IS学園学生寮、午後十一時二十七分。
扉を開け、すっと中に入った小さな影は、クローゼットに近づくと手に持っていた洋服らしき布をそっと仕舞い込んだ。
そして暗闇の中、慣れた様子でベッドに潜り込む。
「ふむ……」
可愛らしい声でそう息をつくと、すやすやと寝息を立て始めた。
数分後。
影はどげっと叩き起こされた。
「何をする、だんなさま」
「それはよせっつってんだろ。てか、なんで毎度毎度、夜中にTシャツ返しに来るんだよっ!」
影の正体はラウラ。叩き起こしたのは諒兵。
というよりも、部屋がそもそも一夏と諒兵の部屋であった。
何故か、一夏は熟睡しているらしく、諒兵とラウラの声にも起きる気配がない。
実のところ、彼の耳には高性能のアラームつきの耳栓がしてあったりする。
諒兵とラウラの痴話げんかに巻き込まれずに安眠したいという一夏の要望により、特別に作ってもらったのだ。
邪魔をする気がないのは、いわゆる自己防衛である。
それはさておき。
「この時間が一番潜入しやすいのだ」
「昼間返せっつってんだ」
「昼間ではこんな格好で出歩けん」
なんというか、ラウラは下着だけを身に着けているという、襲ってくださいとでもいいたげな格好だった。
「普通の格好で返しにきやがれっ、てか俺のベッドに潜り込むんじゃねえよっ!」
「注文の多いだんなさまだ。諒兵の色に染まるのは大変そうだな」
だが、それこそ妻としての生き甲斐だとラウラは頬を染めた。
見た目がいいだけに困ると諒兵は頭を抱える。
「染まんねえでいいっ、てか自分の部屋帰れっ!」
「寝巻きがない。全部洗濯して返したからな」
「あーもーっ、またかよっ、これ着て帰れっ!」
と、諒兵は寝巻き代わりに着ていたTシャツをラウラに被せた。
するとラウラは安心したように部屋から出て行った。
そして、一息ついた諒兵は、再びベッドに倒れ込む。
どういうわけなのか、ラウラは夫婦宣言をした翌日から、毎日のように夜中に部屋に忍び込んで来ては、自分のベッドの中に潜り込んでくるのだ。
しかも、一度として一夏と間違えたことがない。
げに恐ろしきは女の勘であろうか。
「たく……」
最初はすっぽんぽんで潜り込んできたので、さすがに寮を揺るがすような大声で突っ込みをしてしまい、大騒ぎになった。
どうも、ラウラにはもともと寝巻きを着るという習慣がなかったらしい。
追い返すために、というか裸で帰すわけにはいかないので、寝巻き代わりに着ていたTシャツを着せた。
すると、フンフンと匂いを嗅ぐような仕草をし、どこか安心した様子で帰ったのだ。
しかし翌日、ラウラはTシャツを返しにきた。
聞いてみると、同居しているシャルロットがTシャツを洗ってしまったので返しにきたという。
洗って返すのが普通だと突っ込むと今度は自分で洗うといったのだが、ラウラは何故か寝巻きに使うからTシャツを貸してくれとねだってきたのだ。
「なんでだよ」
「だから寝巻きがない」
「Tシャツ買う金もねえのか?」
「お前のがほしい」
諒兵はTシャツ一枚くらいならいいかとクローゼットの中から出して手渡す。
ラウラは手渡されたTシャツをフンフンと嗅いだ。
「洗ってあるから、心配すんな」
「これじゃない」
「あ?」と、思う間もなく、ラウラはいきなり諒兵を転ばせて、着ていたTシャツを奪った。
「おいッ、何しやがるッ?」
「これでいい。借りていく。ちゃんと洗って返す」
それ以降、毎夜のように洗ったTシャツを返しに来て、その都度、着ているTシャツを奪っていくのだ。
諒兵にしてみれば、何がしたいのかさっぱりわからない。
だが、それ以上に。
「いっても変わんねえとは思わなかったぜ」
ラウラの態度が変わらないことが、諒兵としては疑問であり、正直な気持ちをいえば少し嬉しくもあった。
「女心はわかんねえなあ……」
その言葉に、誰も答えを返してはくれなかった。
IS学園学生寮、1032号室。
ラウラは迷うことなくその部屋に入る。
現在、シャルロットとラウラが暮らしている部屋である。
中ではシャルロットが勉強していた。
母クリスティーヌが第3世代兵器を設計していたということを知り、自分でも理解できるようになりたいと兵器開発について勉強するようになったのだ。
いずれは父セドリックの力になりたいとも思っている。
そんな彼女は、戻ってきたラウラに気づいたのか、声をかけてくる。
「それが今日の戦利品?」
「ああ。これで安心して眠れる」
そういって、ラウラは自分のベッドに潜り込んだ。
「諒兵にいえば、Tシャツくらいくれると思うけど」
「洗ったのはダメだ」
普通は洗ったもののほうが清潔でいいと思うのに、ラウラは否定する。
ゆえに「なんで?」と、シャルロットは尋ねた。
「石鹸の匂いしかしないし温かくない。安心できない」
「あっ、そう……」
シャルロットがそう答えると「お前もそろそろ寝ろ」といって、ラウラはすぐに寝息を立て始めた。
確かに頃合だと考えて、シャルロットもベッドに潜り込む。
(要するに、諒兵の匂いやぬくもりがないと安心できないんだね)
そう思い、シャルロットは本来は軍人であるはずの同居人の可愛らしい性格に苦笑してしまう。
諒兵のベッドに潜り込むのもそれが理由である。
巨獅子から助け出されたとき、ラウラは諒兵の腕の中で熟睡していた。
そのとき感じていたぬくもりや匂いを求めてしまっているのだろう。
(女の子らしいというより、小動物っぽいけど)
ラウラから、そのハードな人生を聞いたシャルロットは、彼女にとっては何よりも人のぬくもりこそが大切なんだろうと考えていた。
翌日。IS学園にて。
諒兵は自分にくっついて入ってこようとしたラウラをぽーんっと投げだした。
「入ってくんじゃねえッ!」
「何、苦労するかもしれないと思い、世話をだな」
「俺は介護老人じゃねえよッ!」
男子トイレなのである。
さすがにトイレが一人でできないほど耄碌していない諒兵であった。
出てくるときっちり、というか、甲斐甲斐しいというレベルで待っている。
ノリはほとんど新妻だった。
「では戻ろうか、だんなさま」
「だから、それはやめろっつってんだろ」
なんというか、本当に極端な子ですね
ふとそんな声を感じて、諒兵も呆れた顔を隠せない。
もっとも、同じクラスだけに四六時中一緒にいるのだが、別に密着はしてこないので、さほどうっとうしいということはなかった。
「もっとベタベタすると思ってたよ」
「確かにそうですわね。感情表現が極端なラウラさんですし」
と、恋愛からはいささか距離を置いているシャルロットとセシリアが感想を述べる。
だが、ラウラ本人曰く。
「三歩下がってというだろう」
「そりゃ尊敬する師匠に対することわざだ。お前なら千冬さんのことだ」
「なるほど」と、諒兵の言葉に納得したらしく、これ以降、千冬を助けるときは本当に三歩下がっているラウラである。
ちなみに一夏は。
「平和だなあ」と、まるで縁側でお茶をすする老人のようにのんびりしていた。
女心の機微にはとことん疎い一夏だが、自分には女難の気があるらしきことは自覚しているので、ラウラが諒兵に惚れてくれたことは実にありがたいのである。
「うぅ~……」
その隣で鈴音が唸っていた。
昼休み。
校舎にあるラウンジで鈴音がセシリア、シャルロット、本音と話していた。
「俯いたままで話すと首が痛くならない?」
「旋毛が丸見えでしてよ、鈴さん」
もとい、テーブルと話していた。
IS学園のテーブルは高性能なので生徒の話し相手を務めることができる、……わけがない。
要は愚痴をこぼしているのである。
「文句いえる立場じゃないけど、でもムカムカする」
「りんは~、らうっちのこと嫌い~?」
「別に、嫌いじゃないわよ」
ラウラは今のところシャルロット、鈴音、セシリア、本音の四人にだけだが、自分の素性を打ち明けている。
そして「良ければ友になってほしい」と、素直に頭を下げているのだ。
ちなみに、諒兵はVT事件のときに知ってしまっている。
また、一夏はラウラが構わないといったので諒兵から伝えてあった。
「事情は聞いたし、きついなって私も思うし」
「まあ、さすがにあれほどの目に遭ったというのでは、気にしないわけにもいきませんわね」
だが、そのことで同情はするなとラウラはいう。
今の自分を形作る大事なことだといわれると、ラウラの芯の強さを感じ、敬意すら持てるとみなが思う。
「らうっちは強いよね~」
「まあね。そう思うから、まあ友だちにはなれるわ」
「……ではやはり、諒兵さんへの態度が気になりますのね」
と、セシリアがため息混じりにそういうと、鈴音は再びテーブルと話しだした。
告白されたことを打ち明けたのはセシリアだけなのだが、本音はなんとなく気づいていた。実は本音は人間関係に対しては非常に聡い。
シャルロットも恋愛関係では距離を置いて友人たちを見ていたので、そうなのかなと感じていたのだ。
(まあ、自分に気がある男の子が他の子に迫られてると、いい気はしないよね)と、シャルロットは思う。
ただ、諒兵もはっきりした性格なので、迷惑なときは実力行使でラウラの行動を止める。
どうしてもこれだけは譲れないという場合だけはラウラはしつこいくらいに迫るが、安心したり納得するとあっさりと引くのだ。
だからこそ、端から見るとまるで仲のいい夫婦に見えるのだが。
鈴音が腹が立つのはその点で、二人が付き合っているという噂が既に学園中に広がっている。
諒兵はともかく、ラウラはまったく否定しないどころか夫婦宣言しているので、もはや公認の仲になりつつあった。
「まあ、このままですとラウラさんが本当に諒兵さんの妻になってしまいますわね」
「ヴッ!」
「諒兵だって男の子だしね」
「あぐッ?」
「新婚旅行は熱海~?」
「みぎゃんッ?」
三連撃で鈴音は見事に撃墜された。
『無冠のヴァルキリー』も三対一では敵わなかったようである。
「どうすりゃいいのよう……」
「どうしたいんですの?」
「えっ?」
鈴音の愚痴交じりの呟きに、セシリアがなかなか鋭い突っ込みを入れる。
「諒兵さんは自分に気があるから手を出すな、とでもラウラさんにいいますの?」
「それは、違うわよね……」
一度は一夏が好きだからと断ったのだ。
ならば、諒兵が誰と付き合おうが鈴音には関係がないということはできる。
でも、正直にいえば、今の状態で諒兵がラウラと付き合うのはムカムカするのだ。
「いい機会なのかもしれませんわよ?」
「いい機会?」
「はっきりしない気持ちを、少しだけでも前進させてはどうですの?」
つまり、本来やろうと思っていた一夏への再度の告白をすべきだとセシリアはいう。
もっとも明言はしないが。
「まあ、段階を踏むのでしたら、今の素直な気持ちをラウラさんにも教えるべきでしょう」
「ラウラにも?」
「私にはラウラさんは横恋慕してきたというより、正面から立ち向かおうとしてるライバルに見えますわ」
「そうだね。ラウラは正面から諒兵に向かいあってると思うよ」
自分の母、クリスティーヌが日陰の女であったためか、もし母が身を引かずに立ち向かっていたらあんなふうだったのかもしれないとシャルロットは考える。
まあ、シャルロットとしては、母があそこまで極端であったとは考えたくないが。
「ひーたんは自分の気持ちいってるかな~?」
「そのあたりも確認しておいたほうがいいと思いますわよ?」
確かに今のままでは宙ぶらりんなのは自分のほうだと鈴音も思う。
そもそも戻ってきたのはIS学園に一夏と諒兵が入学したからだけではない。
IS操縦者として、また人としてもそれなりには強くなったと思ったので、二人の力になりたいと考えたためと、気持ちをはっきりさせたいからなのだ。
「そうね。まずラウラに私の気持ち教えるわ。そして……」
一夏にも改めて告白しよう。
そう鈴音は決意した。
夕食後。
鈴音は意を決して、ラウラに話があるといい、部屋を訪れた。
セシリアも一緒にいる辺り、微妙に不安はあるようだが。
シャルロットが部屋で自習していたが、外そうかというのを止めた。
ラウラにいってしまう以上、シャルロットには知られたようなものだと考えたのである。
何より、彼女は面白半分にいいふらすようなタイプの人間ではないと判断していた。
今、鈴音はラウラと相向かいになって正座している。
セシリアとシャルロットは並んでベッドに座って成り行きを見守っていた。
そして三十分後。
「鈴音、いい加減、のの字ばかり書いてないで話してくれないか?」
「わ、わかってる、ん、だけど……」
ラウラが呆れた声で促すのだが、なかなか話しだせない鈴音であった。
セシリアとシャルロットも呆れてしまっている。
IS操縦者としては最強を見据えられるレベルなのに、恋愛に関しては初心で奥手な鈴音だった。
「そ、その、最近、さ、よく、諒兵に……」
「だんなさまがどうした?」
「くく、くっついててて、そ、その、それが、さ……」
絞り出すような声で必死に言葉を紡ぐが、どういっていいのかわからず、なかなかまとまらない。
しかし、それでラウラには伝わったようだった。
「ひょっとして、だんなさまがお前に告白して断られたという話のことか?」
「へっ?」と、鈴音は間抜けな顔を晒してしまう。
というか、セシリアとシャルロットも驚いた表情を見せてきた。
「なっ、なんでそこまで知ってんのよっ?」
障壁が取っ払われたせいか、ようやく鈴音も普段の調子に戻る。
「だんなさま、いや、諒兵から聞いたんだ」と、そういってラウラは説明を始めた。
ラウラが夫婦宣言をしてから二日後の昼休み。
猛烈というか、大真面目に妻になろうとするラウラを、諒兵は彼女が以前一人で昼食を取っていた裏庭まで連れてきた。
誰も来ないのでちょうど良かったのだ。
「ここだと背中が痛くなりそうだが」
「そうじゃねえよ」
諒兵の様子が真剣なことを感じ取り、ラウラも真剣に向かう。
そして、諒兵は正直に自分の気持ちを打ち明けた。
「つまり、お前はまだ凰鈴音のことが好きだということか?」
「いったとおり振られたけどな。けどよ、まだ気持ちにケリが付けられてねえんだよ」
今はせめて、鈴音のいい友人としていられるように努力している。
そういって苦笑する諒兵を見て、いっていることは嘘でもなんでもないことがラウラには理解できた。
「そんな状態でお前に乗り換えるみてえなことはしたくねえ。だから、わりいけど断らせてくれ」
「無関係でいろというのか?」
「夫婦とか恋人じゃなくて、ダチでいてえってことだ」
タッグパートナーとして戦ったことは諒兵にとってもいい経験だったし、否定する気はない。
ただ恋愛というか、夫婦という関係になってしまうのは、失礼だと諒兵はいう。
「お前、本気みてえだし、生殺しかもと思ったけどよ。他人にはなりたくねえよ。ただ恋人とか夫婦になるのは俺の気持ちが邪魔するんだよ」
「そうか」と、ラウラは呟いた後、しばらくの間、諒兵の言葉を反芻するように確かめる。
振る側になるとは思わなかったが、辛いものだと諒兵は思う。
鈴音も自分が告白したとき、こんな気持ちだったのだろうか、と。
しかし、ラウラは安心したように笑った。
「よかった。お前がそういう男で」
「なぬ?」と、諒兵は驚いてしまう。
まさか、よかったなどといわれるとは思わなかったのだ。
しかし、ラウラは続けるようにこういった。
「お前はつながりを大事にする。もしそうでなかったのなら私の想いが無駄になるところだった」
「いや、俺、断ったんだぞ」
「お前が私といるために鈴音を断ち切っていたなら、きっと私たちはダメになった。でも、鈴音とのつながりも、私とのつながりも大事にしてくれるのだろう?」
確かにラウラの考え方は間違いではない。
友人とはいえ、鈴音もラウラも諒兵にとって大事にしたいつながりだからだ。
ただ、それで満足できるのかと思う。
「今はそれでいい。ただ、いずれは私とのつながりを一番大事にしてくれるよう、私は努力する。それはダメか?」
「あ、いや、別にそうはいってねえけどよ」
「なら、それでいい」
そういって微笑むラウラを見て、諒兵は一瞬だが見惚れてしまったのだった。
そして現在。
「諒兵は一つ一つのつながりを大事にしてくれると私は思った。だから、今はお前とのつながりを一番大事にしていても、いずれは私とのつながりを一番大事にしてくれるように妻として頑張るつもりだ」
「ラウラ……」
妻としてという部分はともかく、ラウラの想いが真剣なものであるということが鈴音にも、セシリアとシャルロットにも理解できた。
「鈴音、お前はそうではないのか?」
「えっ?」
「お前が誰とのつながりを一番大事にしているかは聞いていない。でも、諒兵とのつながりも大事にしているのだろう?」
「うん……」
「なら、お前と諒兵のつながりを私は否定しない。でも、一番になるのは私だ」
そういって真剣な眼差しを向けてくるラウラを見て、正面から立ち向かってくるライバルだとセシリアがいってきた意味がわかる。
競争相手を貶めるのではなく、諒兵にとって一番になれるように努力しているからこそ、今のラウラがいるということだ。
「ありがと、ラウラ」
「何故礼をいう?」
「ホント、前進しなきゃダメだってわかったのよ」
そういって、鈴音は自分の今の素直な気持ちを打ち明ける。
ラウラから見ればきっと中途半端な想いに見えるかもしれない。
でも、一夏も諒兵も、ラウラの言葉を借りるなら、どちらとのつながりも大事になっているのは今の鈴音にとっての真実だ。
だから、鈴音は、正面から向かってくる恋敵に嘘はつきたくなかった。
「そうか、諒兵と一夏、それぞれとのつながりが同じくらい大事になっているのだな」
「そうね、そういうことかな」
「なら、私のほうが先に諒兵にとっての一番になっても文句はいわせん」
「いわないわ。でも、負ける気もないわ」
自分の気持ちがどっちに揺れるのかなどわからない。
でも、想いの真剣さでラウラに負けるつもりはない。
「一夏なら問題ないけど、諒兵ならライバル。それでも友だちでいてくれる?」
「鈴音、お前とのつながりも、私にとって大事だ」
そういったラウラの真剣な顔に、鈴音は自然と笑いかけていたのだった。