それらをチェンソーマンの力で全て消し去ります
いつも通り、私――サイレンススズカは、トレーナーさんに見守られながらトレーニングをしていた。
うんざりするほど晴れていた。
「はふ……あっ」
熱い息を吐き出して、重たい瞼を開けた時だった。私は、目の前の視界がおかしなことに気づいた。熱に浮かされて陽炎めいてるのかと思ったけど、何か違う。
(……キラキラ?)
自分の影が落ちた芝。なんの変哲のない視界の左端が歪んで、なにか、モヤモヤと輝いている。目を思い切り閉じた時、瞼の裏に見えるようなものがうねうねしている。
目を閉じると、真っ暗な中にそのキラキラしたうねうねが残って、目を開けると、やっぱり左端が歪んだうねうねに支配されている。
目を擦って、思い切り閉じて、思い切り開いて。
「だめ、消えない……」
でも、全身を風に任せている芝の広がる目の前、その左端は歪んで、キラキラしていた。
「――スズカ! 何かあったかー!」
「あっ……」
その時、頭の上をトレーナーさんの大声が通り抜けて行った。
顔を上げると、遠くのラチの外側で、片手を拡声機みたいにしながら近づいてきてくれるトレーナーさんが……
「……」
キラキラに隠れて、見えない。
ちょっと顔を左に向けたら、その奥にやっとトレーナーさんを視界に納めることができた。
やっと治まってきた胸の苦しさよりも、足の重だるさよりも煩わしい。
なんなんだろう、これは。
「スズカ!」
私のそばまできたトレーナーさんが、私の顔を覗き込んでくる。
恥ずかしいと感じる前に、なんだか大きくなってる気がするキラキラへのイライラがきた。
「あっ…… えっと、走れます!」
「……本当にか?」
私を心配してくれるトレーナーさんの顔。私の好きな顔。それが、左端はキラキラで潰れてしまっている。
「……なんで耳を絞る?」
「あっ…… 走ってきます!!!!」
「あっ!!」
走れば、なんか、血の巡りが良くなってキラキラを吹き飛ばせるんじゃないのか。そう思った。
……いらない心配、かけたくないし。
「はっ! はぁっ!」
風切り音が妙に大きく聞こえる。耳の奥で鼓動がうるさい。気持ちのいいはずの狭まった視界が、気持ち悪い。
思い切り芝を踏み締めて、弾んで前へ進む。腕を思い切り後ろに振って、その度にグッと脚が引き上がる。いつもやってることなのに、何か浮き足立っている。
「ハァ…… ハァ……っ!?」
でも、その時。ゆっくりと脚を緩めて行った時。
まるで初めから無かったように、キラキラは私の目の前から消えた。
目の前にあるのは、歪みないいつものトレーニングコース。他のウマ娘達も思い思いに走ってるいつもの風景。
脚が止まって、私は……。
「……」
寒気がした。
言いようのない気持ち悪さ、キラキラが出ていた時にもずっと感じていたあの気持ち悪さが、じんわりと勢いを強めているような……。
「――ズカ! スズカー!」
「……」
振り向くと、トレーナーさんが私を追いかけてきている。私がさっきいたところが、簡易的な正面スタンド席の向正面で、今いるのは第四コーナーの終わり際の、芝のど真ん中。よく見なくてもヘトヘトで、声も無理やり捻り出したような裏声。
申し訳なくなって、私もトレーナーさんに駆け寄ろうとして――
――ドクンッ……!!!
「……っ」
一歩目が、まるで地面に突き刺さったようにして私の動きを止めてきた。
違う。脚が止めたんじゃない。せい、かくには――
「……いっ、……!!」
頭蓋骨の内側を思い切り握りつぶされてるような――!!
「スズカ!? どうした!」
「トレーナー、さん……!」
トレーナーさんの心配の声。嬉しいはずなのに、近い、うるさい……。
痛い。頭の右側、とにかく痛い。釘でも打ち込まれた? 急に、……。
考えがまとまらない。痛い、動けない……。
「……っあ、はっ……っ!!」
頭が、痛い……!!! 急に――!
「危ないぞスズカ! そらっ……!」
浮遊感、痛い……。トレーナーさんの匂いがする。痛い……。揺れる…… 痛い。
持ち上げられて……? そんな、こんな、子供みたいに……。
だめ、考えられない。気持ち悪い。
「その様子じゃ、……頭痛か? 今保健室連れて行って、薬飲ませてやるからな」
「……ん」
……走ったばっかりなのに。
頭の中身を掻き出したくなりそうなのに、そんなことは思ってしまう。
「ゔふっ……」
「吐きそうか!? もうちょっと耐えれるか!」
うるさい……
あぁ、痛い…… 痛い……。
◇◇◇
保健室に駆け込むや否や、トレーナーさんが薬をくれて、柔らかい布団に横に寝かされて、でも、身体がこわばって仕方がない。
奥歯がぎりぎり締め付けられる。頭蓋骨を圧迫してくるような痛みと、逆に押し潰れて行くみたいな痛みが波になっている。
あのまま、芝の真ん中に居座っていたら……
「んん……」
目を開いて、視界を下に、そこには、白い壁をバックに、トレーナーさんと保健室の先生が横側に立って、何か話してるのが見える。
「……」
肌を焼く冷たさ。頭の内側まで浸透して行く氷嚢の冷気が無ければ、こんなに冷静でいられない。生まれて初めての、こんなひどい頭痛。
動けない。動く気力も湧かない。
ただ、私はトレーナーさんを見ていることしかできない。
その時、話が終わったんだろう、トレーナーさんがこっちにきた。カーテンが揺れた。
「スズカが片頭痛持ちだったなんて…… 考えてもみれば反応悪かったしな、早めに止めておけば……」
「……ごめんなさい」
「いや、むしろ、ここ最近は色々詰め込んじゃったからなぁ、知らず知らずのうちに、ストレスを溜めさせてしまっていたのかもな」
トレーナーさんは、私の近くに座って、笑顔を浮かべた。申し訳なさそうな、優しい笑顔。トレーナーさんはそんな顔しなくて良いのに。私がすぐ言えば……
「……っ」
「すまなかったな、スズカ。今はゆっくり寝ていなさい」
――横腹に感じる、確かな重み。
目だけを動かすと、トレーナーさんの片腕が私に伸びてきているのが見えて。
ぽん、って、軽い振動が体に沁みた。
トレーナーさんが私を優しく叩いてくれた。
「力を抜いて、そばにいるから」
足が、手が、顔が。全身が弛んでいく。トレーナーさんが優しく叩くリズムが、張り詰めた風船の口を解いてくれたような……。
頭痛薬なんて目じゃない、かもしれない。
いや、間違いない。
だって、トレーナーさん、だもの。
「――っ」
――そして、目が覚めた時。白いカーテンは綺麗なオレンジ色に染まっていた。
上体を起こすと、急に目の前に影が通って、私の脚に覆い被さった。
トレーナーさん。
「……」
あれだけ荒れ狂っていた頭は嘘みたいに軽くて、むしろ、私の太ももに突っ伏してるトレーナーさんの重みの方が強い。
頭のつかえは取れて、今、私は目の前のトレーナーさんに集中できている。
「……」
そっと、ゆっくり、トレーナーさんの黒い髪に手のひらを押し付けてみた。
ちくちくと押し返してくる黒髪の抵抗を退かして、つむじから後頭部にかけてのなだらかな丘を、大切に下らせてみた。
「……」
さっき、トレーナーさんがしてくれたように。