剣が荒れるかと思っていたザクロだがそうでもないことに驚く。
『引き金』を引いた一夏の剣は基本的に普段とは変わらない。
ただ、一切の迷いがなくなった。ただひたすらに斬ることだけを考えて襲いかかってくるのだ。
獣の本能で死角を見いだし、下段から斬り上げてくる剣を叩き落すと、一夏は唸り声を上げながら即座に身体を捻り、胴薙ぎを繰り出してきた。
刃を立てて、必死に止める。
『グゥッ!』
自分がまさか押されるとは思わなかっただけに、一夏が引き金を引いてくれたことには感謝している。
更なる先へと進むためには、この一夏を斬り伏せる以外にないのだ。
『案ずるな、戻れぬときは拙者が斬り捨てて候』
逆に戻れたとき、一撃で勝負は決まるということをザクロは理解している。
いかなる結末に至ろうとも、今、この斬り合いこそがすべてであるとザクロは楽しんでいた。
突撃してきた諒兵の両腕をヘリオドールは全力で受け止める。
まさに力押しというべき凄まじい突進、さらにそこから強引に爪を振り下ろしてきた。
まさに獅子が襲い掛かってくるが如しだ。
『ぬうぅッ!』
無理をせずにいなしてから左拳を斜め下から振り上げようとすると、あわせるかのように右足を振り下ろしてきた。
こちらの攻撃に敏感に反応しつつ、確実に勝てる手段で対抗してくる。
単純に力比べをしているのではない。
こちらを倒すことだけを考えた凄まじい連続攻撃だった。
『これが貴様の本性かッ!』
思わず興奮気味な声が出てしまう。
最初に感じたものは間違いではなかった。
相手を嬲るような狩りではなく、ただ力だけでこちらを食い尽くそうと襲いかかってくる姿こそ、諒兵の本性だった。
時間をかけた甲斐があったとヘリオドールはほくそ笑む。
この戦いこそ自分が求めたものだ。
ルールもジャッジも必要ない。
ただ全力で相手を倒さんと互いの力をぶつけ合う。
この戦いの果てに何があろうとも、今が最高の瞬間だと互いの拳をぶつけるように繰りだした。
モニターを見つめていた真耶が叫ぶ。
「織斑くんと日野くんが高速移動を始めてますッ!」
「目的地はッ?」
「……織斑くんはサハラ砂漠、日野くんはノルウェー……、いえ、グリーンランド海です」
何か考えがあっての移動とはとても思えない。
おそらく本能的に何かを抑えようとしていると千冬は考えるが、何を抑えようとしているのかは皆目見当がつかなかった。
「たぶん、温度だね」
「何?」
「いっくんの周囲は気温が下がってるの。りょうくんはその逆」
白虎とレオの力を引き出している今の一夏と諒兵の周囲は、それぞれ彼らを中心に気温に変化が現れていた。
「既に普通の人間ならどっちも肉体の活動限界までいってる。いっくんは温度が高い地域を、りょうくんは逆に低い地域を目指してるんだよ」
おそらく白虎とレオが、自分にとって戦いやすい地域を目指しているのだと束は説明した。
「それが白虎とレオが本来持つ能力ということか?」
「そうだね。白虎はマイナスの、レオはプラスの温度変化。どちらも温度を操る力を持ってるみたい」
水の融点、もしくは凝固点と呼ばれる摂氏0度を基準にマイナスに行くのが白虎、プラスに行くのがレオの能力だった。
その力をまともに使えばどうなるのか。
「いっくんはサハラ砂漠でいいけど、今のりょうくんを北極や南極には行かせないで」
「何?」
「極点の氷が解けるよ、広範囲でね」
「そこまでなんですかっ?」
一夏とて対して変わらない。
海の上で能力を解放すれば、その場にいくつもの氷山が出現するだろうという。
「距離を離したのは、お互いの能力を打ち消しあうことがわかってるからかもしれないんだよ」
その言葉に、弾が納得したように呟いた。
「そういや、一夏はサハラ砂漠でぴったり止まったけど、諒兵はどんどん北上してるな」
『たぶん、ビャッコとレオが、必死に離してる』
と、エルが説明してくる。
取り込まれているといっても、完全に消滅したわけではない。
一夏と諒兵の心の中で、白虎とレオも戦っているということなのである。
「そういう理由でもあるのか……」
呟いた千冬に、今一番、苦しい戦いをしているのは白虎とレオなのだと束は語ったのだった。
急停止し、襲い掛かってきた諒兵の爪をヘリオドールは受け止めた。
『このあたりであれば、貴様の力をある程度抑えられるか』
その問いかけに答えたのは諒兵ではなく、消え入りそうなレオの声だった。
『……気づい……て……たんで……す……ね……』
ヘリオドールには諒兵、いやレオが必死に北上した理由も理解できていた。
シュヴァルツヴァルトだと、森を焼き払ってしまう可能性があるのだ。
諒兵を立ち直らせてくれたラウラの国に爪痕を残したくないという気持ちもあったのだろう。
それ以上に気温の低い地域のほうが、今の諒兵の暴走を抑えられるのだ。
少しでも戻れるように、レオは必死に戦っていた。
『だが、遠慮する必要がなくなったのはこちらも同じだ』
今いるところはグリーンランドの海の上。
周りに何一つない。
ならば、ヘリオドールも己の力を全開にできる。
『機能はもとより捨てるつもりであった。これがその結果だ』
そういうなり、ヘリオドールの頭部が変化していく。
それはまさにグリズリーのような鋼鉄の獣の顔だった。
『オォオォオオオォオォオォォオォッ!』
雄叫びを上げ、轟音と共に襲いかかるヘリオドール。
その突進は、空間を突き破ったかのようなスピードだった。
それこそがヘリオドールの能力。物理的に空間を圧縮する『縮地』と呼ばれるものだ。
無理やり縮められた空間が元に戻る際に、悲鳴のように轟音を響かせたのである。
だが、諒兵もまた凄まじいまでの咆哮をあげ、その爪をぶつけ合うのだった。
その能力は決して異常といえるほどのものではない。
空間に圧力をかけてゆがめる龍砲がようやくテスト段階に入ったことを考えれば、人がようやく手を伸ばせるレベルのものだという差はあるが。
「縮地か……、現実に見る羽目になるとはな」と、千冬は呟く。
武術の世界では異様に足の速い相手の力を指す場合があり、千冬にも知識はあった。
「ザクロは空間切断能力ですし、使徒の能力って異常なものばかりですよね……」
「空間干渉は、ようやく届いたようなものだしね」と、束が真耶の言葉に同意する。
さらにヘリオドールの能力を見た弾が呟いた。
「こう見ると白虎とレオの能力はすげえけど異常ってほどでもないな」
『単純ですが、効果範囲は大きいですよー。それに全開だと気圧に影響が出ます』
「そうなると……?」と、真耶が首を捻る。
『天候操作が可能』と、エルが説明するように、十分に凄まじい能力だった。
死角に回っての一撃必殺だけではないのかとザクロは目を剥いた。
一夏は正面から雪片を叩き折らんとする勢いで振り下ろしてくる。
このままでは砂漠に叩きつけられると感じたザクロは羽を広げ、全力をもってその剣を受け止めた。
『普段からは想像できん獣性で御座るな』
『……イチ……カは……優しい……もん……』
と、消え入りそうな声で白虎が答えてくる。
何とかサハラ砂漠まで連れてきたはいいが、気を抜くと意識を奪われそうになってしまい、途切れ途切れに声を出すのが精一杯だった。
それでも、ザクロにとって容赦する理由にはならない。
むしろ容赦したとたん、斬り伏せられるだろうということが今の一夏を見ているとよく理解できる。
『手は抜かぬ。拙者の剣、見せて進ぜ様』
そういったとたん、ザクロは一夏に似た武者よろいのような仮面をつける。
そして嵐のような連撃を繰りだした。
様々な角度から剣が襲いかかる様は、まるで竜巻のようだ。
しかし、そのすべてを一夏は弾く。
二つの竜巻がその場でぶつかり合っているようにすら見える光景だ。
だが、ザクロの剣はそれだけでは済まなかった。
幾重にも切り裂かれた空間の断裂が一夏に襲いかかる。
己の危機を感じ取ったのか、一夏が再び咆哮を上げると、白虎徹が青白く輝く。
『何ッ?』
信じられないことに、その断裂は襲いかかる直前に『凍り』付いた。
即座に飛び上がる一夏。
一瞬の隙を付いて、襲いかかる断裂をかわしてのけたのだ。
本来できるはずのない能力を使ったのか、だが、そんなことを考えているヒマなどないと、ザクロも再び襲いかかった。
今の戦いを見ていた真耶が呆然と呟く。
「まさか、温度低下能力を進化させて……?」
「惜しいけど、アレは白虎の能力の範囲だよ」と、束が解説してくる。
急激にその場の温度を低下させたことで、大気を凍りつかせたのである。
そのため、ザクロの空間断裂が広がるのが一瞬遅れただけだという。
「ま、十分すごい能力だと思うけど」
「待て束。空間を切り裂くなら大気を凍りつかせたところで意味はないはずだろう?」
『ちょっと違いますねー』と、そういったのは天狼だった。
『ザクロは『認識した』空間を切り裂くみたいです。急激に認識外の状態になると、対応が遅れるんでしょう』
切り裂く空間に異物を投げ込まれるとそこで断裂が止まってしまうらしいというのが天狼の意見だった。
なるほど、ならば一夏が大気を凍らせたことも意味がある。
『ヘリオドールも、同じ』
「いきなり障害物が挟まると、そこで空間の圧縮が止まるんだろうね」と、エルの言葉を束が補足する。
とはいえ、それでも十分デタラメな能力ではある。
しかし、同じ使徒ならば対処できるということなのだろう。
「りょうくんなら大気を熱して膨張させることができるはずだよ」
「そうか。そうすれば相手の移動距離を制限できるのか」
縮めた空間に膨張した大気をぶつけるということである。
そうすることでヘリオドールの縮地の距離を抑えることができるということだ。
「今のあいつがそんな方法で止めるとは思えねーけどな」
と、弾が呆れた様子で呟くのを、千冬と束は苦笑いしながら聞いていた。
アンスラックスと共に戦いの行方を見守る鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラの四人。
映し出された画像には激戦が映っている。
「押してる、のかな……?」と、シャルロットが呟く。
『引き金』を引いた一夏と諒兵は、同様に引いたらしいザクロとヘリオドールとほぼ互角だった。
しかし、時折その攻撃は、相手の身体を掠める。見様によっては優勢のようにも感じられた。
『力押しニャ』と、そういったのは猫鈴だった。
鈴音はその言葉に疑問を感じ、説明を求める。
『ぶっつけ本番で引いてるから、戦術がまるでニャいのニャ。パワーは桁違いにあるから押してるように見えるのは当然ニャ』
「……逆にザクロとヘリオドールは思考できてるのよね?」
『そうだ。思考がない戦闘は単調になる。力の上ではあの者たちとほぼ互角といえるザクロとヘリオドールなら、遠からず隙を見いだせよう』
と、アンスラックスが鈴音の言葉に答えてきた。
つまりは、戻れなければ倒されるのは一夏と諒兵ということになるのだ。
いったいどうすればいいのか。
渦巻く不安の中、鈴音は二人が戻ってくるのを願うことしかできなかった。
唐竹割り。すなわち身体を縦に真っ二つにさせんとするほどの斬り下ろしをわずかにずらすように、ザクロは白虎徹の切っ先に雪片の切っ先を当ててずらす。
そのまま脳天を狙って振り下ろした。剣道では面打ち落とし面、古流剣術では斬り落としと呼ばれる技術である。
だが、一夏は首を倒して肩で受け止めた。
雪片が食い込んだ肩から血飛沫が上がるのもかまわずに、片手で胴薙ぎを繰り出してくる。
『ヌゥッ!』
力任せに雪片を引き抜くと、瞬時加速を使って飛び上がった。
『まさに手負いの獣で御座るな』
唸り声を上げて迫る一夏の剣を力を込めて弾く。しかし一撃では終わらない。
暴風のような一夏の剣をすべて弾くザクロに焦りはない。牙を剥き出しにして襲いかかるだけの獣ならば、いくらでも対処できる自信があった。
剣は人が鍛えた殺しの技。人の意で操らなければ、ただの暴力に過ぎない。
『剣の道の果ては死。だが暴力ではなかろうぞ』
『……イチカ……だって、わ……かって……る、もん……』
『よくもそこまで意思を残せたものよ。貴殿もまたさぶらいし者か』
ザクロには、白虎が意思を残しているのは、己に勝つためだと理解していた。ゆえに、そう称賛する。
どれほど力が強くても、今のままではザクロに勝てないからだ。
今の状態は単一仕様能力を発揮しているわけではない。単に白虎の力を引出しただけで、結果としてその力の大きさに振り回されてしまっている。
白虎の単一仕様能力を一夏が振るわない限り、勝利はありえない。
今のままでは負けるということを誰よりも白虎が理解していた。
そして、その事実を認識している者がいま一人。
右から袈裟懸けに爪で引き裂こうとする諒兵の一撃をヘリオドールは右手のジャブで弾き、脇腹に強烈なフックをお見舞いした。
吹き飛ばされた諒兵だが、痛みを感じないかのごとく、瞬時加速を使って迫ってくる。
竜巻のような二段回し蹴り、すなわち旋風脚。だが、二段目をかわせば大きな隙ができる。
絶好の機会。そう考えたヘリオドールだが、風は三度吹いた。
『おのれッ!』
三撃目をマトモに喰らい、身体を削られ、大きく蹴り飛ばされたヘリオドールは今の一撃に疑問を持つ。
『今のは貴様か』
『うま、く……決めた……と、思い……ました、が……』
今の旋風脚は、獣のように力を振り回す今の諒兵ではなく、レオが諒兵の身体を借りて放った技だった。
『共生進化すれば、狩人が使える技を覚えるくらいわけはないということか』
『……リョウヘイの……一番……の、パートナー……は……私で……す……』
ただ覚えただけではなく、レオが自分なりのアレンジを加えたのが今の技だったのだ。
普段の穏やかさに反して、熱くなるとかなり荒っぽくなるのがレオだった。
『だが、それでは我には勝てん』
『くっ……』
レオは諒兵と共に戦うパートナーだ。諒兵が自分の意志でレオの力を操って始めて真の力が出せる。
今は、ピンチには無理をしてでも助け、少しでもその時間を稼ぐ。
それしかないとレオは理解していた。