ぼんやりと医務室の天井を見つめていた箒は、一夏の試合はどうなっているのかと思い、学園勤務の医師に尋ねかける。
「それなら、モニターで見ることができますよ」
そういって、医務室に備え付けられているモニターを持ってきてくれたので、箒は礼をいって受け取ると、電源を入れる。
第一アリーナでは、一夏・シャルロット対諒兵・ラウラの戦いはまさに佳境と入っていた。
自分の感情に戸惑いながらも、ラウラは一夏と諒兵がぶつかり合う場所へと急ぐ。
せっかく隙ができ、均衡が崩れたというのに、自分が遅れてしまったせいでシャルロットがうまくサポートに入ったらしい。
一夏と諒兵は再び距離をとって対峙していた。
(勝つんだッ、勝てば目的は果たせるッ!)
そう自分に言い聞かせるラウラ。
協力したのはあくまでそのためだ。
使えるものは使えばいい。そう思ったからこその連携だ。
しかし、それを否定する自分がいる。
千冬はたった一人でも強かった、と。
弱くなれば、織斑千冬に手が届かなくなるぞ。
(なんだッ、さっきからッ?)
自分の頭に響いてくる暗い声。
どこかで聞いたことがあるような気もするが、思いだせない。
だが惑わされてはダメだとラウラは必死に振り払おうとする。
このまま諒兵を放っておけば、シャルロットによって均衡が崩される。
ラウラの負けは自分の負けだといった諒兵の言葉を思いだす。ならば逆もまた然りだ。
諒兵の負けは、自分の負けになる。
今、ラウラはそう思っていた。
こういう使い方もできるのか、とシャルロットは驚く。
背後からの自分の銃撃を諒兵はビットを使って防いでいた。
確かに硬度を考えれば並の銃撃では壊れないほど強力なプラズマエネルギーの塊だ。
楯として使えないはずがない。
(それにしたって、一夏の攻撃をかわしながら僕の攻撃を防ぐなんて……)
ほぼ同時に二つのことを行っている。
三回戦を自分一人でも勝てたという意味が理解できる。
二対一であっても、十分に優位に動くことはできるのだ。
しかし状況は徐々にこちらに優位になりつつあることもシャルロットは理解していた。
一夏にしてもシャルロットにしても強敵で、諒兵一人で戦うのは限界がある。
先ほど崩れた均衡を戻せたのもそのためだ。
特に一夏相手では本来は集中したいのだろうが、それをさせまいとするシャルロットの攻撃は決して無駄ではないのだ。
だが。
「ハァッ!」
「えッ?」
気合いとともにラウラがシャルロットに斬りかかってきた。
シャルロットは重機関銃でラウラを牽制しつつ、距離をとる。
そのまま割り込むように諒兵と背中合わせになって、ラウラはシャルロットと対峙した。
どうやらラウラは心を入れ替えたのだろうとシャルロットは思う。
ここに来て、学園最強コンビが誕生したのだ。
「でもっ、負けないよっ!」
「やらせんッ!」
そう叫んでレールカノンを撃ち放ってくるラウラに少しばかり微笑みかけつつ、シャルロットは攻撃し続けていた。
そんなラウラは。
(暖かい……)
その背に、それどころか身体全体をぬくもりで包まれているように感じていた。
思えば今までも、このぬくもりを感じることはあった。
千冬といたとき、シュヴァルツェ・ハーゼの部下たちといたときもこんな気持ちを感じていたのだ。
生まれながらに軍人として作られた試験管ベビーであるラウラ。
親代わりはいなかったわけではないが、それでも常に強者であることを求められた。
しかし、ISとの適合性を向上させるために行われたヴォーダン・オージェの移植手術に彼女は適合できなかった。
その結果、あらゆる訓練で落第してしまい、失敗作の烙印を押されたのだ。
ISを憎みもした。
それでも、そんな自分を助け、育ててくれた千冬。
そして、隊長としてはとてもまともとはいえなかっただろうに慕ってくれるクラリッサや部隊の部下たちのおかげで今のラウラがある。
そしてこのトーナメントでは、ずっと諒兵が助けてくれていることをわかっていた。
わかっていても認められなかった。
弱くなってしまう、そう思うからだ。
それなのに、今、自分は一夏と戦う諒兵を背にして戦っている。
(気持ちいい。ずっとこうしていたい……)
弱くなってしまってもいい。それでも共に戦えるなら、とラウラは思っていた。
力を失ってもか?
頭の中に響く暗い声にハッとする。
何かが自分に問いかけてくると感じながら、それがなんなのかわからない。
(誰だッ!)
このままこの男に頼るようでは、お前は力を失うぞ
それでも、そんな自分でも諒兵は助けてくれるだろう。
もう一度戦わせてくれるように手を貸してくれるだろう。
いや、諒兵だけではないはずだ。
千冬だって、クラリッサだって、部下たちだって手を貸してくれる。
(きっとそれが、教官がいいたかったことなんだ……)
違う。お前は今、誘惑に負けようとしている
何の力もなくなったお前に価値などないと暗い声が囁く。
ラウラはかつて捨てられた自分を思いだしてしまう。
誰もお前を助けないという言葉にラウラは動揺してしまう。
(そんなことはっ、ない……はずだ……)
お前を助けられるのは『私』だけだよ、ラウラ
ようやくその声が誰に似ているのかラウラは気づく。
(きょう、かん……?)
それは確かに千冬の声ではあった。だが、似ても似つかないともラウラは感じていた。
こんな、暗い闇の底から響いてくるような声ではないと思いつつも、ラウラにとって千冬が絶対であることに変わりはない。
望むがいい。『世界最強』にナりたゐの堕ロウ、らうら
その言葉に逆らう意思をラウラは持たなかった。
ドクンッと心臓が跳ね上がる。
一夏と諒兵はいきなり感じた異様な気配に、動きを止めてしまった。
「どうしたのっ、一夏っ?」
「なんだこれ……」
「気味わりい……」
やだあ、気持ちわるいよお
おぞましい……。なんなんですかこれは?
ふと、そんな声を感じた一夏と諒兵の二人は気配の正体を探る。
先に気づいたのは諒兵だった。というより、背後からそれが伝わってくるのを感じたのだ。
「ボーデヴィッヒッ?」
ラウラのIS、シュヴァルツェア・レーゲンが異様な胎動をしている。
ラウラ自身は苦しそうに喘ぐばかりだ。
「なんだこりゃッ?」
信じられないことに、まるで生き物のようにISの装甲が蠢いている。
その状態を見た一夏がシャルロットに意見を求めた。
「量子変換の機能が異常を起こしてるんだと思うっ、とにかくISを停止しないとっ!」
「千冬姉ッ、中止だッ、なんかおかしいッ!」
すぐに観覧席の千冬に向かって一夏は通信を繋いだ。
だが。
「なんだッ?」という諒兵の叫び声が聞こえてきて、一夏はハッと振り向いた。
「オ前ノ、『ちから』、ガ、欲シイ……」
ラウラが喘ぎながらそう呟くと、シュヴァルツェア・レーゲンはまるで粘液のように伸びて、諒兵とレオに取り付いてきた。
「諒兵ッ!」
「離れろ一夏ッ、シャルッ!」
引き離せないし、何より苦しげに喘ぐラウラを放っておくことなどできない。
このまま放っておけば、ラウラが危険なことになると感じた諒兵はあえて自分に取り付こうとするシュヴァルツェア・レーゲンを受け入れる。
「耐えてくれレオッ!」
ええっ、なんとかしますっ!
その叫びを最後に、諒兵はレオごとシュヴァルツェア・レーゲンに飲み込まれてしまう。
残ったのはまるで卵のような真っ黒な球体。
だが、そこからさらに触手を伸ばして一夏とシャルロットにまで襲いかかってきた。
「くそッ!」
「一夏っ?」
一夏はとっさにシャルロットを抱え、叫んだ。
「全速力だ白虎ッ!」
わかってるっ!
翼を広げた一夏は瞬時加速を使い、一気にそこから離れたのだった。
こんなこともあろうかと千冬は通信機を常備している。
一夏の通信を受け取った千冬は、すぐに叫んだ。
「監視モニター室ッ、ボーデヴィッヒのISが異常を起こしているッ、試合を中止しろッ!」
了承の言葉が返ってくるのに安心することなく、すぐに立ち上がる。
「山田先生ッ、監視モニター室へッ!」
「はいッ!」
だが、そこに微かではあったが、喜びの声が聞こえてきた。
成功だ、これで『レオ』のデータが取れる。
なんとか『白虎』も取り込めないか?
戦闘を続行すれば……。
「貴様らッ、ラウラのISに何をしたッ?」
掴みかかる千冬を真耶が必死に止める。
「今は試合をっ、ボーデヴィッヒさんのISを止めないとっ!」
「くッ!」
悔しげな顔を隠そうともせずに、千冬は監視モニター室に向かって駆けだした。
真っ黒な卵は不気味な雰囲気を漂わせながら浮いている。
一夏は離れたところから様子を伺っていた。
「あのまま、じゃ、ないよな?」
「うん、たぶん、何かになるはずだよ」
決して卵から目を離さず、そう話す二人の目の前で、卵にひびが入っていく。
来る。そう感じた二人は身構えつつ、不用意に近づかないように注意していた。
先ほどの触手を考えると、近づくと捕まえようとしてくるはずだ。
取り込まれるのはマズいと二人は考えていた。
そして目の前で卵が割れ、そこから現れたのは……。
「女の、人?」
真っ黒い闇の塊のような姿だが、間違いなくそのシルエットは女性のものだった。
信じられないほどの美しさを感じるボディラインにシャルロットはわずかにとはいえ頬すら染めてしまう。
だが、一夏はそれ以上の驚きを感じていた。
「千冬姉……?」
その言葉にシャルロットはもう一度女の姿をした影を凝視する。
(そうだ、あのシルエット、織斑先生そっくりなんだ。……まさかッ!)
「VTシステム?」
「ヴァルキリー・トレース・システム。織斑先生の戦闘データをもとに、ISで再現する機能だよ」
それほどにISを纏った千冬の強さは世界中に認知されている。
特に軍事利用を考える者は後を絶たなかっただろう。
それで生まれたのがヴァルキリー・トレース・システム。
すなわち。
「世界最強を擬似的に生みだすシステムなんだ」
「そんなのがあったのか?」
「あった。でも、人道的配慮から、今はアラスカ条約で搭載は禁止されてるんだ」
おそらくラウラも知らないうちに搭載されていたのだろうとシャルロットは説明する。
知っているのなら犯罪者だし、このシステムを組み込めるとしたら一人ではほぼ不可能だからだ。
「でも、なんか違う」
「えっ?」
「もっと、何か……」
あいつッ、レオの力を写し取ろうとしてるッ!
その声に一夏が「マズいッ!」と叫んで一気に斬り捨てようと翼を広げた瞬間、凄まじいまでの咆哮がアリーナを揺さぶった。
「なにこれっ?」
「ぐぅッ!」
目を開けたシャルロットの視界に入ってきたのは、その背に黒い翼を広げた千冬の姿をした闇。
それはさらに大地に手を付くように四つんばいになる。
「なっ?」
「くそッ、遅かったッ!」
そして再びの咆哮とともに、その姿は異形と化した。
その背に大きな翼を持ち、すべての足から十二本の光の爪を生やした巨大な黒い獅子へと。
「そんなバカなっ!」
驚愕するシャルロットに対し、一夏は何もいわない。むしろ冷静だった。
しかし、その目は冷たい怒りの炎を宿していた。
観客席の鈴音、セシリアたちも呆然と事態を見つめていた。
「くっ、身体動かせれば……」
「無茶ですわっ、そもそもあれを倒す方法がわかりませんっ!」
いまだ疲労の残る身体を無理やり起こそうとする鈴音をセシリアが止める。
しかし、どう見ても異常だった。
ISが、他のISを取り込んであのように変貌することなどありえない。
せめて甲龍が動かせる状態なら、サポートもできたのにと鈴音は歯軋りしてしまう。
「諒兵……。お願い一夏、諒兵を助けて……」
鈴音にできるのは、アリーナの空を飛ぶ一夏に望みを託すことだけだった。
医務室で試合の様子を見ていた箒も、試合が行われているアリーナに向かって駆けだしていた。
(一夏ならっ、きっと日野を助けようとするっ!)
それが無謀だとわかっていても、一夏は止まらない。
しかし、あんなものにどうやって対抗しようとするのか。
居ても立ってもいられなくなったために箒は走りだしていた。
通信機を手に千冬が叫ぶ。
「更識ッ、監視モニター室だッ、博士につなげッ!」
「もうやってますッ!」
「よしッ!」という声を漏らしつつ千冬はアリーナの監視モニター室に飛び込む。
そこには楯無と虚がいた。
「布仏ッ、山田先生ッ、今から見るものは極秘だッ!」
「は、はいっ!」と真耶と虚は千冬の剣幕にそう答えるだけだった。
「博士ッ!」
モニターに向かって叫ぶ千冬の視線の先には、三十歳くらいの白衣を着た男性の姿がある。
「状況は把握してらぁ。まずぁ戦力だ。強い奴をあと二人は行かせろ。ただし後方支援だ。ランチャー、RPG、カノン砲なら何とか効くが、トドメは一夏じゃねぇとどうしようもねぇ」
あるなら大口径のレーザーライフルもと博士は告げる。
「山田先生ッ、オルコットを連れてアリーナにッ!」
「了解しましたッ!」
真耶が飛び出していくのを確認した千冬は博士に対して状況の説明を求める。
「VTシステムにISのデータを取り込むプログラムを書き加えてやがったみてぇだ。目的ぁ『白虎』と『レオ』だ」
「それはわかります」
「問題なのぁ、『レオ』を取り込んだVTシステムがシュヴァルツェア・レーゲンをASに強制進化させよぅとしてやがるってこった」
「あれもASなんですかッ?」と、楯無。
本来、裏の仕事に関わる楯無は別件で既に博士とは面識がある。
そのために千冬同様にASについては聞いてあった。
とはいえ、異形としかいえない姿に驚いてしまう。
「むしろ、ありゃぁ獣性を解放した本来の姿にちけぇ。『白虎』と『レオ』ぁ、一夏や諒兵に合わせて姿を変えてんだ」
どう見ても化け物としかいえない姿が、ISの本来の姿であることにその場の全員が驚愕する。
「放っておくとどうなります?」と、千冬。
「最終形態になりゃぁ、取り込んだやつごと『使徒』型に進化しちまう。そうなっちまえば終わりだ」
「どうすれば?」と楯無が続いて問いかける。
「今のうちに白虎徹で腹を掻っ捌け。そこに諒兵と織斑の教え子がいる。引きずり出しゃぁ奴ぁ依り代を失って崩壊する。ただし白虎徹以外じゃたぶん斬れねぇ」
「それで助かるのですかッ?」
千冬にとっては諒兵もラウラも大事な生徒だ。
それ以上にラウラは妹のように大事にしていた教え子だ。
安否が気にならないはずがなかった。
「諒兵はレオが頑張ってるみてぇだ。おめぇの教え子ぁ、俺も驚いたがシュヴァルツェア・レーゲンのコアが守ってる。おそらく一緒に出てくる」
「えっ?」
「今ならまだ間に合う。一夏に指示を出せ、織斑」
「はいッ!」
そういって、まるで怒号のような大声で千冬は一夏に指示を出した。
いきなり大音声で千冬の指示が飛んできて、シャルロットは思わずびっくりしてしまった。
「一夏ッ、今援軍が行くッ、協力してお前がそいつの腹を掻っ捌けッ、そこにラウラと諒兵がいるッ!」
その声を聞いた一夏はただ静かに白虎徹を構えた。
「い、一夏?」
「シャル、援護してくれ。二人を助けだす」
「う、うんっ!」
親友と、親友が守ろうとした少女。
その二人が闇に囚われ助けを求めているのなら、一夏がやるべきことは一つ。
「行くぞ白虎、世界最強とかいう化け物を倒す」
行こうイチカッ!
咆哮をあげた巨大な黒い獅子に向かい、一夏を翼を広げて飛び立った。
閑話「ラウラの(実は)有能な部下たち」
モニターを凝視していたクラリッサ以下シュヴァルツェ・ハーゼの隊員たちは呆然としていた。
「副隊長っ、すぐに上層部に連絡をッ!」
と、部隊唯一の常識人、アンネリーゼ・ブッケルが叫ぶ。
だが、クラリッサはおもむろに通信機を取りだしただけだった。
「こちらクラリッサ・ハルフォーフ。首謀者は?」
「IS開発局軍用機開発部、主任以下十名。はい、受諾しました」
「はい。可及的速やかに遂行します。五分もあれば」
そういって通信機を切ったクラリッサにアンネリーゼは疑問を感じて問いかける。
「副隊長?」
「行くわよ」
「はいッ、おねえさまッ!」
そういうと、アンネリーゼを巻き込んだまま、クラリッサたちは怒涛の勢いでドイツ軍のIS開発局へと侵攻する。
「うちの隊長に何してくれてんじゃゴルァァァァッ!」
怒号とともに無数の悲鳴がとどろき、五分後には半死半生の科学者たちが呻き声を上げていた。
アンネリーゼはただ呆然とその姿を見る。
「なんで軍人としては優秀なのに、アホばかりなの……?」
たそがれるアンネリーゼに答える者はいなかった。