ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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この話を番外編に位置づけたのは、基本的にあまり過去に触れたくないためです。
一夏と諒兵の出会いの話なども、できれば書こうと考えていますが、本編に組み込むことはたぶんありません。

それでは、千冬の過去を描いた番外編、どうぞご覧ください。


番外編「夕暮れに散る桜」

一夏と諒兵が決闘を行った日の翌日の夜。

千冬、真耶、そして束の三人は今後に向けての打ち合わせを行っていた。

「それじゃ、私がIS学園PS部隊の隊長を行うということでいいですね、織斑先生」

「すまん、できるなら私が出たいが……」

そう、申し訳なさそうに千冬が答えると、真耶は首を振った。

「先生は司令ですし、IS操縦者の憧れでもあります」

「でも、覚醒IS相手だと倒される可能性もあるし、ちーちゃんは作戦指示に集中してよ」

世界最強のブリュンヒルデである千冬が万が一にでも倒されれば、多くの人間の心が折れかねない。

まして、前線に出ている一夏や諒兵、鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラにとっても千冬は絶対的な存在といえる。

ならば、彼女が傷つくような状況はあってはならないのだ。

それがわかるだけに千冬とはして口を噤むしかない。でも、想いが口を衝いて出てしまう。

「暮桜がいてくれたら……」

その呟きを聞き、真耶も束も悲しげな表情を見せる。

聞いていいことではないのだろう。

だが、千冬の心のうちに溜め込んでおくべきことでもないだろうと想い、真耶は尋ねかけた。

「その、暮桜の凍結は機体に暴走の可能性があるからって以前聞きましたけど、本当なんですか?」

公式にはそういわれている暮桜の凍結だが、そこまで周知はされていない。

千冬の引退にあわせたのだろうというのが一般的な見解である。

しかし、千冬の答えは違った。

「いや、違うはずだ」

「えっ?」

「今だからこそ、わかるんだ。暮桜は……」

そういって、遠い目をして千冬は語り始めた。

 

 

 

目の前が真っ赤になった。憤怒と、後悔で。

慢心していたのだろうか。自分は家族を、一夏を守れるほど強くなっていた、と。

しかし、眼前の光景はその慢心を容易く打ち砕く。

血を流して倒れている一夏と、ISを纏ったテロリストたち。

千冬は、激情のままにテロリストに斬りかかる。

気づけば血の海が広がっていた。

「えっ、あっ……アァアアァアァアアァァァアッ?!」

自分が起こした惨劇に千冬は狂乱してしまう。

だが、目の前に白衣を着た一人の男が現れた。

そして身体にビリッと電撃のような衝撃が走る。

「落ち着け暮桜。そいつの感情に呑まれんな」

それが、気を失う前に千冬が聞いた言葉だった。

 

第2回モンド・グロッソ決勝戦。

千冬は一夏が誘拐されたと聞き、決勝戦を放棄。

暮桜を纏ったまま、ドイツ軍が教えてくれた監禁場所に直行した。

そして、ISを纏ったテロリストたちを斬り捨てた。

命に別状はなかったものの、マトモな日常生活は望めないレベルで。

それは、実は異常である。

競技用ISにはリミッターが搭載されている。

絶対防御とあわせ、人命には決して影響がないように、攻撃力を抑える機能があるのだ。

しかし、暮桜を纏った千冬は人命に影響があるレベルの攻撃を繰り出した。

絶対防御を超えた、必殺の斬撃。

それが出せる機体である暮桜は、おそらくは暴走したのだろうとIS委員会は裁定を下した。

競技用でありながら、軍用レベルの攻撃を出せるという異常。

その異常について委員会が出した答えは、暮桜は暴走の可能性を秘めた機体であるということだった。

ゆえにコアごと凍結することになった。

 

事件はそもそもドイツ軍の内部で千冬の2連覇を快く思わない一派が、千冬を負けさせるために仕組んだものであった。

「今回の事件を起こした関係者は全て処分した。本当にすまない、ブリュンヒルデ」

と、ドイツ軍の上級将校が頭を下げるのに対し、千冬は落ち着いたというより、どこか落ち込んだ様子で答える。

「いえ……」

「今後の生活費など、可能な限り助力させていただきたい」

「必要ありません……」

実際のところ、一夏が誘拐されたという事実は、日本のIS関係者からはまったく連絡が来なかった。

千冬の2連覇は日本にとっては最高の栄誉になる。たかが弟一人のために日本の栄誉を失うわけにはいかないということなのだろう。

ドイツ軍はそういったことを無視した上に、自分たちの罪を認めた上で協力してくれた。

感謝こそすれ、謝罪を受ける理由はない。

「ですから、必要ありません……」

「しかし、それでは我々の気がすまない。受け取ってもらえないだろうか」

そういってドイツ軍将校が頭を下げる。

おそらく、生活費を天文学的な金額で振り込むくらいはしてきそうだ。

とはいえ、貰えるものは貰っておこうといった気楽な考えは千冬にはできなかった。

「それなら、何かお礼をさせてください」

「しかし……」

「ドイツ軍の連絡がなければ、一夏はもっと酷い目にあったのかもしれません。こちらも感謝していますから」

そう答えた千冬に対し、将校はどこか言い辛そうにするものの、最後にはある女性軍人を紹介してきたのである。

 

軍人らしい凛とした雰囲気を持つその女性軍人は、クラリッサ・ハルフォーフと名乗った。

「それで、私に頼みたいことというのは……?」

「私が率いるIS部隊の指導教官をしてほしいのです」

「えっ?」

さすがに千冬としても寝耳に水とでもいうべき話である。

資格も何も持たない自分に軍人の指導教官など務められるはずがないと尻込みしてしまう。

「その、私にはそういった経験は……」

「しかし、その実力は確かです。隊員を鍛える上で、あなた以上の人材はいないと確信しています」

「君には、十分な実力があるように見えるが……」

千冬がそう意見を述べると、クラリッサは苦笑してしまう。

「貴女ほどとはいいませんが、そこそこは自信があります。でも……」

「でも?」

「私は甘いんでしょうね。一人だけ、どうしても強くしてあげられない子がいるんです……」

そういって寂しげに笑うクラリッサは、その隊員について説明してきた。

なるほど、大変な境遇であることがよくわかる。力になってやりたいとも思う。

とはいえ、即決するだけの勇気が今の千冬にはなかった。

あの血の海が頭にちらついてしまうのだ。

「少し考えさせてほしい」

「良い答えを期待しています」

そういって立ち去るクラリッサの背中を、千冬は見えなくなるまで見つめていた。

 

 

宿泊させてもらっているドイツ軍の施設の片隅で、千冬は一人電話をかけていた。

[また、急な話だな、千冬姉]

「ああ。ドイツ軍には感謝してるが、その……」

相手は一夏である。

今は日本に帰っていた。

傷を負ったのは確かだが、そこまでひどいものではなかったからだ。

誘拐した者たちに抵抗したときに、暴行を受けたのは確かだが、殺してはマズいということで加減されていたらしい。

そう考えると自分がやったことはやはり許されることではないのではないかと、千冬はまた気落ちしてしまう。

それはともかくとして、ドイツ軍、正確にはクラリッサから教官をして欲しいという話を受けたことを一夏に報告していた。

実際、やることになればしばらくはドイツに滞在することになるからだ。

「恩返しはしたいが、さすがにドイツ暮らしとなるとな。一夏、お前はどう思う?」

[えっ?]

「いや、しばらくドイツで暮らせるかと聞いてるんだが……」

千冬としては教官の話を受けるなら、一夏も一緒にと考えていたのだから、当然の質問である。

しかし、一夏にとっては寝耳に水だったらしい。

[千冬姉、俺はドイツに行く気はないぞ]

「そうか。なら……」

内心、千冬はホッとしていた。

一夏が嫌がるのであれば、それを理由に断れる。そう考えていたからだ。

しかし、後に続いた言葉は驚くべきものだった。

[千冬姉のことは心配だけど、ドイツでがんばってみたらどうなんだよ]

「えっ?」

[俺も最近考えるようになってさ……]

そういって一夏は自分の胸の内を伝えてくる。

自分は千冬に甘えすぎていたのではないか。

姉弟力を合わせて暮らしてきたつもりだが、自分は千冬の支えになれていないのではないか。

そのことを痛感したのが誘拐事件だったという。

[この間、諒兵の兄貴分って人に会ったんだけどさ]

「日野に兄がいたのか?」

[同じ孤児院で暮らしてたらしいんだ]

「ああ。そういうことか」と、千冬は納得する。

諒兵という一夏ががんばって友人になった同級生は、孤児院暮らしだ。

同じ孤児たちは兄弟みたいなものなのだろうと納得した。

[その人にいわれたんだ。強い人ってのは、力だけじゃないって]

他にもいろいろな『強さ』がある。

ただ、大事なところは全て同じなのだ。

誰かを守れるか、支えられるか。

それができる人こそが強いということを聞き、一夏は今の自分を見つめなおしたという。

[だから、こっちで新聞配達のバイトを始めようと思ってるんだ]

「剣道部はどうする気だ?」

[剣は自己流で振ってくよ。でも、少しくらい千冬姉の力になれるようになりたいんだ]

それに新聞配達なら足腰を鍛えられるし、と一夏は笑った。

本来なら、一夏は今はまだ甘えていてもいい時期かもしれないが、自分たちには親がいない。

なら、自分にもできることで、一人で自分を守ってきてくれた千冬を、今度は自分が支えられるように強くなりたいと一夏はいう。

[だから、俺はこっちでがんばる。経験ないかもしれないけど、教官の仕事をするっていい話だと思うぞ]

だから、がんばってみたらどうか、そういった一夏に対し、千冬は反論することができなかった。

 

 

電話を終えた千冬は、壁にもたれ、ずるずるとそのまま座り込んでしまった。

教官をやるというのは確かにいい話かもしれない。

でも、できるなら断りたかった。

自信がないからだ。

「人を殺しかけた私に、何が教えられるというんだ……」

今まで、競技として剣を振るってきた千冬にとって、肉を斬る感触は衝撃だった。

いかに強いとはいえ、それでも人を殺す感覚はまるで違う。

人として間違えた自分が、人を教えるなど皮肉にもならない。

千冬はそう考えていた。

何より、自分にはお咎めなしで、暮桜が完全凍結ということになってしまったのが辛い。

千冬は一度だけ暮桜と対話している。

単一仕様能力『零落白夜』は、それで手に入れたものだ。

暮桜と一緒に作り上げた剣で、人を殺しかけたことが申し訳なくて仕方がなかったのだ。

そう思いながら、ぼんやりと周りを眺めていると、不意に声がかけられた。

「美人さんがたそがれるにゃぁ、ちぃと風情がねぇ場所だな」

江戸弁に近いべらんめぇに思わず顔を見上げてしまう。

まさかドイツにいて日本語で声をかけられるとは思わなかったからだ。

「誰だ……?」

「っと、名乗んなくてわりぃな。周りの奴らぁ『博士』って呼んでらぁ」

そういえば、IS関係者からそう呼ばれる男性科学者がいることを聞いたことがあると千冬は思いだした。

とはいえ、何故ここにいるのかわからない千冬は、そっけなく返事をした。

「一人にしてほしい。雑談する気分じゃないんだ……」

「そうもいかねぇんだ。おめぇさんの相棒に頼まれたかんな」

「相棒?」

「暮桜だよ」

その言葉に千冬が驚いた表情を見せると、博士は千冬の隣に腰を下ろしてきた。

その様子を見て、千冬は一瞬とはいえ驚いた自分を恥じる。

「暮桜に頼まれたなんて、ずいぶん下手な言い訳をするんだな」

ISとの対話は、相当に適正が高くなければ不可能だといわれている。

千冬ほどの適正があってようやくできるかどうかというレベルなのだ。

まして、博士は男性だ。ISと対話できるはずがない。

少しばかり冷静になった頭で考えればわかることだと、一瞬、博士の言葉を信じかけた自分を千冬は笑う。

「侍みてぇな奴だが、本気で心配してたぜ。剣に迷いがあるってな」

どきっとしてしまった。

確かに、一度対話した暮桜はまるで武士か侍のような雰囲気で、千冬は自分とは相性がよさそうだと感じていたからだ。

「溜まったもんを吐き出すなら、知らねぇ奴のほうが気が楽になんぞ。聞いててやっからいってみな」

博士の目的が何かはわからない。

だが、一人で悩んでいると思考のループに迷い込んでしまうだろう。

なら、付き合わせてやれと千冬は半分自棄になって、胸の内にあるものを吐き出した。

 

数十分後。

ほとんど愚痴ばかりだったにもかかわらず、博士がちゃんと聞いてくれたことに千冬は驚く。

おかげでだいぶ楽になったのは確かだ。

とはいえ、今後どうするかというところまで考えは進んでいないのだが。

「人として間違えた私に、教官なんてできるはずがない……」と、千冬は呟く。

「なら聞くが、教官ってのぁ、何を教えんだ?」

「それは、ISの戦闘術などだと思うが……」

「そんなら、確かに教えるのはおめぇさんじゃぁなくてもいいな」

そのとおりだと千冬は肯く。

単純に戦闘術を教えるというだけなら、千冬はむしろ向いていない。

戦い方が特殊すぎるからだ。

いかに強いとはいえ、軍人相手の教官などまず無理な話だろう。

だからこそ、ある矛盾に気づく。

何故、わざわざクラリッサは千冬に教官を頼んだのか、という点だ。

「そいつの真意がどこにあるかぁ知んねぇ。ただな……」

「ただ?」

「教官だからって戦闘術だけ教えてりゃぁ、いいってもんでもねぇだろ?」

「じゃぁ、どうしろというんだ?」

そう尋ねると、博士は苦笑いを見せる。どこか人懐っこいその笑顔が、妙に千冬の心に残った。

「話ぁ変わるが、おめぇさんはさっきから『間違えた』っていってんな」

「……ああ」

「そいつぁ、教えらんねぇのか?」

ぽかん、と、千冬は口を開けてしまった。

間違えたことを教えて何になるというのか。

自分と同じように間違えろとでもいうのか。

そんなバカな話があるはずがない。

「勘違いすんな。間違えたことを間違いだったって教えることぁできるっていってんだ」

「えっ?」

「誰だって間違えらぁな。でもな、もう間違えたくねぇって思えんなら、おめぇさんはマトモだよ」

その後悔を、悲しみを、罪悪感こそを教えることで、後に続く者が間違えずにすむ教科書になり得る。

「先生ってなぁ、先に生きるって書く」

「ああ」

「でもな、先に生きてっからこそ先に間違えたりもすらぁな」

そうした失敗や、そこに絡む後悔の念をしっかり伝えていくことで、後に続く者は自分より成長してくれる可能性がある。

「おめぇさんは人として『間違えた』んだろう?」

「……ああ」

「でもな、そいつを悔やめる分だけマトモだ」

「そう、なのか……」

「あぁ。だからこそ、その気持ちを伝えてみちゃぁどうだ?」

それは、千冬にしか伝えられないことだ。

今の千冬の辛さ、苦しさ、悔やみ、哀しみ。

それこそが、教官として伝えるべき、織斑千冬という教科書なのだ。

「立ち止まったままじゃぁ、暮桜が怒んぞ。あいつみてぇにまっすぐ進んでみな」

それが、千冬の代わりに泥を被る羽目になった暮桜に対して負うべき、パートナーとしての責任だと博士は語った。

その言葉で千冬は思う。

あのとき、激情に呑まれたのは自分だ。

自分こそが暴走していた。

自分こそが暴れ狂っていた。

そんな自分でも、暮桜は応えてくれたのだ。

 

この世にたった一人のパートナーだから。

 

そう思った途端、千冬の目から涙が零れ落ちる。

こんな、本当はとても弱い自分のことを唯一無二のパートナーだと暮桜は想っていてくれたことに気づいて。

「おっ、おいっ、そいつぁタンマだっ!」

「すっ、すみませっ……」

博士の腕に縋って嗚咽を漏らす。

そうして、心の澱が流れ出るまで、千冬は涙を零し続けていた。

「まいったな、こりゃぁ……」

そうして初めて自分の弱さを見せてしまった相手は、千冬の心に棲みついてしまったのだった。

 

 

 

さすがにそんな話まではしなかったが、千冬は昔を思い出しながら、暮桜が凍結する羽目になった本当の理由を推測を交えて語る。

「暮桜はあのとき暴走していた私の心を受け止めてしまったんだ。だから、ISとしてのリミッターが効かなかった」

「だろうね、それが一番考えられると思うよ」と、束も肯定した。

実際のところ、覚醒したISコアならば、機能としてのリミッターなど無視できることは既に証明されている。

千冬の怒りを受けた『一本気』の暮桜は、そのまま突き進んでしまったのだ。

相性が良すぎたが故の悲劇とでもいえばいいのだろうか。

本来なら、千冬が自分で踏み止まるべきだったのだ。

「正直な気持ちをいえば、私は教育者など向いていないと思う。でも……」

「でも、なんですか?」

「私だからこそ伝えられることがある。だから、教師を辞めるつもりはない」

戦いが終わったなら、間違えたからこそ心の内に持つ、伝えるべき大事な想いを伝えていきたい。

千冬はそう呟く。

戦いの先にあるべき自分の姿。

それを見失ってしまったら、後に続くものも道に迷い、間違いを犯してしまうだろう。

後に続く者たちのためにも、今の自分がやるべきこと、やりたいことだけは、決して見失わない。

そう告げた千冬に対し、束も真耶も微笑みかけていた。

 

 

 

 


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