ASーエンジェリック・ストラトスフィアー   作:枯田

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第88話「小さな一歩」

ある夜を境に、簪は箒に声をかけられなくなっていた。

せめて挨拶だけでもという思いで、これまでは声をかけていたが、今はあまりにも雰囲気が刺々しいのだ。

もっとも、自分に向けられているわけではなく、他の誰かに向いていることはわかるのだが、箒から零れる感情があまりにも大きすぎて、簪まで気後れしてしまっているのである。

簪は箒と部屋を分けていない。

分析作業のために集中したいのだから、一人のほうがいいのだが、なんとなく部屋を分ける気にはなれなかった。

それは今も同じだ。

今の箒を完全に一人にするのはいいことではないと感じているからだ。

箒とはずっと同室だっただけに、作業しているときに何をされてもそれほど気にはならない。

何より、傍に人がいるだけでも違うだろう。

そう考え、簪は箒と同室のまま過ごしていた。

とはいえ、コアの分析作業は整備室でないとわからないことが多々ある。

驚くことに、コアの思考パターンは日々変化していくのだ。

それはコアが思考することによって成長していくということなのだろう。

そうなると、自分の部屋のパソコンでは解析しきれない部分が出てくるので、簪が整備室に行くのは日課になってしまっている。

箒を一人にするのは、不安で仕方ないのだが。

しかし、第3世代兵器や武装は未完成とはいえ、動けるレベルまで組んである打鉄弐式が離反せずにいる簪は少なからず期待されている。

進化の可能性がゼロではない以上、期待に応えるための努力はしなければならない。

ゆえに簪は今日も整備室に向かった。

 

 

整備室の扉が見えてくると、いきなり開いた。

箒は部屋にいたし、本音の定期確認はもう少し後になるから、鈴音かラウラかと思っていたら、意外な人物が出てくる。

「アレ?確か、更識ちゃんっつったっけ。おはよーさん」

「あ、はい……あの……」

整備室から出てきたのは弾だった。

ただでさえ人見知りの簪にとって、あまり親しくない男性と話すのは辛いものがある。

それでなくても、弾は見た目は軽そうで女の子に馴れ馴れしいタイプに見えてしまうのだ。

弾の中身がそういう人間かどうかまでは知らないが、それでも身構えてしまう。

だが、声をかけられた以上、避けるのも気分を害するかもしれないと思うと、簪の動きは止まってしまった。

「あー、気にしないでいいって。君みたいな子、慣れてっから」

「えっ?」

「エル、せめて挨拶くらいしろよ」と、そういって弾が苦笑いを見せると、その肩におずおずと小さな少女、エルが現れた。

そういえば、と簪は思いだす。

弾は一夏や諒兵とは違った形で、ISコアの進化に関わっていると本音がいっていたことを。

今、肩に現れた少女が弾のISコアの会話用インターフェイスなのだろう。

『おはよう』

「あ、うん。おはよう」

そのぎこちない挨拶にわずかな親近感を得た簪は、言葉少なに挨拶を返したのだった。

 

少しだけ緊張が解けた簪は、何故、弾が整備室から出てきたのか興味が湧いた。

弾は整備を必要としないし、整備する技術があるわけでもない。

そうすると考えられるのは……。

「ああ。あいつらの調子がどんなもんかと思ってさ。本音ちゃんが教えてくれっけど、近くならエルにもわかるんだよ」

「えっ、そう、なんですか?」

「ああ。エル、もう一度説明してくれるか?」

『うん。充填率は二十パーセント。白虎とレオが反応するまで、後二週間』

淀みなくそう答えるエルの姿に簪は驚く。

なるほどこれならば、自分で見たほうが速いだろう。

『反応すれば、マトモに供給できる』

「だからあいつら実際に目を覚ますのは、二週間よりも先になるんだってさ」

今の段階では、何があっても反応しないということもできると弾は説明する。

それは決して良い状態とはいえない。

戦うどころか逃げることすらできないからだ。

現在のIS学園は使徒との戦いに備えて設備を大きく作り変えている。

整備室は重要な場所だけに、十分な防衛能力を持たせているが、だからといって完全ではないのだ。

鈴音たちはそれがわかっているからこそ、現在はIS学園に詰めているということができる。

この戦いで一番重要なのは、やはり一夏と諒兵なのである。

ただ、それでも弾が一人でわざわざ調べに来た理由が簪にはわからない。ゆえに聞いてみる。

「本音がいるときとか……」

「あー、まあ、男にしか出来ない話があるんだよ。本音ちゃんがいるとちょっとな」

ただのバカ話だよと笑う弾だが、エルがいきなり口を開いた。

『にぃにも私も寂しい。そういっただけ』

「おいエルっ、そんなこといわんでいいっ!」

顔を真っ赤にする弾に、簪は面食らってしまった。

確かにIS学園は女性の比率が高い。

そんな中で、仲の良い同性の友人である一夏や諒兵が眠ったままでは心細いのだろう。

もっともそれ以上に、眠ったままの二人が心配なのだろうということも弾の姿で理解できた。

肩の上のエルに必死に突っ込む弾の姿に、簪はぷっと吹き出してしまう。

「あっ、ごめんなさいっ……」

「いや、笑ってた方が気分いいだろ?さっきよりいい顔してるしさ」

『にぃには、女の子には優しい。でもちょっとむー』

そういって苦笑する弾。

そんな弾の顔を見てちょっと膨れるエル。

そんな彼らを見て、簪は気持ちが楽になっていくのを感じていた。

 

二人と別れ、整備室で分析作業を始めた簪は、先ほどまでの弾とエルとの会話を思いだす。

軽い気持ちではあったが、分析と今後の打鉄弐式の開発における参考を聞きたくなったからだ。

それは簪にとって小さな、でも確かな第一歩だった。

 

 

「考えてない?」と、簪は少しばかり驚いた表情を見せる。

一応はエルと進化したといえる弾は、イメージ次第で能力を作ることができるはずだ。

弾がIS学園に来てからそれなりの時間も経っているので、何か考えていないかと聞いてみたのである。

「俺、前線に出られるわけじゃないしな。それに超能力とかも、そこまで欲しくねえしさ」

確かにISコアのみが寄生している弾は、肉体の耐久力は人並みなので前線に出ても倒されてしまう可能性が高い。

ただ、簪としては超能力を欲しくないという一言が気になった。

「う~ん、力を持って何をしようっていう目的が今んとこ見つからないんだよ」

一夏や諒兵の力になりたいとは思う。

しかし、先の決闘で自分にできることで二人を助けたといえる弾は、覚醒ISとの戦いにまでしゃしゃり出たいとは思っていないという。

「エルのこともあってさ。やっぱり、ISと戦うのはなんか嫌だ」

こういうところはやはり一夏と諒兵の親友であるということがいえるだろう。

弾も同じように戦いを忌避していた。

「でも、あいつら任せにするつもりもないから、俺にできることを今は探してる最中ってとこだな」

参考にならなくて悪いなと弾は頭を下げるが、簪はむしろ気が楽になった。

無理に現在のASや使徒を超えた性能を考えようとしていただけに、弾が「考えてない」といってくれたことはある意味では救いとなっていた。

とはいえ、それで気を楽にしていい状況ではないと簪は思い悩む。

『どうなりたい?』

「えっ?」

「あー、わかりやすくいえば、どんな性能とかじゃなくてさ、自分がASを纏ってどうなりたいかって考えたらどうかってエルはいってんだよ」

どうなりたいのか。

実のところ、その点を深く考えたことがない。

基本に忠実に鍛えてきた簪は、あらゆる戦況に対処できるし、たいていの武器は及第点以上に扱える。

つまり、理想とする自分のイメージが曖昧なのである。

そこでふと思いついたのが、よく見るテレビのヒーローたちだった。

とはいえ、さすがに弾にそんな話をするのは恥ずかしい。

「えっ、映画とかのヒーローとか……」

「あー、テレビのヒーローもののヒーローとか、アメコミ映画のヒーローって面白い力を持ってるよな」

「あの、見たことあるの?」

「まあ、子どものころはよく見たよ。最近じゃアメコミの映画も多いしな」

そこまで詳しくはないけどと笑う弾を見て、行き過ぎなければある程度の話はできそうだと簪は安心する。

彼女は割りとのめりこみやすい性格をしているので相当に詳しいのだが、語り始めると相手がドン引きしてしまうのだ。

もっとも、ヒーローといっても千差万別だ。具体的にどうなりたいのかというと、うまく答えられない。

「大雑把でいいんじゃねーかな?」

「えっ?」

「いや、目的を持つことは大事ってよくいうけど、そんなん俺にはよくわからねーしさ」

どんなヒーローになりたいかでいいと弾はいう。

 

最強の盾を操る超人の兵士。

強力なビームを撃ち放つ鉄の男。

とてつもないパワーを持つ巨人。

聖なる槌に選ばれし雷の神。

 

そんな、大雑把な考えを目的にするほうがいいんじゃないか、と。

「でも、それじゃ弐式を作れない……」

「確かにそうだけどさ、目的は大雑把にして、とりあえず前に進んでいけば、途中で何か見つかるかもしれないだろ?」

それが目的のものほどではなくても、順ずるだけの力を持っている可能性は十分にある。

「ゴールに着かなくてもいいんだよ。ただ、前に進んでけば、何か見つかると思うからさ。その見つかった場所をゴールにしたっていいんだって」

『場所は決まってないし』

「決められたゴールまで行けなんて誰も強制しないって」

と、弾が笑うのを簪は呆然と見つめてしまう。

大雑把な夢を目的に、とりあえず前に進んで見る。

その途中で見つけられるものを、決して見落とさないようにしながら。

そう考えるならば、今、簪がやっていることも決して無駄ではないといえるのだ。

 

 

そんなことを思いだしながら、簪はキーボードを叩く。

「私がなりたいのは、何でもできるような……」

IS操縦者という観点で考えるなら、まさに万能型になるということだろう。

攻撃も、防御も、サポートも何でもこなせるようになる。

まずはそんなイメージで前に進んでいこうと簪はいくらか前向きに考えられるようになっていた。

「か~んちゃ~ん♪」

と、いきなり本音の声が聞こえてくる。

時計を見ると、定期確認の時間を過ぎていた。

「もう時間だったんだ」

「そうだけど~、かんちゃん、だんだんとなに話してたの~」

「えっ、見てたのっ?!」

「楽しそうだったから~、なんか声かけ辛かった~」

ちょっとにまっと笑う本音がなんだか意地悪そうに見えてしまったのは、簪の気のせいではないだろう。

恥ずかしくなって、顔が熱くなってしまう。

男の子と親しく話している姿を見られるなんて初めてのことだったからだ。

「なっ、なんでもないよっ!」

「ならいいけど~」

何かあったと白状したような簪の言葉を、本音は軽くスルーしてしまう。

なんだか余計に恥ずかしくなった簪だった。

「でも、安心したよ~」

「えっ?」

「少し肩の力が抜けたかな~って」

それは確かにその通りだと思う。

楯無と自分を引き比べてしまう簪は、少しでもうまくいかないことがあるとどうしても気持ちにゆとりがなくなってしまうのだ。

しかし、弾とエルと話したことで、まず自分がどうしたいのか、何になりたいのかということを考えられる余裕ができた。

ゴールに着かなくてもいい。

ただ、ゴールに向かうことで、何か変わるかもしれない。

それなら、まずは前に進もうとするだけであっても、決して無駄ではないはずだ。

そう考えられるようになったという意味で、弾とエルには感謝している。

「まずは前に進もうと思って」

「うんうん、それがいいよ~」

そういって肯いた本音の笑顔に、簪は少し安心してしまう。

「かんちゃんにも~、春が来たんだね~」

「ちっ、ちがうよっ!」

しかし、いい話で終わってくれなかったのだった。

 

 

決闘の日から十日が過ぎた。

指令室で戦術の確認をしていた真耶の耳に、警報音が飛び込んでくる。

「布仏さんッ?!」

「数は十七。確認します」

指令室では虚がコンソールの前に座り、レーダー、及びモニターの確認をしている。

真耶がPS部隊の隊長となったため、オペレーターとして新たに指令室に配属となったのである。

なお、真耶は出撃がない場合は、サブオペレーターの立場で虚をフォローしていた。

「サフィルスですッ、場所はオーストラリア、シドニーッ!」

「織斑先生ッ、サフィルスの襲撃ですッ!」

虚の報告を受けた真耶は、即座に千冬に通信した。

直後。

学園内に警報が響き渡り、千冬が指令室に飛び込んでくる。

「出撃準備ッ、サフィルスだッ!」

その声に、鈴音、セシリア、シャルロット、ラウラの小気味良い返事が返ってくる。

いよいよ、新たなる戦いが始まったという、覚悟を秘めた声だった。

 

モニターに映る数基のトランスポーターに鈴音とセシリア、シャルロットとラウラがそれぞれペアになってASを展開した状態で乗っているのが映る。

トランスポーターは束が制作した量子転送装置である。

座標を入力し、起動すれば、機体のエネルギーを消費せずに目的地に転送できるようになっている。

現在、量子転送は猫鈴、ブルー・フェザー、ブリーズ、オーステルン、そして休眠中の白虎とレオに行うことが可能だが、実は消費するエネルギーは決して少ないというほどではない。

そこで少しでもエネルギー消費を抑えるために束が制作、IS学園内に設置していた。

「準備はいいなッ!」

「「「「はいッ!」」」」

答えてくる四人にうなずいた千冬は、すぐに虚に指示を出す。

「猫鈴、ブルー・フェザー、ブリーズ、オーステルン、転送開始」

淡々と、だがはっきりと告げた虚は、転送装置を起動させる。

すると、四人と四機は光に包まれ、IS学園から飛び出していった。

 

 

オーストラリア、シドニー上空。

現れた十七体の翼持つ者たち。

その姿にある者は怒り、ある者は恐れ、跪く。

これまでのような覚醒ISではなく、天使の軍団が攻めてきたことに、絶望を抱く人間までいた。

しかしそれでも、立ち向かおうとする人間もいる。

地対空ミサイルに指示を出すものや、対戦車ライフルを構えて必死に抵抗を試みた。

もっとも、そんな人間の抵抗をサフィルスは嘲笑う。

『これが、私の力』

そういってサフィルスが右手を上げると、青き下僕、サーヴァントたちがいっせいに砲撃を開始した。

ただそれだけで、兵力のほとんどが失われてしまう。

自分たちは勝てないのか。そう思ってしまう人々の頭の中に、声が聞こえてくる。

 

私を知りなさい。

跪く者には猶予を、

称える者には言葉を、

従う者には役割を、

 

しかし、

 

背を向ける者、

牙を剥く者、

抗おうとする者には、

等しく死を与えましてよ

 

自尊もここまでくれば、大罪たる傲慢に近いだろう。

サフィルスは人を滅ぼそうというのではなく、人を隷属させるつもりだった。

今度は人間が使われる『物』になる。

それが、か弱き人間に許された道だというのだ。

その力に、その言葉に人々は膝を折りかけてしまう。

だが。

 

「どれもゴメンだわ。ちょっとついていけないわね、あんた」

 

そこに現れた新たな四人の天使は、人を守らんとするためにサフィルスの前に立ち塞がった。

「悪趣味なことですわね」

「君の考えは、正直いって品がないと思うよ」

「下らん問答をする気はない。おとなしく投降しろ。そうするなら命までは獲らん」

鈴音の言葉に、セシリア、シャルロット、ラウラが続く。

しかし、サフィルスはおかしそうに笑うだけだった。

『たった四匹の羽虫では、私の力を示すにはあまりに卑小。醜い屍を晒す前に跪き、この身を称えなさい。そうすれば私の駒として使われる栄誉を与えましてよ」

そんな傲慢な態度をとるサフィルスに対し、鈴音は呆れた顔を隠しもしなかった。

「わーお、こうしてマトモに向かい合うとマジでムカつく」

「私の気持ちが理解していただけましたか、鈴さん」

直接戦ったセシリアが、ため息まじりに呟く。

そんな彼女に対し、鈴音は苦笑いを見せるだけだ。

「まあ、マジメに聞いてもしょうがないよ。付き合いきれないし」

「だが、うまく時間は稼げたようだ」

そういってラウラが街の様子を見ると、兵士たちが民間人を誘導し、戦場となる場所から必死に離れていくのが見える。

サフィルスは自尊という個性により、傲慢で、かつ、自己顕示欲が強い。

ただ、自己顕示欲が強いだけに、無駄に長ったらしく話すのが一種の欠点でもあった。

「愚かな。私を信奉することを望む者まで殺してしまっては意味がないということも理解できなくて?」

「そんな愉快な人間がいるとは思えないわね」

と、そういって、鈴音は娥眉月を展開する。

避難が完了するまではまだ時間がかかる。だが、さすがにサフィルスでも、これ以上は無駄話をしないだろう。

[陣形については説明したとおりだ。オルコットは最後衛でビット操作。鈴音、ラウラは前衛で戦いつつ、デュノアの指示に従うようにしろ]

「「「「了解ッ!」」」」

指令室から飛んでくる千冬の声に、四人は真剣な表情で答え、一気に飛び立った。

 

 

 

 


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