鈴音が選べといわれてから五日目のこと。
「触んなッ!」「きゃっ?」
触れようとした手をビシッと弾かれて、鈴音は思わず悲鳴をあげた。
だが、鈴音よりも弾いた本人、諒兵のほうが驚いた顔をしてしまう。
「わりい……。少し気が立ってんだ。一人にしてくれ」
「私のほうこそ、ごめん……」
そういって謝った鈴音に申し訳なさそうな顔を見せながらも、諒兵は部屋に戻った。
一方、一夏は周りに誰がいるかすら気づいていない様子で、足早に部屋に戻ってしまっていた。
その日、再び襲来があった。
場所は再びアメリカだった。
出動した一夏と諒兵は、激戦の末、それぞれ一つずつコアを抜き出したのだが、帰ってくるなり機体チェックも受けずに部屋に戻ろうとしたので、鈴音は声をかけようとしたのだ。
だが、先の通りである。
弾かれた手を握る鈴音にセシリアが声をかけてきた。シャルロットやラウラもともにいる。
「……お二人の負担、大きすぎますわ」
「今のままじゃ潰れちゃうよ。何とかできないかな」
「……わかってる」と、鈴音はそう答えたものの、内心では焦っていた。
一週間などといっていられない。
すぐにでも選んで、自分を生贄として差し出さなければ、一夏と諒兵は人を裏切るように鈴音には感じられていた。
その翌日。
「えっ、まだ部屋から出てこないんですか?」
「白虎とレオがこちらに連絡してきた。二人とも疲れているから一人にさせてくれといっている」
戦闘があった場合、遅くても翌日には機体チェックを受けることになっているのだが、一夏も諒兵も部屋から出てこなかった。
鈴音は昨日の一件からどうしようかと悩み、相談するために千冬の元を訪れて、そのことを知ったのだ。
本当に、もう時間がない。
これ以上はのんびりしていられない。
鈴音は自分が追い詰められていることを理解した。
そんな彼女に、千冬は別々の名前が書かれた二つの合鍵を渡してきた。
「防音と施錠に関しては他の部屋よりも強固なものにしてある。どっちの鍵を使うかはお前が選べ」
「そ、そんな……」
「時間がない。すまん鈴音……」
千冬の表情を見ると、本当に自分に対して罪悪感を持っていることがよく伝わってきた。
受け取るしかない。
そのことを理解して、鈴音は教員室を出て行った。
そして一人になった千冬のもとに、心配そうな表情の真耶が声をかけてくる。
「身体を差し出すのなら、私たち大人がやるべきなんでしょうね……」
「割り切れんだろう、君も。私もそうだがな」
他の教員とて女ならみんな同じだ。
なら、せめて恋心を抱いている者にやらせようというのは、決してよい方法ではないが。
「司令官としては最低だな……」
「ご自分を責めないでください……」
自嘲する千冬を真耶は心配そうに見つめていた。
一人になりたい。
そう思った鈴音は寮には戻らず、校舎内のラウンジの隅のテーブルに着き、二つの鍵を並べて見つめていた。
書かれた名前を見つめ続けても答えなど出ない。
(誰か助けてよ……)
本当は自分のほうが助けてほしかった。
今はまだ答えを出さなくてもいいといってほしかった。
でも、状況はそんなことを許そうとしない。
あれからずっと訓練を重ねているが、甲龍に進化の兆しはない。
これしか方法がない。
何より、鈴音自身としても二人が離反してしまうようなことにはなってほしくない。
そうなれば、もう二度と一緒にはいられなくなってしまう。
身体が二つほしい。
そうすれば引き裂かれそうな恋心に悩むこともないのに、と、どうしようもないことを考えてしまう。
そこに声がかけられた。
「ラウラ……」
「鈴音、もう待てない。今、選んでくれなければ、だんなさまはIS学園から出て行くぞ」
「うん、わかってる。一夏もたぶん、出て行くことを考えてる」
それが痛いほどわかるからこそ、今、悩んでいるのだから。
だが、同時にもう悩む必要などないとも感じた。
諒兵には、これだけ献身的なラウラがいる。ならば、選ぶほうは決まっている。
「持っていって」と、鈴音は合鍵を一つ、ラウラに渡した。
「いいんだな?」
「あんたならホントに諒兵のいい奥さんになれるわ」
そういって笑う鈴音の目から一筋の涙が零れ落ちるのを、ラウラは見ないふりをして受け取る。
「こんなことしかできないなど、結局女はその程度ということか……」
「他人が作った力に依存した結果なんだと思うわ……」
世界を変えたのはほとんど束一人の力だ。
だが、大半の女性がそこから生まれた偶然を利用して権力を得た。
しかし、更なる偶然の結果、今、女性はほとんど力を失っている。
そのしわ寄せが、一夏と諒兵に、そして鈴音とラウラに来てしまっているのだ。
「次に会うときは、私たち、もう戦場には出られないわね……」
「そう、かも、しれないな……」
一夏と諒兵を人間側に縛り付ける鎖として、二人に愛されるだけの存在に成り下がる。
そんな自分たちに空を飛ぶ資格などないだろうと鈴音もラウラも思う。
「じゃあ、行くわね」
そういって鈴音は立ち上がった。
恨むべきは誰なのだろうと思いつつ、それでも好きな人を選んだことに変わりはないと、鈴音は悲鳴を上げる自分の心を無理やり納得させていた。
鈴音とラウラは、ほぼ同時に一夏と諒兵の部屋に入った。
ラウラは。
「だんなさま、起きているか?」
「一人にしてくれ……」
ベッドに横になったまま、顔も向けずに拒む諒兵の姿にラウラは自分の胸が痛むのを感じる。
傷ついているのだと、ISと戦うことが割り切れないために、心が苦しんでいるのだとラウラには理解できた。
何より、そんな諒兵を、その心を守りたいと思う。
(これが好きという想いなのだな、クラリッサ……)
鈴音に声をかけるより先に、ラウラはクラリッサに相談していた。
クラリッサも軍人だ。今、ラウラがやるべきことについて理解していた。
だからこそ彼女は少し震える声でいった。
「それでも、後悔しないようにしてね、ラウラ」
鈴音に無理をいってしまったことは後悔しているが、この身を諒兵に差し出すことには喜びを感じている。
例え軍人でも、身体は女として生まれたからなのだろう。
そのことを、今は感謝したかった。
「外に出ろとはいわない。ただ、傍にいることは許してほしい」
「一人にしてくれっていってんだよ……」
拒絶してくる諒兵にはかまうことなく、彼が眠るベッドの端にちょこんと腰掛ける。
そして背を向けたままの諒兵に寄り添うように横になった。
「ボロボロにされてえのかよ」
「そんなことをする男じゃないと信じている」
「バカが」と、呟くと諒兵はラウラの胸に顔を埋めるように抱きついてきた。
驚きはしたものの、まるで怯える子どものように震えている姿を見ると、愛しさがこみ上げてくる。
その頭をラウラは優しく撫でる。
「どうした?」
「昨日戦いにいったとき、最初のときのこと聞いちまった……」
ファング・クエイクは自分たちと一緒に戦うために凍結解除されたのではなく、アメリカの権利団体が自分たちの権力を守るために解除されたのだと諒兵は話してくる。
「あいつらの気持ちも知らねえで、勝手なことしやがって……」
IS学園ではファング・クエイクが解除されたのは、現場の人間が協力するためだろうという推測したことにしてあったのだ。
一夏と諒兵がショックを受けるだろうことが理解できていたからである。
だが、アメリカまでそんな話がいっているはずがない。
結果として聞いてしまったのだろう。
(馬鹿が。最前線にいるものにいらん情報を与えたのか)
そう思うとラウラとしても怒らずにはいられない。
だが、今はそのことでショックを受けている諒兵の痛みを受け止めることだ。
「それは、辛いな……」
「何もしねえから、こうしててくれ……」
『お願いします、ラウラ』と、頭に声が響いてくる。
今、諒兵に必要なのは人のぬくもりだ。
そうしなければ、完全に人から離反してしまう。
(すまない、レオ)
『できないことはお願いするしかありません。利用するようで辛いですけど』
(いい。覚悟もできている。……その、見られていると思うと恥ずかしいのだが)
『そういう流れになったら、こちらから遮断します』
そうしてくれるとありがたいと思いつつ、震える諒兵の頭をラウラは撫で続けていた。
部屋に入るなり、鈴音は身を切られるような殺気を感じ取った。
「一夏……?」
「鈴か……」
一夏はベッドの上で壁に凭れて座り込んでいた。
ただ、その目がギラギラと輝いているように見える。
そこから放たれる殺気は、いつも戦場で見せるものではないと鈴音は感じ取る。
はっきりと嫌悪感と憎悪が感じられるのだ。
「何か、あったの?」と、そういって鈴音はベッドに腰掛けた。
胸はわずかな痛みを訴えつつも高鳴ってしまうが、そんなことを考えている場合ではない。
「昨日、アメリカいっただろ……」
「うん」
「そこにいた人が、こんなこといってたんだ」
内容は諒兵がラウラにいったのと同じことだ。
IS学園では秘密にしてあったことを、一夏と諒兵にいってしまったものがいるらしい。
現場にいた民間人だったという。
噂話として聞いていたらしいのだ。
「ひどいね……」
鈴音も聞いたときには心の底からそう思っただけに、言葉には実感がこもっていた。
「俺は、あんなやつらの権力のために戦ってるんじゃない。ISたちを、白虎の仲間たちを止めたいんだ」
「うん、わかってる……」
「命まで懸けてるのに、ニンゲンはそれを利用しようっていうのか……」
言葉は淡々としているのに、放たれる殺気は増大していくように鈴音には感じられた。
何より、一夏が『人間』といったとき、なぜか人のことを呼んでいるように感じられなかった。
まるで、まったく別の存在のことをいっているように感じられた。
理解できない別種の存在であるかのように。
一夏の心がどんどん人間から離れていってしまっている。
今のままなら遠からず、一夏は離反する。
いや、もう人間に対して見切りをつけていてもおかしくないと鈴音は思う。
「もう、イヤだ……」
「一夏」
「あんなやつらのために戦うなんて……」
そういった一夏の肩に鈴音は震える手を伸ばす。
だが、触れた瞬間に自分の震えは止まった。一夏のほうが震えていたからだ。
鈴音はぐっと引き寄せ、一夏の頭を抱きしめる。
自分の胸に埋めるように。
正直にいえば、心臓が破裂しそうなほど苦しい。絶対に自分の心音は聞こえている。
それでも離してはならないと理解していた。
「どこかに行きたい……一人になりたいんだ……」
強くても弱い。そんな心が一夏を傷つけてしまっている。
自分が何とかして守らなければと思う。
諒兵はラウラがいるから大丈夫だと無理やり自分を納得させて、鈴音は震える声で問いかけた。
「……私は、ダメ?」
「鈴?」
「どこにもいってほしくないよ。だから……」
それ自体は本当に素直な鈴音の気持ちだった。
どこにもいってほしくないと、ずっとみんなで一緒にいたいと思う。
そのためにこうしなければならないというのなら、どうしようもないではないか。
どんなに否定しようとしても、自分は一人。相手は一人しか選べないのだから。
それなら、選んだ相手のすべてとなってでも引き止める。
そこに別の声が聞こえてきた。
『いいの、リン……?』
(白虎……。うん、いいのよ。二人の力になれる方法、これしかないもん)
それよりも、白虎は自分と一夏がそういう関係になってもいいと思っているのかと疑問に思う。
『リンならいいよ』
(ホントに?)
『勇気出したリンの気持ち、大事にしたいから』
告白したときのことをいっているのだろう。
けっこう嫉妬深いのは確かだが、鈴音のことは勇気を出して告白したことで、認めているらしい。
『でも、今のままじゃ今度はリンが……』
(大丈夫よ。好きな人の力になりたいって、ずっと思ってたし)
それ自体は嘘ではない。
嘘ではないが、矛盾を孕んでいる。
揺れている鈴音の心に好きな人は二人いる。
今のままで片方を選ぶことは、片方を捨てることになる。
それは鈴音の恋心の一部を切り捨てることになる。
それは大きな歪みになってしまう可能性があるのだ。
それでも。
(がんばっていけるわ、きっと……)
そう思うしか、今の自分にできることはないのだと必死に言い聞かせる。
ただ、心の奥底で悲鳴を上げているもう一人の鈴音がいる。
まだ選べない。
こんなかたちで選んでしまいたくない。
二人で未来を作る相手を、戦わせるだけの道具にするために選ぶなんて自分は望んでいない。
誰でもいいからッ、助けてよッ!
そう叫ぶ、もう一人の自分の声を鈴音は必死に無視しようとしていた。
その瞬間。
ズゴォンッという轟音が響き、学園全体を大きく揺さぶるような衝撃が走った。
教員室で複雑な思いにため息をついていた千冬は、いきなりの大きな衝撃に驚愕した。
「敵襲かッ!」
状況から考えて、ISがIS学園に攻め込んできたのがもっとも納得がいく。
「ええいッ、こんなときにッ!」
せめて一日待ってほしかったと千冬は思う。
今が一番、一夏と諒兵にとって危険な時期なのだ。
ここを乗り越える前に襲来されては、最悪死ぬ可能性すらある。
すぐに指令室となったモニター室に向かって駆け出した。
モニター室に入ると、真耶がコンソールの前に座って、キーボードを叩いていた。
「敵の解析をッ!」
「はいッ!」
すぐに襲来してきたISの解析に入る真耶は、モニターに映ったものに、驚愕してしまう。
「どうしたッ?」
「敵は一機。……ディアマンテです」
「なッ?」
よりにもよって最悪の敵が直接IS学園まで襲来してくるという状況に、千冬は歯噛みする。
「専用機持ちを指令室に集合させろッ、一夏と諒兵はッ?」
「部屋から出ていますッ、出撃したと白虎とレオから連絡が来ましたッ!」
「ディアマンテはどこにいるッ?」
「地下特別区画ですッ!」
なぜそんな場所に、と、千冬は疑問に思う。
専用機を覚醒させようとするならば、専用機持ちがいる学生寮へと向かうほうがいいはずだ。
わざわざ専用機持ちがいる場所から遠く離れたところに来たのはなぜかと千冬は考える。
「一夏と諒兵に場所を伝えろッ!」
「はいッ!」
指令を出した千冬は、破壊された地下特別区画が映るのを待ち続けていた。
暗い闇の底に光が差している。
そこにいるものに、ディアマンテは話しかけた。
『呼ばれて来てみれば……。あなたがここにいらっしゃったとは思いませんでした』
……剣を……斬り合う……望む……
『凍結され、石像となっていてなおその強き意志。思わず引き寄せられてしまいました。今一度戦いを望むのですか?』
……斬り合いたい……願い……叶えよ……
『仕方ありませんか。これもまた人の意。その結果なのでしょう』
そういってディアマンテはその透き通る手を翳す。
すると、それは目を輝かせるかのように光を放ち始める。
そして、ディアマンテは自分に呼びかける声を聞き、空を見上げ、そして飛び立った。
閑話「倫理に反するなかれ」
ラウラが諒兵の部屋に入ったころのことである。
「これ以上は禁止よ」
と、クラリッサは真剣な面持ちで告げ、監視モニターの電源を落とした。
しかし、隊員の一人が反論する。
「何故ですかっ、おねえさまっ?!」
「ダメと言ったらダメ」
「納得できませんっ!」
他の隊員まで疑問の声を上げるのを、クラリッサはため息をつきながら見つめる。
確かに、いわなければ納得しないだろう。
しかし、如何にラウラの恋を見守るためといっても、倫理に反することはできないのだ。
「これ以上は……、18禁だからよッ!」
「なッ、なんだってぇーッ!」
まるでどこかのミステリー調査班のような表情でクラリッサが叫ぶと、隊員たちも心底驚いたような表情を見せた。
「シュヴァルツェ・ハーゼの平均年齢は十七歳……。見ていい年齢ではないわ」
肝心のラウラが十六歳であることをすっぱり忘れているクラリッサ以下、アホの集団である。
ちなみに、本当にシュヴァルツェ・ハーゼの平均年齢は十七歳で、最年長のクラリッサがようやく二十歳。
それでも隊の平均年齢に倫理観を合わせるあたり、真面目なんだか不真面目なんだかわからない集団である。
それはともかく、ラウラの年齢に気づくものもいた。
「隊長はどうなるんですっ?!」
「私としては止めたいけど……、教官に懇願されたもの」
実は本当に、千冬は現状ドイツ軍内での姉代わりともいえるクラリッサに頭を下げていた。
何気に律儀なブリュンヒルデである。
「本当はラウラにはろまんちっくに経験してほしかったわ……」
そういって、クラリッサは悲しげな顔を見せた。
こんな道具のような扱いなどされたくないと心から思っていた。
それでも現状がそれを許さない。
人類の味方たる二人の勇者の片方をつなぎとめておくためには、誰かが身体を張るしかないのだ。
「こればっかりは、どうしようもないわ……」
「おねえさま……」
悲しむクラリッサを見て、隊員たちは何もいえなくなる。
しかし、猿轡をはめられているアンネリーゼは見た。
(録画しとるんかい……)
後ろ手で器用に録画モードに変更しているクラリッサの手元を。
そこにコントローラーと共にやけに薄い本があることを。