覚醒ISの襲撃がなくなって数日。
IS学園、正確には千冬からの通達により、あくまで一時の平穏であり、遠からず新たな使徒が動き出すことは知られている。
だが、人は一時の平穏に安堵の息をついていた。
しかし、少しずつ、けれども確実に、世界は動き始めていた。
アメリカ合衆国。ワシントンD.C.
通称『ホワイトハウス』にて。
執務机で仕事をしている男性に対し、数名の女性が詰め寄っている。
女性たちは皆、必死といっていいほどの表情を見せていた。
「……つまり、女性権利団体やIS委員会としては篠ノ之束を拘束。罰として現在凍結中のISコアの凍結解除と、コアの再生産を求めるということかね?」
「はい。それが我々の意見です。各国首脳陣に対し進言申し上げています」
「では、まず各国の反応をお聞きしたい」
と、執務机の男性、すなわちアメリカ合衆国大統領が尋ねると、女性たちは渋い顔を見せる。
それだけで、首脳陣の返答がわかると大統領はため息をついた。
「……ドイツ連邦大統領、イギリス首相、フランスの共和国大統領は反対。中国共産党の総書記は条件付で反対。イタリア、スペイン、日本は条件付で賛成しています」
「ほう、日本の賛成条件を聞かせてもらってもかまわないかね?」
日本が賛成していることに興味を持ったのか、大統領が尋ねかけると、女性たちは悔しげに顔を歪める。
「二人の男性操縦者の所属を日本国とすることです」
「なるほど」
現在、二人の男性操縦者、すなわち一夏と諒兵はIS学園に帰属しており、許可なくしては日本の総理大臣でも彼らの処遇を決めることはできない。
しかし、本来、男性IS操縦者の価値は世界的なものだ。
それを独占できる権利を欲しがるのも当然だろう。
二人とも最初にISを進化させた人間でもあるだけに、その価値はそう変わることはないのだ。
丈太郎はその点でいえば、既存のISを進化させたわけではないので、価値は別のところに存在するのである。
「大統領であれば、より良い未来を考えたご判断ができるものと思いますが」と、女性の一人が尋ねてくる。
「恐縮だ」という言葉に続いたのは、女性たちにとってさらに表情を歪ませるに十分なものだった。
「何故なのですッ?!」と語気を荒げる。
「軍部にはできれば再開発したいという意見もある。だが、先のファング・クエイクの勝手な凍結解除が響いていてね」
「グッ!」
「結果として最悪の敵を生み出してしまったことを考えると、これ以上我が国のイメージを悪化させるわけにはいかないということだ」
それでなくても、最初のきっかけともいえるシルバリオ・ゴスペルや、強奪されたとはいえもともとはアメリカの機体であるアラクネは進化し、使徒となってしまっている。
他国からはアメリカにはISを独立進化させる技術でもあるのかと皮肉をいわれるほどだった。
「その状況でISコアの凍結解除、再開発に賛成はできない。これがアメリカ大統領としての答えだ」
「我々を敵に回すことになりますよ」と、冷たい視線を向けてくる女性に対し、大統領はため息をつく。
「何です?」
「君たちはそろそろ気づくべきだろう」
「はい?」
「世界を動かしてきたのは、篠ノ之束でもなければ、各国の女性権利団体やIS委員会ではない」
それは、女性たちにとってはこれまでの常識を覆すような言葉だった。
世界は女尊男卑。女が世界を動かしているというのが当たり前の認識だったのだから。
「人の世の長い歴史はそう変わらんよ。女性の力も確かにあったが、我々男性の力もあって世界は動いている」
男性も女性も、それぞれの立場、各々の能力で世界を作ってきたのだ。
ISができた程度でそれら全てがひっくり返るわけではない。
「君たちが世界を変えたのではなく、世界が君たちを受け入れていたに過ぎない。それも非常に滑稽なかたちでね」
「滑稽?」
「我々が作った神輿の上で踊っていただけだ。特に君たちのような人間は」
はっきりと、侮蔑の眼差しを向けて大統領は告げる。
今までこんな視線を向けられたことがない。
その場にいた女性たちは驚いた表情を隠すこともできなかった。
「聡明な女性は既に理解している。かのブリュンヒルデはだからこそIS学園の教師をしているというし、『天災』がかつて身を隠したのは我々の意図に気づいたからだろう」
千冬はISを世に知らしめた者として、自分が良い方向に導くのだと決意している。
だからこそ、単純に戦闘術だけではなく、女性の意識改革を行うことで、本当の意味で地位を高め、固めるために教育者として働いているのだ。
対して束は、変えたはずの世界が、実はほとんど変わっていなかったことを知り、それ以上に変わったと思い込まされている者たちに呆れて、利用されないために身を隠したのだ。
そんなこともわからず、神輿の上で踊っていただけの愚か者に世界を変える力があるとでもいうのかと大統領は厳しい言葉を投げかける。
「君たちに残念な通達がある」
「何です、それは」
「IS委員会の再編と女性権利団体の解体だ」
その言葉に、女性たちは目を見張った。
現状、IS委員会上層部はほとんど女性で占められている。
女性権利団体はいわずもがな、だ。
だが、今後IS委員会は男女均等になり、女性上位の権利団体も、性差別にあたるということで解体すると大統領は告げる。
「あなた一人の勝手でできることではないッ!」
「残念な通達といったはずだ。この件に関してはISを開発してきたほぼ全ての国の賛同を得ている」
「なッ?!」
「我々は判断したのだよ。君たちには道化としての価値すらない、とね」
心を入れ替え、千冬や束のように自分の立場を真に理解しなければ、路傍の石ほどの価値もなくなる。
そう大統領が冷たく言い放つのを、女性たちは呆然と聞いていた。
一人きりの部屋で通信していたティナは、切れるなりため息をついた。
「勝手いってくれちゃって……」
通信相手は、アメリカのIS関係者である。ただし、権利団体の息がかかっていた。
「ホント、バカばっかりよね」
通信の内容は、今の段階で進化に至った者たちの情報を集めて来いというものだった。
少しでも、進化の可能性を知りたい。同時に、それをISの再開発につなげる材料にしたいといっていたのだ。
実のところ、もともと本国に帰る気のなかったティナだが、ならばIS学園で情報収集しろと以前からいわれていたので、ある意味では真っ当な命令でもある。
もっとも、件の通信相手からの命令は無視していいといわれている。
シルバリオ・ゴスペルの操縦者であったナターシャ・ファイルスや、アメリカ代表のイーリス・コーリングといった者たちだ。
直にISに触れ、共に戦ってきた者たちにとって、今の権利団体は呆れる以外の何者でもないらしい。
今回の命令も、はっきりいえばガス抜き、愚痴に付き合わされたようなものなのである。
「そりゃあ、羨ましいけど……」
代表候補生を目指していたティナにしてみれば、鈴音を筆頭に進化した者たちはやはり羨ましくもある。
しかし、一夏や諒兵、鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラが前線で必死に戦ってきたのを間近で見てきた身としては、いわれたとおりに情報収集などする気にはなれなかった。
「長いバカンスだと思えばいいのよっと」
そう呟きながら、ティナはゴロンと横になった。
実は、IS学園でPS部隊を創設するという話を聞き、ティナは参加できないかと真耶に談判していた。
しかし、参加者は教員でなければだめだと断られている。
まだ若い、未来のある学生を死地に送り出すことはできないといわれては、しぶしぶでも納得するしかない。
鈴音たちはあくまで進化したからこそ、頼らざるを得ないだけなのだ。
ただ、それでも。
「私も飛びたいな……」
そんな言葉が口をついて出ていることに、ティナは気づかないふりをしていた。
「すまん。力になれなかった」と、頭を下げる千冬を、楯無は少しばかり慌てた様子で止める。
「かまいませんよ。もともとロシアの国民じゃないんですし。今はミステリアス・レイディもいませんから」
「正直にいえば、それが一番大きかった」
「でしょうね。力があるから代表になれたんですから……」
そういって楯無は力なく笑う。
つい昨日のことである。
楯無のもとにロシア本国から通達があった。
曰く。
ロシア代表、そしてロシア国籍の取り消し。
つまり、今の更識楯無は、ロシア代表でもなければ、ロシア国籍の人間でもない。一人の日本人に戻されてしまったのだ。
理由は明確である。
ミステリアス・レイディの離反。
そのために力を失った楯無に、ロシアとしては利用価値を見いだせなかったのだろう。
暗部に対抗する暗部という裏の役割を持っているとはいえ、今の覚醒ISとの戦争では大した価値がない。
純粋に、覚醒ISと戦える力があるかないか。それだけが判断材料となってしまうのである。
千冬が頭を下げたのは、判断するにしても、覚醒ISとの戦争が終わるまで待ってほしいと頼んだにもかかわらず、ロシアからいい返事をもらえなかったからだった。
「織斑くんや諒兵くんをそれまでの身代わりにしろなんていっても、戦いが終われば知らん振りしかねないですし」
「ああ。さすがにそれは飲めなかった」
実のところ、条件として、楯無が復帰するまで一夏か諒兵のどちらかをロシア国籍にするならばいいといわれたのだが、二人の価値を考えれば、楯無の復帰後に元通りになる可能性は考えにくい。
ゆえに、千冬としても肯くことができなかったのだ。
「私は無力だな……」
「そういう言葉を隠さないところが、織斑先生のいいところだと思います」
そう答えた楯無に千冬は苦笑いを隠せない。
千冬にとって、楯無も生徒であることに代わりはない。
だからこそ、力になれなかったことを悔やんでいるのだ。
「まあ、おかげで肩書きが更識の当主と生徒会長の二つに減っちゃいましたけど」
「十分だろう。それに、少なくとも今の段階ならば、お前以上の生徒会長はいないさ」
それが千冬の本心であるとわかると、楯無はなんだかくすぐったくなってしまってい、照れくさそうに笑うことしかできなかった。
簪は整備室の一角を借りて、自分のISコアの分析作業を続けていた。
どう見ても、これまで進化したコアとは大きな違いがある。
ただ、それがなんなのか、前例が少ないために判断のしようがない。
見かねた本音が束か丈太郎に聞いてみようかといってくれたが、やはりどうしても力を借りる気にはなれなかった。
二人とも悪意がなかったとはいえ、束は箒が今も苦しむ理由である紅椿を作った人間だと知っていたし、丈太郎はもともとミステリアス・レイディ開発に助言していたことを知ったのだ。
それが単なる意固地でしかないことは理解していても、素直に協力を仰ぐ気にはなれなかった。
とはいえ。
(……気になる)
現在、整備室では昏睡状態の一夏と白虎、諒兵とレオが微量のエネルギー供給を受けている最中である。
さすがに、人が寝ている近くでキーボードを叩けるほど、無神経ではない。
また、時折、鈴音やラウラが二人の様子を見にくるのだ。
さすがに本音が状況確認で訪れるくらいなら、そこまで気にはならないが、簪は基本的に人見知りなので、あまり親しくない人間がいると、気になってしまうのである。
人の出入りが激しい現在の状況では、集中するのは難しく、正直にいえばしばらく分析作業を休もうかと考えていた。
(それに、山嵐を進化させたとしても……)
簪は本音からディアマンテの能力を聞き、正直困惑していた。
認識対象全てを追尾するホーミングエナジーカノン。
現時点で自分が考えたマルチロックオンシステムの上を行っているとしか思えない。
荷電粒子砲にしても、ブリーズが強力なものを備えている。
(私一人じゃ、何もできない……)
一人で作るということ以上に、簪は自分自身に限界を感じ始めていた。
そんなかたちで思考のループに嵌まりそうになっていた簪に声をかけてくるものがいた。
「かんちゃ~ん?」
「あ、本音。どうしたの?」
「定期確認だよ~」
もうそんな時間だったのかと簪は時計を見る。
分析作業を始めてから、二時間近く経過していた。
本音の定期確認は一日に二回、午前十時と午後七時に行われる。
日が昇り、太陽の光が強くなり始める時間と、日が沈んだときということでこの時間になっていた。
「どこうか?」
「大丈夫~、コンソール一個あれば確認できるからね~」
そういってコンソールの前に座った本音は、カチャカチャと慣れた手つきでキーボードを叩く。
(袖、捲くらなくていいのかな……)
だらんと袖口が下がったままで器用にキーボードを叩く本音の能力はこの世の七不思議の一つであった。
それはともかく。
「その子の個性はわかったの~」
「まだ……」
「かんちゃんの意地っ張り~」
「わかってるよ……」
可愛らしいふくれっ面でそういってくる本音に、簪は投げやりに答える。
実際、今の状況で意地を張ることがいかに無意味か、それどころか周囲の足を引っ張ってしまっているということに気づかないほど簪はバカではない。
ただ、それでも素直になれなかった。
何か一つでもいいから、楯無に勝りたかった。
何か一つでも勝っていると思えない今のままでは、この先やっていけるなどとは考えられないからだ。
「それに、ASや使徒のスペック考えると、組み上げたところで力になれると思えないし……」
「かんちゃんは~、変なところで妥協してるよね~」
「妥協?」
「すごいものを作りたいんじゃなくて~、自分に作れるものにしてでもIS組みたいって感じかな~」
確かにそのとおりだと簪は納得してしまう。
当初、打鉄弐式を開発することになったときから、実は頭に自分が作れるもののイメージがあった。
それはやはり、楯無がミステリアス・レイディを一人で組み上げたという事実があるからだ。
倉持技研との打ち合わせでも、まずそれが頭にあり、夢のような機体なんて想像もしていなかった。
自分には組めないかもしれない。
その思いが、自然と心のブレーキになっていたのである。
実際、マルチロックオンシステムは決して悪いものではないが、実戦で使えるかというと実は難しい。
どこの世界にミサイルやレーザーが当たるまで待ってくれる間抜けな敵がいるというのか。
その点を考えれば、より実戦向きだと理解できるのがディアマンテの『銀の鐘』になる。
マルチロックオンシステムだけではなく、メインシステムであろうホーミング機能が、結果としてマルチロックオンシステムを活かしているともいえる。
その一歩進んだ、正確には、
『こんな機能が、こんな能力が欲しい』
という考え方が、今の簪にはできないのだ。
「かんちゃんの好きなテレビのヒーローみたいに無茶なこと考えてもいいんじゃないかな~?」
「でも……」
「私はかんちゃんを絶対一人にしないから~」
それが本音の友情であり優しさなのだと簪には理解できた。そして、それは楯無も虚も同じだろう。
ただ、その想いに自分が応えられない。
自分が箒を気にかけるのはそのせいなのかもしれないと簪は思う。
周りの優しさに甘えるだけではなく『応えられる』自分。
簪は、自分にも箒にも、それが欠けている気がしてならなかった。