※一話完結の一発ネタじみた作品です。
主人公はかなりの強度の善人です。そんな主人公がシンジくんになったので自虐しまくりますが、広い心で許してあげてください。
最後はハッピーエンドですし。
Fate/stay nightの間桐慎二に転生した。
人が物心つくより早く、僕はそのことを自覚していた。
それを初めて知覚した時、僕は何を思っただろう。悲観していた?絶望していた?流石に喜んでいたということがないことはわかる。
でも、僕はそれらのことを覚えていない。どんな知識よりも鮮烈にこの世界の現実を教えてくれた出来事があったから。
――その少女を初めて見たのは、海外から間桐の屋敷にやってきてからだった。
死んだような目、生きるという気力を無くした雰囲気の少女。僕は知っている知識から、できるだけ彼女に優しくしようとした。
もしかしたらそうすることでほんの少しでも罪悪感から逃れようとしたのかもしれない。
だからきっとその魔術師らしからぬ
その日僕は初めて蟲蔵に訪れた。自分の意思ではない。もし自分の意思で人生を決めることができるのなら僕は一生そこを訪れることはなかっただろう。
呼んだのは当然間桐臓硯だ。据えた臭いのする階段を慎重に降りていく。まだこの時は知識の方が実感より優越していたから、覚悟が甘かった。
――降りた先でその光景を見るまでは。
幼い少女が裸で蟲の群れに集られていた。全身を這い回り、揺さぶり、穴という穴を犯す。
知識というフィルターは意味をなさなかった。知っていることはその光景の邪悪さを全く緩和しない。
――お前は知ってたんだろう、この光景。
――止めようとは思わなかったのか。
喉が引き攣った。
たぶんパニックになったのだろう。自分が何をしようとしているかもわからないまま、彼女を蟲の群れから引き摺り出そうと走り出す。
当たり前だが、そんな些細なことすらこの空間では叶わなかった。
臓硯に無理やり押さえつけられ、顔だけを強引に彼女の方向に向けられる。そして化け物は、嘲るように語った。
マキリの存続のために、彼女を作り替えるのだと。
蟲に犯されることで彼女の身体はそうなっていく。今も続けられているこの作業は、まるで身体の隅々を蟲に喰われ続けるような苦痛を伴う。
その苦痛も恥辱も絶望も、全てはマキリ存続のため。引いては才能ある後継を孕むための器作りのためにあるのだと。
そして、化け物は語る。
”いずれ、桜はお前の子を孕む。ただの道具に、入れ込むでないぞ”
それは臓硯にとってただの教育だったのだろう。知識の中の魔術師なら、やってもおかしくはなかった。
だけど、僕はその邪悪さに、罪深さにどうしようもない恐れを抱いた。僕が存在することは許されないのではないかと恐怖すら抱く。
やがていつまでも続くその儀式に、僕は知らぬまま意識を失っていた。
再び意識を取り戻してから、僕は臓硯のことがひどく苦手になった。彼を前にすると足が震えて、言葉がつっかえてしまう。あまりにも自分が情けなかった。
当たり前だが、臓硯の教育は僕には完全に逆効果だった。僕には前世で培った倫理観があり、それは十分に善人と呼ばれ得るものだった。
臓硯は僕に多大なトラウマを植え付けることには成功したが、価値観を矯正することはできなかったのだ。
だから、僕は桜を構うことをやめなかった。蟲蔵から出てきた彼女をお風呂に入れて綺麗にすると、天気の良い日には近くの公園を手を引いて歩いた。雨が降った日には図書館から借りた絵本を読み聞かせた。
罪滅ぼしにしかならないが、それでも僕の価値観は、僕が自分が生きて呼吸することを許すために、彼女を助けることを強い続けた。
やがて彼女は学校に通う歳になる。その頃には四六時中蟲蔵にいる状況ではなくなって、頻度も随分と少なくなった。
それに反比例してか、少しずつ桜の表情にも変化が現れた。
控えめだが、微笑むようになった。ほんの少しだけ不満を伝えるようになった。近くの公園で僕と一緒に遊んだ子と友達になった。
僕は彼女の心の成長を喜んで、それが健やかに育まれるように芽生え始めた彼女の自我を尊んだ。
僕は、それがどれほど残酷なことか、その時はわかっていなかった。
”ねぇ、どうしてわたしは蟲たちに犯されてるの?友達には誰もそんな子はいないの。わたし、行きたくない”
何も知らなければ、そのままでいられた。だけど、僕は彼女に教えてしまった。普遍の幸せというものを。それは猛毒に等しかったというのに。
僕は、行きたくないと泣き始める彼女を抱きしめることしかできなかった。
”ねぇ兄さん。AちゃんはBくんのことが好きなんだって。好きな人のお嫁さんになれたら幸せかなぁ?”
あぁ、僕が桜に何を言えばいいというんだ。なんで僕は生きている。どの面下げて彼女の幸せを願っている、なんて言える。
ただ、答えがないことを不審がる彼女を抱きしめた。何も言えなくても、家族として彼女を愛していることだけは、嘘じゃなかった。
”兄さんのお嫁さんになりたいなぁ”
そんな彼女が語る幼い夢はほんの少しだけ救いだった。
また時は過ぎる。
桜は中学校に進学した。彼女の状況は何も変わっていない。定期的に蟲蔵に行って蟲に犯されることも。ただ、もう行きたくないとむずがることだけは無くなった。
そんなある日、僕は臓硯に呼び出された。
”桜を犯せ”
ただそれだけを言われた。
家族として愛していた。烏滸がましいとわかっていても、彼女の幸せを願っていた。
それをこの手で壊せと、化け物が囁いた。
どうしようもなく、生きていることが嫌になった。
あぁ、そうだ。だから、近づいてくる原作に合わせて計画を立て始めた。全ては臓硯を滅ぼし、桜を解放するために。
そして、だからこそ、今臓硯に逆らうわけには行かなかった。
押し倒したとき、桜は何も言わなかった。僕も何も言えなかった。謝ることさえ赦されるとは思えなかった。ましてや、許してくれなんて絶対に言えるはずもない。
せめて優しくしようと彼女の身体に触れて。それが、今生の初めてだった。彼女は何も言わず、僕を受け入れた。
強制されていることなのに、桜の身体に魅力を感じる。許されるはずもないのに、欲情している。頭がどうにかなりそうだった。
きっと桜には軽蔑されているだろうと思う。だって欲がなければ、女性を抱くことはできない。それを感じている僕は家族失格だった。
臓硯からの命令は一度ではなかった。何度か同じことを命令され、その度に僕はそれに従って桜の身体を穢した。
やがて都度の命令が面倒になったのだろう。定期的に抱くように命じられた。僕は出来るだけ頻度が少なくなるように探りながら、何度も何度も彼女を抱いた。
だからだろう。どうしようもなく罪深いことに、僕は桜を異性として好きになった。
定期的に肌を重ねているのだ。人間の心理としてそうならないはずはない。男なんてそんなものだ。
そう考えて自分を慰めようとする自分自身が、たまらなく嫌だった。
何よりも、いずれ桜は衛宮士郎を好きになる。そんな起きてもいない未来の士郎に嫉妬してしまう。最早、自分の無様さに笑うしかなかった。
そうして定期的に桜を抱く日々は過ぎて。僕らはやがて高校生になった。原作は冬の時期だからもうすぐだ。
高校では原作の慎二を出来るだけ再現するようにしている。遠坂は口説いて、衛宮には八つ当たりして、桜には辛く当たる。何もかもストレスだらけで、嫌になる。
桜を抱くようになった頃から僕らの関係はギクシャクし始めて、距離ができていた。かつて何をするにもついてきて懐いてくれた桜と、現在疎遠になっていることに寂しさを覚えるが、兄妹なんてこんなものなのだろう。ましてやこんな異常な状況にあるのだから。
そもそも関係を壊したのは僕なのだから、寂しさを覚える資格なんて全くないのだが、僕は今生で自分の感情ほど思い通りにならないものはそうなかった。今更というべきだろう。
季節は巡り、やがて桜は朝から衛宮の家に通うようになった。
そうなる直前に臓硯から何か命令されたようだが、内容は聞けていない。
嫉妬に、寂寥に、色欲と自分の心は何もかも思い通りにならない。それでもじっと原作が始まるまで待った。
冬のある日、臓硯が桜と僕を同時に呼び出した。
そこで臓硯は桜にサーヴァントを呼べと言った。
召喚されたのはメドゥーサ。
原作どおり、あとはここからだ。
最初の難関だった。
臓硯にごねてごねる。桜の持っているサーヴァント権を寄越せと。聖杯戦争には僕が出ると啖呵を切った。
臓硯はどうでも良さそうだった。もともと貴重なのは僕より桜だ。聖杯の器となりうる桜がいれば、僕が死んだところで臓硯の願いは成る。
問題は反対を唱えた桜だった。
僕のコンプレックス*1である魔術の不得手を指摘して不興を買うことすら恐れず、強硬に反対する。”魔術なんて全く使えもしない兄さんが参加しても死にに行くだけだ”と、全く譲らない。
結局僕は兄の威厳*2や普段の振る舞いを捨てて、誠心誠意頭下げた。最悪これでダメなら泣き落としも視野に入れたが、何とかマスター権を譲ってもらえることになった。
ただし、マスター権は半々であり、一画は桜の手に残された。つまり令呪の移動に一画使うことから、僕に渡されたのは令呪一画となる。
幸い計画の軌道修正は不要だった。元々令呪に頼るつもりはなかったのだ。
マスター権を手に入れた僕は、原作どおりの行動を心がけた。怪しげな言動を行い、学校に結界の起点を設置していく。
ライダーには起点を作るに辺り出来るだけ弱い結界を作るように指示した。学友への気遣いではない。そもそも臓硯を殺して桜を解放するためなら、僕は学友の命くらい幾らでも消費するだろう。かつてまともだった倫理観はそれくらいには歪んでしまっていた。
だから結界を弱めたのは単純に不要だったからだった。
ある程度準備が整った段階で、僕は平日の昼間、授業中に結界を起動させた。
起動後、最上階の奥まった出来るだけ窓の少ない部屋に陣取った。
衛宮と遠坂が登校していることは確認している。そう遠からずここを訪れるだろう。
足音が聞こえる。姿が見えた。
やはり召喚したサーヴァントは原作どおり。
アーサー王と錬鉄の英雄だ。
衛宮、遠坂、アルトリア、エミヤ。
役者は揃った。
始めよう。
僕はまずライダーを下がらせると、膝を深く折って地につけた。
そして頭が床につくまでゆっくりと下げた。
即ち、土下座した。
言うべきことはただ一つ。
「桜を助けてくれ、頼む!!!」
ただそれだけを伝えた。
混乱する2人に間桐の事情を話していく。もちろん桜の思い人である衛宮がいる以上、込み入った話はせず、ただ桜が虐待を受けているという事実だけを伝えた。
まず結界を止めろと言う2人にそれはできないと反論する。間桐の蟲はあらゆるところに潜む。内密に反逆の話をするには、抵抗力の低い蟲が絶対に生存できない結界内でしか話せない。
そう伝えた。
幸い、結界はほぼ最弱で起動している。1時間程度では生徒の命に全く影響はないはずだ。
2人に伝えるべきことを伝える*3と、僕はもう一手計画を進めることにした。現状でも桜の命を助けられる可能性は高いが、ダメ押しだ。
おそらく彼女は今この場を見ているはずだ。
「キャスターメディア!協力を申し込む!!!」
衛宮と遠坂に24時間以内に何も起きなかった場合に間桐邸へ襲撃するように頼む。
ライダーには桜の下に戻るように言っておく。
そうして、現れたキャスターと竜牙兵に、僕は連れ去られた。
柳洞寺の中、恐らく現代では最も強固な魔術神殿の中央部に僕は連れて行かれた。正座した僕の肩にはキャスターのマスターである葛木先生の手が置かれている。
いつでも首をもげるという脅しだと、僕は正確に受け取った。
まず初めに僕が提案したのは、記憶を読んでもらうことだった。
まずは原作の知識を信じてもらう必要がある。キャスター1人ではどうにもならない現状が理解できれば、衛宮たちとの同盟も考えられるはずだった。
「なるほど、ね。英雄王とは確かに詰んでいると言うのもわかる話ね。そして、万能の器たる聖杯は穢れている、と」
「確かに非常に価値のある情報だわ。さて、その情報を対価に、貴方は何を望むのかしら」
記憶を読んだのだからわかっているだろうが、僕の口から話せということだろう。
「僕の望みは、桜が苦痛から解放されて、自由に生きていけるように。それだけです」
それだけが、僕には難しかったのだが。しかし、キャスターにはそれが出来るはずだった。臓硯を殺すことも桜を治療することも彼女にとっては然程難しくはないはずだ。
衛宮たちとの同盟についても、あくまでそうした方が勝率が高いだろうという予想だ。提案であって、あくまで僕の願いは桜のことだけだ。
そして、それはキャスターの利益にもつながる。僕は桜の保護さえ叶えば、それでいい。
あとは聖杯戦争に置いて僕なりのやり方で戦う。
あくまで僕の自由意志であることが重要である。操っても意味はないし、記憶の情報だけ吸い上げてもこの利益は得られない。
僕なりに考えて練り上げた計画だ。
「そうね、まぁいいでしょう。貴方の未来の知識の価値を置いておいても、確かに貴方が動くことで私たちに利益はあるわ」
「他に何かあるかしら」
最後の一手のために、使い魔の目を貸してくれるように頼んだ。
「まぁ、いいでしょう」
慎二が去った後、会話が交わされた。
「戦う男って皆勝手ね。残された者がどう思うかなんて考えもしないのかしら」
「そういうものだ、男とは」
「……それで、どうする」
「そうね、彼女がどう思うか。それ次第かしら」
最後の一手をを行う前に、桜が無事に保護されたことを確認する必要があった。
そのため、柳洞寺には一泊だけ泊めてもらった。
そしてその間にどうやら間桐邸への襲撃は無事に終わったらしい。
臓硯は滅ぼされ、桜も無事に保護されたという連絡がキャスターから来た。
桜とは顔を合わせないようにしたが、ライダーには見つかってしまった。
僕へと問い詰めようとするライダーへ桜の様子について聞いて、逆に質問攻めにした。
ライダーから情報をもらって、僕は心から安心した。キャスターは約束を守ってくれたらしい。
これで僕が今日まで願ってきた桜の幸せはきっと叶うだろう。
たとえ、僕にその光景が見れなくとも、その事実だけで僕は満足だった。
夕方になると柳洞寺を出て、一人で街中を歩く。キャスターの使い魔の目を借りながら探すのはただ一人。
そいつは教会の近くにいた。
「馬鹿が。マスターが一人で行動するとは、素人かよ」
ランサー、クー・フーリン。
彼は如何にも気が乗らなさそうに槍を僕に向けて構えていた。
第5次聖杯戦争において、唯一彼だけが持つものがある。
それは一般人でも突ける弱点だ。
彼には三つの
一つ、犬の肉を食べない。
二つ、自分より身分の低いものからの食事の誘いを断らない。
三つ、詩人の言葉には逆らわない。
三つ目はともかくクー・フーリンの身分は高く、一つ目と二つ目は破らせるに容易い。
だから僕のかけた食事の誘いに、ランサーは手元の槍を下げざるを得なかった。
事前に確認したとおり、間桐邸のキッチンは問題なく使えた。冷凍庫の中にあった凍った肉を解凍して料理していく。
元々下準備はほとんど終わっていた。だから然程時間がかからず、料理は完成した。
出した料理にランサーが手を付けたのを眺める。
「テメェ、俺にだけ喰わせておいて、自分は食べねぇつもりか」
「……犬は好きだから、あまり食べたくはなかったが。でも、こうして肉になってしまったからには食べるのが礼儀か」
とはいえ、間も無く死ぬ身だ。
生きるためならともかく、そうではないのだから食べても何の意味もない気がする。
無言で食べているランサーを見ながら、ふとどうでも良いことが気になった。
「ところであなたは犬肉を食べて味を感じるのか?」
彼は呆れたような視線を僕にくれた。
「味覚は他の肉と同じだ。きちんと調理されてるし、坊主の腕も悪くはねえよ」
なんと、かのクー・フーリンから料理の腕を褒められてしまった。一応名誉なことなのかもしれない。
問題はそれが人生最期の褒め言葉ということだが、それも道化の僕には相応しいのだろう。
ランサーは最後に残った料理を一気に掻き込んだ。
その片腕は既に力が抜けて垂れ下がっていた。
「――さて、坊主。覚悟はできているな」
「……えぇ。一思いに殺すなり、嬲って鬱憤を晴らすなりお好きにどうぞ」
「……惚れた女のためか」
答えるのに逡巡する。だって僕にはそれを口にする資格がない。強制されて身体を重ねた彼女に甘えていた卑怯者の僕には。
……それでも、僕の資格とか関係なしに彼には真実を知る権利があると思った。卑劣な罠にかけられた彼にはその理由を知る権利が。
「はい。そのとおりです」
目を瞑って続ける。
「僕はあの娘の幸せのためなら、命なんて惜しくない」
その言葉を聞いてランサーは思いっきり溜め息をついた。
「気が進まねえにも程がある」
「――だが、悪いが仕事なんでな。死んでくれ」
「テメェの覚悟は嫌いじゃないぜ、シンジ。一思いに殺してやる。痛いのは一瞬だ」
四肢が幾つかが麻痺しているにも関わらず、流麗に槍が引かれる。
「あばよ」
迫る槍が僕の心臓を貫く。
僕はそれを静かに受け入れた。
――そのはずだった。
凄まじい衝撃が襲って、気づけば僕は夜空を仰いでいた。
誰かが隣にいて、僕の身体を支えようとしている。
一瞬だけランサーかと思ったが、彼が僕の身体を支えるわけがない。
じゃあ誰だろうと思って確認しようと顔を向ける。
――心臓が止まりそうになった。
ただ1人の愛する人の顔がそこにはあった。
そして、その表情は明らかに怒っていた。今まで見たこともないほどの――そもそも怒るのは珍しいが――険しい表情。
彼女は怒っている割に丁寧に僕の上体を起こすと、あちこちを触って怪我がないか確認を始めた。
”痛くないですか”淡々と聞いてくるその言葉に戦々恐々としながら、大丈夫だと答える。
少しの間、無言の時間が流れた。
離れたところではペガサスを駆るライダーと槍を振るランサーが戦っている。
それに今更気づいた自分に呆れながら、僕は目の前の少女が自分の感情を整理して、ぶつけてくるのを待った。
「なんで」
「なんで、なんですか」
桜は、ぽつり、ぽつりと呟くように言った。
「桜を助けたかった」
それが、ほんの僅かなことであったとしても。
もしそれで僕が死んでしまうのだとしても。
「……そんなこと、わたしが望むとでも思ってるんですか」
はっきりと強い怒りを孕んだ声がする。いや、いっそのこと怒りと言うにはあまりに暗く深い感情のように思えた。
「望まないことは、わかってるよ。それでも――」
「わかってません!!!」
「わかってたら。わかってたら兄さんはこんなことしてないはずです!!!」
あまりにも強い語調に困惑する。嫌われるほどではないとは思っていた。軽蔑されている部分があっても、多少は慕われていると、その程度には思っていた。
彼女が僕の死によって助かることを望まなくても、死んで悲しんでくれたとしても乗り越えていけると、そう思っていた。
でも、そうじゃなかったのだろうか。
「……わたしは」
「わたしは――!」
桜は、言おうとして言えないように、何度も言葉がつっかえる。
まるで、口にすることも罪深いと言うように。或いは何かを恐れるように。
けれど、それを乗り越えて。
桜は、決定的な言葉を口にした。
「わたしは――兄さんが好きなんです!!!」
「何よりも、どんな人よりも愛してるんです!!!」
予想もしなかった言葉に、僕は思わず口を何度も開けては閉めた。
何も思考が回らない。何を言えばいいかもわからないまま、空いた口から頓珍漢な言葉が溢れ出す。
「か、家族として?」
「男の人としてです!!!馬鹿ですか、兄さんは!!!」
あぁ、こんな状況なのに嬉しいと感じてしまう僕はきっと頭がおかしいんだろうな。
だって好きなんだからしょうがないじゃないか。
「わたしは兄さんさえ、兄さんさえいてくれればそれでよかったのに!」
「どんな地獄の中でも傍にいてくれれば、生きていけたのに!!」
強かった語調が弱々しくなっていく。
「その兄さんが、兄さんが、いなくなったら、わたしは、どうすれば、いいんですか」
力を失って途方に暮れたように呟く言葉は、まるで彼女が間桐に来たばかりの頃のようだった。
「桜……」
「愛してるんです。絶対に失いたくないんです」
「知ってますか、兄さん。わたしは兄さんに抱かれてる時、幸せだったんです。こんな汚れたわたしを求めてくれるのが嬉しくて……でも、同じくらいに苦しかった。こんなわたしが兄さんを穢して、喜んでいることが、どうしようもなく醜くて。軽蔑されてたらどうしようと思って」
「怖くて苦しくて仕方がなかった」
「ずっとずっと勇気が出なくて、何よりこんなわたしが兄さんに好きだって言うのが的外れだと思ってました」
「こうして言葉を発している今も本当は怖くてしょうがないんです。嫌われたくなくて、遠ざけられるのが嫌で」
桜は立て続けに言うと、息を吸い込むために、言葉を区切った。
「ねぇ、兄さん」
「兄さんがいれば、わたしはあの地獄の中でも生きていけました。苦しくても、幸せだってきっと言えました」
桜の声が震え始める。もう怒りは含まれていなかった。
震えているのは、悲しみで、怖さで。
「だから、どうか兄さん」
”――わたしを、置いて、いかないで”
何より泣いていたからだった。
「わたしのために死ぬくらいなら」
「わたしのために生きてください、お願い、だから」
あぁ、泣かせた。泣かせてしまった。彼女が泣かないように、いつか心から笑えるようにと思っていたのに。
結局、僕がしていたのは余計なことだった。桜を幸せにするためにするべきなのはそんなことじゃなかった。それに今更気づいた僕は愚か者にも程がある。
でも、それが遅すぎないことだけは神様に感謝してもよかった。
「ごめん、桜。1人にしようとして」
あぁ、そうだ。
わかりきっていることなのに、本当はわかっていなかった。僕は原作の間桐慎二じゃない。桜もあの桜じゃないのに。
2人だけ。たった2人きりの家族なんだ。10年以上を共に過ごして、苦しい中支え合ってきた。そんなのもう自分の半身と変わらない。
原作とは僕たちはかけ離れてしまった。
半身を失って何事もなく、明日を歩いて行くなんて、不可能だとわかりきっているだろう。
「僕がどうかしてた」
「だからどうか泣き止んで」
そうだ、忘れていたわけではないけれど。
「君に泣いて欲しくない」
この言葉が僕の原点だった。
ずっとがむしゃらに走り続けて、意識することも久しくなかったけど。目の前の少女が、作品の中のキャラクターではなく、たった1人の家族だとわかった途端、僕はその原点にまた立っていた。
「――君と一緒に生きていくよ」
――もう、1人で死ぬことはできない。
僕の言葉を聞いた桜が泣き止んでいく。僕はその間縋り付く彼女の頭を慈しむように撫でていた。
やがて桜は顔を上げると、僕と視線を合わせる。互いの存在を確かめるように視線が絡む。もう本心を隠すように俯いていた彼女はいなかった。ほんの少しだけ後ろめたそうに、はにかんだ彼女が愛おしかった。
いつまでもこうしてはいられない。
やるべきことが残っている。
お互いを向いて絡まっていた視線を、天を舞うライダーへと移す。
たとえ何も言わなくても、これからすることは互いにわかっていた。
僕の手の甲に残った令呪が一画。
桜の手の甲に元々あった一画。
指と指を絡めて繋がった二つの手のひらの背が、同時に輝きを放つ。
「「ライダー」」
「「令呪を持って命ずる――
――宝具を以って
かくして、僕たちの聖杯戦争は終わった。
どうやら衛宮たちも無事欠けることなく生き残ったらしい。
取り敢えず、キャスターと同盟を組んで英雄王を袋にしたことと、言峰をぶち殺したことだけは聞いた。それ以外、あまり詳しいことは聞いていない。
どうやら、サーヴァントの残留についても一悶着あるようだが、英雄王とクー・フーリン、ヘラクレスの魂が焚べられた聖杯には十分過ぎるほどの魔力がある。
今残っているサーヴァント全員が残留してもどうにかなるだろう。
ライダーについては、本人の希望を確認したところ、残留しないつもりだと聞いた。魔術協会などの訪問で騒がしいことから、もうしばらく残るらしいが、最終的に受肉せず消えることを望むようだ。
そして、その分の聖杯の魔力は僕たちに使用権を渡すようにキャスターに交渉したのだというのだから、本当にライダーには世話になりっぱなしだった。
そんな聖杯戦争のことは置いておいて、僕と桜のことを話そう。
間桐邸については最後の戦いでほとんど吹っ飛んだことから、あの後僕らは二人暮らしできるアパートを探してそこに移り住んだ。幸い臓硯の遺産は使いきれないほどある。金銭に困ることだけはなさそうだった。
そうして、家具を取り揃えたり、新生活の準備を終えて、ようやく落ち着きを取り戻したのが今日のことだ。
新しく搬入されたベッドに寝っ転がって、学友から借りたノートを読む。ここ最近学校に通えなかったことから、勉強中だ。
もうすぐ僕も高校3年生だし、臓硯も死んだのだ。将来のことを考えるべきだろう。というわけで、選択肢を増やすために勉強している。
――決して逃げているとか言ってはいけない。
僕も桜も、お互いに散々黒歴史を晒しあってから然程経っていない。少し冷却期間をおくべきじゃないだろうか。そうしよう。
実際、どうやって切り出そうか悩んでいるのだ。ノートの読み込みなんて本当は全然進んでいない。
大体、10年以上一緒に暮らしていた血の繋がらない妹*4に改めて交際を申し込むなんてどうやったらいいんだ。
そんなのネット全盛期の前世でも、調べたところで正解が見つかるとは到底思えない。
そんな思い悩む僕の部屋に控えめなノックの音が響く。
「兄さん、部屋に入ってもいいですか」
「あーうん、いいよ」
「お邪魔しますね」
僕がノックに返事を返すと、桜は扉を開けて入ってきた。そして、ベッドに寝転がっている僕を見つけると少しだけおかしそうに微笑んだ。
だらしない姿を見られてちょっと情けないが、家族なのだから良いだろうと内心で言い訳する。
部屋に入ってきた桜は僕のすぐ横、ベッドの空いている場所に腰を下ろした。
近いなー、なんとなく思う。
蟠りが溶けたからだろうか。最近の桜はいつもこんな調子だ。
良い加減話をするべきなんだろうと思う。そして、今は良い機会のように思えた。
「なぁ、桜――」
「兄さん、先にわたしの話を聞いてくれませんか?」
桜は僕の言葉を遮って話し始める。どうやら桜の方も話したいことがあるようだ。
と思ったら、寝転がった僕に覆い被さるように桜はその身体を倒した。
年齢不相応に起伏に満ちた身体が密着して、正直に言えば落ち着かない。でも真剣な表情の桜を前に、何とか平静さを取り戻す。
「……わたしは兄さんのことが大好きです」
「そっか。ありがとう桜、こんな僕のことを好きになってくれて」
そんな僕の言葉にクスリと桜は笑った。
「ずっと兄さんはわたしに寄り添ってくれました。幸せになって欲しいって願ってくれて、そしてそれを、こうして叶えてくれました」
「わたしが好きになるのなんて、兄さんしかいません」
桜はまるで何か覚悟を決めるように深く深呼吸をした。
「ねぇ兄さん。わたしは兄さんがそうしてくれたように、兄さんにも幸せになって欲しいんです」
何かを堪えるような暗い表情で、桜は言葉を紡ぐと、ぎゅっと力を込めて僕へと抱きついた。
「今だけ、こうさせてください」
「……別に、いつだってしても良いんだよ」
桜の態度がよくわからず、僕は困惑する。
そんな僕の言葉に、桜は何かを躊躇うように口を開いては閉じる。
何だか深刻そうに悩んでいる姿に、僕は思わず声をかけた。
「桜、何かあるなら言って良いんだよ。ここは
そう促す僕の言葉に桜は決心したようにぎゅっと手を握って、口を開いた。
「兄さん、一度だけ、キスしてくれませんか」
……正直、そんなことかと拍子抜けした。
そう言えば、あれだけ肌を重ねたのに、実のところキスはしたことがなかった。
だから、桜にとってそれは特別なんだろう、深く考えることなくそう思った。
だから、続く言葉はまるで意味がわからなかった。
「……それで、我慢しますから。明日からは姉さんへの想いも応援しますから」
姉さん……遠坂?想い?
「今だけ、お願いします」
桜は何かを堪えるような表情で、絞り出すようにか細い声を出した。
意味がわからず困惑する僕は、ふと学校での自分の振る舞い*5を思い出した。
あっ
「……あ、あのさ」
きっと桜は勇気を振り絞ったのだろう。申し訳なさで言葉が震える。
「学校で遠坂に言い寄ってたのは、演技だからな?」
桜が目をぱちくりさせる。
予想もつかないことを言われたような表情だ。
「えっ、そう、なんですか」
拍子抜けしたように力を抜いて返事をする桜。
「そうなんだよ」
申し訳なさを感じながら、桜の言葉に淡々と応じると、桜は一転して嬉しそうに口を開いた。
「じゃあ、今の兄さんに好きな人はいないんですね」
「……いや、いるよ」
ここだと思った。
桜がその言葉を理解して何かに思い至る前に、僕は言うべき言葉を口にした。
「桜、君が好きだ」
「…………っ。ほんとう、ですか」
信じられないと言うように桜の声は震えていた。その表情はさっきまでとは全く別の感情を堪えていた。
「言ったでしょ、一緒に生きたいって」
「アレは、その、兄妹としてだと思ってました」
その返しが僕そっくりの考えで、思わず苦笑する。
間桐邸での日々は苦い思い出が多すぎて、お互いに大事なものが見えていなかったのかもしれない。ふとそう思った。
「ごめんね、桜」
色々な意味を込めて僕は桜に謝罪した。
「……じゃあ、ちゃんと好きだってことを伝えてくれたら許します」
そう言って桜は顔をこちらに寄せて目を瞑る。
そんな桜の言葉に応えて、僕も彼女の頬に手を当てて体を寄せる。触れる瞬間、目を瞑った。
それで僕らには十分だった。
一年後。
大学受験の合格発表の日が来た。
「あー、やっぱり落ちてたか」
予想できたこととはいえ、ちょっとショックだった。
「来年は一緒に頑張りましょうね、兄さん」
隣で明るく言う桜。
無邪気そうな顔をしているが、この1年間散々振り回されたのだ。今更騙されはしなかった。
「さーくーらー、あれほど勉強に集中させてくれと言ったよなー?」
受験勉強の敵は自分自身だと言うが、僕の場合は少し事情が違った。
そう、敵は身内にいたのだ。
勉強中に悪戯したり誘惑したり、学校は必ず一緒に帰らないと不機嫌*6になったり。何なら休日も気分転換と称してデートに連れ出された。
最早ここまで来ると可愛いとも言えない恐ろしい悪戯だが、僕はとことん桜には弱かった。
だって桜が幸せそうに笑っているのだ。そんな桜とこうして一緒に歩いていける。それだけで僕は現状の全てを許してしまいそうだった。
「来年は一緒に合格して、同じ大学に同じ学年で通いましょうね!」
見たこともないくらいの満面の笑顔で、元気に言い放つ桜。前から分かってはいたが、やはりソレを狙っていたらしい。
彼女は一年前よりずっと明るくなって、よく笑うようになった。そんな彼女にやっぱり僕は弱かった。
「しょうがないな。今度はちゃんとしてくれよ」
「えー、我慢できるでしょうか、お互いに」
唇に指先を当てて艶やかに笑う桜。
一年前より更に磨かれた容貌は服を着たままの仕草でも、十二分に僕を煽った。
「我慢するんだよ、お互いに」
その姿から目を逸らして、それだけ言うと、再び2人で来た道を戻り始める。
きっと来年もこうして2人で並んで歩いているんだろうな。何の根拠もなく、そう思った。
ふと微笑んだ僕を見て、桜も何かを察したらしい。
「ずっと一緒ですよ、兄さん」
そう呟くように言って、桜が僕を引っ張るように手を引いていく。昔は僕に手を引かれるばかりだった桜の成長を感じる。
あれから随分と時が流れたんだな、と年寄り臭いことを考えながら。
僕は彼女の隣に追いつくように、足を早めた。
慎二くんが桜ちゃんとラブラブ令呪でラブラブベルレフォーンを発動させてランサーを消し飛ばす。
これはそんな小説です
怪電波なのはわかっています。でも溢れ出るパッションが止められなかった。