ケントたちがいる国境沿いの街から八千マイルほど離れた渓谷地帯に設けられている街。そこにトファシュ王国の王都があった。
砂漠から移住してきた百万以上の民と交易のために出入りする商人たちによって栄える都は、人口と面積なら北部にある大都市リヴォルタをも超え、街の奥には無数の大理石を積み上げて建てられた壮麗な白亜の宮殿がある。
その宮殿の最奥の間に据えられた幅広の玉座に、『預言者』の末裔にしてトファシュを治める女王――《
「これにて、此度の侵攻による兵の損耗と北の国々から獲得した戦利品の報告を終えさせていただきます……いかがか、女王」
でっぷり肥えた腹を抱えるように立ちあがったまま報告を終える大宰相アルズッシュに、女王ユネメクは感情のないような表情のままこくりと頷きを返す。大宰相も女王もトファシュの支配層に違わず褐色色の肌をしており、どちらも色違いの眼をしていた。
女王は右眼が赤、左眼が青で、大宰相はその逆である。
「ご苦労でした。戦利品の中に現地のた――奴隷も含まれているとの事ですが、彼らはどのように?」
一瞬言葉を詰まらせる女王に宰相は眉をひそめながらも、表情にまでは出さず彼女の問いに答える。
「はっ、男たちのほとんどは《
遠回しな言い方とそれが意味する事を悟り、女王は唇を噛みたい衝動に駆られる。ようはすでに奴隷商人に払い下げてしまったという事だ。《棺》の発掘を強いられている男たちも過酷な環境に置かれているのだろう。
せめてもの抵抗をと女王は口を開いた。
「打ち負かした異教徒を奴隷として使役し教育するのは、“神”に与えられた権利であり義務でもある――しかし、その教育と扱いは慈悲を持ったものでなければならず、“神”の教えを解した者は速やかに奴隷身分から解放しなければならないと『預言者』が残された聖典に記されています――違いますか、《聖神官》オズヴェーリ」
そう言って、女王は大宰相から離れた場所に立つ赤いローブを着た女神官に視線と顔を向ける。顔の下半分をヴェールで覆った彼女の表情は女王はおろか、大宰相さえも測り知る事はできない。
今まで興味なさげに目を閉じていた《聖神官》オズヴェーリは重い瞼を開き、感情のこもっていない目を女王に向けた。彼女も王族同様褐色色の肌と色違いの眼をしており、右眼が赤、左眼が緑。
彼女らにとって忌まわしき『聖王家』のちょうど真逆の配色である。
その眼を向けられ、女王は身を竦ませそうになる。何もかも見通しているようなその眼を目の当たりにすると、“まさか”という予感が頭をよぎってしまう。
それを知ってか知らずか、オズヴェーリは口を開き冷淡な声を吐き出した。
「“聖王”などという偶像に
「…………」
《砂王の棺》という言葉を耳にして、女王の頬に冷たい汗が流れる。
それをどう取ったのか大宰相は玉座の方に歩き、先ほどとは一転、気安い態度で彼女の肩に手を置いた。
「そう気を揉むな、ユネメク。敬虔な我が民が奴隷たちを無体に扱うわけがあるまい。《棺》の発掘をさせている男どもの環境も、お前が想像しているほどつらいものではない。むしろ腕の振るいがいがあると喜んでいたぐらいだ。お前はここで儂らの報告を聞きながら、《棺》が出てくるのを待っておればよい。それまで政は儂が、神事は聖神官が上手く収めてやる。何も心配することはない」
「は、はい……アズルッシュ、叔父様」
肩を触れられ、さらに叔父としての口調をぶつけられた途端、女王は委縮した声を漏らしながらうつむく。それを見てアズルッシュは満足そうな高笑いを上げて元の位置に戻り、オズヴェーリとともに一礼と締めの挨拶を済ませ、玉座の間から去っていった。
女王はおそるおそる顔を上げ、彼らがいないことを確かめた途端脱力したように肘つきにもたれかかった。室内には護衛の兵が十人ほどいるが、誰も女王の様子を見咎める様子はない。いつもの事だからだ。
先王亡き後王位に据えられた女王ユネメクには実権がなく、トファシュ王国の実権は彼女の叔父である大宰相アズルッシュと聖神官オズヴェーリに握られていた。それは王宮にいる者なら誰でも知っていることだ。
しかもその上、彼女は――。
――やはり、私では宰相様と神官様を止めることなどできない。かといって“あの方”が戻ってきたとしても、宰相様たちの操り人形にされるだけ。そのうえ《棺》が見つかってしまったら……。やっぱり、私が“あの方”の振りをして時間を稼ぐしかない。
ユネさま……どうかご無事で。
◇
一方その頃、国境近くの街にある宿にて……。
「ねー、お兄さま―。本当にこの人連れて行くのー?」
不満げに尋ねるミリアムに俺はうなずき。
「ああ。でなければ誰かが料理の仕方を覚えるか、シャマルの料理を食うしか手がなくなるが」
そう言った途端、ミリアムは首をぶんぶん振る。それを見てシャマルは何か言いたそうにうめきを漏らすが、堪えながら黙って成り行きを見守る。
そんな俺たちを見ながら、市場から連れてきた赤髪の少女――ジュセクはつぶやいた。
「料理……ですか?」
「ああ。家事は苦手と聞いているが料理はどうだ? 具材を切ったり焼いたりできるだけでも助かるんだが……」
俺の問いに対して、ジュセクは自信がなさそうな顔をしながらも……。
「得意というほどではありませんけど、材料を切ったり焼いたりするぐらいならできます。商人様のところで何度も練習させられましたから。失敗するたびに叩かれたり無駄になった食材を食べさせられたので、基本的な事だけでも必死で覚えました……」
暗い顔で過去を告げるジュセクに同情しつつ、基本的な調理ができると聞いて内心安堵の息をつく。これでシャマルの料理を食べることにはならずにすみそうだ――いや、彼女の意思も聞いておかないと。
「そうか。じゃあ俺たちがこの街にいる間だけでも、料理を含めて簡単な家事をしてくれないか。もちろん、ここを出たいというなら無理に引き留めるつもりはない……だが……」
言いながら、俺はジュセクの首にかけられたままの首輪に視線をやる。ジュセクもそれに気付き、自身の首にかけられているそれをそっと触れた。この子を引き取る際、手枷などは外してもらい、近くの店で買った服に着替えさせたりはしたものの、首輪だけは外すことができなかったのだ。
その首輪は奴隷の逃亡や裏切りを防ぐためのもので、ある呪文を唱えた途端、たちまち首輪が締まり喉を締め付けるようにできているらしい。使うつもりは毛頭ないが、俺もその呪文と停止用の呪文は教えてもらっている。
だが、その逆に首輪を外すことは、俺たちはもちろん奴隷たちの“預かり主”である商人にもできないそうだ。その理由は……
「この首輪には特殊な術がかけられていて我が国の術士でなければ外すことはできず、術士であっても主人や神官様のお許しもなしに奴隷を解放することは固く禁じられています。特に、奴隷身分からの解放の判断は神官様の重要な職務の一つですから、ご主人様や商人様でも勝手に奴隷を解放する事はできません」
すらすらと説明するジュセクに、俺たちは感嘆の念を覚えながら耳を傾ける。読み書きができるという話だったが、奴隷に関する決まりや宗教面の知識まで精通しているとは。品もあるし、結構高い身分――もしかしたら貴族の令嬢だったのかもしれない。
まあ、それはともかく――
「……つまり、神官が君の解放を認めない限り、その首輪も外すことはできないと?」
俺の問いにジュセクはこくりと首を縦に振る。それを聞いてヴィータは後ろに後ずさりながら言った。
「おいおい、大丈夫かよ? 首輪を爆発させたりもする呪文もあるんじゃ……」
「えっ! それほんと? お兄さまも早くその人から離れた方がいいんじゃ――」
ヴィータに続いてミリアムまで顔を青くしながらジュセクから離れ、俺に向けて手招きしてくる。
それに対して、俺は平然としたままのジュセクを見てから首を横に振った。
「いや、たぶん爆発なんかはしないと思う。うかつに爆発なんかさせたら首輪の破片やその他色々が飛び散って危険だから、商人や主人、その他の人間にとっても不都合にしかならないだろう」
「あっ――そっか」
俺の説明に納得したのか、ヴィータは安堵の息をつきながら戻ってきてミリアムもそれに続く。
それに首輪には主人の思念を察知する機能も付いているから、寝言で首絞めの呪文を言ったりしても作動しないようになっているらしい。
「事情は分かった。首輪のことはひとまず置いておかせてもらう。そのうえでもう一度頼むが、当分の間俺たちのもとで料理や家事の手伝いなどをしてくれないか。もちろん賃金は払うし、ジュセクの首輪を外す方法も探すと約束する」
「賃金まで……本当にいいんでしょうか? 私を買うのにかなりお金を使ってしまったのに。私は奴隷ですし、少しだけお食事を分けてもらうだけで――」
遠慮がちに言うジュセクに俺は首を横に振って言葉を返す。
「そういうわけにいかん。この国の制度や奴隷の待遇はまだ知らないが、俺たちの国では働いた者はそれに見合う対価を受け取る権利と義務があってな、ジュセクもそれに従ってもらう。……それも含めてどうだ? ここで俺たちの手助けをしてくれないだろうか……」
尋ねながら俺は彼女をじっと見る。食がかかってるからかミリアムも今度は反対せず、守護騎士たちも同じような視線を彼女に注いだ。
それらを受け止めながらジュセクは訝しげな目で俺たちを見返しながらも、しばらくしてぎこちなさの残る笑みを浮かべ――。
「わかりました! 元々、私に拒否する権利はありませんし、私にできる事ならどんなことでもやります。……でも、家事は本当に苦手ですしさっき言った通り料理も基本的な事しかできないので、あまり期待しないでください……」
「ああ! ――面倒をかけると思うが、これからよろしく頼む!」
言いながら俺は右手を差し出す。しかし、ジュセクは困ったように俺の顔と右手に視線を行き来させ、しばらくしておずおずと右手を差し出し、軽く手を握り合った。
……この国の風習ゆえか、それとも奴隷だったためか、握手には抵抗があるようだ。慣れるまではお互い苦労しそうだな。
――やっぱりこの人たち、北から来た異国人みたいね。この前、軍が北に向かって行ったばかりだから、ひょっとしてその報復に?
危険だけど、うまく炊きつければ王宮に向かわせる事ができるかもしれない。そしてなんとか“あの子”を助け出して――。
待ってて、カディス。ちょっと時間がかかるかもしれないけど必ず助けに行くから!
自身の扱いや今後のことなどを話し合っているケントたちを眺めながら、王宮にいる姉妹分を助けるため、ジュセクはひそかに決意を固めていた。