ゴジラVSクトゥルフ -The Call of Catastrophe- 作:江藤えそら
Case C:依諏間島より親愛なる父母へ
1
私は宇宙論や地球史に造詣の深い高名な学者でなければ、万物と心身の相互作用を日夜論ずる哲学者でもない。ましてやオカルトじみた宗教論や鬱屈とした被害妄想的な陰謀論を振り
人類がこの世に生まれ至る以前になにものがこの地上を闊歩していたのか。その問いに対して空虚な想像を膨らませる以外の
2
ことの始まりは、私が警察官としてこの
面倒な諸準備を終え、果たして私は依諏間島へ足を踏み入れた。しかし来てみれば、事前の私が思い描くような大自然と透き通った海だけが視界を埋め尽くす絶海の孤島などということはなく、現代的な鉄筋コンクリートの建造物が中核部に広がる殺風景な中規模都市であった。脳裏に抱く理想郷のような幻想との乖離に拍子抜けしながらも、元々いた場所とそこまで隔絶せぬ文化的範疇で生活を営めそうであることは幸運な誤算であると言えた。何しろこの島は硫黄島から東方約250km、小笠原諸島の外れにある日本領土の中でも限りなく外洋に近い場所であったのだ。
依諏間島に異動した私は浜辺沿いにある小さな交番の所長として着任することとなった。依諏間市が借り上げた宿舎は徒歩で行けるような距離にある小さなアパートだった。交番に所属する部下達はいずれも大人しい3名の青年で、少し履歴書を確認した限りでは特筆するような技能も問題点も無さそうな人物ばかりであった。当たり障りのない挨拶と共に早速私は慣れない書類と睨めっこをする業務と向き合うこととなった。
しばらく勤務を続けると、この島の独自の文化や気風が少しずつわかってきた。どうもこの島は日本人よりも外国人の割合が多いようで、少し浜辺を巡回すれば白人や黒人とおぼしき男女が歩いているのを非常によく見かけた。一部では日本人よりも数が多いのではないかと見紛うほどで、その光景はあたかもニューオーリンズやマイアミの浜辺にでも来ているかのような錯覚に私を陥らせた。
しかし彼らの文化には私が海外のそれとしてイメージするものとは若干に異なる様相を内に秘めていた。普段から気怠そうな顔をしている部下の青年から聞いたところによると、彼らは不定期で集落外れの浜辺に集まって何か宗教的な儀式に興じているようだった。私は海外の人間が行う未知の文化的行動に無条件に嫌悪感を覚えるような歪んだナショナリズムの持ち主ではないと自覚していたが、そういったイデオロギー的な先入観の一切を排除してもなおそこには一定の不気味さを抱かずにはいられなかった。絶海の島という文化的に隔絶された大地と未知の宗教的儀式という概念が、まるで映画の世界のような空想的ホラーイズムを私に感じさせるのだった。そして同時に私はその空想性ゆえか、件の儀式というものに言いようのない知的好奇心を感じてもいた。
ちょうど同じ頃、世間では奇怪な夢の噂がまことしやかに囁かれていた。世間というのは、政府を代表するような機関であるとか、大手のマスコミが関わるようなテレビ番組であるとか、そういった類いのものではない。人々が自由に意見を発信できるSNS*1のような場所で、さほど世俗に関心のない私のような人間の目にも映る程度には話題の中心になっていたという意味合いである。曰く、凡そ常人には想像もし得ないような不気味な造形の象形文字であったり、そういった形状が構成される因果が分からぬような物理的に不可思議な幾何学的造形の建物であったり、どろどろと音を立てて濡れ広がる緑色の粘液を纏った不定形の住人であったり、そのようなものが見える夢なのだという。そして、その夢を見て無事にその旨を報告する者もいれば、その夢を見たきり目覚めぬ者、目覚めたかと思えば廃人と化す者が後を絶たないと言う。しかしそれら噂話はいずれも信用に足る情報源というものは存在せず、世間の出来事に乗じた悪戯か承認欲求のいずれかであるとして唾棄しても差し支えのないものだった。
私がそんな根も葉もない噂話を鼻で笑えなくなったのは、その数日後に何気ない雑談の中で部下の1人が全く同じような夢を見たと証言した時だった。彼は夢の中で聞き及んだ意味不明な単語までもを正確に転写してみせた。
『いあ いあ くとぅるふ ふたぐん』
私には全く見たことも聞き覚えもないその文字の羅列が、何か人類がその手を伸ばしてはいけない禁断の果実に思えてならなかった。夢を見たという部下本人は至って呑気な態度であったが、その三日ほど後に再び同じような夢を見たと告げた時にはその顔にいささか焦燥の色が見られた。しかし、そのような相談をされたところで私には心療内科を薦めるくらいの対応しかできなかった。
3
同じ頃、近隣の住民から通報があった。付近の外国人が夜半に外で大声を出しているというものだ。通報主は日本人の老婆で、わざわざ交番に足を運んで苛立たし気に、自らが置かれた窮状を怒鳴りつけるように語った。その老婆の如何にも偏屈そうな態度を感じ取った私は面倒な案件になりそうだと眉をひそめたが、無対応というわけにもいかない。夜勤の部下に該当区域へのパトロールを指示してその日は退勤することとした。
しかしそこまで思考が逡巡したところで、私は件の儀式の話を思い出した。町はずれで行われているとされる外国人たちの儀式が、この騒音騒ぎの原因となっているのだとしたら? 私は自らの胸中に渦巻く不気味さと知的好奇心の狭間に立たされた。
結局のところ、私はその日、深夜まで残って部下と共に該当区域へのパトロールに赴くこととした。知的好奇心はあれど、あくまでも動機は仕事の貫徹に他ならなかった。
該当区域は島の中でも特に寂れた漁村地区で、同じ島でもこれだけ雰囲気が異なるのかと驚くほど物静かで空気は淀んでいた。ただ、そんな過疎地域には似つかわしくないほど街灯は無駄に多く、深夜だというのにうっすら明るい。それに民家はところどころ人が住んでいるような雰囲気は感じるのだが、ある家は窓に板が釘で打たれ、ある家は今にも倒れそうなあばら家で、何よりもそれらの家のそれぞれから誰かがじぃっとこちらを見つめているような、不気味な気配を感じさせていた。それらの異様さを感じつつも、確信に変わらぬうちは言葉にすることもできず、私と部下はしばらく無言の巡回を続けた。
「騒がしい外国人なんていませんね」
漁村部に入って十数分が経過したころ、無言に耐えかねてか部下がぽつりと呟いた。
「まあ、毎日やってるとも限らんだろう。今回は大まかに人がたむろしていそうな場所を押さえるくらいにしておこう」
私は歯切れの悪い返答を返すことしかできなかった。仕事の意識でこの場を訪れたと自己に言い聞かせてはきたが、結局のところ何か非日常に近いものを見られるという期待が胸中に存在していたことを否定できない。しかし、結局のところこの村が纏う異様な雰囲気は私の期待を満足するようなものでは到底たりえなかった。
そんな折、私は暗闇に覆われた浜辺にうっすらとした明かりを見つけた。街灯があのような場所にあるはずもなく、それが人が照らしているものだと気付くのに時間はかからなかった。
「あれ、なんだ?」
私が注意を促すと部下もそちらを凝視し始めた。どうやら一人や二人ではなく、相当な数の人間がそこに集まっているようだった。一応パトロール任務である以上、遠目から様子を見るくらいは必要だろうと思いパトカーを浜辺へ近付けた。時刻は0時を回り、日付が10月31日に変わったあたりだった。
浜辺には十四、五人くらいの人々が集まっていた。背格好からは老若男女の区別がつかないが、少なくとも子供はいないであろうことはすぐに分かった。そして、彼らは浜辺から海に二隻の小さなボートを出そうとしていた。遠目で見たところ、ボートには人が乗せられていた。見たところボートには灯火類は装備されていない。動力のないボートであれば法に触れるものではないが、無灯火のボートで夜釣りなどしようものなら海難事故に発展してもおかしくはない。
「これはちょっと言った方がいいかもな、行くか」
「はい」
私は浜辺沿いの道路脇にパトカーを停車させ、部下と共に浜辺に降りた。ボートが出る前に声をかけねばと思い小走りでその集団の元に向かった。緊張や恐怖よりも、何故この時間にこんなことを? という疑問が脳内を支配していた。
「すみませーん。ちょっとボート出すの待ってもらえますか?」
私が声をかけると、その集団が一斉に私の方を向いた。彼らの顔がこちらを向くや否や私は強く狼狽した。頬骨が張り、目の位置は左右に開き、鮫肌で吹き出物にまみれ、目は膨らんでいて常にこちらを睨みつけているような感じがした。初対面の人間に外見で嫌悪感を抱くなどという無礼で差別的な行為をしてはならない、という私自身の良心の壁を越えるほどにはその顔の不気味さは強烈であった。加えて不気味であったのは、その場にいるほぼ全員が同じような顔つきをしていたということだ。血縁であるにしてもこれほどまでに似通うことがあろうかというくらいには全員の形相がそっくり類似していたのである。
「なにか」
ぼそり、と男の一人が答えたことで、私は一瞬忘れかけていた仕事を思い出した。彼らにボートに関する行為の詳細を聞き取り、必要であれば注意喚起をすることだ。
「えーと、今こちらで何されてましたか?」
「生贄を送り出すところですがね」
は? と思わず私は声を漏らさずにいられなかった。それほど全く予想だにしない答えが返ってきたからだ。
「生贄? それは誰に対して?」
言葉に詰まる私の代わりに部下が問うた。生贄と言ってのけた彼の言葉を一旦は信ずることとしたようだ。
「イハ=ンスレイの父と母に」
男はぼそりと答えた。私は冷静さを取り戻そうと己の額を二回小突いた後、彼らが何か宗教的な儀式を行おうとしているという結論に身を置くこととした。
「えー、生贄というのはそこのボートに乗っている方ですか?」
「はい」
私の問いに男は最低限の言葉で答えている。宗教事件などに直接携わったことはないが、彼らには彼らのルールや信念があることは容易に想像できたので、下手に地雷を踏まないように慎重に言葉を選びながら事の全容を明らかにすることとした。
「生贄というのは、そのボートに乗せて海に流すということでしょうか?」
「イハ=ンスレイの父母の元へ」
男の返答は私の問いに対する答えになっていなかったが、一旦私の問いに対する答えは”YES”であるとして認識することとした。見たところ、ボートにはオールすら装備されていない。もし彼らが本当に人をボートに乗せて海に流そうとしているのなら立派な事件である。
「こんな時間に無灯火のボートに人を乗せて海に出したら海難事故になるかもしれないですよね、分かりますか? この儀式ってご本人は了解されてるんですか? その、生贄っていう人は」
ただのふざけた”宗教ごっこ”遊びであればよいのだが、それにしてもわざわざボートを用意して人を乗せようとしている時点で到底ごっこ遊びの範疇を超えているようにしか思えなかった。加えて警官二名に質問されても誰一人そわそわとした様子なく、微動だにしていないこともこの状況の奇怪さに拍車をかけていた。
「こんな時間に人をボートに乗せて流そうなんて危ないですよね。これ我々が見つけて止めてなかったら海難事故になりますよ。海保の案件になりますよ。あなた達、宗教団体の方ですか? 法人登録されてますか?」
男からの返事がないので私は続けざまに問いかけた。とにかくこんな危ない真似は一刻も早く止めなくてはならない。度々外国人が起こしている儀式の噂もこれだとしたら、既に流された人間がいるのだろうか? と嫌な予想が脳裏をよぎる。だが、流石にそんなことをしていれば行方不明届が出て事件になるはずであり、今目の前で起きている異常な儀式が最初の一回であることを己に言い聞かせることとした。
「生贄がなければ父と母が怒りますよ。大いなる恵みも得られない。生贄を拒むなら、あなたは父と母に誓わなければならない」
すると、沈黙を破って男がそんなことを語り出した。これまでの無機質で短い言葉とは裏腹にどこか興奮した様子で、早口かつ声量も大きくなっていた。
「じゃあそのお父さんとお母さんという方を連れてきてください。直接お話ししますので。できないのならボートの人と一緒に家に帰ってください。危ないですからね。ああ、あと帰る前に団体名だけ教えてください」
全く悪びれる様子のない男の態度に、私も少しムッとして言い返した。
「分かりました、では父母を呼びましょう。大層お怒りになるかと思いますがね…」
そう言うと男はこれまでに耳にしたことのない奇怪で不気味な言語を呟き始めた。言語学に堪能でない私の頭にも、その言語が人間が作った如何なるそれとも異なるものであるということだけは何故か分かった。そして、それは同時に、目の前にいる
「ちょっと。もしもし」
その後、部下が何度話しかけても男は奇怪な言語を呟いてやめない。私は言いようのない恐怖を胸に抱き始めていたが、部下はただ呆れ果てているようだった。恐怖の感じ方にも個人差があるのだという当たり前の事実すらこの時の私には恐怖を引き立てる要素の一つと化していた。
「すみません、大丈夫ですか?」
男と会話が通じないと見るや、部下はボートに乗せられている”生贄”に話しかけた。その様子を見て私はようやく依諏間署にこの事態を報告することを思い出した。無線を取り出して署に応答を乞うたが、無線からは無秩序な雑音が返されるばかりであった。そんなはずはない。今まで島内をパトロールしていて電波が一切通じない場所など存在しなかった。一体何が起こっているのか? そんな私の疑問をよそに、頭に布袋をかぶせられた”生贄”は部下の呼びかけにこう答えた。
「ああ、あなた達なんということをしてくれたのですか。およそ一世紀の間、”インスマウス”はこのようにして豊漁の加護を受けてきたというのに」
「は? インス…マウス?」
”生贄”が口にした聞いたことのない単語を部下が反芻する。一方で私は仕事よりもこの場から脱することを優先したい気持ちが徐々に増大しつつあった。
「ええ。この島は我らが失われた故郷インスマウスなのです。一度は忌まわしき密告者によって棲み処を追われましたがねえ、今はこの島がイハ=ンスレイと地上を繋ぐ楽園なのですよ。だからこそ大いなる父と母への捧げものを絶やしてはならない。あなたたち人間は我らが父と母に誓い、我らと交わることで平穏を得られます。わたしは人間の血が通っているからこそ人間にも平穏でいてほしいと思うのです。大いなる力は目覚めさせないに越したことはない。最も、それも星辰が正されるまでの僅かな間のことですが…」
「はあ……」
その”生贄”の話していることは一つも理解できなかったが、何故か部下は身を乗り出してその話に聞き入っているようにも見えた。この空間で私以外に唯一
「おい、一旦電波が通じるところまで戻ろう。無線が通じないんだ。なんだかヤバいことになってそうだ」
「ちょっと待ってください。何かあります」
部下は興奮したように懐中電灯を浜辺に向けた。暗くて気付かなかったが、謎の言語を発している男達と度々先端を波に洗われているボートから少し離れたところに何個かの石碑のようなものが立っていた。それらには見たこともない幾何学模様や水生生物の鱗や触手などがびっしりと彫られていた。ヒエログリフのような図形言語のようにも思えた。しかし私にとってすれば今この場を離れたい気持ちがより一層増しただけであり、部下がそれに興味をそそられている理由が分からなかった。
「そんな石がどうしたってんだ。戻ろう」
私が彼の腕を引っ張るのをやめたのは、その石碑のうちの一つに視線を這わせた部下が思いもよらぬ単語を口にしたためだ。
『いあ いあ くとぅるふ ふたぐん』
それはつい先日、部下が夢で聞いたという単語そのものだった。その単語が何故今になって彼の脳裏に浮かんだのか私には分からない。しかし彼の視線の先を追うと、その答えに近しいものの存在をはかり知ることはできた。そこには、蛸のような巨大な軟体生物の姿が彫られていた。無数の触手が固まって密生した顔面、足と思しき長大な肢体から突き出したかぎ爪、背中から生え出でた細長い翼。彫刻の姿からは伝わるはずのない不気味な肌のぬめりや鱗の質感まで何故かありありと想像できる。この怪物が何なのか私には皆目見当もつかない。しかしこの謎の言語を発する男達も、人間の行く末を案じる”生贄”も、そして目前の光景に脳を支配されようとしている部下も、みな何か目に見えぬ
次第に私には石碑の背後に広がる漆黒の海が広大で空虚な大宇宙のように思えてきた。そしてこの石碑はそんな大宇宙に浮かぶ孤独な一星系に思われた。ほんのわずかな星々を除けばあとはほとんど無の空間でしかない宇宙の片隅から、石碑に描かれた蛸のような怪物がその触手を我々に向けて伸ばしている。その怪物の身体は透明に透き通り、宇宙の無を体の内に映し出している。あの怪物にむさぼり食われた時、我々は宇宙を構成する無の一つへと還るのだ。この怪物は我々のような生物ではなく、宇宙という未知が生み出した空虚の権化なのではないか。
そも、
4
次に私が聞いた音は、水面が割れて弾ける音だった。ぎょっとして海に懐中電灯を向けた時、既に私は正気を失っていた。
魚が腐敗する悪臭と共に海から這い出たのは、全身を鱗でおおわれた巨大な水棲生物だった。水棲生物と呼ぶほかに一言でその存在を形容する手段がない。瞼のない目がぎょろりと浜辺を見渡し、鱗に覆われた魚のような顔から石臼を挽くような不気味な唸り声をあげた。腹部は白く、背中には隆起した刺のようなものが突き出ていた。首の左右には紛れもなく鰓があり、それが魚類に属する生物であることを物語っていた。しかしただの魚類というにはあまりに不可解である点は、自力で二足歩行を行っている点と、およそ人間とは釣り合わないピラルクのような巨大さであった。
「ああ、我らが大いなる父よ! あなたへの捧げものはここにおります。星辰正される今、再び我らが神の下に世界が帰する時が来た! 70年前の忌まわしき大火を再び呼び起こしてはならない。神の名の下に愚かなる大トカゲを屠りたまえ」
”生贄”がそんなことを叫んでいたが、私の耳には一切入っていなかった。
私は声にならない叫び声をあげながら拳銃に手をかけた。震える指で安全装置を外し、発砲に対する法的拘束や倫理的なタガなどまるで最初から存在していなかったかのようにがむしゃらに発砲した。乾いた発砲音の直後に聞こえたのは、かちんと怪物の鱗に弾丸が弾ける音だった。まるで車に石ころを投げたような、力ない音とともに私ができうる最大限の抵抗が全くの無力であることが知らしめられた。
ひとつ幸いであったことは、私が発砲したにも関わらず怪物が私に一瞥もくれなかったことだ。代わりに、それは浜辺のボートに目をやると、中に座っている”生贄”を拾い上げ、躊躇いなくその上体を自らの口に運んだ。ブチブチと肉が千切れる音とともに血しぶきが浜辺に広がり、”生贄”の下半身を握りこんだ手と怪物の口の間には紐のように”生贄”の臓物が渡され、腕をさらに引っ張ると生々しい音を伴って臓物も引きちぎられた。
この浜辺で起きている全ての事象が私の理解を遥かに超えていたが、私にとってもう一つ理解できなかったことは、その怪物から後ずさるように逃げる私に対して、部下はけたたましい笑い声と共にその怪物の方に近付いていったことだ。私は必死に身をよじらせて浜辺を抜け出すばかりで、部下に声をかける余裕も生まれなかった。
5
それから私が何をしたのかあまり覚えていない。朧気であるが、パトカーを急発進させて浜辺を後にしたような気がする。その後、ようやく依諏間島市街地に到達しようかというところで私が運転するパトカーは街路樹に激突し、警官が真夜中に起こした交通事故として島を騒がせたのだ。私は全身打撲の大けがを負い、病院で治療と取り調べを受けた。私は努めて正直にことのあらましを告げるようにしていたが、如何せん私自身の脳がその記憶を防衛本能の一貫としてほとんど消去してしまったらしく、精神病患者の妄言としか捉えられないであろうぶつ切りの証言しか出てこなかったのだ。
さらに驚いたことに、私が記憶している数少ない記憶の一つとして、怪物に身を躍らせた哀れな部下の名前を告げて彼の安否を確かめたが、そのような警官は存在しないと告げられた。しかも、戸籍を調べさせても10月31日の深夜に姿を消した住人など存在しないし、浜辺に石碑なども存在しないと重ねて告げられたのだ。いっそ、あの惨劇が私自身が突如発病した精神病か脳疾患の症状であると理解した方が私も周囲も楽であろうと諦観の念を抱くようになった。だが、私の実感としてあれが妄想や夢であったなどとは到底思えない。私は人間が知ってはならない大宇宙の根源的真理に触れてしまったのだ。或いは知らぬまま滅びた方が幸福なのだろう。私はこんな哲学的な思考を病院でずっと繰り返していた。
しかし、思考を繰り返せば繰り返すほど、やはり片足を踏み入れた以上知らなければならないのだと思うようになった。この島に、人類に待ち受けている終焉が何なのか。彼らは何を行おうとしているのか。知りたい。知らねばならない。なるほど、今なら部下の気持ちが理解できたような気がする。病院などで燻っている場合ではない。海に行こう。
今夜であれば当直の看護師にも気付かれることはないだろう。私は完全に精神病患者として警察の警戒網からも外れた。今夜しかない。海に、海に行かねば!
新シリーズ開幕となります。今回は過去作の反省を活かし、完結できるようプロットを考慮しております。時間はかかっても完結を目指して頑張ります。
過去作「ゴジラ2054」の顛末については活動報告に記載しておりますので、気になる方はそちらをご覧下さい。