その日、まだ早朝といえる時間、一夏は束の研究室に顔を出した。
タオルケットに包まって眠っている姿は、年の割りにかなり幼く見えて、とても世界を揺るがすような天才とは思えないと苦笑してしまう。
「んー、どしたの、いっくん?」
「ちょっと話があって」
『今、大丈夫?』という白虎の呼びかけに眠そうに目を擦りながらも起き上がる束。
グラマラスな肉体を隠すのはラフなTシャツとホットパンツに白衣。
これまたずいぶんと困ってしまうような格好をしていた。
「なにー?」
「ザクロから呼び出しが来たんだ」
「ッ!」と、さすがに束も驚いたのか、目を覚ました。
『今日の正午だって』
決して邪魔は入らないといった点を考えると、諒兵にはヘリオドールから呼び出しが来ているはずだと白虎は続ける。
それを聞いた束は納得したように肯いた。
「決着をつけたいってことだね」
「そう思う。それで、謝っておこうと思ったんだよ」
「謝る?なんで?」
特に謝られる理由もないだろうと思う束だったが、どうやらずっと気にしていたことがあったらしい。
それは一夏も、諒兵も同じで、実は諒兵は時間があれば来るつもりだったが、余計にエネルギーを消費するわけにはいかないだろうと一夏が請け負っていた。
「勝ったとき、俺はザクロを殺してると思う。諒兵も同じだ。昨日、空が割れたのは……」
「単一仕様能力同士が激突したのは確かだね。ちーちゃんにしか説明してなかったけど……」
「感じたんだ。ザクロの気配っていうか、威圧感を」
同じことを諒兵も感じていた。ただしヘリオドールのものである。
要は、自分たちの敵の威圧を感じ取ったということだ。
「勝つためには、単一仕様能力に目覚めるしかない。でも、それでザクロを斬れば、確実に殺すことになる」
諒兵もまた、単一仕様能力でヘリオドールを倒せば、確実に殺すことになる。
それは機体を破壊するのではなく、コアを砕くということだ。再生することのないように。
「そっか。いっくんもりょうくんも、私が傷つくと思ったんだね」
「うん。束さんはISたちの母親みたいなものだし」
こういった優しさを、束は今まで理解できなかった。
しかし、覚醒ISとの戦争が始まってから、こういう人の優しさというものが感じられるようになってきた自分に驚く。
世界が広がっていくような、そんな充足感があるのだ。だからこそ、今、いわなければならないこともわかる。
「いっくんのいうとおり母親みたいなものだから、子どもたちがどう生きたいと思っても止められないってこともわかってるんだ……」
ザクロもヘリオドールも戦いを望んでいる。
その果てに死があってもかまわないと考えている。
その生き方を止めるほうが残酷だと、束は理解できていた。
「悲しいのは確かだけど、あの子たちがそう生きたいっていうのなら、私は受け入れるよ。だから、充実した人生にしてあげて」
「わかった」
『うん、覚悟決めるから』
そういって頭を下げた一夏と白虎が研究室を出て行くのを束は見送る。
そして。
「ちーちゃん、起きて。今日は激戦になるよ」
千冬に連絡を入れたのだった。
日本時間、午後九時五十分。
現地の時間が正午になるのを待ちながら、千冬と真耶は真剣な表情でモニターを見つめている。
その場には弾とエルの姿もあった。
「一夏はサバンナ、諒兵はシュヴァルツヴァルトか」
一夏が呼び出されたのは、アフリカはサバンナの大草原。
諒兵はドイツにある黒い森と名づけられた大森林だった。
既に二人とも白虎とレオを纏い、その空で待っている。
「ザクロが豹、ヘリオドールはグリズリーであることを考えると、自分の得意なフィールドということでしょうか」
「だろうな」
皮肉なことに、虎を獣性として持つ一夏と、ライオンを獣性として持つ諒兵にとってはまったく正反対の場所だ。
「ラウラ、聞こえているか?」
「はい」
「お前は万が一に備えて、シュヴァルツヴァルト近くで待機だ」
進化に至っていないラウラでは量子転送ができないため、最も近い場所に急行することになる。
そのため、指示を受けてすぐにシュヴァルツヴァルトまで移動を開始していた。
対して、鈴音、セシリア、シャルロットはいつでも転移できるように待機していた。
そして午後九時五十五分。ラウラに異変が起きた。
「なッ、貴様はッ!」
邪魔はさせられぬのでな。許せとは言わぬ
突然現れた紅の機体が、ラウラを拉致して高速移動を開始する。
「ちーちゃんッ、待機組を全員向かわせてッ、あの子の戦闘力は私にも計算できないのッ!」
束もさすがに焦ったように千冬に伝えてくる。
その様子を呆然と見ていた千冬は、すぐに我に返り、指示を出した。
「鈴音ッ、オルコットッ、デュノアッ、ラウラを追って飛べッ!」
「千冬さんッ?」
「紅椿だッ!」
その名を聞いた全員が愕然とする。
今までまったく動かなかった最強最悪が、ついに動き出してしまったのだから。
「たぶんッ、いっくんとりょうくんの勝負を邪魔させないためだよッ!」
「くッ、よりによってこいつが出てくるとはッ!」
他の量産機なら何とかできるようになってきたが、さすがに第4世代の覚醒ISとなると、どうなるかまったく予想がつかない。
万が一のときは助けるつもりで待機させていたのに、全員が向かわなければらない状況にさせられたことに千冬は苦虫を噛み潰したような顔を見せた。
地中海。
ちょうど一夏と諒兵の決戦の場所の中間にある海の上で、ラウラは解放された。
見ると紅椿は特に襲うでもなく、ただ空に浮いている。
だが、程なく何機もの量産型ISが現れた。
「貴様ッ……」
命を懸けた勝負だ。仲間の死も覚悟しておけ
つまりは、絶対にここから動かさないという意思表示だとラウラは理解する。
「だんなさまは殺させんッ!」
抗うな。もはや『引き金』を引かずしては終わらぬ
『引き金』という紅椿の言葉にラウラは首を傾げる。
何か、深い意味がありそうな気がするが、あいにく自分のIS、シュヴァルツェア・レーゲンとはまだ会話できない。
答えてくれるものがいないのだ。
そこに、ようやく鈴音、セシリア、シャルロットがたどり着く。
「鈴音っ!」
「とりあえず無事みたいね。状況は最悪っぽいけど」
「ついに出てきましたわね」
ラウラの言葉に答える鈴音も、セシリアも紅椿から視線を外さない。
一瞬でも外したらやられるということを、共生進化した身ですら感じさせるのが紅椿だった。
『狙ったように出てきたところを見ますと、我々の足止めが目的ですか』
『あなた、少し空気読んでくれない?』
我に言わせれば、空気を読んだ結果の行動だ
『勝負の邪魔をすると考えてるのニャ?』
ブルー・フェザーやブリーズの言葉にそう答える紅椿に、マオリンはため息混じりに尋ねた。
あの二人の死など、認められんのだろう?
「……君は、僕たちの味方はしてくれないの?」
と、シャルロットは答えを予想しつつも、問いかける。
聞いてみると個性は『博愛』
決して人間と相容れない個性ではないのだ。
しかし、紅椿の答えは意外なものだった。
人が味方をすれば良い
「えっ?」
我と共にくる資格があるなら同胞と認めよう
一瞬、全員が何を言われているのかわからなかった。
資格とは何か。
シャルロットが続けてそう問いかけると、今の段階だと、この場にいる者の中でラウラ以外は資格があるという。
「共生進化してるかどうかってこと?」と、鈴音。
我らと共に生きられる人であれば、共存も可能だ
「そうじゃない人たちはどうするのよ?」
すべては救えぬ。残念だが
本当に残念そうに言っていることが理解できる。
『博愛』という個性は嘘ではないの確かなのだろう。
救えるものがいるのなら手を伸ばす気はある。
ただし。
「歩み寄る気はあるけど、我慢の限界もあるってことなのね」
そうだ。理解が早いなマオリンの主
「私たちに人を見捨てろというんですのっ?」
「共生進化できる人なんて良くて数人じゃないかっ、何億って人たちを見捨てるなんて……」
「貴様に人を選り分ける権利などないぞ」
共生進化できなかっただけで、この世界にはまともな人間もたくさんいる。そんな人たちを見捨てるなどできるはずがない。
あまりにも無茶な注文だった。
こちらに来る気がないのなら、敵となるしかない
そういって紅椿は雨月と空裂を展開する。
敵になるのならば、容赦はしないということだろう。
背後にいる量産機たちも一斉に武器を構える。
鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラは今はとにかく戦うしかないと全員武装を展開したのだった。
アフリカ、サバンナ上空。
一夏の白虎徹がザクロを捉える。しかし、ザクロは鮮やかに身を翻して受け止め、そして弾いた。
すぐに距離をとるが、決して視線は外さない。油断すれば斬られるのはこちらだからだ。
「……紅椿はみんなを殺す気はないんだな?」
『あくまで邪魔を入らせぬようにするため。心配は無用に候』
紅椿がラウラを拉致し、そして地中海方面まで移動したことは一夏にも情報が届いていた。
これまで一度も顔を出さなかった紅椿とあれば、さすがに一夏も動揺するが、あくまで鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラを止め、勝負の邪魔をさせないのが目的らしい。
『拙者が頭を下げて御座る』
決着をつける上で邪魔が入られたのでは困るのだろう。
ザクロのほうから依頼したという。
「つまり、心置きなく斬れってことか」
『ふむ。覇気が違って御座るな。覚悟を決めてきたと見るが如何に?』
一夏は無言で肯いた。
もっとも白虎はまだ教えられていないのだが、それでも、もう後戻りはできないと考えているらしい。
『私はどこまでもイチカについていくつもりだから』
『共生進化するとやはり考え方も変わるので御座るな』
独立進化をしたザクロと共生進化した白虎では根本的な考え方が違う。
すなわち、人と共に生きるか、人と争う身と成るか。
そこから生まれる考えは、互いに理解の外であるともいえた。
とはいえ、どちらも在り方の一つであって、正解でも間違いでもない。
そこにあるのは善悪でも、正負でもなく、ただ勝つか負けるか、だけなのだ。
それがわかるだけに、どちらも退くことはできなかった。
ドイツ、シュヴァルツヴァルト上空。
諒兵は獅子吼をビットとしては使わず、両手両足の爪としまま、ヘリオドールに襲いかかる。
まるでスコールのような獅子吼の連撃。
しかしヘリオドールは、諒兵の攻撃をブロックすると強引に弾き飛ばした。
「チィッ!」
『驚いたな』
意外な言葉に諒兵は顔を顰める。何を驚いたというのだろうか。
戦い方が今までと違っているのは確かだが。
それに驚いたというのであれば、三枚目の翼を失っているヘリオドールのほうが諒兵にとっては驚きである。
だが、そんなことは気にしていないらしい。
『アカツバキが抑えている仲間のことは気にならないか?』
「ああ、そっちか。お前を倒せば、あいつらのところにいってやれるだろ」
どうせいっても追いかけてくるのでは意味がない。
ならば、ヘリオドールをここで倒し、それから行ったほうがいい。
「簡単に倒されやしねえよ。あいつらは」
『貴様がここで倒れることもあり得るぞ』
「なめんなよ。今日は倒しに来たんだぜ」
そういって獰猛な笑みを見せる諒兵を見て、ヘリオドールもまた笑ったように感じられた。
指令室にいる千冬は紅椿と戦っている鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラを映しているモニターから目を離すことなく、束に尋ねかけた。
「ヘリオドールは弱体化しているのか?」
「どうだろうね。確かに連続瞬時加速の機能は失ってるけど、単一仕様能力を覚えているのは確かだと思うよ」
「何故、機能を失ったんでしょう?」
そういった真耶の呟きに、束は沈思する。
だが、まだ考えとして述べるには早いと、ため息をつくような仕草を見せた。
「推測できることはあるよ。ちーちゃんにとっては、あまり嬉しいことじゃないと思うけど」
「何?」
「私の考えが正しいなら、紅椿と戦ってる女の子たちは共生進化しても、いっくんやりょうくんみたいには絶対になれないってことだから」
ヘリオドールほどの覚悟があれば別だけど、と、束が続けるのを聞いて、千冬は顔を顰める。
単一仕様能力を覚えられれば、かなりの戦力増強になる。
それが絶対にできないという意味だと感じとったからだ。
「単一仕様能力、はっきりいえばASの単一仕様能力を覚えること自体、お勧めしないよ」
「何?」
「いっくんやりょうくんは覚えるしかないけど、覚えないで済むならそのほうがいいの」
ゆえに、鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラは今のまま戦い方を鍛えていけばいいという束。
これから起こることがいったい何なのか、不安を隠しきれない千冬と真耶だった。
フランス、デュノア社開発部。
丈太郎と数馬、そしてセドリックもモニターで戦いの様子を見守っていた。
「紅椿ぁ、あくまで抑えるだけだな。本気ぁだしてねぇ」
「そうか、安心した。……というのは君たちには失礼だな」
「おめぇさんはそれでいい。娘が心配なのぁ当然だ」
そう丈太郎とセドリックが会話している中、数馬は紅椿のスペック表と睨めっこしていた。
さすがに束謹製のISだけあって理解できない部分が山ほどある。
その中で一番気になったのは『無段階移行』という機能だった。
ただ、考えがまとまらないため、とりあえず置いておく。
それよりも気にするべきことがあるからだ。
「アゼル、『引き金』というのは、俺にもあるのか?」
『否だ。これは共生進化したものだけに言えることなのでな。さらに我にとっては忌むべきものでもある』
「忌むべきもの?」
『引けば思考の対極に行くことになる。ビャッコやレオはよく覚悟したものだ』
そうため息混じりに答えるアゼル。
思考の対極。
そこから考えられるのは思考しない、否、思考できないということだ。
「感情、いや、本能の暴走といったところか?」
『その考えで正解といってよかろう。ゆえに重要なのは、勝ったとして『その後』だ』
確かに暴走状態になってしまうのであれば、それは危険だ。
引き戻すことが重要となる。
そこで丈太郎が口を挟んできた。
「自力で戻れなかったときゃぁ、数馬、おめぇは日本に行け」
「蛮兄?」
「戻せる力があるとすりゃぁ、おめぇと弾の二人だけだ。共生進化してる鈴やオルコット、デュノアだと難しぃかんな」
もっとも、この三人は『引き金』は引けないだろうというのは、丈太郎も束と同じ考えである。
だが、かなり危険な状態であるということだけは理解できた。
しかし、更なる疑問も湧いた。
「ザクロやヘリオドールは戻れているようだが……?」
『そこが大きな違いだ。我らのみならば『引き金』をスイッチ、つまり機能として保持する。ゆえに切ることも自在だ』
だが、人間である一夏と諒兵は、機能として持つわけではない。
実のところ、共生進化における『引き金』は、白虎とレオが機能として持つことができないのだ。
「つまり、一夏と諒兵次第なんだな?」
『そうだ。今回の戦いを見逃すな、カズマ』
自分の親友たちの正念場だということを理解した数馬は、スペック表から一夏と諒兵の戦いを映しているモニターに視線を向け直したのだった。
「セィッ!」と、裂帛の気合いと共に、一夏は正面から大上段で振り下ろす。
しかし、下段から斬り上げられ弾かれてしまう。
だが、そこで止める気はなかった。死角を見抜き、更なる連続攻撃を加える。
両袈裟、胴に逆胴、すべての攻撃を弾かれようと、己の剣は曲げぬという意志のもとに剣を振るう。
『やはり貴殿は拙者と同じ求道者也』
「かもしれないな。他の武器なんて使う気になれない。剣だけがあればいい」
『ならば決するは最強の剣』
「ああ」
そういってぶつかるザクロと一夏、二人の剣士。その果てにあるのは斬るか、斬られるか。
それが別の答えにもつながっていることを一夏は漠然と感じる。
白虎はどこまでいっても傍にいるといった。
少なくともそれはコミュニケーションが取れるということではないのかと思っていた。
だが、戻ってこれず、一人ぼっちになるという言葉と矛盾するのだ。
その点を考えると見えてくるものがある。
単一仕様能力の発動は、白虎を巻き添えにするのではないか、と、一夏は考えていた。
暴風のような連撃をかいくぐり、懐に飛び込んで蹴り上げる。
かつてならこの攻撃を受けていたが、今は体型が変わってしまい、すばやく後退して避ける。
隙だらけの状態となった諒兵にヘリオドールは容赦ない一撃を加えようと突進してくるが、諒兵はそこからかかと落としを喰らわせる。
『ヌゥッ?』
頭蓋を貫かんとばかりの、獅子吼をかかとの先に移動させての一撃。
まともに喰らわせられれば、確実に相当なダメージを負わせられる。
しかし、ヘリオドールは獣じみた直感的な動きで、その攻撃を避けてみせた。
「チィッ!」
『油断も隙もない。まるで野火が燃え進むようだな』
絶え間なく燃え続け、森を焼き尽くすような炎をヘリオドールは感じたらしい。
それこそ諒兵本来の戦い方だ。
徹底的な連続攻撃を相手が倒れるまでやめない。それはヘリオドールも同じだ。
消えない炎そのもの。すなわち決闘者の戦いだった。
「褒め言葉として受け取っとくぜ」
『これ以上ない称賛だ』
そういってお互いに獰猛な笑みを見せてくる。
今、確かに本気で戦っていることを諒兵は実感していた。
同時に、先ほどから身体が熱くなってきているのを感じ取る。
ゆえにずっとレオに呼びかけていた。
自分が勝手に引き出す前に、お前の口から聞いておきたい、と。
共に生きるからこそ、それが自分を思っての言葉だとレオには伝わっているだろう。
そのときが間近に迫っていることを、誰よりも諒兵の中のレオが感じていた。