藍越学園受験日から数日後。
諒兵は自分が暮らしている孤児院「百花の園」を出され、一夏の家に泊まらされていた。
「諒兵、部屋のゴミ出してくれ」
「おう」と、自分の部屋のゴミ箱を持ってくる諒兵に一夏がダメ出しをしてくる。
「何やってんだよ。本は資源ゴミだろ」
「いっけねえ、まとめて突っ込んじまった。わりい一夏」
と、二人は『IS基礎理論・1年編』と書かれた2冊の本を手にアハハと笑い合う。
「この馬鹿者どもッ!」
ドゴンッと凄まじい音を立てて二人の頭に鉄拳が振り下ろされる。
強烈な痛みに思わず床の上でのた打ち回ってしまっていた。
「ち、千冬姉、帰ってきてたのか……」
「うごぉぉ……」
涙目で見上げる二人の目の前に、厳しそうな見た目でありながら、抜群のスタイルを持つ黒髪ロングヘアの美女が仁王立ちしている。
「それは教科書だろうがッ!」
もとい、仁王立ちしていたのは夜叉であった。
居間のソファにどっかりと座る美女。
一夏の姉であり、ブリュンヒルデの異名を持つ最強のIS操縦者、織斑千冬。
そんな彼女の目の前で一夏と諒兵は正座させられていた。
「まったく、気になって帰ってきてみれば、教科書を捨てようとしてるとは。本当に馬鹿だな貴様らは」
「いや、ぶっちゃけ全然わからねえし」
「何が書いてあるのかさっぱりで勉強するどころじゃないぞ、千冬姉」
それにIS学園に入りたいわけじゃないし、と一夏は呟く。
打鉄に装着されてしまった二人は、世界初の男性のIS操縦者として瞬く間に有名人になってしまった。
現時点で女性にしか操縦できないISに男が乗れるとなれば、それだけで実験材料になりかねない。
上手くすれば男性が乗れるISを製作することができるようになるかもしれないからだ。
そうなれば軍事バランスは再び大きく変化する。
今の一夏と諒兵は、各国の軍事バランスを変えかねない歩く核ミサイルのような存在なのである。
そこで、日本政府は他国に男性操縦者を取られないようにするため、織斑一夏、日野諒兵の二名をIS学園で保護することを委員会に進言し、各国の了承を得て決定。
二人は春から女子だらけのIS学園に通うことになっていたのである。
今は入学前ということでまとめて警護するため、二人とも織斑家で生活しているのだった。
なお、そのIS学園の教師の一人が、なんと千冬であった。
一夏と諒兵の首についている待機形態らしきISを見て、彼女が深くため息をついていたのは余談である。
一夏の呟きを聞いた千冬はため息をつくと、視線を一夏と諒兵の首に向ける。
「では数百億の借金を抱えるか?」
「へっ?」と二人して間抜けな面をさらしてしまう。
「貴様らから外れんその打鉄を含めたISは、本来は一機数百億の軍事兵器だ。しかも基本的には国が貸与するものだ」
しかし、何故か一夏と諒兵の打鉄は待機形態らしき首輪となったままいっこうに展開されない。
しかも首輪の形をしているが繋ぎ目がなく、外しようがない。
プログラム的なものかと考え、今日までにISに関わる科学者が百回以上にもわたり外そうと試しているが、外からの干渉をまったく受けつけないのだ。
「つまりそれは貴様らの専用機。しかも外せない以上、貴様ら個人の持ち物となる。となれば、買い取るしかあるまい?」
齢十五にして数百億の借金を背負うということだ、と、千冬は続ける。
だが、IS学園に入るならば、男性IS操縦者としてデータなどの提供を行うことができる。
IS開発の上で有益な情報が得られれば、データだけでも億単位の価値となる。
政府はそのために保護という名目でIS学園に放り込んだのである。
「いくしかねえのかよ……」
「鬱だ死のう……」
揃って落ち込む二人だった。
「いずれにしても勉強しなければ、授業についていけんぞ」と、千冬は二人に諭すように告げる。
だが、ISに関わる理論は高度なものであり、藍越学園をギリギリで受験しようとした二人ではとてもではないが理解できない。
噛み砕いて説明する者が必要だった。
「この際、千冬さんでもいいから教えてくれよ」
「でもいいから、というとはいい度胸だが、確かに貴様らのおつむでは理解できんか」
「なら、教えてくれるのか、千冬姉?」
という一夏の問いに千冬は首を振った。
IS学園の教師であるばかりでなく、ブリュンヒルデでもある千冬はこう見えて普段からかなり忙しい。
さらに一夏は自分の弟でもあり、ある意味では今回の件の当事者だ。
実のところ、一夏と諒兵の二人を本当に保護するため、IS学園に放り込むために苦労している真っ最中である。
二人の様子を見に来たのもかなり無理をしたからだ。
だが、何とかしておかなければ大変なのも確かである。
IS学園で二人だけの男子。
それだけでも孤立しかねないのに、勉強についていけなければ最悪ドロップアウトしてしまう。
もっとも、一夏は朴念神ながら女子にモテるし、諒兵も粗野な雰囲気を持つが、そこまで嫌われるタイプではないので、周りが助けてくれるかもしれない。
それでも最低限の理解はしておくべきかと考える。
「とりあえず心当たりに話してみよう」
「「助かった……」」
「それでも少しは自力でやれ、馬鹿者ども」
と、そういいながら苦笑いを浮かべつつ、千冬は織斑家を後にした。
数日後。
「今日からだっけか、家庭教師が来るってのは」
「ああ。昨日、千冬姉から電話があった」
と、諒兵に答えつつ、一夏はブルッと身体を震わせる。
「不埒な真似をしたら命がないと思え」
姉、千冬が電話を切る直前にそういったことを思いだしたからだ。
「俺らをなんだと思ってんだ、千冬さん……」
「馬鹿者だろ……」
信用がないことにたそがれてしまう二人。
そんな二人に玄関のチャイムがなる音が聞こえてくる。
玄関を開けて出迎えた二人の前に現れたのは。
「やややややややや山田真耶ですっ、よよよっ、よろしくお願いしますぅっ!」
二人を見たとたんに真っ赤な顔で涙目になっている、メガネとどでかい胸部装甲を持ち、翡翠色のショートヘアの子犬のような美人だった。
数日前。
IS学園教師、山田真耶は、先輩であり憧れのIS操縦者でもある織斑千冬からある相談を受けていた。
「とまあ、そういうことがあったのですまないが協力してくれないだろうか」
「わっ、私ですかあっ?」
真耶は元日本代表候補生でもあるIS操縦者である。
モンド・グロッソ世界大会では、各国の代表が凌ぎを削る。
その代表を決める選抜は国内でも優秀な操縦者が競い合う。
山田真耶は第2回大会で千冬と代表を争ったほどの優秀なIS操縦者である。
もっとも男慣れしていないうえに上がり症であるため、男性の前では慌ててしまうか、おどおどしてしまうかのどちらかという庇護欲を掻き立てるタイプの美人だ。
何より凄まじいほどの存在感を放つ胸部は、男の視線を釘付けにしてしまう。
それでまた逃げ出してしまうような気弱さが、魅力の一つでもあるのだが。
それはともかく、あらかじめ会っておけば新学期から教えるとしても心構えができる、という千冬の説明に真耶は折れた。
「うちの馬鹿者どもに教えるのは至難の技だろうが、他に適任がいないんだ。お願いしたい」
「わ、わかりました……」
確かにいきなり新学期に会うより、今から慣れておいたほうがいい。
その考えには納得できたからだった。
そして現在。
居間に通された真耶はまず必死になって二人の名前を呼んだ。
「あああああのっ、ひのむらいちりょうくんですねっ!」
「「落ち着け」」
混ざってた。
一夏は仕方なく緊張しまくっている真耶のために一杯のコーヒーを淹れる。
諒兵もここ数週間の暮らしで勝手知ったる他人の家という状態になってしまっているため、真耶のためにお茶菓子を出してきた。
「す……すみません」
ブラックコーヒーは苦くて苦手だったのだが、この場合はちょうどよかったらしい。
真耶は、ホッと一息つくことができて落ち着くことができた。
そして一夏と諒兵が自己紹介してくる。
「織斑一夏です。話は千冬姉から聞いてるんですよね」
「日野諒兵っす。俺らの勉強を見てほしいんすけど」
「は、はい。わかってます。織斑先生から頼まれました。IS学園で教師をしてます山田真耶です。春からはたぶん二人のクラスの副担任になります」
そりゃちょうどいい、と一夏と諒兵が声を揃えるのを真耶は苦笑しながら聞いていた。
二人が入るクラスの担任は千冬となっているらからだ。
曰く。
「天然女たらし、狂犬、お調子者。三拍子揃った3バカ問題児のうちの二人だ。私以外に抑えられるものはいないだろう」
という説明により、千冬が担任するクラスに叩き込まれたのだが、こうしてみるときちんと気づかいのできるいい子たちだと真耶は感じていた。
実際に授業を始めると。
「アラスカ条約?代表候補生?」
「単一仕様能力?一次移行?フィッティング?」
ものの見事に何にもわからない一夏と諒兵に真耶は苦笑してしまう。
ISの整備、開発などには男性もいるので、男性ならばまったくかかわらないということもないが、普通の男性が知ることのない専門用語が羅列した教科書に悪戦苦闘しているからだ。
(いきなり知らない世界に放り込まれたんだから、仕方ないんですよね)
いまだに一夏と諒兵の打鉄は展開できないが、同時に二人の首から外れない。
つまりどう足掻いても今後二人はISと共に生きるしかないのだ。
IS学園に来る生徒は大半がエリートである。
先にあげた専門用語は基礎知識といえる。
そんな中に何も知らないで放り込まれれば、本当に苦労するだろう。
少しでも力になりたい、真耶は素直にそう感じていた。
「一つ一つ説明しますから、ゆっくりノートをとってくださいね」
「「ありがとうございます、よろしくお願いします」」
そういって頭を下げてきた二人に、任せてくださいと真耶は胸を揺らした。もとい、胸を張った。
そしてIS学園入学式前日。
真耶は自分からお願いして、この日まで2週間近く二人の家庭教師を続けていた。
「明日はいよいよ入学式ですね。準備はできてますか?」
「はい。できてます」
「問題ねえっすよ」
今日で二人の家庭教師は終わりかと思うと寂しくもあるが、これからは副担任として付き合っていけばいいのだからさほど問題はない。
「ていうか学校の授業じゃ、たとえ話で下着の話はやめてくれよな、真耶ちゃん先生」
「こっちが焦ったよなあ、あのときは」
「だっ、誰にもいわないでくださぁいっ!」
と、そんなこと言いだす二人に真耶は慌ててしまう。
この2週間ですっかり打ち解けていた。
二人とも『真耶ちゃん先生』と呼ぶほどである。
さすがにIS学園では「山田先生」と呼ぶように言い含めてあるが。
一つ咳払いをした真耶は再び教師としての顔に戻る。
「それではIS学園で待ってますね、織斑一夏くん、日野諒兵くん」
「「よろしくお願いします」」
そういって頭を下げた二人に、教師としての自信を持たせてくれた感謝の想いを込め、真耶は微笑みかけていた。