シャルロットがデュノア社でホームコメディを展開しているころ、セシリアは。
「では、そのように」
「よろしくお願いします。オルコット家の当主として、イギリスの国家代表として、あなたを信頼し、今後もお頼みいたしますわ」
「感謝いたします、セシリアお嬢様」
少しばかり身を震わせた弁護士に冷めた視線を向ける。
相手の弁護士はオルコット家の管財人だ。
まだ未成年のセシリアだが、オルコット家の当主としてやるべきことはやっていた。
とはいえ、この弁護士も、こちらが油断すれば、財産を掠め取ろうというのだろう。
今は、国家代表の肩書きが役に立つ。
下手なことをすればイギリスが敵に回るということだからだ。
身を震わせたということは、セシリアの言葉に、そういう意味が含まれていることを相手は理解したのだろう。
しっかりと釘を刺すことができたようだ。
(何でも役に立つものですわね……)
そう思いながら、そそくさと部屋を出る弁護士を見送った。
信頼できる人間など何人もいないとため息をつきつつ。
セシリアは現在、実家に戻ることができない。
ゆえに現状のオルコット家の財産管理について説明してもらうため、管財人を務める弁護士に開発局まで来てもらった。
昨日のうちに連絡してあるが、セシリアは今回の帰郷で実家に戻る気はなかった。
ゆっくりしている余裕などないし、おそらくブルー・ティアーズからのデータ採取と機体チェックで開発局に缶詰となることは理解できていたからだ。
寂しさを感じないわけではない。
それでも、今は甘えたいという気持ちを抑えていた。
すると、通信機が鳴る。
装着してのチェックでもするのかと思い、セシリアは通信をつないだ。
「レディ。お知り合いという方がいらしていますが」
「わざわざこんなところまで来るお知り合いに心当たりはありませんわね」と、暗に断る。
「その、レディのメイドであると」
「えっ?」
心当たりはある、というか、それだけで誰なのかピンと来るほどに長い付き合いの相手だ。
「画像は送れますの?」
「通信機のモニターをご覧くだされば」
そういって映し出されたのは、セシリアにとっては懐かしさを感じさせる友人の顔だった。
自分のメイドと名乗った女性をセシリアは迎え入れる。
「チェルシー。今回は実家に帰るために帰郷したわけではないと説明しましたわよ?」
「お嬢様。イギリスの地に来て専属メイドである私を呼ばないのはあまりの仕打ちと思いませんか?」
「その勤労ぶりが困りますわ」
『チェルシー・ブランケット』
令嬢であった身分から、当主となった今もセシリア専属で身の回りの世話をするメイドである。
ただ、セシリアにとっては幼馴染みであり、気の置けない友人の一人でもあった。
ブランケット家はオルコット家の侍従の家系である。
女はメイドに、男は執事になってオルコット家に仕えてきた。
それだけにオルコット家の人間にとっては、それぞれの代で幼馴染みになりやすく、信頼関係を結んできた家でもある。
誤解のないように説明しておくが、ブランケット家は名家であり、当主はれっきとした貴族だ。
ただし、娘や、次男以下の息子はオルコット家でメイドや執事となる。
位の高い貴族の家でメイドや執事ができるのは、それなりの位を持つ家の生まれであることは有名な事実である。
相応の知性や教養が必要だからだ。
そういう意味でいうのであれば、チェルシーはセシリアとは身分の差こそあれ、同じ貴族であった。
それはともかく。
「気を遣うのがわかっているから、呼ばなかったんですのよ?」
「それは私の仕事であり、誇りです。お嬢様」
さも当然といいたげに答えるチェルシーにセシリアは苦笑してしまう。
なんだかんだといっても、チェルシーがわざわざここまで来てくれたことは嬉しかった。
機体チェックのため、一度装着してほしいと呼ばれ、部屋を空けるセシリア。
一時間ほどして戻ってみると、既にティーブレイクの用意がされていることに驚く。
「ティーブレイクにはまだ早いでしょう」
「戻ってきてからまともになされていないのでは?」
「そうですけど……」
そう答えたセシリアに対し、「ならばお召し上がりください」と、チェルシーは慣れた動作で紅茶を入れる。
その懐かしい香りに誘われ、セシリアはテーブルについてティーカップを受け取った。
余談だが、イギリスにおいてはティーブレイクは午前と午後の二回行われるとされている。
あくまで一般的になので、人によっては八回というものもいるという。
この場合、単純に休憩ということができる。
また、アフタヌーンティーとは、大体午後四時から五時に行われるもので、軽食に近いサンドイッチやスコーンなども供される。
ほぼ夕食に近いが、食事ではなく家族のコミュニケーションタイムということもできるといわれている。
紅茶の上品な香りに、セシリアは懐かしい空気を感じ、思わず顔を綻ばせてしまっていた。
「困ってしまいますわ」
「どうかなさいましたか?」
「自分を律するつもりで戻らないと決めましたのに、これでは家に戻りたくなってしまいますわよ、チェルシー」
「そういっていただけると光栄です」
チェルシーがそう受け取ったとおり、セシリアにしてみれば最大級の賛辞である。
せっかくの時間、友人と何も話さないようでは失礼になるだろうと感じたセシリアは、遠く離れた日本での出来事を聞かれるままに答えていった。
「いまや世界中でも英雄ですね、そのお二方は」
「傍にいると悩まれている姿も見てしまいますわね。一時期は本当に苦しそうにしていらっしゃいましたわ」
一夏と諒兵のことだ。
使徒との戦いで最初に最前線に送られた二人が、離反したISと戦うことに苦悩している様はセシリアもよく見てきた。
鈴音やラウラは隠しているつもりだろうが、二人が身体で慰めようとしていたことをセシリアは気づいていた。
だが知られたくないのだろうと自分の胸に仕舞っている。
それよりも、それほどに追い詰められていた一夏と諒兵の力になれないことが正直にいえば悔しくもあった。
「私はまだ未熟ですわ」
「ですが、あの『無冠のヴァルキリー』とは見事な戦いをなされたではありませんか」
と、チェルシーは鈴音との戦いぶりを褒める。
イギリス政府がセシリアに対する見方を変えたのが、それだったのだから、インパクトがあったのは確かだろう。
それまではテストパイロット。
つまり使い捨てられる可能性があった。
正直にいうなら本当はいつも不安だった。
「お嬢様……」
「BT2号機を扱う優秀なパイロットが現れれば、私はいずれ候補生からも降ろされたかもしれませんわ……」
それだけにサイレント・ゼフィルスの強奪は、怒りとともにわずかな安心感もあった。
イギリスでBT機を使えるのは自分一人だ、と。
そしてそんな自分の弱さを嫌悪し、更なる努力を重ねた。
IS学園に首席で合格し、そこでさらに力をつけて国家代表になることを目標として誓った。
がむしゃらだったと思う。
そのために周囲に気を遣う余裕などなかった。
しかし、だからこそ、限界を超えなければならなかった一夏や諒兵との厳しい戦いを経験したことが、自分のはるか先を行く代表候補生であった鈴音との戦いを経験したことが、今のセシリアに生きているのだ。
青空に溶けるようなブルー・ティアーズに乗れていることが誇らしい。
今は素直に、自分がのし上がるための道具ではなく、空を飛ぶパートナーだと思える。
「だからこそ次の目標は自分で到達しませんと」
「次の目標?」
「鈴さんがたどり着いた奇跡に」
その言葉でチェルシーにも理解できた。
何しろ、中国は現在、暫定的な国家代表であった鈴音の共生進化を声高に喧伝している。
自慢したいのはわかるが、本人は相当辟易していた。
そのことには苦笑する他ないが、今、ISを抑えられている数少ない一人であるセシリアとしては、次なる目標として共生進化を掲げたい。
「天狼というASがいうには、後はきっかけだそうですわ」
そういったセシリアの言葉に、チェルシーは不安を禁じ得ない。
焦っているのではないか、そう思えるのだ。
無論、チェルシーとしてもセシリアが目標に到達するのであれば嬉しい。
しかし、セシリアは自分を追い詰めてしまいがちな面がある。
それが悪い方向に作用してしまうことをチェルシーは恐れる。
共生というからには、自分一人では不可能だ。
自分のISと共にでなければ。
自分ががんばれば何とかなるというセシリアの考え方では失敗するように思う。
ブルー・ティアーズをパートナーだというのであれば、自分一人で何とかしようなどと考えるべきではないのだとチェルシーは思う。
だから。
「お嬢様、データの採取とやらはいつ終わりますか?」
「えっ……、予定では明後日となっていますけど?」
「一度、お屋敷にお戻りください。お嬢様に見ていただきたいものがあります」
唐突な言葉にセシリアは驚いてしまう。
そもそもデータの採取が終われば、シャルロットと合流するはずだったし、そう連絡してある。
今からいきなり予定を変えるわけにもいかないだろう。
「必要であれば連絡等は私が行います。一度お戻りいただかなければ困ります」
「チェルシー?」
「よろしいですね、お嬢様」
そういったチェルシーの気迫に、セシリアは肯くことしかできなかった。
いったん屋敷に戻るといったチェルシーを見送ったセシリアは、すぐにデュノア社に連絡を取った。
「えっ、セシリアこっち来れないの?」
「申しわけありません。チェルシー、私の専属メイドにどうしても一度実家に戻れといわれてしまいましたの」
通信機の向こうで驚くシャルロットにセシリアは頭を下げる。
さすがにシャルロットは相当驚いたらしい。
こういう状況になるとはセシリアも思っていなかったので、当然といえば当然だが。
ただ、誠意を見せるというか、頭を下げるために画像通信を行ったのがよかったのか悪かったのか、やけに困った様子のシャルロットの顔に疑問を持った。
「何かありましたの?」
「セシリアが来てくれれば、助かったんだけど……」
そういってシャルロットは自身の現状について説明してくる。
降って湧いたような話にさすがにセシリアも驚愕を隠せなかった。
「それは、ご愁傷様としか……」
「鬱になるからいわないでよ……」
セシリアとしてもいきなり婚約話など立ち上がったら抵抗する気持ちはよくわかる。
というか、実はセシリアにはいくつもそういう話があったのだ。
無論のこと、目的はオルコット家の財産なのだが。
そんな者たちを一人で、正確には信頼できるチェルシーや侍従たちの力を借りつつ撃退してきたのだが。
「ですが、お父上が拒否したのでしょう?」
話を聞く限り、子煩悩どころではない親バカのセドリック。
まだ娘を嫁にやるのは早いと本気で考えてそうで、セシリアはなんだか微笑ましく感じてしまう。
「あれはあれで問題ある気がするけど……」
「えっ?」
「ううん、確かにお父さんが突っぱねてくれたんだ。だから婚約までには至ってないんだけど……」
問題は解消させるための言葉だ。
セドリックは結婚相手はシャルロットに決めさせるといった。
逆にいえば、シャルロットが応じれば誰でも結婚できるということになる。
「だから、僕のこと狙ってるみたい……」
「しつこいですわね。私も正直、嫌いなタイプですわ」
「目的がわかるから余計に腹が立つよ」
人類の敵に対抗する兵器開発を行う会社の社長のセドリック。
そして暫定的には国家代表となったシャルロット。
二人とも、いまや発言力なら正妻の実家でもあるドゥラメトリー家以上なのだ。
何とかして取り込もうというのだろう。
セドリックはいまだ離婚に至っていないのでいいのだが、ドゥラメトリー家にとっては、シャルロットも他にとられるわけにはいかなくなっているのだ。
「そんな理由なのもイヤだし、なによりあんなのと結婚するなんて死んでもやだ」
「嫌ってますわね」と、セシリアは苦笑してしまう。
直接、相手の顔を見たわけではないが、ここまでいうのだからよほどイヤなのだろう。
もっともそういうことをはっきり顔に出してくるのは好感が持てる。
立場的には貴族令嬢と社長令嬢でけっこう似た二人。
どちらも家を背負った身なので、当然、腹の中に不満を溜めるすべは心得ていた。
そんな同類であるシャルロットが、こうして本音で話してくれるのは嬉しく思える。
そこでとりあえず思いついたことを意見してみた。
「博士にご助力を仰いでみてはどうですの、そちらにいらっしゃるのでしょう?」
「無理だよう。兵器開発、ラストスパートなんだし」
「確かにそうでしたわね」と、失言であったことに気づく。
同じことはセドリックにもいえるだろう。
開発に専念できる丈太郎と違い、社長として根回しにも動いているはずだ。
「他に頼れそうな方はいらっしゃいませんの?」
「う~ん、数馬かなあ。困らせたくないけど……」
「カズマ、とは?」
知らない名前が出てきてしまい、セシリアは問い返した。
だが、ある意味ではとても知っている人間ということもできると、シャルロットの説明を聞いて思う。
「一夏さんや諒兵さん、それに鈴さんのご友人なのですか」
それに丈太郎のアシスタントをしているということは、なかなかの頭脳を持っているということになるし、人間としても信頼できるだろう。
シャルロットも同じように感じていたらしい。
「ぶっきらぼうだけど、悪い人じゃなかったよ。あいつよりはずっと信頼できる」
「あらあら」と、再び苦笑してしまう。
これは逆に別の方向に後押しされてしまうのではないかとセシリアはちょっと面白くなってしまった。
「望まぬ婚約などするべきではありませんわ。少しわがままをいってもよろしいのでは?」
「う~ん、開発の邪魔したくなかったんだけど……」
「兵器開発のご勉強は続けてらっしゃるのでしょう?」
もともと母の設計図を読めるようになるためといっていたが、シャルロットは自分の未来として開発者も考えているらしい。
料理上手で、友人関係のバランサーでもある彼女は専業主婦として有能だろうが、そういった科学者としての未来を目指すのは悪いことではない。
だが、セシリアの目的はそこではなく……。
「自分も勉強したいといって見学させていただくのは悪いことではありませんわ」
「実際、テストもするんですし」と、セシリアは続ける。
「そうだね。そうしてみる。ありがとうセシリア」
「どういたしまして」
そういって微笑むセシリアは、どんな結果になるのだろうとちょっとわくわくしていた。