鈴音が一夏に告白してから、別に何が変わったというわけでもない。
全員がいつもどおりに競い、学び、笑う日々が続いていた。
さて、夏休みも近づいてきたある日のIS学園。
放課後の1年1組の教室にて。
一夏と諒兵が正座させられている。
「なんで俺たちここに正座させられてるんだ?」
「てかよ、お前らのカッコも気になるんだが」
目の前には鈴音、セシリア、シャルロットの三人が、何故か女教師然とした格好をして立っている。
隣には千冬が立っていた。
「一週間後には期末だ。貴様らのためのテスト対策をこの三人に命じた」
「「なんで?」」
「貴様ら、中間の成績は威張れたものではなかったぞ」
「「ああ、そういえば」」
「期末後には臨海学校がある。赤点を一つでも取れば補習でいけなくなる」
「「そうなのか」」
不思議なほど、のほほんとしている一夏と諒兵の二人だった。
というか、反応の薄さを見ると興味がないとも感じられる。
「いや、女だらけの海に男二人で行くのはきついぞ」
「ぶっちゃけ、いけなくなっても気にしねえし」
興味がないというより、女しかいない海に男二人くっついていく度胸がないらしい。わりとヘタレな二人だった。
とはいえ、ISバトルの成績はいいので、臨海学校にも参加させないわけにはいかない。
というか、参加しないと生徒たちから不満が出そうなのだ。
千冬としては頭の痛いところだが、勉強自体は必要なのでやらせることにしたのである。
「そういうわけにはいかん。というか、IS関係はともかく一般教養の成績まで威張れたものではないことを少しは気にしろ」
「へ~い」と仕方なさそうに答える男二人。
その隣から。
「教官、私は勉学も実技も落第するような点は取っていませんが」
一夏と諒兵と同じように正座させられているラウラが質問してきた。
千冬は少しこめかみを押さえて答える。
「ラウラ、お前はまず一般『常識』を学んでくれ。頼むから」
「はい。そうおっしゃるなら」
相変わらず、千冬の言葉は一番効果があるラウラだった。
実は次いで効果があるのは諒兵だったりする。
曰く「夫の言葉を聞くのは妻として当然だ」とのことである。
それはそれとして、「では、後は任せたぞ」と、そういって千冬は教室を後にした。
それでは、と鈴音が音頭をとり、まず一夏と諒兵に簡単な少テストを受けるようにとプリントを差し出してきた。
逆らえる状況ではなさそうなので素直に受ける二人。
ちなみにラウラには一般常識のテストがマジメに配られていたりする。
で。
「見た感じ、やっぱりIS関係が足引っ張るわね」
「一般教養はそこまで悪いということはありませんわね」
そもそも普通に高校受験しようとしていたのだから、そこまで馬鹿というわけではない。
ただ、一夏と諒兵から見て、IS学園はレベルが高すぎるのと、専門的な学問の比重がわりと大きいという問題があるのだ。
ただし。
「ラウラ、自分に都合よく常識を変えるのはやめようね」
シャルロットだけが呆れたような表情で突っ込みを入れていた。
ラウラ更生の道はなかなか遠い様子である。
それはともかく。
「一夏にしても、諒兵にしてもIS関係は基礎はギリギリ何とかなってるわね」
「ただ、応用問題に苦労してますわ」
「基礎でいっぱいいっぱいなのに応用問題はきついぞ」
「俺らにとっちゃISは基礎自体が一般教養の応用だしよ」
諒兵のいうとおり、IS関係の学問は一般教養の応用ということができる。
そこからさらに捻られた応用問題を出されても対応できないのだ。
「そうなると一般教養の底上げね」と、鈴音が納得したように肯く。
「IS関係はまずおいておきますの?」
「一気に全部詰め込んでも一夜漬けで終わっちゃうわ。それじゃテストがくるたびに毎回特訓よ」
「勘弁してください」と、そういって男二人はあっさり土下座した。
基本的に身体を動かすほうが楽な一夏と諒兵である。
「まあ、得意なほうを伸ばしたほうが早いかもしれないよ、セシリア」
「確かに一理ありますわね。私はすべて徹底的にやるほうが合ってるのですけど」
首席合格は伊達ではないのである。
とはいえ、一夏と諒兵としてはそんなことをされては身が持ちそうにないので、得意なほうを伸ばすこととなった。
しばらく勉強した後、「そういえば」と一夏が尋ねる。
「なんで鈴にセシリアにシャルが教えることになったんだ?」
「真耶ちゃん先生とかは?」と、諒兵が付け加えた。
以前、家庭教師をしてもらった点を考えても、真耶はかなり教えるのが上手い。
この点は千冬も認めている。
教わる側の二人としても、また教える側の三人としても実は協力してほしい気持ちはあった。
ちなみに、千冬の場合はまさに頭に叩き込む、という教え方である。
「この時期は臨海学校の準備で忙しいとかいってたよ」と、シャルロット。
その言葉を受けて鈴音が軽くウィンクして続けた。
「まあ、中間で首席のセシリアと三位のシャル。で、五位の私なら十分でしょ?」
「「なぬっ?」」
セシリアが首席なのは知っていたが、まさか中間試験でシャルロットが三位、鈴音が五位とは知らなかったので驚く二人。
「ちなみに同点で三位に更識さん、五位も同点でラウラさんですわよ」
「「ぬなっ?」」と、再び驚くものの、簪はともかくラウラは一般常識が足りないので、教わる側に座っていたりする。
そうなると気になるのは二位だが……。
「本音さんですわ」
「「なにいッ?」」
「入学試験、次席だって」
「「マジかっ?」」
「実技はともかく理論はすごいよ。僕も教わってるし」
「「信じられん……」」
何より信じられないのは、どうやって回答を書いたのかという点であった。
とまあ、そんなことをいいあいながら、一夏と諒兵は比較的マジメにテスト対策を行っていた。
「あの……」という声に、廊下を歩いていた千冬は振り返る。そこには箒が立っていた。
「なんだ、篠ノ之?」
「いえ、一夏……たちは?」
「織斑と日野はテスト対策をさせている。放っておくと赤点だからな、あの二人は」
馬鹿者どもの面倒を見るのは大変だと苦笑いしながら続ける千冬。
すると箒が「二人で?」と聞いてくるので、成績上位の鈴音、セシリア、シャルロットに面倒を見させていると正直に話した。
「試験の準備に、臨海学校の準備と、我々教職員はこの時期は忙しいのでな。成績の良い者に任せてある」
そう答えた千冬だが、鈴音の名前が出たときに箒が一瞬身を震わせたことに気づいた。
放っておくのもまずいか、と、そう考えた千冬は付け加える。
「よければお前も手伝ってやれ。大馬鹿者二人の面倒を見るとなれば、何人いても足らんだろう」
「はい」と、そう答えた箒を見て、どことなく不安を感じながらも、千冬は教員室に戻っていった。
箒が1組の教室に来ると、楽しそうに笑っている声が聞こえてきた。
「だいぶできるようになってきたじゃない」
「鈴、もうちょっと手加減してくれないか?」
「一般教養なのですから、相当手加減してますわよ?」
「えー、マジですかー……」
IS学園のレベルに合わせた一般教養はなかなか大変らしく、一夏も諒兵も苦労している。
なのに、扉の隙間から見えるみんなの姿は楽しそうだった。
「シャルロット、夜這いは日本の文化ではないのか?」
「違うから。諒兵がいろんな意味で苦労するからやめようね」
「人のTシャツ奪っていくだけじゃもの足りねえのか、お前は」
ドイツ人とフランス人がおかしな日本文化について話しているのはともかくして、二人とも当たり前のように友人として受け入れられている。
(ボーデヴィッヒも、日野を引き離してくれればいいのに……)
諒兵と夫婦宣言したラウラはある意味では自分の味方といえると箒は感じていた。
一緒にいることで一夏が自然と距離をとると思っていたからだ。
しかし、実際にはラウラのほうが面白い友人としてみなに受け入れられるようになっていた。
(入りにくい、な……)
どこか、引け目を感じてしまう箒。
千冬なら気にしないで入れというだろうが、今の自分が入れるところではないと感じてしまっていた。
「あれ?」
すると、シャルロットが何かに気づいたかのようにこちらに目を向ける。
箒はその視線から逃れるように教室から離れた。
箒は一人校内を歩いていた。
テスト前ということで剣道部も活動はしていない。
自分としてもテスト対策は必要なので、部屋に戻って勉強するということも考えたが、そんな気分にはなれなかった。
学年別トーナメントのとき、簪に助けられていることに気づかなかったことが、簪に対しても引け目を感じさせていた。
謝りはしたものの、箒としては気づけなかったこと自体が腹立たしい。
それはつまり。
(更識は完成していないだけで本来専用機を持つんだから)
専用機を持つ身である人間との大きな差だった。
専用機を持つということはIS学園の多くの生徒にとって憧れである。
世界に467個しかないとされているISコア。
すなわち467機しか作れないISを自分専用として持つということは、エリート中のエリートということができる。
それ以上に、一夏と諒兵のこれまでの戦闘。
鈴音とセシリアの激戦。
シャルロットやラウラのトーナメントでの戦い。
訓練機の打鉄やラファール・リヴァイブとは違う圧倒的なその性能。
専用機とはすなわち特別な者が持つ証だと箒は考えていた。
特別な者。
その点で考えれば、一夏と諒兵は最初から特別だ。
現時点で、世界に二人しかいない男性のIS操縦者なのだから。
その二人のうちの一人である一夏に近づくためには、同じように特別でなければならないのかもしれない。
そして。
(鈴音は専用機を持ち、『無冠のヴァルキリー』とまで呼ばれる特別なIS操縦者)
箒は鈴音が一夏に告白したという話を聞いてしまった。
一夏を探していて、屋上にいったとき、降りてくる二人が、そんな話を楽しそうにしている姿を見てしまった。
もう、ずっと前から信じあっている恋人のように。
それがあまりにも衝撃的で、箒は呆然と立ち尽くすことしかできなかったのだ。
(鈴音、お前は私から何もかも奪っていくのか)
幼馴染という立場も、勝利も、そして一夏の傍にいるということも全部鈴音が奪っていってしまう。
いやだと思っていても、今の自分にはなすすべがない、箒はそう感じていた。
夜、そろそろ深夜になろうというころ。
寝付けない箒は、専用機組み立てに取り組む簪に断り、部屋を出た。
寝付けない理由はわかっている。
楽しそうに話していた一夏と鈴音の姿がちらつくからだ。
学年別トーナメントで鈴音に叩き落されたときのような、自分だけが落ちていく感覚。
その感覚が、あの姿と重なってしまい、気持ちが落ち着かなかったのだ。
気分転換にと、人気のないはずの寮のラウンジまで来た箒は人がいるのを見かけて、一瞬止まってしまった。
「あれ、箒じゃないか」
「い、一夏……」
一人でソフトドリンクを買っている一夏だった。
こんな時間にどうしたのかと思いつつ、二人きりになれるのは久しぶりだと思って近づく。
「箒も何か飲むか?」
「あ、ああ」と、そういって頼んだお茶を手に取る。
そして、相向かいにテーブルに着いた。
「どうした、こんな時間に?」と、箒が尋ねると一夏は苦笑いを見せる。
「そろそろだ」
「は?」
何をいっているのだろうと思わず問い返しそうになった箒の耳に、叫び声が飛び込んでくる。
「だからっ、どうして忍び込んで来るんだよっ、たまにはまともに返しにきやがれっ!」
諒兵の声だった。
内容から察するに、ラウラが来ているのだろう。
「だいたいこの時間なんだよ。時間厳守が身に染み付いてるとかで」
いつもの一夏なら、耳栓をして眠っているので問題なかったのだが、今日はうっかり忘れてしまったらしい。
叩き起こされるのもアレなので、退散してきたのだそうだ。
「馬に蹴られるのは勘弁してほしいからな」
「そうか……」
今日ばかりはラウラに感謝したい気持ちになった箒だった。
だが、鈴音と一緒にいたところがちらついてしまう。
そこまで考えて、そういえば付き合っているという話がまったく出てこないことに気づいた。
諒兵とラウラはラウラの態度のおかげでほとんど公認の仲だ。ラウラはともかく諒兵は否定しているのだが。
一夏と鈴音が付き合っているというのならば、そんな話が聞かれないはずがない。
箒が見てしまった日から既にけっこうな日数が経っているのだから。
聞いておくべきなのかもしれない。
そう考えた箒は、少しばかり遠回りに尋ねてみた。
鈴音と付き合っているという噂を聞いた、と。
「あー、知られちゃったのか」と、照れくさそうに頭をかく一夏の姿に胸が痛む。
「できれば内緒にしておきたかったんだけど」
そういって一夏は説明してきた。
今はまだ友だち。
わかりやすくいえば断ったということになる。
しかし、『今は』という点を協調したのが気になった箒は、問い詰めた。
「俺自身の気持ちに、まだ納得いかないんだよ」
「どういうことだ?」
「鈴のことは嫌いじゃないし、そういう付き合いを考えたのは確かだけど、告白されたからって、なんとなく付き合おうって気にはなれなかったんだ」
好きか嫌いかでいえば好きな相手だ。
たぶん、うまくやっていけるとも一夏は思っている。
ただ、真剣に告白してきた鈴音の気持ちに、なんとなくで応えるのは違う気がしたのだ。
「俺自身がはっきり鈴が好きだって思ったなら、そのときは自分からいう。真剣な気持ちには真剣に応えたいんだ」
だからこそ、あの時は断るかたちになった。
とはいえ、それは鈴音自身が望んでいたことでもあった。
お互いにどこか気持ちが揺れているのなら、今はやめておこうと合意したような関係なのである。
「だから、今はまだ友だちなんだ」
この先、自分の気持ちがどうなるかなんてわからない。
まったく別の人を好きになってしまうかもしれない。
そのときはそのときで、鈴音に対して頭を下げる覚悟もある。
ただ、試しにとか、なんとなく遊びで、といった気持ちで付き合うのは少なくとも自分と鈴音の仲ではやってはいけないと一夏は考えたのである。
「鈴は強くなった。そんな鈴に対して、ちょうどいいやなんて気分で付き合うような情けない男にはなりたくないんだ」
「そうなのか……」と、箒は内心安堵した。
要するに一夏は今の段階ならばフリーということになる。
同時に、一夏にとっていわゆる好みの女性とはどういうタイプなのか気にもなった。
せっかくのチャンスだと思い、尋ねてみる。
「もともと、千冬姉を守れるようになるつもりで、強さを求めてるからな。やっぱり相手も強い人がいいな」
「強い人、か……」
その点で考えるならば、やはり鈴音は筆頭に来るだろう。
同学年では確実に頭一つ抜けている。
他にも思いついた名前をあげて、聞いてみる。
「まあ、好きっていうかさ、セシリアやシャルは尊敬できるよな。真耶ちゃ……じゃなかった、山田先生もそうだし」
「確かに、みんな強いな」
(何より、ほとんどの者たちが専用機を持てるほど力がある)
真耶が専用機を持っていたかどうかは聞いていないが、それでもあの実力ならば持っていてもおかしくないだろう。
専用機こそ強さの象徴だと箒には思える。
それは確かに間違いではないのだ。
「トーナメントでも目立っていたな。セシリアやシャルロットは」
「そうだな。やっぱり強いよ。でも負けた人たちの中にも強い人はいたぞ」
「それもそうか」と、そう答えつつ、トーナメントのことを箒は思い返す。
あの時は決して悪いことばかりではなかった。
専用機持ちだろうとなかろうと関係なく、当たり前のようにみんな話しかけてきてくれたし、それなりに自分も話せていたと思う。
簪のこともあるから、いい面だけではなかったが、同じ場所ではなくとも、近い場所にいることができていたのは確かだ。
(専用機が、あれば……)
自分ももっと一夏に近づけるのではないかと箒は考えてしまう。
「どうしたんだ、箒?」
「いや、私も専用機を持てるようになれるといいと思って」
「そうだな。箒はもともと剣に関してはまっとうに強いんだし、ISバトルでもきっと強くなるよ」
そうすれば専用機を持つこともできるだろうという意味で、一夏は伝えた。
もっと箒も積極的にみなと関わればいいのにと思っている一夏としては、その手段としてこの学園で代表候補生を目指してみるのもいいのではないかと考える。
箒には箒なりの強さがきっとあると一夏は信じていた。
すると、声がかけられてくる。
「む、一夏。一緒にいるのは篠ノ之か」
「あ、ラウラ。もう終わったのか?」
ラウラが着ているのは、諒兵が今日の寝巻き用にと着ていたTシャツである。
わりと本気で諒兵が今着ているものがお気に入りなのである。
「夜遅くにすまんな。今日はこれで安心して眠れる」
そういってラウラは自分の部屋へと戻っていった。
「それじゃ、そろそろ帰るかな」
「私も部屋に戻る。お休み一夏。いろいろと話ができてよかった」
「ああ、俺もだよ。お休み箒」
そうして一夏と箒も自分の部屋へと戻る。
その途上。箒はめったにかけたことのない番号に電話をかけた。
そして。
「姉さん。お願いがあるんです……」
電話の向こうの実の姉に、一つだけわがままをいったのだった。