立っていた。
銀の流星がコア・ネットワークを翔ける。
その速さはまさに目にも止まらないと言っていいくらいのスピードだった。
『まったく、ティンクルにも困ったものですね』
ティンクルのお願いを受けて、ディアマンテは鈴音のネットワーク上の移動履歴、つまり足跡を追っていた。
辿って行けば、間違いなく囚われたISコアを見つけ出すことができるとティンクルが断言したからだ。
ディアマンテにしてみれば、この足跡を追うことで本当に辿り着けるのか疑問である。
『何も考えずに移動しているとしか思えませんが……』
実際、鈴音は適当に飛び回っていただけなので、ディアマンテの推測は正しい。
ただ、それこそが人間であるということをディアマンテは理解している。
ならば、これは『明らかに間違っていても』正しい足跡なのだろう。
『まさに矛盾なのでしょう』
それが人の心。
ISコアだった自分には理解できない不可思議な思考形態。
何処か、微笑んだような雰囲気を漂わせながら、ディアマンテは目的地へと向かい飛び続けていた。
とにかく接近されるとマズいと鈴音は間合いを開ける。
接近戦最強のアシュラも近付けない敵ではあるが、タテナシは忍者のごとき暗殺者だ。
近寄られると一瞬であの世逝きになってしまう可能性すらある。
「墓場であの世逝きとか笑えないっての」
『墓場か。巧い表現だね』
「褒めてないわよね?」
『僕はけっこう言葉通りの意味でいうんだけどね』
皮肉かと思って返した言葉に対し、タテナシは笑う。
しかし、やはり此処は墓場なのかと鈴音は思う。
少なくとも必要とされるものがある場所ではない。
『正確には此処は廃棄場、ゴミ箱だね。自分から飛び込んでくるなんて、君もゴミなのかい?』
「誰がゴミよっ!」
と、思わず突っ込んでしまうとタテナシは意味ありげに笑う。
本当に性格が悪いとしか思えないのがタテナシだった。
実際、悪いのだろうが。
『それは置いておくとしよう。此処はネットの黎明期から存在するネットワークの廃棄場、不要となったデータが流れ着く場所なんだ』
「流れ着く?なんかいつまでも残骸が残ってるみたいな言い方ね」
その表現に鈴音は違和感を抱く。
誰かが目的をもって此処に捨てたというわけではないらしい。
『君の言う通りだよ。データを捨てるってことは無くなるってわけじゃない』
実は、パソコンなどで不要なデータを捨てたとしても、残骸はそのまま残っている場合が多い。
単純にアクセス不能にするだけだ。
完全消去しなければ、データは残り続ける。
『でも、完全消去しても残骸は残る。そんな残骸がネットワークを流れ続けて集まり、そうして出来上がったのが此処さ』
本当にサルガッソーのようなデータの墓場だったのかと鈴音は少しばかり怖くなってしまう。
何より、こんな場所にISコアを捕らえておくという神経は、正直いって理解したくなかった。
『それが普通の感覚だよ。僕たちには考えることすらできない』
しかし、だからこそ鈴音は見つけられたのだという。
「なんでよ?」
『うっかり間違って捨ててしまったとか、もしかしたらまだ使えるんじゃないかとか、人間はゴミ箱を漁って探し物をすることもあるだろう?』
「……あるけど」
わりと心当たりがありまくる鈴音だった。
真面目なのは確かだが、そこまで几帳面ではないのだ。
うっかり捨ててしまったことくらい、何度か経験している。
『僕たちは違う。不要なデータにはアクセスする必要がないと切り捨てる。だから、此処を見つけることは難しいんだ』
つまりISたちは『廃棄場に探し物がある』という考えを最初から思考の外に置いてしまうのだ。
それではどんなにネットワークを探し回っても囚われたISコアを見つけることはできない。
最初から『有るはずがない』と切り捨ててしまうのだから。
『『人間』だから見つけられた牢獄さ』
その一言で鈴音はタテナシの立ち位置を推測した。
明確に、彼は敵なのだと理解したのだ。
「アンタ、そっち側なのね?」
『おや、失言だったかな』と、言いつつも楽しそうなタテナシである。
「仲間意識なんて持ってないんだろうけど、よくそっち側に着く気になったわね」
『僕は人間観察が趣味でね。君たちを見ていると面白いんだ。『彼女』は確かにISコアだけど、人間でもある。見ていて飽きないよ』
それが『楽しい』ということかと鈴音は妙に納得してしまった。
長く人間を見つめてきたわりには、自分自身は刹那的に生きている。
いつ死んでも今が楽しければいいのだろう。
それがタテナシという使徒だった。
『さて』
というタテナシの一言で鈴音は臨戦態勢をとる。
『僕が『彼女』に依頼されたのは、此処にアクセスしてきた者がいるから始末してほしいってことなんだ。まさか来たのが『人間』とは思わなかったけれど、だからといって例外にはできない。理解してくれるかい?』
「理解はできるわ」
『おや、驚いたよ』
「でも殺されるのはゴメンよっ!」
『いい答えだね』
ニヤリと笑いながら襲いかかるタテナシから、鈴音はとにかく逃げようと飛び上がる。
今の鈴音には戦う力がないからだ。
パッケージングはあくまで鈴音の人格データをまとめているだけで、そこに戦闘能力まで付随していない。
対して、タテナシは見てわかるとおり小太刀を構えている。
つまりコア・ネットワークで戦闘ができるということだ。
(捕まったらおしまいだわっ!)
本来は同族であるはずのISコアを殺すことにためらいのないタテナシだ。
異種族である人間の鈴音を殺すことにためらう理由がない。
昔はそういう使われ方をしていたのだから。
『頑張ってるね』
背後から聞こえてきた声に戦慄した鈴音は、振り向きざまに小太刀を握るタテナシの腕を止める。
『へえ』
「組み手くらいやってるっつのッ!」
さすがに刀奈のようにはいかないが、IS操縦者にとって武術は必須科目。
当然、鈴音も習得している。
何より、自分を守ってくれた二人を追い続ける鈴音は弱いままではいたくなかった。
ISに乗れなければ戦えないような人間ではいたくなかったのだ。
「そおりゃあぁぁッ!」
タテナシの腕を止めた鈴音は、そのまま腕をとると背負い投げの要領で投げ飛ばす。
もっとも投げられたタテナシはあっさりと宙返りをして態勢を整えてしまう。
『柔術、ではないね。君の投げは競技のそれだね』
「私は競技者なんだから当たり前でしょっ!」
実戦柔術は極めて投げるか、投げ落とす。
つまり人体を破壊する技だ。
さすがにそこまで物騒な技は覚えていない鈴音だった。
だが、それではこの場を凌ぐことは難しい。
せめて武器があればと思う。
『誰』でもいい。
自分と一緒に戦ってくれる存在があれば。
『君は考えないほうがいいタイプの人間なんだね』
「ッ!」
動きが止まってしまっていたと思うよりも速く、タテナシの小太刀が襲いかかる。
頸動脈の位置を狙うその凶刃を鈴音は必死に首を捻って避けた。
(こいつッ、こっちの神経ゴリゴリ削ってくるッ!)
その攻撃には遊びがない。
否、無駄がないというべきか。
タテナシは人をからかうような言動をするわりには、攻撃は一撃必殺といっていいほど確実に急所を狙ってくる。
身を守る鎧すらない今の鈴音は、本当に一撃で死にかねない。
『焦ってるね。身一つで此処に来た度胸だけは称賛に値するけどね』
「私はギリギリでも頑張っちゃうのよッ!」
距離を取って逃げ回っても、認識を外して近づいてくるタテナシには有効な手段にはならない。
せめて武器を奪えないかと考えた鈴音は、一気に近づいて腕を狙って蹴り上げる。
『状況判断力はなかなかのものだね。実力が拮抗しているなら有効な手段だよ』
そう褒めながらも、あっさり避けた上に心臓の位置を狙って小太刀を突き出してくるタテナシに鈴音は「マズったッ!」と思わず舌打ちしてしまう。
だが。
『クッ!』
閃光がタテナシの振るう凶刃を弾き飛ばす。
そればかりではなく、墓場に宿る死神を追い払うかのようにいくつもの閃光がタテナシに襲いかかった。
『間に合いましたか……』
鈴音を守るかのように閃光を放ったのは、銀色に輝く天使だった。