人と化生と奴隷と躯、異界の戦で何を満たす?   作:三4578九

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見切り発車です。
読みたいので書きました。


人ならざる人の魂と心の芯

 まだ首もまともに座っていない時から思っていた。

 

『嗚呼、申し訳ない』と。

 

 記憶の中にあるベビーベッドの横で愛おしそうに見つめる赤子の母親は、目を瞑って寝息を立てているように見える我が子がそんな事を考えているなど、夢にも思わなかったであろう。

 

 気の毒に思う。

 

 生死を繰り返せど此の魂が人間である事に変わりはなく、子を持った事のある親であった事もあるからこそ気の毒に思わずにはいられない。

 我が子への愛情というのは特筆すべきモノであり、尊きモノであるからこそ。

 その愛が我が子というこの肉体に向けられてるからこそ、心が此の獣のような自分だという事に自分は眼を瞑らざるおえない。

 

 四度も生を歩んだ。

 

 一度目は宮崎の一般的な家に次女として生まれ、特段何かを成す訳でもなく、三十に満たず車に跳ねられ此の世を去った。

 

 二度目は岩手のあまり裕福でない家庭に末男として生まれ、困惑こそしたが二度目の機会に感謝し、それなりの会社で働き曾孫まで見て大往生した。

 

 三度目は大阪のとある中小企業の社長の一人息子として生まれ、人生を再びやり直せと目の前の現実に言われた事に数日呆然としたが、親の期待に答え、会社を継ぐ事こそなかったが医者として立派に大成することができた。

 

 四度目は少し可笑しかった。

 どこで生まれたのかわからない、親が誰かもわからない。

 どこの誰かもわからぬ娘っ子は施設で世話になった後、養子として引き取られた先で何故か武芸に嵌った。

 既に三度も生を繰り返し、きっと可笑しくなってしまったのであろう。

 幸か不幸かその身にあった武芸の才と一本の棒切れと共に生を歩み、弟子の成長を見て文を一つしたため、腹を切った。

 現代日本で生きていながら明らかに異質な人生だった。

 

『何れも代え難い良い生であった』

 

 それは特に何も成せ無かった一度目の生であっても変わりはない。

 

「悔いがないか?」と問われれば、酒の摘まみには過ぎる程に悔いが溢れ出る。

 されど「良き思い出はないか?」と問われてもそれは同じように溢れ出る。

 故に『何れも代え難い良い生であった』のだ。

 

 だが「もう一度生を歩みたいか」と聞かれれば答えは否定以外の言葉は出せない。

 

 新たな生を得る度に思っていた。

 親にとって大事な我が子の中身が、真の意味では我が子ではないというのは極めて度し難いことであろう。

 特に曾孫まで見て大往生した二度目より顕著にそう思ったのだ。

 道徳心。

 人道的に言うならば、そんな心である……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人道に背き、己の心の底を晒すならば—————

 

 

 

 

 

 

 

——————ただ、熱しすぎてしまったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四度目の生は人を自称する化生の魂の心を溶かしてしまった。

 

 唯でさえ何度も生を受けて親という存在の感覚が常人とは異質の己は、自身が養子という事で同居人が実の親ではないという事もあり、何処か頭の中で血縁のない他人と思い込んでしまったのであろう。

 育ててくれた恩も忘れ、唯々武の高みに至らんと己の心身を鍛え上げた。

 

 女の命である髪はくすみ、肌は傷痕だらけどころか生傷が絶えない。

 友と呼べるような者はおらず、父母に話しかけられてもまともに喋らない。

 

 親はちょっと変わった思春期のようなモノだとでも思ったのか、十五を過ぎてからはまともに話かけて来なくなったが、中身は百を優に超える化生の親戚だ。

 実の年齢が十八を超えれば、さらにそれは酷くなる。

 

 数日どころか年単位で山に入り己を追い込んだ。

 己の獲物が欲しくなり、卵巣を一つと子宮を後ろ暗い職を持つ者達に売った。

 得た獲物で巻き藁を切り、獣を切り、人を切った。

 常軌を逸した研鑽に望み、朱色の滴る仕事を受け、強者と闘い、その全てで死にかけた。

 

 熱い、唯ひたすらに熱い、沸いた鉄のような生。

 

 頼れるのは積み上げた研鑽と己の才覚、そして相棒の冷たい棒切れ一本、それだけで己の生を作って行く事がなんと楽しかった事か。

 五十を越えて体は当に衰え始め、されど積み上げた研鑽で過去の己を凌駕し、あるかもわからぬ頂きに挑み続ける事がなんと苦しく、最高であったか。

 

 病んでいたのであろう。

 いや、きっと病んでいるのであろう。

 今も「あの日々をもう一度」と思う。

 

 九十に差し掛かる少し前、ほんの気まぐれに取った弟子にそろそろ独り立ちをさせてやろうと最後の立合いを行った際にそれが起きねば、その事に気が付かなかった。

 

 弟子を殺しかけねば。

 

 立合いを刃の引いていない刀で行うのは、弟子と己の間ではよくあることであった。

 真剣出なければ理解できない、己の命が費えるかもしれないという恐怖心を理解していなければ、真にその心構えが必要な時に技が鈍る。

 そう信じていたからだ。

 

 勿論、弟子が致命的な手を打った訳でなければ、己が衰えて寸止めができなかった訳でもなかった。

 唯——

 

 

 ——唯々、己は目の前の武を極めんと歩むものに勝ちたくなってしまったのだ。

 

 

 気が付けば、己は弟子相手に使うつもりのない技を使っていた。

 己が生涯をかけて作り上げた誰一人と受けきれたことがなく、己以外、誰一人知る者の存在しないそれを未来ある若者に向けて。

 

 如何なる時でも表情は作れと教えていた弟子が、久しぶりに本心から見せた驚愕の表情を忘れることはないだろう。

 開かれた瞳に映る己は一体どんな顔をしていたのだろうか?

 少なくともまともに見れる顔であった気はしない。

 

 幸い弟子は運が良く、それでいて強かった。

 

 その技は二撃で技となる。

 一撃目で切れれば良し、受けられれば重心の崩れたその身に二撃目を加えて止めとする。

 簡単に言えば『二撃必殺』そういう技だ。

 弟子は一撃目を体制こそ崩したが防ぎ、弟子の顔を見て正気に戻った己が二撃目を首の皮を少し裂いた程度で止められた。

 故に、弟子は無事に独り立ちし、己は己の病んだ心に気が付いたのだ。

 

 もう数え切れぬ程に人を切った。仕事では無く、武を競う為に切った事もあった。

 今更人を切る事が嫌だなどと寝ぼけた戯言を抜かす気はなく、己の私利私欲の儘に切った事を問われたところで堂々とその事実を肯定する。

 

 だが、されど、それ故に、衝動の儘に切ろうとする事は避けて来たのだ。

 

 棒切れを振るう己の手には常に明確な理由があった。

 それが私利私欲な行いであれ、外道な行いであれ、悪逆非道な行いであれ、その全てを確かな意思の元に行ってきた。

 弟子を取った事も始めは気まぐれで取ったとはいえ、己の技術が弟子を生かしてくれるだろうと思い、棒切れを振るったのだ。

 

 それを衝動一つ、己の武の成長の為ではない立合いで、老い先短い婆の心を満たす為だけに台無しに仕掛けるなど、論外であった。

 

 弟子が旅立ち、人と話すことが減れば、当然己自身を見つめなおす機会が増える。

 それが己の心が病んでいる事に気づいたばかりというのならば尚更に。

 されど、見つめなおす必要など有りはしない、もうわかっている。

 

 これは熱病である。

 心の底をぐらぐらと沸かすような、己の芯を炉に入れた鉄のように沸かしてしまう熱病だ。

 溶けた芯は元の形には二度と戻らず、戻せない。

 それどころか炉の火は止め方すらわかりはしない。

 

 武を鍛える際に付いた炉の火に己の(こころ)は既に沸き(溶け)きってしまったのだ。

 

 まるで堪えの効かない童のようだが、本質は酒や賭博に嵌るモノに近しいどうしようもないモノであろう。

 

 きっと、また起こす。

 次は止められるかわからない。

 

 そう思うが故に、己は数日後、文をしたためて腹を切ったのだ。

 次の生が無いことを祈って。

 




続くかわかりません。
感想くれるとやる気が出ます。
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