グランダムの南にある『エルティガ王国』の王都。
エルティガ城とその前に並ぶいくつかの建物からは火の手が上がり、夜の都を真っ赤に染め上げる。
街中には将兵の死骸が散乱し、己が家に隠れていた民たちが異国の兵によって外に引きずり出されていた。
「――いやああっ!! たすけて!」
「へへっ、逃げんなよ。おとなしくしてれば命は取らねえからよ」
頭にターバンを巻いた褐色肌の兵士は捕らえた娘の首筋に幅広の曲剣を突き付ける。娘はひっと恐怖の声を上げ、そのまま動けなくなった。それを見て兵士は嗜虐的な笑みを浮かべながら、おとなしくなった娘の首に無骨な“黒い枷”をはめ込む。
その首枷には鎖や縄はついておらず、その気になれば容易く逃げられるように思える。
だが――
「ぐああぁっ!!」
少し離れたところから男のうめき声が届き、兵士と娘はそちらに顔を向ける。
見れば逃げようとした男が道に倒れ込み、首元を抑えながらのたうち回っていた。その首には“黒い枷”がはめ込まれている。
「あぁぐっ……逃げな、もう逃げないから……たす――うぐぇっ!」
命乞いをしながら、目の前に立つ兵に向かって腕を伸ばす。
そうしている間にも枷はどんどん締まっていき、男は白目を剥きながら口から泡を吹き、股間からは尿を垂れ流す。
やがて男はビクンと体をしならせてうつ伏せに倒れ込んだ。それを見て娘はたまらず顔を反らす。
一方、兵は汚らしそうに顔をしかめ、男だったものの腕を蹴り飛ばす。そして他の捕虜たちまで届くよう声を張り上げた。
「我々から逃げようとした者はこうなる! 死にたくなければ、おとなしく我々の下僕となる
それを聞いた瞬間、首枷をつけられた者はわずかほどの抵抗もやめてその場に崩れ落ちる。
その一方で、いまだ首枷がつけられてない者はなんとか逃げようとするが、兵たちは彼らの一人を無情に斬り捨て、それを見ておののき動きを止める者たちを押さえ、首に枷を嵌めていった。
一方、略奪と虐殺が行われている都から少し離れた場所に、赤い天幕がぽつりと立っている。
天幕の中には礼拝用の絨毯が敷かれ、隅にランプが置かれている。その傍に両手で円を作るような体勢で絨毯の上に跪いている女がいた。
天幕と同じ赤いローブを着て、目元以外の顔もヴェールで覆っている。目元の肌は褐色に染まっており、それとともに露わにしている両目も今は閉じられていた。
――“我らの血の中に眠りし神”よ。どうか従たる我にその御意志を……。
女が祈りの言葉を念じてからしばらくして、脳裏に“声”が届いてくる。『思念通話』ではない。自身の血を伝って届いてくる『神託』だ。
だが、しばらくして“声”は止まり、天幕の外から耳障りな俗人の声が被せられてきた。
「神官長様、報告がございます」
『神官長』と呼ばれた女は不承不承ながら礼拝を中断し、上半身を起こしながら眼を開く。その瞳は自国と他国の王族同様色違いで、右眼が赤く、左眼が緑色だった。
この遠征は“神”の命によって行われたもの。その尖兵の話を聞かないわけにはいかない。現に『神託』が止まったのは、兵の話を聞くべしという“神”からの啓示だろう。
神官長は天幕の出入り口に体を向け……。
「入れ」
彼女が一言命じると天幕の一角がまくれ上がり、一人の兵が彼女を見下ろす形にならないように中腰の姿勢を保ちながら入ってくる。その肌は白いものの、装束は他の兵とほぼ変わらない。
彼らの故郷は、南大陸から来た祖先の特徴を残す“褐色肌の民”と、彼らが捕らえた奴隷やその混血からなる“白肌の民”が混在しており、現在は肌の色だけで差別されることはない。
しいて言えば、未だに王族と上位の神官のほとんどが褐色肌であることぐらいだ。
つまり白肌の兵が褐色肌の神官長に平伏しているのは、王を凌ぐ『神官長』という地位と、彼女から発せられる異様な雰囲気に圧されてのものに他ならない。
「都の征服と奴隷の補充は完了しました。東からの伝令によれば、あちらにある『カンナム王国』という国も明日には落とせるとのことです。その先はいかがいたしましょうか? ここから北には『リヴォルタ』という堅牢な街があり、攻略には手がかかるとの見立てですが……」
「…………」
神官長は目を閉じ一考する。兵は地面に頭をつけたまま耳をそばだてていた。
――あの街を根城にしている《魔導封じ》は、雑兵の手におえん上に我の技能でも手を焼くやもしれん。しかし、あやつらが王子たちの行く手を阻む道理はない……。
しばらくして彼女は目を開き、言った。
「“通り道”は作った。これ以上の進行は必要ない。明日、飲食物の補充を済ませたのちに東の軍と合流しながら国へ戻る。今夜は休むなり英を養うなり自由にしてよい……去れ」
「ははっ!」
神官長に命じられ、兵はまた中腰の姿勢を保ったまま天幕を後にする。
神官長は冷たい目で彼を一瞥してから、北に体を向けた。
――“大いなる神”に連なる枝の端たる王子よ。魔書が生み出し僕どもとともに“通り道”をくぐり、我らが地へ来るがいい。
胸中で独りごちてから彼女は再び礼拝を再開し、“神”から一言だけ最後の神託を受け取った。
この夜エルティガ王国が、その翌日にカンナム王国が滅ぼされ、侵略者たちは奴隷として従えた多くの民とともに自国に戻っていった。
南から現れた侵略者たちは、すべての民を殺し尽くすガレアの兵ほど残虐ではないが、戦う力のない民には手を出さないダールグリュン帝国の兵のような慈悲も持ち合わせない。
彼らに捕らわれた民は“黒い首枷”によって自由を奪われ、彼らに尽くすだけの奴隷に落とされる。そんな“生き地獄”を味わわせるという点では、ガレアより残酷かもしれない。
ガレア王国の陥落により一旦の平穏を取り戻したかに思われた諸国の安寧は、突如南から攻めてきた『トファシュ王国』により再び崩れ去ろうとしていた。
◆
ガレアから帰国して一月。
形式上、王太子の騎士となった《守護騎士》たちはこの城に居住することを認められ、シグナムとヴィータは兵たちとともに訓練を積みつつ、時おり義母上の模擬戦相手をする毎日を送っている。現在はその実力を認められ、兵たちの教練を任されることも増えてるらしい。
治療魔法が使えるシャマルは医務室に詰めることが多くなり、“守護獣”であるザフィーラは狼の姿で外をたむろしつつ、時おりシグナムたち同様兵たちに格闘技を教えている。
そんな光景を見るたび父上は顔を険しくしていたが、シグナムたちとの訓練や教練で兵の練度は上がり、訓練や山賊討伐などの任務で傷ついた兵はシャマルの治癒魔法で回復してすぐに任務に戻り、結果的にグランダムの兵力はガレア戦前よりも上がっている。
そんな実績を見せつけられては父上とて何も言えず、彼もまた新しい日常に慣れていったようだった。
そしてもう一つ……。
「おにいさまーー!!」
庭で物思いにふけっていたところで幼い
俺の視線の先には、無邪気な笑顔と声を向けながらこちらに向かって来る我が妹、ミリアムの姿が見えた。
さらにその後ろに……
「待ってください、ミリアムさまー! まだお歌の稽古が終わってませんよーー!」
ミリアムの後ろから、同い年くらいの少女が彼女を追うようにやってくる。
元冥王様もうちの妹には手を焼かされているらしい。そう思うと笑みが漏れた。
夕日のような短い橙色の髪から肩までかかった長いもみあげを垂らし、ベルカ王族では珍しい両目同色の緑眼を持つ少女の名はイクス。
《冥府の炎王》と呼ばれていた元ガレア王で、義母上の計らいで今はミリアムの傍仕えをしている。
未だ俺たちに報復心を抱いている可能性もあり、彼女をミリアムの傍に置くことに反対意見も出たものの、イクスの能力は死体が傍にない限り脅威となるものではなく、ミリアムもすでに一定の護身術を身に着けている。
その結果、当面の間イクスに凶器になりそうなものを持たせないなどの条件で、彼女にミリアムの侍女役を任せてみることにした。
そして現在、高官たちが恐れていたようなことはまったく起きず、あの通りイクスの方がミリアムに振り回される日々を過ごしている。
「お兄さま、お兄さまもお庭で日向ぼっこ? ミリアも日向ぼっこするー♪」
「おいおい、ミリアムは稽古の途中だろう。悪いなイクス、また妹が困らせてるみたいで」
すがりついてくる妹を抱き返しながらイクスに謝ると、彼女は愛想笑いを浮かべながら首を横に振った。
「いえ、もう慣れましたから。ケント様はご休憩中ですか?」
イクスの問いに俺は苦笑を返しながらうなずく。
父上に任された政務が一区切りついて、ここで小休止していたところだ。
「それなら残りの仕事はイクスに任せちゃえば。ガレアの王様だったんだから、お兄さまの代わりくらいできるでしょ。で、お兄さまは今から夕方までミリアと遊ぶの!」
「い、いえいえ! 私はあそこじゃほとんどお飾りでしたから。それにミリアム様の稽古が終わらなかったらまた陛下に怒られちゃいますよ。お願いですからそろそろお稽古に戻ってください!」
説得を再開するイクスに、ミリアムは俺に抱きついたまま「やーだ」と返す。たまりかねて俺は助け舟を出してやることにした。
「来週のパーティーでまた歌を披露することになってるんだろう。その練習をしなくていいのか? ミリアムがどんな歌を聞かせてくれるのか、俺も楽しみにしてるんだけどなー」
「ほんと!? 兄さまも楽しみにしているの?」
ミリアムの問いに笑みと頷きを返す。途端にミリアムは俺から離れて言った。
「じゃあ私、兄さまに聞かせるためにいっぱい練習してくるね! ――行くわよイクス!」
「あっ、待ってくださいミリアム様! ケント様、ありがとうございます。私もこれで――」
ミリアムは城に駆けだし、イクスは俺に一礼してから彼女の後を追う。
片手を振りながら彼女たちを見送り、俺もそろそろ仕事の続きを始めようかと腰を上げた。
そこへ――
「殿下」
突然後ろから名前を呼ばれ、俺はびくりとしながらそちらを振り返る。そこには五歩ほどの間を空けて立っているアリエルの姿があった。
いつの間にそこにいたんだ? ミリアムやイクスと別れるまではいなかったはずだよな?
「どうしたアリエル。小休止も終わったからそろそろ政務に戻ろうと思っていたんだが」
気まずくなって思わず言い訳じみた言葉をかける俺に、彼女は淡々とした口調で――
「お父上――陛下が殿下をお呼びです。政務はもう中断してかまわないとの事ですので、今すぐ私と一緒に執務室まで来てください」
「えっ、それって一体……」
俺の返事を聞こうともせず、アリエルは背を向けて父上の執務室がある方に足を進める。俺は首をひねりながらも彼女に続いた。
「国王陛下、ケント殿下をお連れしました」
アリエルが部屋をノックすると、中から「うむ」という返事が聞こえる。その一言でアリエルは察し、扉を開けて、どうぞと言うように俺を促した。
「陛下、失礼します」
椅子に座ったまま報告書らしき書類に目を落とす父にそう声をかけて、彼女と俺は執務室に入る。
そこで父上は顔を上げて言った。
「アリエル、お前はもう下がってよい。ケントと二人で話がしたい」
「はい。御用がありましたらまたお呼びください」
その言葉とともにアリエルは頭を下げてドアを閉め、かつかつと足音を響かせながら去っていく。その仕草は完全に侍女のもので、事情を知らない限り父上の娘だとは気付かないだろう。
そんな異母姉の足音を聞きながら父上の様子を窺っていると――
「ケント、楽にせよ。ここには私とお前しかおらん」
その一言を聞いても姿勢を崩すわけにもいかず、俺は直立したまま父上の前に立つ。
ミリアムが生まれてからは柔らかくなったように思ったけど、こうして見るとやはり厳格な人だと思う。
そんなことを思っている俺に父上はソファを勧め、自らも椅子から立ち上がる。その手に数枚の報告書を持って。
そしてお互い対面のソファに身を沈めたところで、父上は俺の方へ報告書を向けてきた。
「リヴォルタから伝わってきたばかりの話だがな。二日前、南のエルティガ王国が滅ぼされた」
「――えっ!?」
その一言に俺は目を剥きながら驚愕の声を漏らす。そこへまた父上が告げた。
「さらにその翌日、つい昨日になるが、その東にあるカンナム王国も襲撃された。カンナムの王族は聖王都へ逃れたためまだ滅びたとは言えんが、ほぼ壊滅状態にあるといっていい。我が国の飛行兵にも確認させた」
まさかの事態に俺は言葉を失う。今のベルカで国が滅びることは珍しくないが、ガレアの脅威が去ったばかりでこのような事が起きるなんて。しかも、その二国はグランダムからさほど離れていない。
「一体どこの国が? まさか、今度はこの国やコントゥアに……」
俺のつぶやきに、父上は険しい顔つきのまま首を横に振る。
「いや、両国を陥落させた後、奴らは食料や金銀、そして民を奪いつくしてから南へ引き上げていったという。今すぐ動いてくることはないはずだ。無論気は抜けんがな。我が軍もコントゥアも、リヴォルタも襲撃に備えているところだ」
「民までさらっていくなんて……まさか、南大陸の国の仕業ですか?」
俺の問いに父上は顔を歪めながらまた首を横に振った。
「いや、南大陸にこの大陸まで攻め込めるほどの力を持つ国はほとんど残っていない。おそらく南大陸から渡ってきた者の子孫が築いた『トファシュ王国』の仕業だろう」
「トファシュ……」
エルティガの南には広大な砂漠が広がっており、その向こうには『トファシュ王国』という国が一つだけあると言われている。父上が言った通り、その国は南大陸からの移民が作った国で、他の国と風習も制度も全く違うらしい。民間単位で奴隷を使役し、売買している『奴隷制度』もその一つだ。
他の国とは交流がほとんどなく、砂漠の向こうに国があるということ自体ほとんど知られていない。俺もたった今思い出したところだ。机に地図や歴史書が散らばっているあたり、父上も同様だったんだろう。
「では俺と守護騎士もトファシュの襲撃に備えて、防衛の手伝いを……」
「いや、お前と守護騎士には他に頼みたい事がある」
首を横に振りながら告げる父上に俺は眉を顰める。この状況で他に頼みたい事?
帝国や連合への通達……なら俺たちが行くまでもないよな。闇の書の完成を望む父上からすれば、守護騎士や俺にはなるべく多く戦いの機会を与えたいだろうし。それならまだ防衛の場につけた方がいいと思うが……。
考えを巡らせる俺に、父上は迷うようなそぶりを見せながら言った。
「ケント、お前と守護騎士にはトファシュまで行ってその内情を見てきてほしい。無論奴らと戦えなどと言うつもりはない。エルティガとカンナムを襲ったのはその国なのか、仮にそうだとしても国や王の命令によるものか、それとも一部の諸侯や部族のような集団の独断なのか、それを調べてきてほしいと思っている」
「……なぜ俺や守護騎士なのか、伺ってもいいですか?」
父上の意図をおおよそ察しつつ俺は尋ねる。こんな事、王子やその専属騎士に頼むような事ではない――絶対、闇の書がらみだろう。
「内情を調べてきてほしいというのは本当だ。もし、我が国の密偵が奴らに捕まれば痛くもない腹を探られた挙句、侵攻の口実にされるかもしれん。守護騎士ほどの腕ならトファシュ兵にも太刀打ちできるだろうし、最悪逃げるぐらいできるだろう。それにトファシュの術士が使う魔法は、我々が使うものとは全く違うらしい。それを蒐集すれば闇の書も完成に近づくかもしれん」
「加えて、守護騎士は我が国とまだ関係が薄いから、万が一の時は誤魔化しもきくでしょうしね」
呆れ交じりに補足する俺に、父上はばつが悪そうな顔を浮かべる。そんな頼み、普通なら断ってやるところだが……。
「なぜ俺にまで調査命令を? 父上の性格上、守護騎士だけ行かせろと言いそうなものですが」
さらに問いを重ねると、父上は観念したように息をついて答えた。
「他意があるのか知らんが、あやつらはお前を主と呼んで付き従っている。そのお前が一緒にいれば、騎士たちも早まった真似はせんだろう。それにもし闇の書が完成に近づけば、あの者らはそれを持って逃げようと考えるやもしれん。わしはまだあの四人を信用しておらんからな。なにしろ前までの闇の書の持ち主は……」
「シグナムの話によれば頁を集めている最中に突然別の場所に転移して、その度に新しい主に仕えるようになったと聞いていますが……」
彼女から聞いた話をそのまま伝えるものの、父上は「信用ならん」とかぶりを振る。
まあ俺もその話は怪しいと思っているが。とはいえ、シグナムが嘘をついているとは思えない。何かを隠しているのか、それとも彼女たちすら知らない秘密があるのか……。
「さすがに無理は言わん。お前が言った通りあの者たちだけを行かせてもよいし、嫌だというならそれも諦める。その場合、防衛の指揮を執るために南部へ向かってもらうがな……どうだ?」
窺うような父の問いに、俺は腕を組んで考える。危険だがトファシュという国で何が起こっているのかは気になる。あちらの状況次第ではただの様子見で終わるかもしれないし、他国への侵攻が王や国の重鎮が望んだものでないのなら戦以外で解決できるかもしれない。
それに妙な予感もする。“何か”が俺を誘い込もうとしているような。そして、それに従わないと侵略なんかよりとんでもないことが起こりそうな予感も……。
「……数日だけ考える時間をください。守護騎士たちと話し合ってから決めたいと思います」
「うむ。そうするがいい」
俺の考えを察したように父はその一言だけを返す。
ああ、そういえばミリアムの歌を聞く約束もしてたな。トファシュへ行く場合、それもなしになるのか。
にもかかわらず、俺は内心すでにあの国に向かう決意を固めていた。