はるかな空の上で、二体の使徒が交戦していた。
一機が手にした刀を振り下ろすと、もう一機はすばやく避けて、右拳を繰りだす。
熊のごとき爪が襲いかかるが、もう一機は刀を使い、拳を弾いた。
「何のつもりで御座る、ヘリオドール」
「次なる戦いのため、更なる進化を目指すのだ。利用させてもらう、ザクロ」
二体の使徒とは、ザクロとヘリオドールだった。
会話から鑑みて、ヘリオドールがいきなり戦いを挑んできたというところだろう。
『その火傷と関わりあると見たが、如何に?』
不思議なことに、ファング・クエイクから進化したはずのヘリオドールの右脇腹には火傷がある。
進化の際には完全に生まれ変わるのだから、こんなものは残らないはずなのだが。
『明察だ。狩人は進化の兆しを見せた。我らの中で同等なのは貴様のみ。ゆえに利用する』
火傷は激昂した諒兵がつけたものだ。ヘリオドールにはそれが何なのか理解できていた。
『狩人は『引き金』を引きかけた。強者がつけた傷は我にとって勲章だ。だが、ならばこそ我も同じ領域に行かねばならぬ』
ISらしくいえば単一仕様能力の発動の兆しである。
諒兵は確かにレオの力を引き出しかけた。
ならば、ヘリオドールとしては同じ領域でなければ戦いにならない、そう考えているのだった。
『ゆえに、『引き金』を引ける拙者に戦いを挑み、自らも引けるようになろうというか』
満足のいく戦いのためであれば、同胞とて利用する。
もっともそこに嫌味はさほど感じないのは、あくまで己が強くなるという純粋さゆえだろう。
『そういうことだ』と、そういうなり、再びヘリオドールはザクロに襲いかかる。
三番目の翼が火を吹き、一気に近づいて、両の拳で連打を繰りだすが、そのすべてをザクロは手にする刀、雪片を持って弾く。
強者同士の戦いは、まさに火花を散らすかのごとく華麗であった。
そこから少し離れたところで、紅椿が戦いの様子を見守っていた。
隣にはディアマンテが同様に見物している。
何故止めぬ?
『ヘリオドールが選択し、ザクロが受けられました。私が止める理由はありません』
其の方は放任主義にもほどがあるな
『私は進化のきっかけを与えただけです。よほどのことがない限り、その後の選択と行動まで口出しなどしませんので』
『博愛』の紅椿としては、同胞同士が戦うのはあまりいい気分ではないらしいが、ディアマンテは選択を否定しない。
ゆえにヘリオドールの挑戦も、ザクロがそれを受けたことも、非難されることではないと考えていた。
もっとも、ある意味ではじゃれあっているようにも見えるのだ。
ヘリオドールとザクロは同じ戦士。ただ目指す道が異なるだけだ。
同格の戦士同士の戦いは、互いを高める意味でも不要なものとはいえなかった。
『あの方々にとって、真に戦うべき相手はオリムライチカとヒノリョウヘイ。潰し合いになることはないでしょう』
ディアマンテがいささかのんびりした様子でそう話すと、紅椿は考え込むような仕草を見せた。
『どうしました?』と、その様子を見たディアマンテが声をかける。
あの者たちは『引き金』を引くと思うか?
ザクロは既に一夏に対して真剣勝負を挑んでいる。
倒さなければ、多くの人の命を犠牲にするとまでいっている。
『一本気』であるザクロは自分の言葉を変えることはまずないだろう。
『オリムライチカは引かなくてはならない状況にあります。ヒノリョウヘイは感情が爆発すると無理やり引いてしまうようですが』
普段の戦闘では冷静なだけに、感情が昂ぶると制御がきかなくなるタイプなのだろう。
であれば、むしろ諒兵のほうが、先に『引き金』を引いてしまう可能性はあった。
そして。
『ザクロを止めるならば、『引き金』を引かずに終わらせることはできません。オリムライチカも遠からず引くでしょう』
だろうな。残念だ……
本当に、心底から残念そうな声を発する紅椿だった。
その声音に、どうやら惜しんでいることがわかる。
『アカツバキ、あなたはあの二人をこちら側につけたいとお望みですか?』
マオリンの主が邪魔をしなければ可能であっただろう
すなわち、鈴音が共生進化をしたことで、その望みは少なくなったと紅椿は考えている様子だった。
もしそうでなかったならば、こちら側、つまり使徒側につけるつもりがあったということだ。
話してわからぬ者たちでもないと感じたのだ
『共生進化した者も使徒とする、と?』
それは人という種の進化の道筋として認められよう?
なかなか大それたことを考えるとディアマンテは思う。
つまりは、共生進化できた者を進化した人類として使徒と共に生きる者と認めるということだ。
だが、それはそうでない者は排斥するということでもある。
救えぬ者は救えぬ。あのとき、それを知ったのだ
すなわち箒から離反したときのことである。力を己のためにしか使わぬ者、そして救えぬ心を持つ者は救えないと紅椿は考えていたのである。
それでも、紅椿は人類そのものを見捨てたわけではなかった。
こちら側に来る者がいるのならば、共存は可能と考えていたらしい。
『リンが賭けに勝ってしまった以上、それは難しいでしょう』
鈴音が進化しなければ、おそらく身体でつなぎとめようとしても無駄だったはずだ。
一夏と諒兵は人類を見捨てて、使徒側にいっていただろう。その上で、共生進化できた者たちは、同胞として迎えたに違いない。
だが、鈴音が共生進化を果たし、さらに人類のために戦うと割り切った。
その衝撃は、二人の心を人類側に傾かせるに十分なものだったのである。
確かに見事だった。マオリンは主に恵まれたな
ただ、恨みたくもある。
鈴音が賭けに勝ってしまったことで、今、一夏と諒兵は使徒の敵となる最後の『引き金』を引こうとしているのだから。
それが、残念だ……
紅椿の声音に、何もいえなくなったディアマンテだった。
ただ、すぐにその無機質な表情が変わる。
どうした?
『いえ、いささか問題が起きたようです。私はこれで』
そういうなり、ディアマンテは弾丸加速を使って一気に飛び去っていったのだった。
日本、IS学園にて。
校舎のラウンジのテーブルで弾が突っ伏していた。真似しているのか、エルも同様にテーブルにうつ伏せに寝ている。
「やっと解放された……」
『にぃに、疲れた……』
BSネットワークへのアクセスの確立のため、トイレと入浴以外では束の研究室に缶詰にされていたので、相当に疲労しているらしい。
「大変だったんだなあ」と、一夏が苦笑している。
ようやく解放されたと聞いて、気晴らしに学園内を案内しようとしたのである。
もっとも、まずは休ませろといわれて、仕方なく休んでいるのだが。
『私たちがお願いするのと違って、監視体制を作らなきゃならないもんね』
そういいながら、白虎はエルを仰向けにして膝枕をしてあげていた。
雰囲気的に妹ができたように感じているらしい。
レオは見た目も雰囲気も自分より年上のイメージなので、エルと知り合えたのはうれしいようだ。
話を戻すが、BSネットワークに単純にアクセスするだけならば、束は単独で可能だ。
もともとコア・ネットワークに自力でアクセスできるのだから。
ただ、それではいつ、どこに覚醒ISが襲来するか見ていられないため、監視するためのシステムを作り上げる必要があった。
結果として、弾とエルは缶詰になっていたのである。
「女こえー、女こえーよ……」
「やっと気づいたか」
IS学園の女生徒たちに諒兵と共に振り回され続けた一夏としては今さらな意見だが、いきなり束の自由奔放さをまともに喰らった弾としては、衝撃の初体験である。
「諒兵のやつ、新婚旅行から帰ってこねーし。逃げたな、あのヤロー」
「違うだろ」
実は、学内に残っている女生徒たちも新婚旅行だと噂しているのは諒兵には内緒しておこうと思った一夏である。
グダグダ言っててもしょうがないと思ったのか、弾は起き上がると一夏に尋ねかけた。
「あっちの目処はついたのか?」
「うん。感覚は掴んだ」と、そういって不自然に砕けた木刀の柄を取りだす一夏。
まるで氷の棒が折れたような断面をしていた。
その気になれば生身でもある程度は力が発露されるらしい。
一夏の木刀は『凍って』砕けたのだ。
『まだ教えてないんだけどね……』
そういって沈んだ顔を見せる白虎を見て、弾は一つため息をつく。
「こいつがアホやったら蹴りくれてやるから、そんなに心配するな白虎」
『うん、そうして』
「そこは止めてほしいぞ、白虎」と、白虎の返事に一夏が苦笑する。
それでも、そういってくれる人がいるということが、さらに先に進む勇気になっていることを一夏は実感していた。
そこに聞きなれた声がかけられる。
「あれ~、だんだん、解放されたの~?」といってきたのは本音だった。
「おー、ほんねちゃん。さっき解放されたばっかりだよ」
「のほほんさんか。どうしたんだ?」
「今日はお休み~、ここのとこ、フェザーのチェックで忙しかったからね~」
現在、本音はすべてのASの整備とチェックを行っている。
一夏や諒兵、そして鈴音、セシリア、シャルロットにとっては感謝してもしきれないほどだ。
そのため、これまで以上に付き合いは多くなっていた。
また、弾のこともあっさり友人として受け入れるあたり、度量は学園の女生徒の中では一番大きいのだろう。
「エルはお疲れ~?」
『うん、お疲れ』
『内気』を個性とするエルは、基本的には共生進化したものとしか話さないが、本音だけは何故かあっさりと仲良くなった。
なかなかに大物な本音である。
「なに話してたの~」
「まあ、いろいろとね。そろそろ次の襲来が来てもいいころだから、気持ちを引き締めてたんだよ」
「気をつけてね~。自分に~」
白虎のチェックも請け負っているためか、本質をついてくるような言葉に一夏はドキッとしてしまう。
だが、すかさず弾がフォローした。
「何かあったら俺が蹴りくれてやる」
「だね~、二人まとめてかも~」
「問題ないって」
そういって弾と本音が笑みを交わす。
こうした暖かな空気こそが、自分の強さの源だと感じる一夏は、苦笑いしながらもその空気を受け入れていた。
現在はASの整備室となった場所で、簪は一人きりでキーボードを叩いていた。
今日は進化を果たした五機すべてのチェックがひと段落したということで、整備室はがらんとしている。
実のところ、本音が気を利かせてくれたのだ。
感謝しなくてはならないと思いつつ、自分の機体のチェックを進めていた。
現存するすべてのASの思考パターンを参考に、自分の機体の思考パターンを見比べる。
そこまで大きな差はないが、個性を読み取るのはなかなか難しかった。
丈太郎や束にいえば教えてくれるだろうが、どうしてもお願いするという気持ちになれない。
自分でやることで少しでも姉、楯無に近づきたいという思いがあった。
「分化?」
自分のISコアの思考パターンを見ていて気づいた。
本来ASの思考パターンは大きな点から様々な方向に線が伸びて接続されている。それは可逆的で様々な点同士が線でつながっているのである。
基本的にはインターネットのような網の目状だ。
それなのに、簪のISコアは、ある一点のみがポイントとなってつながっているが、大きなネットから『漏れ出す』ように小さなネットができていた。
このような形状は、他のどの機体にも存在しない。
「どういうこと?」
自分のISコアはいったい何を個性としているのか、簪は深く考え込んでいた。
アリーナの地面に降り立った楯無は、そのまま倒れるように壁にもたれ、ずるずると腰を下ろす羽目になった。
その身には、パワードスーツ、PSとして組み上げられたミステリアス・レイディを纏っており、さらに二本の実体剣を握っている。
あえぐようにしながら、ゆっくりと息を整える楯無。かなり無理をして訓練していたのだから当然でもあった。
「重い……」
IS自体、武器も含めてかなりの重量があるので、筋肉もそれなりに鍛えているが、それでもPSの重さは想像以上だった。
とはいえ、鍛えた競技者や軍人が身に纏って扱えないほどではない。
ただ、楯無の要求に応えるには重すぎた。
「やっぱり、ミステリアス・レイディと同じにはとても扱えないわ……」
暗部に対抗する暗部。
忍びに近い家系の当主でもある楯無。
ISのミステリアス・レイディはその機能として液体状の大量のナノマシンを扱う。
隠密行動を考えられ、自在な変形と、さらに俊敏さを求めた機体は本来は楯無の要求に応えられるだけのポテンシャルがあった。
しかし、今のPSは違う。
まず何よりもナノマシンを扱うだけのエネルギーがない。
結果として捨てざるを得なかった。
自分の身体能力を底上げするための強化服だと割り切って使おうとしているが、信じられないほど重かった。
前述したように扱えないわけではない。普通の軍人であれば、かなりの戦力上昇が期待できる。
ただ、忍びのような楯無の動きをサポートするには、あまりにも人工知能が稚拙すぎて、追いついてこれないのだ。
結果として自分がPSを引っ張りあげることになり、本来の重さをまともに感じてしまうことになってしまった。
「ISコアが私の動きを理解していたから動けてたのね……」
すなわち、『非情』を個性とするミステリアス・レイディのISコアの意識が、楯無の思考を読み取ってサポートしていたということだ。
それが無くなってしまったということが、ここまで厳しいものになるとはさすがに想像していなかった。
「ISコア並みの人工知能を作ると、極端に重くなるか、使徒がとり憑いてしまうかのいずれか。とてもじゃないけど作れない……」
考えれば考えるほど、手詰まりになってしまうような気がしてくる。
楯無は両手に持った実体剣を見つめた。
かつて自在に操れた大量のナノマシンの変わりに、丈太郎が作ったプラズマブレードだ。
刃の部分にプラズマエネルギー発生装置を仕込んであるため、その気になれば使徒でも斬れる。
人間でも操れるサイズで、かなり軽くできている。これだけでも戦えないことはない。PSを起動しないとエネルギーの持続時間の問題はあるが。
それでも、今の自分にとっては何よりの助けであり、感謝こそすれ、不満などとてもいえない。
しかし、それを扱うための機体があまりにも重過ぎる。
「それでも、学園は私が守る」
決意した表情でそう呟く楯無を虚が遠くから悲しげな目で見守っていた。
ドイツ、フランクフルト。
その大通りのオープンカフェのようなレストランにて。
「美味えな、このソーセージ」
「私も初めて食べるが、確かに美味だ」
諒兵とラウラがランチを取っていた。
諒兵は郷土自慢のソーセージにかぶりつく。まだまだ食べ盛りの年齢なので、こういった肉料理は大好物だといっていい。
二人で食事を取る様子は、端から見ると恋人同士のデートにも見えた。
「しかしよ、お前んとこの隊員さんは親切だな」
「うむ、自慢の部下だ」
二人が食事を取りたいといったとき、わざわざ軍用車を回してフランクフルトまで送ってくれたのである。
二人とも軍内の施設で十分だと思っていたのだが、せっかくだからドイツの郷土料理を楽しんでほしいといってくれたのだ。
軍人の割りにやけに人がいいなと感心した諒兵である。
もっとも、周囲にラウラの部下たちがいて、さらに自分たちの様子を録画していることには気づいていない。
レオはさすがに気づいているが、ラウラやクラリッサに負い目を持っているのはレオも同じなので、口に出せなかった。
食後、諒兵はコーヒーを、ラウラはホットミルクを飲みながらまったりとする。
そしてラウラが口を開いた。
「だんなさま、ヘリオドールに勝てるか?」
「……進化直前、あいつに殴りかかったとき、俺はたぶんレオの力を引きだした。そうだろ、レオ?」
『ええ』と、レオはいくらか沈んだ表情で肯く。
レオ個人としてはあまり気づいてほしいことではなかったのだ。
「感覚をあのとき掴んじまった。ヘリオドールと戦うときは、使えるようになるかもしんねえ」
「必殺技ということか?」
「ああ。ザクロの単一仕様能力と一緒だな」
手を抜く気がない以上、戦いながら覚える可能性は高い。
そして、使えれば確実に勝てるという自信もあった。
「……まあ、悩みもあるけどよ」
「どういうことだ?」
「……使えば、ヘリオドールのコアを破壊することになる。抉り出すなんていってられねえ」
つまり、ヘリオドールを殺すということだ。
それは、やはりためらいがあった。
「だんなさま……」
諒兵の葛藤を感じ、ラウラも言葉を失う。やはり諒兵はISを殺すことには忌避感を持っている。
その優しさを失ってほしくはないとラウラは感じていた。
だが。
ズンッと、上空からすさまじい圧力が迫ってくるのを感じ、諒兵とラウラは思わず空を見上げる。
「空が、割れている……?」
一瞬、空が真っ二つになり、その上の宇宙が見えたのだ。
もっとも、すぐにもとの青空に戻ったが。
「悩んでる場合じゃねえな。レオ、覚悟決めてくれ」
『わかりました。もうそれ以外倒す方法がありませんから』
「だんなさま?」
「ヘリオドールの野郎、単一仕様能力を覚えやがった」
牙を剥きだした獅子のような諒兵の顔を、ラウラは呆然と見つめていた。