シャルロットがセドリックにお願いし、諒兵と弾がど突き合っているころ。
セシリアは開発局内部にある試験場でブルー・ティアーズを展開、機体のチェックを行っていた。
「では、少し飛行してください」
「了解しましたわ」
その機動には何の問題もない。だが、問題がないことこそが問題だとセシリアは思う。
(私はブルー・ティアーズのことを理解しきれていない……)
進化の兆しを感じないのだ。
その点に関しては唐突に来るものらしいと鈴音から説明を受けているが、それでも何らかの兆しがほしいとセシリアは感じていた。
『忠実』
言葉の意味だけを考えるなら、真心を込めてよく務めるという、セシリアにしてみれば理想的な相手だ。
自惚れるつもりはないが、貴族たる自分の相手に相応しい。
ゆえに、ぜひブルー・ティアーズを理解したいと思うし、きっと理解できる相手だとセシリアは考えている。
しかし、何の兆しもないということが、セシリアの心にわずかな漣を立てていた。
チェック後、機体を再び開発スタッフに預けたセシリアは、ティーブレイクの間にそんなことをチェルシーに話す。
すると、意外な答えが返ってきた。
「誤解なさっておいでですね、お嬢様」
「どういうことですの?」
『忠実』という個性はいったとおりの意味であるはずだ。
そもそもIS学園に首席合格するほどなのだから、勉学の才覚において抜きん出たものを持つセシリアが誤解するということはそうはない。
しかし、チェルシーは首を横に振った。
「お嬢様のおっしゃり方だと『忠実』ではなく『忠義』と意味を取り違えておいでかと」
「……『忠義』と?」
「僭越ながら、そういう点では私の個性もおそらく『忠実』でしょう。その点では理解しやすい相手です」
だが、とチェルシーは続ける。
『忠実』とは人に仕えることを意味する言葉ではない。
職務、物事に対して真摯であることを意味するのだ。
「お嬢様を裏切るつもりなど毛頭ありませんが、私はメイドとしての職務を果たすことこそ誇りなのです」
「盲目的に人に仕えるようなメイドではない、ということですわね?」
「聡明です」
以前にも語ったが、チェルシーはメイドではあるが、生まれは貴族になる。庶民ではない。
つまりセシリアとは本来対等な立場なのだ。
主の指図どおりに動くだけの人形ではない。
もっとも、本来、忠義者とは主の指図どおりに動く人形などではないが。
「世の忠義者はみな同じでしょう。そしてそれこそが『忠実』です」
「それこそ?」
「ここから先はご自身でお考えください。そこに答えがあると私は思います。ただ、焦りは禁物です、お嬢様」
突き放されてしまったように感じるが、確かに自分で答えを見いださなければ意味がない。
そう考えたセシリアはチェルシーに謝辞を伝える。
だが。
(忠義と忠実……、似て非なる言葉……)
その非なる部分にこそ、セシリアがいまだ見いだせない答えがあるのだろう。
焦るなといわれても、やはり気になってしまう気持ちを止めることはできなかった。
ティーブレイクのあと、セシリアは開発局内部を見学することにした。チェルシーは部屋で休んでいるのだが。
はっきりいえば、機体チェックとデータ採取だけの日々は暇で仕方がないのである。
本音をいえば、フランスで個人的な騒動に巻き込まれているシャルロットにアドバイスに行きたかった。
(数馬さんとやらと進んでいるかもしれませんし。意外と従兄弟の方に迫られていたりも……)
実のところ、単なる野次馬根性である。
かといって、暫定的には国家代表であるセシリアが、イギリスのIS開発技術向上のために協力しないわけにはいかない。
そんなわけで、思い切り暇を持て余していたのだ。
「こちらが凍結済みのコアになります」
「さすがに厳重ですわね」
「強奪されて敵に組み上げられれば、そのまま恐ろしい敵が増えますから」
と、案内を頼んだ研究者は説明する。
開発局の地下の一角にその場所はあった。
イギリスに割り当てられたISコアが、剥き出しのまま厳重な保管ケースに入れられている。
その保管ケースには気になる文言が表記されていた。
『温和』『薄弱』『潔癖』『意固地』といった言葉だ。
「これは?」
「ISコアの個性です。今後ISの開発においてコアの個性は決して無視できませんから」
「なるほど」と、納得する。
戦後、IS開発がどうなるのかはわからないが、もし続けられるのであれば、コアの個性は確かに重要なキーワードになるだろう。
逆にISを封印することも考えられるが、現状ISの強力さを考えるとそれはなかなか難しい。
ならば開発する方向で考えるほうがベターな選択だ。
データ採取もその点を見越してのことなのだろう。
「不明もありますのね」
「コアの個性は、博士か天災のどちらかでなければ読み取れませんので」
ここに書かれているのは、送られてきた情報をもとにしたものだという。
不明となっているものがもし危険な個性だったとしたら、とてもではないが開発には回せない。
そのため基本的には凍結したまま保管するのみだと研究者は語った。
「レディのブルー・ティアーズのコアは『忠実』だそうですね」
「ええ、そうですわ」
「対してサイレント・ゼフィルスは『自尊』、まったく対極といっていい」
確かに、対極だとセシリアも思う。
己こそ至高、絶対であると考える『自尊』のサイレント・ゼフィルスに対し、真心を込めるという相手の身になって考えるのが『忠実』のブルー・ティアーズだ。
同じ第3世代機でありながら、偶然とはいえ対極の個性を持つコアが選ばれたことに、神の皮肉を感じてしまうセシリアだった。
「強奪されなかった場合、誰が乗るはずだったんですの?」
「決定していませんでした。レディであった可能性は十分にあります」
「それは光栄ですわ」
そうはいっても『自尊』な個性のサイレント・ゼフィルスとはとても上手くやっていけたとは思わない。
ただ、最新鋭機を受け取れた可能性があったということを光栄だと思ったのも確かだ。
テストパイロットなりに認められていたということだろうか。
それとも、ただのおべっかだろうか。
(相手の言葉を素直に受け止められないのは、いやな性分ですわね)
と、セシリアは苦笑してしまうのだった。
次はサーバールームだった。
「こちらに現在データを保存しています」
「バックアップはどうなっていますの?」
先の襲撃では徹底的にクラッキングされた以上、バックアップをネットワークに接続されたサーバーに保管するのは危険すぎるだろう。
だが、意外な答えが返ってきた。
「……サイレント・ゼフィルスは物理的に遮断してあったバックアップデータを狙撃してきたんです」
「なっ、そこまでっ?」
最後にトドメとして撃ったというレーザーライフルは、実際にはそこを狙っていたらしい。
ISのデータはその機密上、バックアップはいくつもとってある。
ネットワークを使って退避できるようにしているものもあれば、物理的にネットワークから遮断して保存されているデータもあった。
だが、サイレント・ゼフィルスはそれを狙って狙撃してきたという。
「……ネットワークですべてのバックアップデータの場所を探っていたんですわね」
「正直いって、念の入れようが違います。ゆえに物理データはコアとともに保管しています」
核攻撃にも耐える場所なので、鍵さえかけてしまえば問題はないらしい。
それこそ、イギリスが焦土になっても残るという。
本末転倒、この上ないが。
「サイレント・ゼフィルスは自分以外のBT機の存在を許さないのだろうと感じましたけど……」
「レディのおっしゃるとおりです。アレは間違いなく自分のみを唯一のBT機としたいのでしょう」
己に誇りを持つといっても限度がある。
いや、誇りを持つとは自分を唯一のものとするということではない。
例え同じような相手でも、尊重しあい、ともに切磋琢磨する相手とすることだ。
正直、セシリアはゾッとしてしまう。
今、サイレント・ゼフィルスが目障りに感じているのは、間違いなくブルー・ティアーズだと思い知ったからだ。
そして同じことは研究者も考えたらしい。
「いずれ、必ずレディの前に姿を現すはずです。お気をつけください」
「忠告、ありがたく思いますわ」
そう答えたセシリアだったが、それがまさか、『今』だとは思いもしなかった。
ガガガガガガァンッ、という幾つものすさまじい轟音とともに、開発局が大きく揺さぶられる。
「まさかッ!」
「レディッ、サイレント・ゼフィルスですッ!」
局内に設えられたスピーカーから、絶望的な言葉が聞こえてくる。
セシリアはすぐに駆け出した。
ブルー・ティアーズも大事だ。
だが、今、セシリアが泊まっている部屋には大事な幼馴染みであり、大切な友人であり、信頼できるメイドであるチェルシーがいる。
生身の人間がISの攻撃に耐えられるはずがない。
ゆえにセシリアは、チェルシーの元へと向かうことを選択した。
開発局はものの数分で瓦礫の山となった。
これが今のサイレント・ゼフィルスの力。
さすがイギリスの第3世代機だと喜ぶものは一人もいないだろうが。
しかし、今のセシリアにとって重要なのはそんなことではない。
瓦礫の山となった建物の中を必死に走る。
(チェルシーッ、無事でいてッ!)
言葉遣いが荒れようが気になどしていられない。
チェルシーの無事を確認するまでは。
そして。
自分の部屋のドアを蹴り破ったセシリアは、絶望的な瓦礫の山を目にしてしまった。
砕かれ、空が見えるようになってしまった天井から、いまだに小さな瓦礫が降ってきている。
「くッ!」
まだだ。
まだ、そうと決まったわけではない。
そう信じ、手が傷つくのもかまわずに、セシリアは瓦礫の中を必死に掘り起こす。
IS操縦者として鍛えてきたことは伊達ではない。
軽いものなら一人でも持ち上げられる。
そしてようやく見つけたのは、赤い水溜りだった。
「チェルシィィィィィィィッ!」
セシリアの絶望的な悲鳴が、瓦礫の山の中に響き渡った。
イギリス、軍病院の病室。
包帯を巻かれて横たわるチェルシーを見つめながら、セシリアはまんじりともせずに座っていた。
必死に見つけ出したとき、チェルシーは額を切っていたのに加え、左腕を骨折、右脇腹に細い瓦礫が剣のように突き刺さっていた。
実のところ、彼女はとっさにテーブルで身を守っていたらしい。
それでも巨大な瓦礫が落ちてきて逃げ損ねたのだ。
緊急手術は成功、幸い内臓を傷つけられてはいないので、チェルシーの命に別状はないというが、セシリアは内心では憤怒に身を焼かれそうな気分だった。
(サイレント・ゼフィルス……、私が必ずこの手で……)
殺意というのはこういうものをいうのだろうとセシリアは思う。
凍結など生ぬるい。
大事な幼馴染みであるチェルシーが一歩間違えれば死ぬところだったのだ。
その罰は死を以ってでしか与えられない。
一度は多少なりと親近感を持った。
『自尊』というその個性は、自分に自信を持つという点では、セシリアにもあったものだといえるからだ。
だが、それだけに今は憎悪の対象だった。
(この手で、……コアを砕くッ!)
それはISコアとしての死を意味することだ。一夏や諒兵が絶対にやろうとしないことだと知っている。
でも、そうしなければ収まらない。
この怒りだけは。
そんなことを考えていると、セシリアは肩を叩かれる。
「お話が」と、そういってきたのは開発局にいた職員だった。
手渡されたものを見てセシリアは首を傾げる。
それはまるでサファイアのように美しい直径十センチほどの透明な球体だった。
「これは?」
「……我々もまだ信じることができていませんが、おそらくはブルー・ティアーズです」
「なっ?」
いきなりそんなことをいわれても信じられるはずがなかった。
しかし間違いないと職員はいう。
サイレント・ゼフィルスが開発局を襲撃したとき、そのレーザーは明確にブルー・ティアーズを狙っていたという。
だが、レーザーが直撃する瞬間、ブルー・ティアーズは光となって消失した。
「そして、その場にあったのがこれです」
状況から考えてこれがブルー・ティアーズだと考えられるのだが、確証はないと職員は説明する。
「何故ですの?」
「ISコアの反応がないというか、非常に薄いのです。凍結に近い状態となっています」
「まさか自らっ?」
「そう考えるのが妥当でしょう。サイレント・ゼフィルスの攻撃から身を守るためと推測されます」
よもやブルー・ティアーズがそんなことになってしまっていたとは思わなかったセシリアは己の不明を嘆く。
大事な幼馴染みのチェルシーは傷つき、ブルー・ティアーズは対話するどころか物言わぬ球体となった。
サイレント・ゼフィルスによって、セシリアは一度に大事な『者』を二つも傷つけられてしまったのだ。
「口惜しいですが、今の我々では解除のしようがありません」
「それでは……」
進化に至るどころか、戦う手段を失ってしまった自分は、もはや戦場にいくことはできない。
「ただ、可能性はあると我々は考えました」
「可能性?」
「レディ、あなたにブルー・ティアーズを託します」
「何故ですのっ?」
驚くセシリアに職員は説明してきた。
今、世界中の科学者がもっとも理解できていないのが、コアの持つ個性、正確にいえば心だ。
その心を理解するために、セシリアの力が必要だという。
「理由はただ一つ。もし本当に身を守るつもりなら、ブルー・ティアーズは自ら飛び去ったはずです」
だが、ブルー・ティアーズは凍結することを選択し、開発局から飛び去ることはなかった。
まだ、ここにいようという意思がある。
それは間違いなく、セシリアがいたからだと職員は語る。
ならば、ブルー・ティアーズの意思を知ることができる人間は、イギリスにおいてただ一人しかいない。
「レディ、あなたならば、ブルー・ティアーズの意志を知り得る可能性があります」
同時に、イギリスでは無事だったデータを解析するという。
「無事だったのですかッ?」
「……二人の職員が犠牲となりましたが」
「そんな……」
「だが、ブルー・ティアーズのデータは無事だった。今は喜ぶべきでしょう」
カッとセシリアの視界が赤くなる。
あまりの怒りで本当に血が上ってきたように感じたのだ。
「人の命よりッ、たかがデータが大事だというんですのッ?」
冗談ではない。
亡くなった職員には申し訳ないが、チェルシーとて傷つけられた。
死ぬかもしれなかったのだ。
それなのに人が死んでもデータが無事だったと喜べるはずがないとセシリアは激昂する。
しかし、セシリアの怒りにひるむことなく、その職員は語った。
「レディ、彼らは命を失ってでもデータを守り抜いたのです。データを無用の物のようにいうのは、彼らの意志を、命を否定するのと同じ。そのような権利はあなたにはない」
「あっ……」
「お怒りはもっともでしょう。ブランケット嬢も傷つけられた。ですが、彼らが『使命』を果たした結果、イギリスに希望の灯が残った」
「使命……」
そして同じことが、今セシリアの手の中にあるブルー・ティアーズにもいえる。
命を賭して守られたデータと、飛び去ることのなかったブルー・ティアーズ。
今、これだけがイギリスの希望なのだ。
「お願いします、レディ。我々も全力を尽くします。どうか、いま一度、空へ」
そんな職員の言葉を聞いたセシリアは、手の中の青い球体がずしりと重くなったような気がする。
それはイギリスの国家代表にして、オルコット家の当主でもある彼女に課せられたものの重さだった。