目を覚ましたとき、箒の目に入ったのは心配そうな一夏の顔だった。
諒兵も共にいる。
だが、それ以外の者たちは顔を見せていなかった。
「試合は……」
「お前が墜ちたあと、更識は降参した」
そう諒兵がいうと箒はただ「そうか」と呟いた。
勝てる気がしなかった。
いや、途中までは勝てると思っていたのに、一気に突き放されたように箒は感じていた。
「鈴音が、更識に謝れといっていたんだ……」
「箒、気づいてなかったのか?」
「えっ?」
答えてきた一夏の言葉に箒は驚愕してしまう。
鈴音は疲労困憊の中、一夏に箒に伝えてくれといって伝言を頼んでいたのだ。
だが、それは箒と簪の試合を見た一夏や諒兵には驚くような内容だった。
てっきり箒は気づいているものだと二人は思っていたのだ。
「何、を?」
「トーナメントの試合、箒が戦いやすいように更識さんがずっとサポートしてたんだ」
「なっ……!」
そんなこと、一度も聞いたことがない。
何より、自分は自分の力で相手を倒してきていたのではなかったのかと箒は思う。
「映像、後で見とけよ。お前が危ねえとき、逆にチャンスが必要なとき、更識が必ず援護してるぜ」
「そんなっ……」
「俺たちは、箒も気づいていて、うまく連携してるんだなって思ってた」
でも、そうでないのなら、簪はたった一人でこのトーナメントを勝ち抜いたことになる。
「鈴は、それが許せなかったんだとよ。もっとパートナーを大事にしてやれってな」
「箒、箒が更識さんに感謝すれば、もっと強くなれるって、鈴も、みんなもいってたんだ。だから……」
一夏の優しい言葉も、今の箒にとっては胸を抉られるような痛みを伴う。
耐えられない、そう思った箒は必死に言葉を紡ぐ。
「一人に、して……」
その言葉を聞き、一夏も諒兵も医務室を後にする。
箒はただ、涙をこぼしていた。
「私には、何の力も、ないのか……」
涙声でそう呟きながら。
医務室を出てすぐに、一夏と諒兵は別れた。
このあと、今度は自分たちが死力を尽くして戦うことになる。
思いはそこでぶつければいい。だから、今、無駄な言葉はいらないと別々の道からアリーナと向かった。
しばらく一人で歩いていた諒兵は一人の少女を見かけ、声をかける。
「更識か」
簪が心配そうな顔をして立ち尽くしていたのだった。
様子からして医務室にいこうとして、なかなか歩み出せなかったのだろう。
簪はしばらく逡巡していたが、やがて自分のほうから口を開いた。
「篠ノ之さんは?」
「一人にしてくれ、とよ」
「そう」
少ない言葉からでも、彼女が箒を心配しているのがわかる。
しかし、今の箒に対しては誰もかける言葉を見つけられないだろう。
完敗だった。
箒にしてみれば、惨敗だったともいえる。
敗者にかける言葉などない。敗者は己自身で立ち上がるしかないのだ。
だが、通り過ぎてしまうのもどうかと考えた諒兵は、仕方なく適当な言葉を探して口を開く。
「お前も、残念だったな」
「篠ノ之さんを助けられなかった」
「……一方的に助けるのはパートナーじゃねえと思うぜ」
助け合うからこそ、共に戦う絆ができる。
そう思う諒兵の言葉に痛みを覚えたのか、簪は胸を押さえた。
「篠ノ之にも問題はあるがよ、お前ももっとはっきりいってよかったんじゃねえのか?」
「そう、かもしれない……」
そういって簪は呟くように語る。
もともと、専用機完成の目処が立たない簪はトーナメント自体、あまり興味はなかった。
悩んでいるといったのはウソではないが、自分の力を示すのはそんな方法ではないからだ。
ただ、ルームメイトの箒が、好きな人に近づきたいと悩んでいる姿を間近で見てきた。
同じ部屋で暮らしているのだ。もう他人ではない。
ゆえに、箒の力になれる方法はなんだろうと考えて思いついたのが、彼女を助けてトーナメントを勝ち上がることだったのだ。
「それに、凰鈴音や、セシリア・オルコットと戦うこと自体は、私も興味あったから」
「一人で、か?」
意外な言葉に簪は目を見張る。
自分は一人で戦っていたつもりはないからだ。
だが、諒兵は否定してきた。
「お前らの戦いな、篠ノ之が何も気づいてなかったんなら、お前が篠ノ之を操っているようにも見えたぜ」
「そんなことっ……」
「見えただけだ。だからお前らの戦いを否定はしねえけど、せめて『一緒に戦おう』っていってやってもよかった気がするぜ」
普通の学生相手ならば、うまく相手を分断しつつ、二対一で、簪がサポートしつつ、箒が止めを刺すということができたはずだ。
否、できていたのだ。
ただ、簪が何もいわなかったために、箒が気づかなかっただけで。
結果としてそれが、簪と同等の実力を持つ鈴音とセシリア相手には、敗北を招いた。
もし、箒が気づいていれば、簪と引き離されることを危惧しただろうし、鈴音相手に突出することはなかっただろう。
簪がセシリアを相手にしていたとしても、サポートできる距離で鈴音と戦っていたなら、決して勝ち目がなかったわけではないのだ。
もっとも、今となっては何をいっても「たら、れば」の話でしかないが、と、諒兵はため息をつく。
「それによ……」
そこで言葉を切り、諒兵はどこか逡巡しているような様子を見せる。
簪はひょっとして姉のことを聞かれるのかと身構える。
諒兵は何度か姉、楯無と接触してるからだ。
しかし、出てきたのはまったく予想外の言葉だった。
「お前さ、俺らのこと避けてるよな?」
「えっ?」
「仲良くしろとはいわねえけど、トーナメントが始まってから篠ノ之が俺ら、いや一夏の前に顔を見せても、お前、絶対来なかっただろ?」
完全に避けているわけではないのだが、簪は一夏を忌避しているように諒兵には思えた。
しかし箒は一夏と一緒にいようとするので、結果として昨日今日と簪と箒が一緒にいるところをあまり見たことがない。
戦場だけのパートナーに問題があるわけではないが、ここは学校だ。
学生として親交を深めつつ、競い合うべきなのだ。
簪が一夏を避けているために、一夏と一緒にいたがる箒と思うように話し合うことができなかったのではないかと諒兵には感じられた。
「俺も人のことはいえねえけどよ」
とはいえ、諒兵の場合、ラウラは一夏どころか、諒兵も忌避しているのでどうしようもない。
そういう意味では簪と同類だが、少なくとも諒兵はラウラに戦う上でのパートナーになるとは伝えている。
フォローもできるだけわかりやすくやってきた。つまり行動で伝えてきたのだ。
簪にもそれは理解できていた。
できていたからこそ、諒兵の行動がパートナーを考えてのものだとわかるからこそ、なぜか、いうべきでない言葉が口を衝いて出てしまった。
それは、諒兵のパートナーといえる存在の中で、筆頭に一夏が来るということも、理解できていたからかもしれなかった。
「織斑一夏、のせいで……」
そういって話しだした簪の言葉に諒兵は驚く。
簪の専用機は一夏の専用機である『白式』を作るために放棄されたと打ち明けたのだ。
今、簪は必死になって自分の専用機を作っている。
「もう一度、頼めばいいんじゃねえのか?」
「負けたくない」
「あ?」
「お姉ちゃんに……」
「生徒会長のことでいいのか?」
こくんと簪は肯いた。
しかし、「何でそこに生徒会長が出る?」と、考えて、鈴音がいっていたことを思いだす。
ロシアの国家代表の第3世代機は操縦者のフルスクラッチ。
つまり、楯無が自ら組み上げたということになる。
すべてではないだろうし、ベースとなる機体はあるといっていたが。
「お姉ちゃんは、何でもできるから」
「そんな生徒会長に負けたくねえってことか」
とはいえ、第3世代機を組むなんて話は諒兵にとっては雲を掴むようなものだ。
通常の授業だってギリギリだというのに、機体開発なんてどうしようもない。
だが、そこまで考えてやはり矛盾しているように感じられる。
「一夏は関係ねえだろ」
「わかってる。あなたも受け取らなかったし」
だから筋違いだということはわかってるのだが、簪にとっては一夏は遠因であることに違いはないのだ。
専用機が作られなくなったことではない。
姉、楯無に対するコンプレックスを刺激する、遠因となってしまったのだ。
しかし、このまま一人で無理をし続ければ、簪はいつか潰れてしまうだろう。
そう思った諒兵は、かつてラウラに伝えたのと同じことを口にする。
「一人じゃ何にもできねえよ」
「お姉ちゃんは……」
「俺には生徒会長は一人じゃねえって思えるぜ」
簪が気づいていないだけで、楯無は自分なりにつながりを作っているはずだと諒兵は思う。
つながりが増えていくほどに、できることは増えるはずだからだ。
「のどぼとけだってお前を気にかけてたしな」
「本音が?」
「あいつがいろんな人と仲良くなってるのは、お前のためなのかもしれねえぞ?」
つながりの少ない幼馴染みのために、自分が代わりに多くの人とつながって助けになろうとしている。
だけど決して、本音は簪とのつながりを切ったりはしていないのだ。
「カッコつけて意地張るのは男の専売特許だ。無理しねえでいいんじゃねえのか?」
そういうと、諒兵は「らしくねえな、俺」と呟きながら歩きだした。
ラウラに関わるようになってから、どこか説教くさくなっている自分に苦笑しつつ。
その背中を見ながら、簪は一人立ち尽くしていた。
(お姉ちゃんの、つながり……)
自分が知らないだけで、楯無は一人で何でもできるわけではないのかもしれない、そんなことを思いながら。
一夏は一人、中庭のベンチに座り、空を見上げていた。
鈴音は強くなった。
ライバルとしても十分な実力がある。
そういう意味でいうなら、もうただの幼馴染みではない。
ただ、彼女に叩き落された箒の姿には悲しみを覚えた。
鈴音に非情さを感じたわけではない。
箒に同情したわけでもない。
箒はこんなに弱かったのかと驚いたのだ。
昔から古風で侍みたいなところのある箒を、一夏は決して弱くないと思っていた。
例え負けても立ち上がれる強さがある、そう思っていた。
だが、医務室で見た箒は、まるで小さな子犬のようで、正直いってショックだったのだ。
ただ、そんな箒を守ってやらなくては、と思うのは少し違うように感じていた。
誰かに守られるだけの人間は、負担になってしまい、いずれ捨てられてしまう。
自分が守るといっても、そうなる気がしてならない。
箒自身が強さを手に入れないければ、守るに値する強さを得ることができなければ、箒は自分自身を無価値な存在にしてしまう。
強くなってほしい。
そのためにはどうすればいいのだろう。
一夏はそんなことを考えていた。
「何をしている?」
そんな一夏に声をかけてきたのは、優しい顔をした千冬だった。
「ちふ、織斑先生」
「今はお前の姉のつもりだ、一夏」
そういって隣に腰かけてきた千冬に、一夏はまとまらない自分の考えを打ち明ける。
「弱さを否定するのか、一夏?」
「千冬姉だって蛮兄のことは覚えてるだろ」
「ああ、よく覚えてる」
一夏が諒兵と友人になったことで知り合った兄貴分のような人だった。
諒兵と同じ孤児院出身なのだ。
孤児院にはたまにしか顔を見せないのだが、中学時代は諒兵や鈴音、弾、数馬たちとともにキャンプや釣りなど、いろいろと連れて行ってもらったことをよく覚えている。
諒兵に影響を与えたように、一夏もいろいろと影響を受けていた。
そんな彼に、諒兵の紹介で始めて会ったとき、一夏はこんな言葉を聞いたのだ。
「俺ぁ、料理のうめぇ奴も、勉強ができる奴も、仕事にマジメな奴も強ぇ奴だと思う。腕っ節の勝ち負けで強さを決めるなんざ、えれぇ小せぇ考え方だぜ、一夏」
実はそれが、一夏が剣道をやめた理由でもある。
剣は好きだ。それは今も変わらない。
でも、それよりも千冬に養われるだけではなく、養えるくらい働ける男になろうと思ったのだ。
ただ、ケンカ屋をしていたせいで、邪剣に染まってしまったが。
それでも、一夏は剣道をやめたことを後悔はしていない。
わずかでも、家計の足しにとバイトをしていたことは、間違いではないと信じているからだ。
「別に箒にケンカで強くなってほしいわけじゃない。ただ、守られてるだけなのは、違うと思う」
「自分を支える強さ、か?」
「ああ。今の箒は空っぽで何もないような気がするんだ」
千冬は一夏の言葉を聞きながら、沈思した。
確かに箒には彼女自身を支える強い想いというものを感じない。
あるにはあるが、それは依存に近い。
一人で立っているとはとてもいえなかった。
「俺は自分が強いなんて思ってないさ。ただ、自分を支えてくれるものがある」
それは親友兼ライバルである諒兵。
大切な姉である千冬。
鈴音や弾、数馬といったとても大事な友人たち。
セシリアやシャルロットといったISを通じて知り合った友だちでありライバル。
今ならば本音もその中に入るだろう。
大事なたくさんのつながりが、自分の中にある。
それが織斑一夏という人間を支えている。
だから一夏は強くなった。
「箒はそういったものが、ない気がしてさ……」
そう寂しそうに呟く一夏の声を聞きながら、千冬も空を見上げる。
(正確には、そのつながりを一夏だけに求めてるんだよ)
さすがにそれを話すのは箒が哀れなので口を噤む。
だが、それこそが箒の問題点であると千冬は理解していた。
姉である『天災』篠ノ之束のために、箒は転校を、そして友人作りができにくい状況を余儀なくされた。
それは同情できる。
しかし、それでも篠ノ之箒としてのつながりを作ることはできたはずだ。
姉が関係ないというのなら、自分だけのつながりを作ればよかったのだ。
それすらできなかったとは思えない。
似た状況の自分にだってつながりはあるのだ。
「篠ノ之が自分で友人を作るしかないだろうな」
「……その助けはできないのかな?」
「お前の友人たちは篠ノ之を避けてはいないだろう?」
「ああ。特別な見かたもしてないと思う」
自分なりの強さを持つ、諒兵、鈴音、セシリア、シャルロット。
また、別の意味で強い本音も避けたりも、特別視もしていない。
篠ノ之箒として見ているのだ。
「特別に扱えば、却って周りは避ける。今は友人として接してやれ、お前も」
篠ノ之箒の人生はそこから始まる。
千冬はそう考えていたが、そこまではさすがに話さない。
ゆえに、今は学生という時代を謳歌できるように、箒はたくさんの友人と笑い合えるようになるべきだと伝えた。
「そうするよ、千冬姉。ありがとうな」
「なに、弟の悩みを聞くのは姉の務めだ。それにこんな話をするのは久しぶりだしな」
「そういえばそうだな。ISに関わってからずっとバタバタしてたし」
それじゃ行くよといって歩きだした一夏はだいぶすっきりした顔をしていた。
ライバルが待つアリーナに向け、確かな足取りで進んでいく。
そんな一夏の背中を見ながら、千冬は願う。
(ラウラ、お前もそうであってくれ)
箒と同じように孤独な、自分の大切な教え子が変わることを。
私用と称して医務室まで行っていたセシリアは、観客席に来て驚いた。
控え室で休んでいたはずの鈴音が本音の隣で席に座っていたからだ。
逆隣にはティナがいる。どうも介抱しているらしい。
はっきりいって、鈴音はだいぶぐで~っとしていた。
強力な分、反動も凄まじい技なのだろうとセシリアは少しばかり呆れてしまう。
「休んでらしたのでは?」
「一夏と諒兵が戦うのに~、見ないわけいかないでしょ~……」
まるで本音のように間延びした話し方で答える鈴音。
「見たい見たいって駄々こねるんだもん。仕方ないから運んできたのよ」と、ティナが補足する。
「箒は~?」
「話を聞いていましたが、やはりショックだったようですわ」
「あとで謝っとかなきゃ~……」
やりすぎたと鈴音は思っているらしい。
身体に叩き込むつもりで、必殺の技をお見舞いしてやったのだが、箒のレベルでは対処どころではなかっただろう。
「まあ、時機を見てそうしてくださいな。今は一人でいたいと漏らしていたようですし」
「そうする~」
だるそうに答える鈴音に、本音が涙目で訴える。
「私の個性とらないでよ~」
「何いってんの」と、ティナが突っ込んでいた。
そして、アリーナでは。
一夏とシャルロット、諒兵とラウラが互いの敵を見つめていた。
「一夏、たぶんボーデヴィッヒさんが突撃してくるよ」
「わかってる。でも、これはタッグマッチだ。二人とも倒さなければ勝ったことにならない」
「分断する?」
「無理だ。ラウラを見捨てるような諒兵じゃないからな」
だが、一夏の視線は諒兵を見据えているようにシャルロットには感じられた。
その一夏を見ていると、まるで檻の中の虎が機会を待ち続けているようにすら感じる。
「だからまとめて倒す。それだけだ、シャル」
(超える相手は諒兵だって理解してるんだね)
獣は今、獣を倒すために牙を剥いている。
共に戦う以上、一夏のサポートが自分の役割だと理解しているシャルロットは、自分たちを睨みつけるラウラを見据えた。
一方、諒兵とラウラは。
「邪魔をするな。織斑一夏は私が潰す」
「邪魔はしねえ。手助けはするけどよ」
「いらんッ!」
「黙れ」
調子に乗っているのかと睨みつけようとしたラウラだが、諒兵の顔を見て何もいえなくなった。
覇気が違う。
目の前にいるのが本物のライオンのように見えたのだ。
「これはタッグマッチだ。お前の負けは俺の負けになる。そんなのは許さねえ」
(なんだ、いまどきこんな男がいたというのか……?)
これまでのようなフォローではなく、自分がようやく戦場に出られる喜びに打ち震える猛獣がいるようにラウラには感じられた。
そして。
「勝つぞ、白虎」
「勝つぜ、レオ」
うんっ!
ええ
そんな声を感じた二匹は、一気に翼を広げ、飛びだした。