泣きそうな、必死なその声が一番大きく響いたのは諒兵だった。
「だんなさまッ、クラリッサが戦っているッ!」
「んだとッ!」
『相手はッ?』
レオの声に答えたのは真耶だった。こちらもかなり焦った様子で叫んでくる。
「ファング・クエイクですッ!」
「チィッ、座標をくれッ、こっから飛ぶッ!」
だが、全員が飛ぼうとする前に、ブルー・フェザーに異変が起きる。
『申しわけありません、セシリア様。エネルギーがゼロとなりました』
「そんなっ、こんなときにっ!」
「一夏っ、鈴っ、シャルっ、セシリアを連れてけっ!」
「諒兵っ!」と、一夏。
「俺は一足先に飛ぶっ、わりいなセシリアっ!」
「いえっ、早く行ってくださいっ!」
その言葉を背に、諒兵はドイツへと量子転移するのだった。
それより少し前。
ドイツ軍IS部隊『シュヴァルツェ・ハーゼ』副隊長、クラリッサ・ハルフォーフは戦慄していた。
繰り出される強大な拳は、シュヴァルツェア・ツヴァイクごと、クラリッサを吹き飛ばす。
(こんな化け物と、年端も行かない少年たちが戦っているというのっ?)
ラウラを含め、IS部隊は平均年齢が低いが、クラリッサはその中でも年長だ。
それだけに軍人としても一番成長しているといえる。
そんな彼女をして、ファング・クエイクの強さは恐怖を覚えるようなものだった。
ウオォォオオォオォオォッ!
雄叫びに身が竦む。
何とかISを押さえられていることがどれだけ幸運なことなのかとクラリッサは思う。
生身で覚醒ISと向き合うことなどとてもできそうにない。
だが、今、最前線にいるのは、共生進化を遂げたとはいえ、年端も行かない少年少女たち。
こんなとてつもない化け物との戦いを強いていることが申し訳なかった。
倒せずとも、手傷を負わせて何とか撃退したい。
しかし、AICを振り切り、こちらの攻撃を鮮やかにかいくぐってくるファング・クエイクにクラリッサは苦戦を免れなかった。
(私がやられてしまったらラウラが呼び戻される。ようやく女の子らしく生きられるようになったのにっ!)
例え覚醒ISとの戦争の最中だとしても、IS学園にいる限りは、年相応に、恋をして、日常生活を楽しむこともできるだろう。
そんなラウラを戦場に呼び戻させたくない。クラリッサはそう考えていた。
クラリッサにとってラウラは妹のようなものだ。
それも女の子らしい生き方を知らない不器用な可愛い妹だ。
そんなラウラがようやく女の子らしい生き方を手に入れようとしている。
ならば、その成長を、様々な手段を以ってしっかりと『見守る』姉代わりとしてやるべきは、彼女をここには戻させないこと。
そのためにも、勝たなくてはならないのだ。
「私は負けないッ!」
そう叫び、突進してくるファング・クエイクをAICで止める。そこにありったけのミサイルと、攻撃を叩き込んだ。
「よしッ!」
下がってッ!
手応えありと感じて叫んだ直後、聞いたことのない声が頭に響き、クラリッサはとっさに後ろに下がった。
そして。
ウゥアァアァアアァアアァァァアッ!
爆煙の中から、ファング・クエイクが飛び出し、クラリッサの腹を目掛けて強烈なフックの連打を繰り出してくる。
「うぶッ!」
シールドで守られていても、なお突き破ってくるような強烈な連続攻撃は、シュヴァルツェア・ツヴァイクの機体を大破させてしまう。
意識が飛びかけるクラリッサ。
動けない。
そう思い、死を覚悟したクラリッサにファング・クエイクの拳が迫る。
だが。
「うがぁッ!」
六つの爪がクラリッサの身体を受け止め、翼を広げた黒い背中が、六つの爪を駆使してファング・クエイクの拳を止めていた。
身を焼くような怒りとは、こういうものかと諒兵は感じていた。
今まで、少し手を抜いていたことは確かだ。
全力を出せる戦いを楽しみたい気持ちもあった。
だが、それがこんなことになってしまったということを、諒兵は誰よりも後悔していた。
「何してやがる……」
進化に至る戦いを求めたのだ
「そのためにラウラの家族を襲ったってのかよ」
もともと我らと人は相容れぬ。避けられぬ戦いだ
「ふッ、ざッ、けんッ、なあぁぁッ!」
激昂した諒兵の獅子吼は赤みを帯びて輝き、ファング・クエイクの機体を掠める。
そこが『溶けて』いた。
しかし、それが更なる力の引き金となってしまう。
これかッ!
「何ッ?」
『リョウヘイッ、離れてッ!』
唐突にファング・クエイクの機体が光に包まれた。
いったい何が理由で進化したのかわからない諒兵だが、レオの声に従って一気に距離をとる。
「だんなさまっ?」
頭に響くラウラの声。
どう答えるべきかわからないが、とりあえず見たままを報告した。
「ファング・クエイクが進化しやがったッ!」
「いったんクラリッサを連れて離脱しろッ、今のお前と進化したファング・クエイクでは周りの被害が大きすぎるッ!」
千冬の声が聞こえてくるところを見ると、既に指令室に戻ってきているらしい。
確かに、機体が大破しているクラリッサがいる状態での戦闘は危険だ。
今の状態では、戦闘に巻き込まれただけでも命を落とすだろう。
リョウヘイはぼろぼろのシュヴァルツェア・ツヴァイクを纏ったままのクラリッサを抱き上げて、さらに距離をとった。
そして。
『これが進化か。なるほど、貴様は己自身よりも、身内を傷つけられるほうが怒るのだな』
「ファング・クエイク……」
『生まれ変わったのだ。ならば名も変わる。我のことは『ヘリオドール』と呼ぶがいい』
宝石の一種、エメラルドの亜種である黄色いベリルを意味する名を持つ使徒。
現れたのは、グリズリーを模した大きな鎧を纏い、頭上に光の輪を頂く透き通る黄色い身体。
両腕の装甲は巨大な熊の爪を思わせる。
そして、背中には驚くことに二枚の翼の間に、さらにもう一枚、三枚目の翼が生えていた。
「どういうこった?」
『おそらく機能を再現したんです。真ん中の翼は私たちの翼じゃありません』
連続瞬時加速を行うための翼として生えたものだろうとレオは説明してきた。
突撃能力とボクシングを主体とした格闘能力に特化した使徒、それがヘリオドールだった。
『最初から貴様の周りの人間を襲っていればよかったのだな』
「てめえ……」
自分を進化させるためになら、人の被害をまったく気にしないヘリオドールの言葉に諒兵は再び憤る。
『案ずるな。進化した今、他の人間を襲うのは無意味だ。狩人よ、次にまみえるときは互いに死を賭した戦いとなろう』
「上等だ。てめえは俺が潰す。もう一切、手は抜かねえ」
『クク、これでこそ我の望む戦いができるというものだ。牙を研いで待つがいい』
エネルギーを充填させるつもりなのだろう。そういって飛び上がっていくヘリオドールを、諒兵は睨み続けていた。
クラリッサをドイツ軍の軍属病院に運んだのち、諒兵は軽く挨拶をしてから、イギリスにあるセシリアの実家に戻った。
セシリアの実家では、応接間でバーナードがセシリアを含めた全員に紅茶を振舞っている。
一夏、鈴音、シャルロットは諒兵を追うつもりだったが、その前にヘリオドールが飛び去ったため、イギリスで諒兵を待っていたらしい。
なお、セシリアは羽の意匠が施された青いチョーカーを首に巻いていた。どうやらブルー・フェザーの待機形態のようである。
それはともかくとして、諒兵は用意された椅子に腰を下ろした。
「諒兵……」
「手え出すなよ。ヘリオドールは俺たちが潰す」
一夏の言葉にそう答える。
どうしても、ファング・クエイク、今はヘリオドールと名乗るあの使徒だけは、自分の手で仕留めたいと諒兵は考えていた。
すると、応接間に設えられた通信機に、千冬の顔が映る。
「何をいっても聞かんだろうからな。諒兵、お前はそこからもう一度ドイツに飛べ」
「ああ」
「そこでラウラと合流しろ。既に空港に向かっている」
「そっか……」
ラウラには直に頭を下げようと思っていたので、ドイツで合流するというのならそこで謝ろうと考える。
自分の身勝手が、ラウラの家族であるクラリッサの被害につながった。
その考えをどうしても振り払うことができないからだった。
「一夏、鈴音、デュノア、オルコットは休憩したのちIS学園にもどれ」
「「「「了解」」」」
「こちらではまずサフィルス対策を考える。やつはこれまでの使徒とは危険度のレベルが違う。使徒の軍隊といえる相手だからな」
今までは同型の量産機とはいっても、烏合の衆といった面があった。
しかしサフィルスとサーヴァントは違う。サフィルスの命で動く使徒の軍隊なのだ。
おそらくは統率力も並ではない。
ゆえに肝となるのはやはりセシリアとブルー・フェザーとなる。
「現状、こちらのASはお前たち五人。数の上でかなり不利だ。全員で連携を考えていく必要がある」
「その上で、フェザーのビット兵器を上手く活用していくんですか?」とシャルロットが尋ねた。
「そういうことだ。厳しいかもしれんが、オルコットにはできるだけ早く全力を出せるようにしてもらいたい」
「無論ですわ。今の状態で満足などいたしません」
「諒兵、お前もビット兵器の扱いをより習熟しておけ。一対一ではなく多対一の戦い方について学ぶことが必要だ」
「わかった」
とはいえ、今の諒兵はヘリオドールを倒すことに意識が向いているため、まずは目の前の戦闘を勝ち抜くことが重要だと千冬は説明する。
「PSも既に開発が最終段階に入っている。今後、お前たちだけを戦わせることはない。だから無理はするな」
「了解」と、全員が答え、それぞれ目的地に向かって出発した。
その途中。
「バーナード、チェルシー。行ってまいりますわ」
「ご武運を」
「フェザー、お嬢様を頼みます」
『お任せを。セシリア様と共にこの戦争を勝ち抜いて見せます』
大事な家族との別れを惜しむ姿に、鈴音やシャルロットは少しばかり涙ぐんでしまう。
ただ。
「しかし、なかなか良いご趣味ですな」
「お嬢様のパートナーなので納得はいきますが」
青い髪をゆるい三つ編みにし、フリルのついたヘッドドレスに、黒を貴重としたシンプルなエプロンドレスを纏ったメイド然とした十五センチほどの美女がセシリアの肩に乗っている。
特徴的なのは耳が変形して翼のようになっている点と、お尻から生える尾羽。
ブルー・フェザーの会話用インターフェイスである。
『贈り物ですよー』というのんきな声が頭に響いてくる。
共生進化を遂げた全員が頭を抱えたくなった。
何でこういう仕事だけは無駄にはやいんだ、と。
しかし。
『とても気に入っています。やはりメイドといえばエプロンドレス。古代メイド文明を発祥とする由緒正しい制服でしょう』
「そんなとんちきな文明はありませんわよっ?」
知識が一般のものと大きくズレているブルー・フェザー。
「類友なのね……」
「類友なんだね……」
鈴音とシャルロットがたそがれてしまっていた。
翌朝。
ドイツに量子転移を行い、軍の宿泊施設に泊めさせてもらった諒兵は、ドイツ最大の空港であるフランクフルト国際空港まで赴いた。
フランクフルトは、郷土料理のソーセージが有名だが、ドイツでも五本の指に入る大都市の名前である。
「だんなさまっ!」
「早かったな、ラウラ」
ラウラを迎えるためである。
聞けば、クラリッサが倒されたと聞いて、千冬に許可を取ることすらせずに、IS学園から空港まで本当に飛んでいったらしい。
もっともラウラにとって大事な家族の一人。今回のことは目を瞑ると千冬はいっているのだが。
「クラリッサはっ?」
「命に別状はねえよ。ツヴァイクが守ってくれたらしい。よっぽど仲良かったんだな」
「良かった……」
「とりあえず、見舞いに行こうぜ。きっと喜ぶからさ」
そういって促す諒兵を、ラウラは訝しそうに見つめてくる。
「どうした?」
「何か気に病んでいないか、だんなさま」
「ヘリオドールは俺を指名してきたからな。気が立ってるだけだ」
そう答えて歩きだす諒兵を追い、ラウラも歩きだす。
だが。
(なら、何故そんな悲しそうな目をする……?)
諒兵の瞳に、自分に対する負い目があることをラウラは気づいていた。
現状、ドイツの国家代表であるラウラと、使徒と最前線で戦っている諒兵ということで、軍がわざわざ専用車を回してくれていた。
当初、諒兵は断ったのだが、乗ってくださいと押し切られてしまったのである。
こういう扱いをされることが苦手な諒兵としては、あまりいい気分ではないのだが、ラウラはそこまで気にしていないらしい。
というより。
「アンネリーゼ、わざわざ運転手を買って出たのか?」
「はい、隊長」
運転手がラウラの部下だった。
最初に自己紹介されたときは、さすがに諒兵も驚いたものである。
ただ、単に部下だからというわけではなく、ラウラに対してドイツ軍の現状を報告するために運転手を買って出たらしい。
機密は大丈夫なのかと思ったのだが、何故か、諒兵はドイツ軍の、正確にはシュヴァルツェ・ハーゼの身内扱いされているらしかった。
主にクラリッサの働きであることを諒兵は知らない。
「なら、博士の協力でシュヴァルツェアシリーズをPSに改修しているのか」
「動力源さえ何とかできれば、後はさほど問題ではないようです。量子変換や第3世代兵器の使用は難しいので、基本的に現行の軍用機扱いとなります」
特殊兵装を持たせることはなく、また、基地からそのまま発進するということだ。
また、主要な兵器に関しては、デュノア社から購入するブリューナクをIS学園で作られたものに仕様変更して装備するという。
「倒すのは難しいですが、防衛もできないようではどうしようもありませんので……」
「ステルス機能を持っている機体もある。後手に回る可能性のほうが高いからな……」
そんな話を聞きながら、諒兵はドイツの街並みを見つめる。
そこに見えるのは、自分が倒さなければならない敵の姿だった。
そして。
「無事でよかった、クラリッサ……」
「ラウラ……」
諒兵とラウラは、病室のベッドに横たわるクラリッサと再会したのだった。