人と化生と奴隷と躯、異界の戦で何を満たす? 作:三4578九
人という生き物にとって気が緩む瞬間というのは、両手の指では数えられぬ程に多くある。
目的を成し遂げた時や胃にモノを詰めている時、便をひりだしている時に美人が眼前にいる時など。
仮に常在戦場の心得を持つ者であろうと、その全てに気を張り続けるなどできるはずもない。
だがそれでも、技術と鍛錬、そして心構えを持っていれば、ある程度は気が緩んだ状態を減らす事が可能であるという事もまた事実だ。
特に「寝惚ける」などという気の緩みの極みのような言葉が存在する寝起きは、常在戦場の心得など関係なしに鍛錬と心構えをしっかりと持って置くと良いかもしれない。
寝起きが良いに越した事はないのだから。
昔何処かで嗅いだ事のある香りに目が覚める。
どうやら己は寝ていたらしい。
すぐさま目を開けて跳ね起きたい所ではあるが、それをするのは些か不用心と言えよう。
元々寝起きは良い方では無かったが、四度目の生の際に文字通り死ぬ気で鍛えたお陰で寝起きは愚か、寝ていても多少は気が付ける程度の己が昔嗅いだ事のある香り、要するに今世で嗅いだ事のない香りで起きたのだ。
明らかに異常である。
肌に触れる感触からして、衣服は恐らく普段愛用してる下着やジャージのようであるが、後頭部や布越しの感触が明らかに慣れぬ感触であった。
恐らく干した草の類。
鼻孔を擽る昔嗅いだ事のある香りからして、干し藁であろう。
己が何故干し藁の上に寝かされているのか、疑問が尽きぬが、最悪そこは良い。
問題は香りの中に混ざる明らかな獣臭と獣らしき息遣いだ。
息の深さからして、犬や猫程度の大きさではない。もっと大きい、小さく見積もっても抱きかかえられない程の大きさだ。
己が無事に寝起きを迎えられているという事も鑑みるに、飢えた人喰いの獣という訳でもなさそうではあるが、警戒するに越したことはないであろう。
ゆっくりと寝返りを打つフリをして獣の方に体制を向けて見るが、暫くしても獣は動く気配を見せはしない。
視線こそ、意識こそ己に向けて来た気がするが、近づいてくる気配も後退る気配も欠片たりとてないのだ。
己はふと思った。もしや「動かない」のではなく「動けない」のではないかと。
一応の警戒に薄目を開けて確認すれば、それは【馬】であった。
馬ではない。【馬】である。
この場所は光源となるものが頼りないのか薄暗く、獣がいる位置は光が十分に届いていない為、少し目を凝らさねば獣の正体が何であるか知る事は難しい。
即座に正体を突き止めるには、その存在が其処に居る事を元々知って居なければ無理であろう。
だが、己は微かに瞼を持ち上げて其処になんの獣が居るかを確認しようとした瞬間、まるでそれが当然であるかのように空中に浮いて出た枠に書かれた【馬】という文字を読まずに認識し、視線の先に居る獣は馬なのだと納得したのだ。
そのまま少し薄目を凝らしてみれば、其処には本当に馬がいる。
気味が悪い。
見たモノを認識するには『見る→視覚情報を得る→記憶から必要な情報を精査する→認識する』という工程が行われる筈であるのにも関わらず、間二つの工程を素っ飛ばして『見る→認識する』という形になるというのは、便利ではあれど気味が悪い。
己は正気を削るかのような気味の悪さに寝なおしたくなるが、馬と馬以外の全てに警戒しながら静かに身を起こす。
見回せばここは馬小屋、厩舎であったらしい。
昔嗅いだ事のある香りとは、一度目の生で競争馬を育てていた友の職場に行った時の香りであったのだろう。
「…………」
「何故こんな所に?」と出そうになる言葉を飲み込み、状況の確認に努めていく。
両の手に力を込めて、体全体に力をを入れてからふっと緩める。
完全な異常事態ではあるが、幸い衣服が動きやすいジャージであったり、何処かを痛めていたりしなかった点は幸いであった。
今の状態でも十分に活動はできるが、贅沢を言うのであれば履物が欲しい所ではある。
見ず知らずの場所で足を怪我して動きが鈍くなってしまうというのは、危険極まりない。
一応、裸足で活動ができないわけではないし、一部の動きは裸足の方が桁違いにやりやすいが、それでも「有って使わぬ」と「無い故に使えぬ」は別である。
厩舎故に長靴の一つでもないかと当たりを見回せば、干し藁の山の陰に隠れており、肉眼で確認できなかった位置に【サンダル】が見つかった。
眉に力が籠もり掛けるのを宥めながら、紐で結ぶ形式のサンダルを拝借すると、己はそれを座り込んでゆっくりと履いた。
(ん?思ったよりも丁度良いな……まぁ、良い。それにしても、はてさてどうしたものか?)
漏れ出てしまいそうになる溜息を堪えながら、己は思考を巡らした。
五十はゆっくりと数えらる程に態々隙を作って見せたが、誰も姿を見せない。
起きた時に拘束の一つもないという時点で誘拐ではないだろうと考えていたが、訳も分からず見ず知らずの馬とひとつ屋根の下というのも、それはそれで当然困る。
馬がいるのであるから、恐らく誰かしらが待っていれば来る可能性が高いが、それが何時になるかはわからない。
一先ず厩舎から出てみるかと己は立ち上がり、馬を軽く撫でてから僅かに光の漏れ出す扉へと向かった。
日の光に眼が眩み、手をかざす。
鳥の囀りが何とも心地よく、澄んだ空気と豊かな土の香りが胸を満たす。
まだ明け方なのか、空は完全に青く染まらず、空と大地の境に橙色を用いた鮮やかな階調が何とも美しく広がっていた。
木造の平屋に広大な畑、遠くに目を向ければ鬱蒼と生い茂る森と山脈が見える。
そこは万人が見れば万人が「のどかな田舎」と言うであろう。そんな場所であった。
「なんともまぁ……」
朝が早いのか明け方から働く人々を見ながら、己はぼそりと呟いた。
困ったものである。
「のどかな田舎」と言えば聞こえは良いが、田舎ほどよそ者に対して厳しいなど良くある話だ。
それに木造の平屋の形や畑で働く人々の様相が、何処か自分の知る日本の田舎と違うのだ。
そもそも日本であるかすら怪しくなってくる。
(まぁ、最悪の場合は森に引きこもれば良かろう)
己はさっさと最悪の事態を想定しながら、とりあえず見つからぬ為に厩舎の影へと入る。
あまりの事態ではあるが、五度目の人生の時点で異常事態である。
困りはすれど、慣れたものであった。
何はともあれ、今最も欲しいモノは情報である。
とすれば、こののどかな田舎の住人らしき人に話しかけるのが一番手っ取り早い。
できるのであれば、ある程度の年齢の者が良いものだ。田舎であればあるほど年功序列の風習は残りやすいのである。
誰ぞ一人にならないかと話かけられそうな相手を物色する為に、住人へと目を向け、己は大きく目を見開いた。
【ザイヤン】
男 38歳
村人Lv8
突如、己の頭に強制的に叩きつけられる情報と認識、そして微かに見覚えのある表記。
形式は似ているが違う、情報も簡素に過ぎる。されどそれは間違いなく孫と行ったゲームのステータス画面というものにそっくりであった。
ふと己は思う。夢を見ているのかと。
干し藁の寝床から起きる前にネットゲームらしきモノに触っていた。その事は覚えている。
やたらと多い項目から律儀にきっかり、全て設定をした。その事も覚えている。
ゆっくりと風呂に入れるぐらいの時間を掛けて設定をした後の記憶はない。それも覚えている。
故に己は疲れて画面の前で涎を垂らして寝ているのではないかと、そう思ったのである。
この状況がゲームな訳がなければ、現実な訳もない。
ゲームの中にいるなどというのは流石に世迷い事が過ぎるのだから。
【加賀志緒里 】
女 17歳
村人 Lv1
『装備』サンダル
己が無言で自身の手を見つめれば、即座に己の情報が頭に突き刺さり、視界には先ほどと似た表記の文字が空中に残る。
己が居眠りをするなど、ありえない事だ。
四度目の生の途中から、怪我による気絶以外で居眠りはできなくなった。それは今世も変わらない。
赤子の頃ですら、意図的に眠れていたのだ。
血を流しすぎたりなどの要因で無ければ、如何に疲れていようと己が己の意思なく寝ることなどありえない。
「夢……そう、夢に他ならん」
己の口から無意識に言葉が溢れる。
≪それは脳の奥よりこちらを見た気がした≫
気を紛らわすようにあちらこちらと目を向け、住人を見回していく。
農夫に村人に村長に商人。
実にのどかな田舎の住人らしい職業が並ぶ。
「書籍の中、遊戯の中とはしゃげる時はもう当の昔」
純粋無垢な子どもの時代はもう三百年近く前である。
≪それはずるりずるずるとこちらに来る≫
年齢を確認し、村長であるらしい六十八歳の男が一番最初に話しかけるに適しているかと結論を出した。
「所詮少しばかし正確な明晰夢以外の何ものでもない」
夢を夢と理解できる夢、それが明晰夢。この五度の生全てで一度足りとて見たことのない夢。
≪それは影のように後ろを這いまわる≫
農夫と話している村長を見ながら、どうにか一人になってはくれまいかと、建物の陰からしばらく様子を見る。
「この欠伸が出る程にのどかな田舎も酒の肴になる程に優美な朝焼けも」
己が考えもしないであろう情景も、好みであるからこそ記憶に残りきらない風景も、全てがみんな己の夢。
≪それは掠れた通る声で喋り掛ける≫
『 何故夢だと思うのにも関わらず、情報を得ようとする? 』
ずくんと心の臓が大きく拍動する。
その拍動は虫のしらせだったのか、のどかな田舎の空気ががらりと変わる。
「■■■■■■■ッ!!」
男の大きな声が響き渡った。
声の主へと目を向ければ、其処には強い焦燥を浮かべた二人の男がおり、日本語でも英語でもない言葉で住人に向かって何かを叫んでいる。
男達の叫びを聞いた住人は、急いで各々の家から鍬やら剣やらと武器らしきモノを持ち出し、男達と共に日の上る方へと走っていった。
「何か友好的に話せるきっかけができるやもしれん」
己は態と口に出して己に言い聞かせ、見つからぬように離れて慎重に男達の後を追った。
≪それは己の腕を艶めかしく抱え込む≫
『 お前は知っている、この空気を知っている 』
己はこの空気を知っている。幾度も感じた熱気にも感じられる張り詰めた空気を。
街道から外れて森の草木で体を隠しながら男達を追った先、そこでは幾度と見た光景が広がっていた。
「■■■■ッ!!」
「■■ッ!■■■!!」
「■■■■ァァアアア!!」
言葉はわからぬ、敵も武器も違う、場所だってこんな舗装されていない街道でなんて事はほぼほぼない、されど幾度も見た光景だ。
己が銃やドス、バール相手に相棒の棒切れで、鉄筋コンクリの箱の中やアスファルトの上で何度も行った。怒号が飛び、朱色が滴る合戦場。
己自身がありえない存在であるのだから、遊戯の中に入るなどという事が起こっても可笑しくはないろ当に気が付いていた。
だから気が付かぬふりをしていた。
気が付いてしまえば、それはきっと己を止めるモノが無くなるとわかっていたから。
己は己のあの薄暗い部屋でゲームをこう設定したのだ。してしまったのだ。
『剣と魔法の世界』 で『戦争が頻度は多くはないが有りはする世界』と。
武を極めるには悪くない。何なら前世と比べて明らかに良い。
きっと前世よりも命の価値は軽く、それでいて武の比重は高いのであろう。
未知の生物や技術に挑む機会が多々あるであろう。
相手が人の世に蔓延る悪とはいえ、武を極める為だけの理不尽な殺しの業を仕向けても世間から許されるかもしれない。
戦争という国主導で大っぴらに己の武を試せる場所がきっとあるであろう。
(嗚呼……嗚呼ッ……)
己の足が夢現のように歩を進める。
それは誰にでもある。
それは当然であり、無ければおかしい。
だが、それの本質に身を委ねたならば、人はきっと人ではなくなる。
それは——欲望は楽し気に己の手を引き、語り掛ける
『 お前が望むは血沸き肉踊る闘争の果て。武の頂点。さぁ、研鑽の為の砥石は目の前に 』
炉の火は温度を上げ、ぐらぐらと芯を沸かし始める。
夢現の足取りに次第に力が籠もった。
とある田舎の街道のなんの変哲もない争い。
其処にいる者は知る事となる。
十七年ぶりに起きた鬼の存在を。
ストックはないので続くかはわかりません。
感想と評価くれるとやる気が出ます。